【テルミニ】
イタリア語で「終着駅」をいう。ローマは典型的な終着駅で、映画「終着駅(Statione Termini)」の舞台になっている。アメリカ人旅行客で人妻のジェニファー・ジョーンズと通訳兼ガイドのイタリア人英語教師で、若いモンゴメリ・クリフトの行きずりの恋がやるせなかった。
高校時代の広島県の終着駅は宇品線「宇品駅」と可部線「可部駅」しかなかったと思う。後は全部「途中駅」だった。芸備線は広島駅から三次駅までだったが、三次からは「福塩線」というのがあって、福山まで通じていた。
初めて東京駅にひとりで行ったのは1960年の安保闘争の頃だ。夕刻に広島駅を発つ急行「安芸」に乗ると、呉線経由で翌朝早朝に東京駅に着いた。その頃、学生が寝台車に乗るなんてとんでもないぜいたくだった。
だが、長旅にもかかわらず、東京駅が「終着駅」という意識はなかった。中央線や山手線が出ていたからだ。その頃は貧乏学生で、国会にデモに行くのがせいいっぱいで、東京見物などのゆとりはなかった。それから10年ぐらいして、もう医学部を卒業する頃になっていたが、初めて上野駅を訪れて「終着駅」を知った。本当に線路が終わっているのに驚いた。映画「終着駅」のローマ駅と同じだった。
話は変わるが、4/8(金)の10時過ぎに掛かりつけ医に行った。受付で聞いたら「前に3人患者いる」ということだったので、玄関で一服した。ここにはちゃんとスタンド式の灰皿がある。そこで散り際が美事な桜を見かけた。(写真1)
(写真1)
「散る桜、残る桜も散る桜」
というが、これほど散り際が美事な桜も最近は見かけない。見ていると、患者送迎用の車の出入りがある。看護保険に基づきNPOのものや、診療所と個人契約している会社のものなどいろいろある。患者は後期高齢者と思われる人がほとんどで、8割方女性である。
その後、受診したら、処置室に今日は看護師が一人しかいないで、どうしたのか?と聞いたら「点滴している」という。廊下の反対側の処置室を覗いたら、ベッドに老人が3人いて、100mlくらいのプラスチック容器から点滴を受けていた。生塩水やブドウ糖溶液ではない。
「それ何?」と聞くと「鎮痛剤です」と答えるから「それってキャンサーの痛み止め?」と問うと、「そうです」と答える。昔なら「クレブス」だが、いまの若い看護師には「がん」のドイツ語は分かるまい。点滴内容はモルヒネだろう。100mlの点滴だと目が放せないのは当たり前だ。
「ターミナル・キャンサーかい?」と聞くと、「そこまでは行っていません」という。嘘つけ、がんでモルヒネの点滴が必要になるなら、骨転移による痛みに決まっている。「ステージ4」のがんとは何かが分かっていないのだ。
その後、血圧・脈拍の測定と検査用の採血を受けた。注射針を抜いた後、絶対に皮膚出血ない採血法を2年がかりで教えてきたが、今日は美事に成功したので「100点だ!」と言ってやった。表在静脈のすぐ傍の表皮に針を刺し、その位置で針先を静脈の上にスライドし、そのまま穿刺・採血する。針を抜くとその上を針孔がない皮膚が被うから、これが止血効果を発揮し、表皮の針孔からは出血しない。よってそのまま放置しておいても、蚊に刺された跡と同じで出血も起こらないし、感染も起こらない。皮下の出血は自然に凝固し、再吸収される。
つまりこれはアルコール綿をテープで押えた後、小さなバンドエイドを貼るよりも、手間も省け、コスト削減にもつながるのに、それをやろうとしない。解剖学と組織学がきちんと理解できていたら、すぐにこの方法の原理がわかるだろうに、と思う。
その後、主治医の診察を受けたら、「インスリンとC-ペプチドの同時測定は保険ではできません」という。理由を訊ねたら、「広島県国民健康保険団体連合会・審査管理部・審査第三課」からそういう「指導」があったという。
プロインスリンからインスリンが切り離された際に残るタンパク質がC-ペプチドで、両者の代謝速度は異なる。インスリンとC-ペプチドの両方を測定しないと糖尿病の体内代謝がどうなっているかわからない。どんな馬鹿な小役人がこういう指導をしたのか分からないが、県医師会の保険査定委員には医師も病理学者もいるはずだ。どうなっているのかわからないから、近日中に指導した役人に電話して、こっぴどく叱りつける予定だ。幸い指導書類のコピーをもらったので電話するのに助かる。おかげで「検査実費」1,120円を支払わされた。まあ「研究費」だ。
