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ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【天から氷塊】難波先生より

2017-08-16 22:42:00 | 難波紘二先生
【天から氷塊】
 台風5号が南九州から四国→和歌山へそれたせいか、広島原爆記念日の翌7日は、午後14:00の戸外温が24℃、湿度70%と快適になった。
 8/13(日)10:00の戸外温は22℃、湿度50%、もう秋の気配だ。

 今年は天候異変の当たり年ではないかと思うが、広島藩の藩医進藤寿伯による随筆風の日記『近世風聞・耳の垢』(青蛙房)をひらい読みしていると、寛永3(1626)年4月30日に江戸で1間先も見えないほど氷(大雹)が密に降り、藩主浅野吉長が老中酒井忠寄の屋敷に赴く途中の行列が雹に打たれて笠は破れ飛び、お供のものの頭が割れて血が流れたとある。
 駕篭かきも足を打たれて出血し、失神した。空の鳥も打たれて落鳥となり、上野山の鶴も2羽が雹に打たれて死んだとある。
 雹の重さは「三、四匁」とあるから、10g前後あったのだろう。(試みに冷蔵庫の氷の重さを量ったら1個が9.7gあった。これは角形だが、球形なら2cm大にはなろう。)(写真1)
(写真1:冷蔵庫の氷)

 当時「雹(ひょう)」という言葉はすでにあったのに、わざわざ「氷」と書かれているのは、普通の雹ではなかったからだ、と思われる。
 一天にわかにかき曇り、こんな大きな氷塊が降ったら、車の屋根はボコボコになり、前が見えないので道路を走行中の自動車に事故が多発するだろうな、と思った。江戸時代のことで良かった。
 実際に2012/11に、琵琶湖の東にある「金剛輪寺」という天台宗の庭の苔上で、これに近い半凍結した雹を見たことがある。(写真2)
(写真2:金剛輪寺の雹)
 高校クラス会旅行でのことだ。我々がマイクロバスで登り現場に着いたのは、雹が降り終わった後だったので、少し氷が溶けかかっている。左上の紅葉の一部が右手に吹き千切れていることから、氷塊が落葉を撃ったのが読み取れる。
 だから進藤寿伯が記録した「1626/4に江戸で天から氷塊が降った」という話は、本当だろうと私は思う。
 「石山の石にたばしるあられかな」(近江石山寺、芭蕉)
という句がある。まあ、似たようなものだろう。

 世界気候史上では1300年頃「中世温暖期」が終り、「小氷河時代」が始まった。1815年、インドネシア・スンバワ島のタンボラ火山が大噴火を起こした後、ヨーロッパには1816年「夏の来ない年」が訪れている。この冬にはロンドンの「テームズ川が凍り、氷の上に通りにあるような屋台が並んだ」という。(ブライアン・フェィガン「歴史を変えた気候大変動」、河出書房新社)
 1850年頃に小氷河期が終り、再び「温暖期」に入ったという。これに二酸化炭素の寄与分がどの程度あるのか、私にはわからない。
 仮に300年周期で地球気象変動が生じるとすると、約130年後にはまた「小氷河期」が訪れるのではないか、という気もする。

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