【オウム事件】上祐史浩(著)有田芳生(検証)「オウム事件、17年目の告白」(扶桑社, 2012/12)という本を読んだ。面白い本である。いま明らかにされる秘密も多い。
オウム真理教(現アレフ)の創立メンバーで、事件当時教団の広報担当だった上祐が自らの生い立ちを含めて、事件の全貌と麻原彰晃のすべてを語り、その「陳述」の正確度を、サリン事件以来続けて取材報道を行ってきたジャーナリストの有田芳生(民主党参議院議員)対談により検証するという構成だ。
上祐はいまは、かつての尊師麻原彰晃の死刑を支持している。
有田は「父子関係」つまり上祐の場合、父親が別居していて、「強い父親がいない」つまり人格形成期に親への反抗期=心理的父親殺しがなくて社会に出たことがオウムに走った原因だとしている。そんな子供は掃いて捨てるほどいる。
上祐が述べているように、麻原彰晃の弟子の扱いが上手く、上祐を「菩薩」と呼んで立ててくれるなど、上祐の過度の自己愛を満足させてくれるので、麻原彰晃を信じたというのが本当のところだろう。
巻末に上祐がこの本を書くのに参考にした書籍目録が、11ページにわたり記載されているが、まともな本がない。
早稲田大の理工学部電子通信科卒の彼は、文学や社会科学の基礎的な本を全然読んでいない。
比較宗教学的知識があればあんなインチキ宗教にからめとられる必要はぜんぜんなかったと思う。
そういう意味で、公教育における宗教と哲学の教育は必要だ。いまはこれが抜け落ちている。だからカルトに走る若者が後を断たない。
この本にも索引がない。それに有田がニーチェが「脱皮できない蛇は滅びる」と言っているとして、山崎庸佑「ニーチェ」(「人類の知的遺産54」、講談社, 1978)を引用しているのだが、こういう引用ではニーチェの原著がわからない。
「オックスフォード引用句辞典」を繰ったが、24個あるニーチェ引用句のなかに、これはない。
蛇と鷹がコンビになって出てくるのが「ツァラトストラ」だが、中央公論社版「世界の名著46:ニーチェ」にはない。同じく「悲劇の誕生」にもない。岩波文庫版「道徳の系譜」にもない。「ツァラトストラ」は細かい字で400ページ以上あり、探すだけで大変だった。
有田さん、学者じゃないのは知っているけど、引用はニーチェの原著を明示するべきだよ。
「ないこと」はいくら積み重ねても「ない」の証明にはならないのだから。
サックスの分裂病に関するエッセイを読んだ後で、「悲劇の誕生」を見ていたら、「ソクラテスの頭の中で聞こえる神の声」について以下のような記載を見つけた。
<ソクラテスの本質をひらく鍵を与えてくれるのは、「ソクラテスのダイモニオン」とよばれるあの奇っ怪な現象である。…この声は、いつ聞こえても、常に押しとどめる声である。まったくの異常ともいうべきこの人物…>
とソクラテスに対する共感も理解もない。彼自身はそういう体験がないことを意味している。
これは要するにニーチェの病気は分裂病でなく、したがって「幻聴・幻覚」を経験することがなく、いわれているように脳梅毒により精神錯乱になって死んだということを意味している。
「悲劇の誕生」は27歳の時の作品、「ツァラトストラ」は41歳で完成だから、精神錯乱まではまだ3年ある。
有田のいいかげんな引用に振り回された夕刻だったが、ニーチェのソクラテス理解について「新発見」があったから、まあ許せるか。
オウム真理教(現アレフ)の創立メンバーで、事件当時教団の広報担当だった上祐が自らの生い立ちを含めて、事件の全貌と麻原彰晃のすべてを語り、その「陳述」の正確度を、サリン事件以来続けて取材報道を行ってきたジャーナリストの有田芳生(民主党参議院議員)対談により検証するという構成だ。
上祐はいまは、かつての尊師麻原彰晃の死刑を支持している。
有田は「父子関係」つまり上祐の場合、父親が別居していて、「強い父親がいない」つまり人格形成期に親への反抗期=心理的父親殺しがなくて社会に出たことがオウムに走った原因だとしている。そんな子供は掃いて捨てるほどいる。
上祐が述べているように、麻原彰晃の弟子の扱いが上手く、上祐を「菩薩」と呼んで立ててくれるなど、上祐の過度の自己愛を満足させてくれるので、麻原彰晃を信じたというのが本当のところだろう。
巻末に上祐がこの本を書くのに参考にした書籍目録が、11ページにわたり記載されているが、まともな本がない。
早稲田大の理工学部電子通信科卒の彼は、文学や社会科学の基礎的な本を全然読んでいない。
比較宗教学的知識があればあんなインチキ宗教にからめとられる必要はぜんぜんなかったと思う。
そういう意味で、公教育における宗教と哲学の教育は必要だ。いまはこれが抜け落ちている。だからカルトに走る若者が後を断たない。
この本にも索引がない。それに有田がニーチェが「脱皮できない蛇は滅びる」と言っているとして、山崎庸佑「ニーチェ」(「人類の知的遺産54」、講談社, 1978)を引用しているのだが、こういう引用ではニーチェの原著がわからない。
「オックスフォード引用句辞典」を繰ったが、24個あるニーチェ引用句のなかに、これはない。
蛇と鷹がコンビになって出てくるのが「ツァラトストラ」だが、中央公論社版「世界の名著46:ニーチェ」にはない。同じく「悲劇の誕生」にもない。岩波文庫版「道徳の系譜」にもない。「ツァラトストラ」は細かい字で400ページ以上あり、探すだけで大変だった。
有田さん、学者じゃないのは知っているけど、引用はニーチェの原著を明示するべきだよ。
「ないこと」はいくら積み重ねても「ない」の証明にはならないのだから。
サックスの分裂病に関するエッセイを読んだ後で、「悲劇の誕生」を見ていたら、「ソクラテスの頭の中で聞こえる神の声」について以下のような記載を見つけた。
<ソクラテスの本質をひらく鍵を与えてくれるのは、「ソクラテスのダイモニオン」とよばれるあの奇っ怪な現象である。…この声は、いつ聞こえても、常に押しとどめる声である。まったくの異常ともいうべきこの人物…>
とソクラテスに対する共感も理解もない。彼自身はそういう体験がないことを意味している。
これは要するにニーチェの病気は分裂病でなく、したがって「幻聴・幻覚」を経験することがなく、いわれているように脳梅毒により精神錯乱になって死んだということを意味している。
「悲劇の誕生」は27歳の時の作品、「ツァラトストラ」は41歳で完成だから、精神錯乱まではまだ3年ある。
有田のいいかげんな引用に振り回された夕刻だったが、ニーチェのソクラテス理解について「新発見」があったから、まあ許せるか。
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