さて今日はケトン食についての「治療実験」について、渡邊昌君提案の実験の話を前に進める予定であったが、肝心の先生が「指導を受けた」ということで尻込みしてしまい。前向きな話に進まなかった。モルモットは私で、ケトン食後の血中・尿中ケトン体とブドウ糖の濃度を経時的に測定する。そのための採血を診療所で行うというだけの話なのに、「診療報酬」しか頭にないらしい。そこで今回は、宗田哲男「ケトン体が人類を救う:糖質制限でなぜ健康になるのか」(光文社新書,2015/11)だけをお貸しし、返却をサンサーラに持ってきてもらい、夕食を共にして、「共同研究」の話を進めることにした。一般医の「ケトン体」についての知識はまことに乏しい。
12時過ぎに西高屋SCに買物に行き、焼酎、缶詰、瓶詰め類や入れ歯用のペーストや単3バッテリーなどを買った。西高屋の街路樹は開花のズレがあり、満開のものと咲きかけのものがあった。遅れて咲いているものには写真のように花弁が12枚あるものがあり、ハナコブシと思われた。街路樹に変化を持たせてあるのかも知れない。
(写真2:西高屋街路樹)
この前、庭木に美事なものがあるところほど、無住か廃屋かという経験則がある、と述べた。
帰りに上戸野という集落の国道375号線脇で、またもそういう風景を認めた。
この美事な桜が咲いているところは、前の家も後ろの家も無住である。ひょっとすると間にあった家(いまは更地)が、桜の持ち主だったのかも知れない。(写真3)。
(写真3)
反対側の国道には、写真4のように
(写真4:無住のゴミ屋敷)
ツバキ、モクレン、コブシが美事に咲いている家があったが、無住でゴミ屋敷になっていた。
「東風(こち)ふかば、……あるじなしとて、春な忘れそ」
というが、植物は主がいなくても自立栄養だから花を咲かせる。道真が命令するまでもない。
帰宅したら13:30近くになっていた。桜をいろいろ見たら心が疲れた。そういう時にはソプラノの高い女性の歌が疲労回復に効果がある。桜を折り込んだ女性ソプラノといえば、島倉千代子の「東京だョ、おっかさん」だろう。
さっそくiTuneで島倉千代子の歌を聴いた。YOUTUBEにもアップされているが、オリジナル原盤の方が絶品である。
https://www.youtube.com/watch?v=UISJaT4htoc&ebc=ANyPxKpz1LeTpeLql5xhpj-EiEsUa4tn9-lvcHB4U4Ry8MWg96GwWeoI7fLzo1wHvDVDqJNC1XTLsY669NiLT927a-Qulfs9qg&nohtml5=False
東京で働く娘のところに上京した母親を「久しぶりに手をつないで」、東京見物につれて行くというシャンソン(演歌)だ。
たった3分36秒、三番までの唄だが、一番は皇居前広場、三番は浅草寺を歌い込んでいる。
この歌詞はことに二番が優れている。
「やさしかった兄さんが
田舎の話を聞きたいと
桜の下で、さぞかし待つだろ、おっかさん」
ここまで聞くといつも涙が滂沱として湧いて来る。満開の桜の下で待っている「兄さん」は、もはやこの世の人ではないのである。
「あれが あれが、九段坂
逢ったら泣くでしょ、兄さんも」
作詞、野村俊夫、作曲、船村徹。元は同名の東宝映画主題歌(1957年3月)だが、東京の地理で「九段坂」がどういう位置を占めているかがわかれば、歌詞の意味は明瞭である。
この歌ほど、「靖国神社」という名前を出さないで「反戦平和」を歌った名曲はないと、私は思う。私は実際に、九段下から靖国神社まで(確か京都府立医大卒の土橋康成さんが同行した)歩いて参詣して、この歌の真意がとことん分かったような気がした。
「流れる、流す、きれいにする」ことをギリシア語で「カタロス」という。「カタル」は病名でもあり、分泌物が異常に多い場合に、「結膜—」、「中耳-」、「鼻-」、「腸-」という風に使われる。涙を流して感動した後は、心がすっきりする。それを「カタルシス」という。
というわけでカタルシスを味わい、心がスッキリしたので14:00に今日の食事(1日1回)をした。
この文章は「テルミニ」から始めた。靖国神社とテルミニがどういう関係にあるのか?
