ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

9-1-2014鹿鳴荘便り/難波先生より

2014-09-01 14:07:31 | 難波紘二先生
 もう秋だというのに不順な天候が続いている。終日曇り空で、時おり小雨が降る。広島市北部の土砂崩れ被災者は、おかげで避難勧告がなかなか解除にならずお気の毒だ。

 昨夜は変わった夢を見た。非常に明晰で、細部がはっきりした夢だ。

 裏の仕事場入り口のコンクリートの階段に白いキノコが生えた。よく見ると、芝生の一部がコンクリートの側壁まで延び、そこから菌糸が横に這ってキノコにつながっている。要は芝生に寄生したキノコである。

 カメラでキノコのアップと芝が側壁に延び、菌糸を出すところを撮影した。全体の位置関係を示す俯瞰写真も撮影した。

 何かの雑誌を開くと、この現象をめぐって3人の座談会が行われていた。雑誌記事の割り付けを鮮明に記憶している。そのひとりが内田樹だった。「え、仏文学出身の評論家はこんなことまで扱うの?」と不審に思った。

司会は新聞記者で「旧聞のごとく」という言葉を使って、この現象は1年ほど前新聞で報道したことがある、という意味のことを語った。「旧聞」という言葉を「1年ほど前」という意味に使った例を知らないので、「え、それでは長谷川時雨の『旧聞日本橋』も、あれは1年前の日本橋のことという意味なのか?」と不審に思った。

 いつもより遅く、10時前に尿意で目が覚めた。その時はどこまでが事実でどこからが夢なのかはっきりしなかった。すべてが夢だったとわかったのは、コンクリートの階段にキノコなどないと判明してからだ。芝生が階段に延伸していることもない。

 午前7時に一旦目を覚まし、夢を見ていたのを確認した。これは入眠後、REM睡眠サイクルが7サイクル目の時で、その時に見ていた夢はキノコが生えたという現象についての夢だった。それからまた入眠し、新しい睡眠の2サイクル目に雑誌座談会記事の夢を見ている。つまり第二の夢は第一の夢を対象とした夢だった。まさに「夢を夢見る(Dream a dream)」という再帰構造になっている。第二の夢で第一の夢を反芻しているので、第一の夢の内容がしっかりと記憶されたのであろう。

 このため夢を見ていたという自覚はあったが、キノコが生えたのも夢だという意識がなかった。現場を確認してやっと夢だと気づいた。

 この場合、すぐに現場を確認できたので、事実でないことつまり夢だったことがはっきりしたので、世の中にはそれができない場合もあるだろう。これは「錯覚」とか「妄想」の発生となんらかのつながりがあるのではないか、と思った。

 第二の夢では、自分は雑誌記事を読みながら、その記述についていろいろ疑問を思い浮かべるという構造になっていた。雑誌の頁がレイアウトごと目の前にあり、文章を読みながら考えるという夢だった。だから夢の中でも「考える」という行為があり、夢が決して完全に受動的な現象だとはいえない。

 いや、いろいろ考えさせるところがある面白い夢だった。



 今回の鹿鳴荘便りは、

1)書評=No.232:サン=テグジュペリ「星の王子さま・オリジナル版」

2)修復腎ものがたり(3)=山家公頼:宇和島市の和霊神社の縁起について、

3)書込を読んで10=「武田ブログ」での「からしだね」さん、「メダカとトクサ」さん、「気になる」さんの書込などについて、

4)三題噺=旧石器遺跡捏造事件、STAP細胞事件と朝日従軍慰安婦報道の共通性について、

5)責任の取り方=笹井氏の死と野依理事長の出所進退について、
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