昭和14(1939)年に流行した塩さまる唄の「九段の母」という歌がある。その一番、
「上野駅から九段まで
勝手知らない焦れったさ
杖を頼りに一日がかり
倅(せがれ)来たぞや 逢いに来た」
上野駅から本郷=湯島=お茶の水=神田通りに出て、神田神保町から九段下を経て、靖国神社に至る道は、直線距離なら1里強、実際の路程も2里(8キロ)はあるまい。それを「杖を頼りに一日がかり」というのは、誇張かも知れないが、老母の年齢と心情を思えば「文学的には真実」であろう。
この歌の意味するところを、昭和15年頃に東北から上京した人たちにとっては、「上野駅は終着駅であった」、と私は理解した。戦後も長い間、上野駅はテルミニだったのだ。
つまり西日本人に占める「東京駅」のイメージと東北人に占める「上野駅」のイメージは全く異なる。それを認識していないと、石川さゆり「津軽海峡冬景色」(昭和52=1977年)の「上野発の夜行列車」の本当の意味もわからない。
私は「九段の母」を名曲とも名歌とも思わないが、イタリア映画「テルミニ」の意味を教えてくれた歌として評価している。
イタリア語で「終着駅」をいう。ローマは典型的な終着駅で、映画「終着駅(Statione Termini)」の舞台になっている。アメリカ人旅行客で人妻のジェニファー・ジョーンズと通訳兼ガイドのイタリア人英語教師で、若いモンゴメリ・クリフトの行きずりの恋がやるせなかった。
高校時代の広島県の終着駅は宇品線「宇品駅」と可部線「可部駅」しかなかったと思う。後は全部「途中駅」だった。芸備線は広島駅から三次駅までだったが、三次からは「福塩線」というのがあって、福山まで通じていた。
初めて東京駅にひとりで行ったのは1960年の安保闘争の頃だ。夕刻に広島駅を発つ急行「安芸」に乗ると、呉線経由で翌朝早朝に東京駅に着いた。その頃、学生が寝台車に乗るなんてとんでもないぜいたくだった。
だが、長旅にもかかわらず、東京駅が「終着駅」という意識はなかった。中央線や山手線が出ていたからだ。その頃は貧乏学生で、国会にデモに行くのがせいいっぱいで、東京見物などのゆとりはなかった。それから10年ぐらいして、もう医学部を卒業する頃になっていたが、初めて上野駅を訪れて「終着駅」を知った。本当に線路が終わっているのに驚いた。映画「終着駅」のローマ駅と同じだった。
話は変わるが、4/8(金)の10時過ぎに掛かりつけ医に行った。受付で聞いたら「前に3人患者いる」ということだったので、玄関で一服した。ここにはちゃんとスタンド式の灰皿がある。そこで散り際が美事な桜を見かけた。(写真1)
(写真1)
「散る桜、残る桜も散る桜」
というが、これほど散り際が美事な桜も最近は見かけない。見ていると、患者送迎用の車の出入りがある。看護保険に基づきNPOのものや、診療所と個人契約している会社のものなどいろいろある。患者は後期高齢者と思われる人がほとんどで、8割方女性である。
その後、受診したら、処置室に今日は看護師が一人しかいないで、どうしたのか?と聞いたら「点滴している」という。廊下の反対側の処置室を覗いたら、ベッドに老人が3人いて、100mlくらいのプラスチック容器から点滴を受けていた。生塩水やブドウ糖溶液ではない。
「それ何?」と聞くと「鎮痛剤です」と答えるから「それってキャンサーの痛み止め?」と問うと、「そうです」と答える。昔なら「クレブス」だが、いまの若い看護師には「がん」のドイツ語は分かるまい。点滴内容はモルヒネだろう。100mlの点滴だと目が放せないのは当たり前だ。
「ターミナル・キャンサーかい?」と聞くと、「そこまでは行っていません」という。嘘つけ、がんでモルヒネの点滴が必要になるなら、骨転移による痛みに決まっている。「ステージ4」のがんとは何かが分かっていないのだ。
その後、血圧・脈拍の測定と検査用の採血を受けた。注射針を抜いた後、絶対に皮膚出血ない採血法を2年がかりで教えてきたが、今日は美事に成功したので「100点だ!」と言ってやった。表在静脈のすぐ傍の表皮に針を刺し、その位置で針先を静脈の上にスライドし、そのまま穿刺・採血する。針を抜くとその上を針孔がない皮膚が被うから、これが止血効果を発揮し、表皮の針孔からは出血しない。よってそのまま放置しておいても、蚊に刺された跡と同じで出血も起こらないし、感染も起こらない。皮下の出血は自然に凝固し、再吸収される。
つまりこれはアルコール綿をテープで押えた後、小さなバンドエイドを貼るよりも、手間も省け、コスト削減にもつながるのに、それをやろうとしない。解剖学と組織学がきちんと理解できていたら、すぐにこの方法の原理がわかるだろうに、と思う。
その後、主治医の診察を受けたら、「インスリンとC-ペプチドの同時測定は保険ではできません」という。理由を訊ねたら、「広島県国民健康保険団体連合会・審査管理部・審査第三課」からそういう「指導」があったという。
プロインスリンからインスリンが切り離された際に残るタンパク質がC-ペプチドで、両者の代謝速度は異なる。インスリンとC-ペプチドの両方を測定しないと糖尿病の体内代謝がどうなっているかわからない。どんな馬鹿な小役人がこういう指導をしたのか分からないが、県医師会の保険査定委員には医師も病理学者もいるはずだ。どうなっているのかわからないから、近日中に指導した役人に電話して、こっぴどく叱りつける予定だ。幸い指導書類のコピーをもらったので電話するのに助かる。おかげで「検査実費」1,120円を支払わされた。まあ「研究費」だ。
さて今日はケトン食についての「治療実験」について、渡邊昌君提案の実験の話を前に進める予定であったが、肝心の先生が「指導を受けた」ということで尻込みしてしまい。前向きな話に進まなかった。モルモットは私で、ケトン食後の血中・尿中ケトン体とブドウ糖の濃度を経時的に測定する。そのための採血を診療所で行うというだけの話なのに、「診療報酬」しか頭にないらしい。そこで今回は、宗田哲男「ケトン体が人類を救う:糖質制限でなぜ健康になるのか」(光文社新書,2015/11)だけをお貸しし、返却をサンサーラに持ってきてもらい、夕食を共にして、「共同研究」の話を進めることにした。一般医の「ケトン体」についての知識はまことに乏しい。
12時過ぎに西高屋SCに買物に行き、焼酎、缶詰、瓶詰め類や入れ歯用のペーストや単3バッテリーなどを買った。西高屋の街路樹は開花のズレがあり、満開のものと咲きかけのものがあった。遅れて咲いているものには写真のように花弁が12枚あるものがあり、ハナコブシと思われた。街路樹に変化を持たせてあるのかも知れない。
(写真2:西高屋街路樹)
この前、庭木に美事なものがあるところほど、無住か廃屋かという経験則がある、と述べた。
帰りに上戸野という集落の国道375号線脇で、またもそういう風景を認めた。
この美事な桜が咲いているところは、前の家も後ろの家も無住である。ひょっとすると間にあった家(いまは更地)が、桜の持ち主だったのかも知れない。(写真3)。
(写真3)
反対側の国道には、写真4のように
(写真4:無住のゴミ屋敷)
ツバキ、モクレン、コブシが美事に咲いている家があったが、無住でゴミ屋敷になっていた。
「東風(こち)ふかば、……あるじなしとて、春な忘れそ」
というが、植物は主がいなくても自立栄養だから花を咲かせる。道真が命令するまでもない。
帰宅したら13:30近くになっていた。桜をいろいろ見たら心が疲れた。そういう時にはソプラノの高い女性の歌が疲労回復に効果がある。桜を折り込んだ女性ソプラノといえば、島倉千代子の「東京だョ、おっかさん」だろう。
さっそくiTuneで島倉千代子の歌を聴いた。YOUTUBEにもアップされているが、オリジナル原盤の方が絶品である。
https://www.youtube.com/watch?v=UISJaT4htoc&ebc=ANyPxKpz1LeTpeLql5xhpj-EiEsUa4tn9-lvcHB4U4Ry8MWg96GwWeoI7fLzo1wHvDVDqJNC1XTLsY669NiLT927a-Qulfs9qg&nohtml5=False
東京で働く娘のところに上京した母親を「久しぶりに手をつないで」、東京見物につれて行くというシャンソン(演歌)だ。
たった3分36秒、三番までの唄だが、一番は皇居前広場、三番は浅草寺を歌い込んでいる。
この歌詞はことに二番が優れている。
「やさしかった兄さんが
田舎の話を聞きたいと
桜の下で、さぞかし待つだろ、おっかさん」
ここまで聞くといつも涙が滂沱として湧いて来る。満開の桜の下で待っている「兄さん」は、もはやこの世の人ではないのである。
「あれが あれが、九段坂
逢ったら泣くでしょ、兄さんも」
作詞、野村俊夫、作曲、船村徹。元は同名の東宝映画主題歌(1957年3月)だが、東京の地理で「九段坂」がどういう位置を占めているかがわかれば、歌詞の意味は明瞭である。
この歌ほど、「靖国神社」という名前を出さないで「反戦平和」を歌った名曲はないと、私は思う。私は実際に、九段下から靖国神社まで(確か京都府立医大卒の土橋康成さんが同行した)歩いて参詣して、この歌の真意がとことん分かったような気がした。
「流れる、流す、きれいにする」ことをギリシア語で「カタロス」という。「カタル」は病名でもあり、分泌物が異常に多い場合に、「結膜—」、「中耳-」、「鼻-」、「腸-」という風に使われる。涙を流して感動した後は、心がすっきりする。それを「カタルシス」という。
というわけでカタルシスを味わい、心がスッキリしたので14:00に今日の食事(1日1回)をした。
この文章は「テルミニ」から始めた。靖国神社とテルミニがどういう関係にあるのか?
昭和14(1939)年に流行した塩さまる唄の「九段の母」という歌がある。その一番、
「上野駅から九段まで
勝手知らない焦れったさ
杖を頼りに一日がかり
倅(せがれ)来たぞや 逢いに来た」
上野駅から本郷=湯島=お茶の水=神田通りに出て、神田神保町から九段下を経て、靖国神社に至る道は、直線距離なら1里強、実際の路程も2里(8キロ)はあるまい。それを「杖を頼りに一日がかり」というのは、誇張かも知れないが、老母の年齢と心情を思えば「文学的には真実」であろう。
この歌の意味するところを、昭和15年頃に東北から上京した人たちにとっては、「上野駅は終着駅であった」、と私は理解した。戦後も長い間、上野駅はテルミニだったのだ。
つまり西日本人に占める「東京駅」のイメージと東北人に占める「上野駅」のイメージは全く異なる。それを認識していないと、石川さゆり「津軽海峡冬景色」(昭和52=1977年)の「上野発の夜行列車」の本当の意味もわからない。
私は「九段の母」を名曲とも名歌とも思わないが、イタリア映画「テルミニ」の意味を教えてくれた歌として評価している。