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【元号と独立国家】難波先生より

2012-09-14 12:01:48 | 難波紘二先生
【元号と独立国家】朝鮮史関係の本もかなり集めてあり、その中に年表もあるが、西暦で書かれていて「年号」の表記がないのに気づいた。
不思議に思って14世紀、李氏朝鮮になって最初の朝鮮通信使宋希による「老松堂日本行録」(岩波文庫)を読みなおしてみた。
宋が日本に来たのは1420(応永27)年、将軍足利義持の時代である。


 当時足利幕府は、先代将軍義満が、明から「日本国王」に冊封されたことに怒って、明と断交していた。ところが宋希が持参した朝鮮国王の国書は、明の年号「永楽」をもちいていたので、話がこじれたとある。確かに文書に「永楽18年」とある。
 この本は、原本の「写真陰影」、漢文原文、漢文読み下し文の3種を含んでいて、すぐれている。


 驚いて「朝鮮の年号」を調べると、「三韓時代」の朝鮮には元号があったが、中世以後は中国の冊封下に入ったので独自の元号を持てなかったことがわかった。こんなことは、日本の本にも韓国の本にも書いてない。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/元号一覧_(朝鮮)


 朝鮮は明ついで清との冊封体制にあった。中国皇帝に忠誠を誓い、換わりに封土の保全を認められるわけである。朝鮮の総理府に相当する「総理衙門(がもん)」に清は担当顧問官を派遣している。満州国政府における日本人顧問と同じである。


 真の独立国でなく傀儡政府なので、明治2(1869)年1月、明治政府が送った親書に「皇室」、「奉勅」の文字があるのを非礼として、宗主国に気兼ねして受理を拒否したのである。


 1871年に結ばれた「日清修交条規」第1条に、「両国は互いにその邦土を尊重し」という文言があるが、1876(明治9)年特命全権大使森有礼との会談で清国外務大臣李鴻章は「清の邦土には朝鮮を含む」と回答している。李鴻章は清国政府随一の実力者で、日清戦争後の講和条約締結では全権大使になっているくらいだから、これは彼の個人的見解ではなく「中国の歴史的認識」であろう。


 考えてみると、これは恐ろしい。今、韓国政府は「竹島は歴史的に韓国の領土だ」と主張している。もちろんこれを裏づける文書はない。上記「老松堂日本行録」にも、1443(嘉吉3)年、足利義政の時代に朝鮮通信として来た、申叔舟の「海東諸国記」(岩波文庫)にも載っていない。(この本は地図=きわめて原始的描写法:平安時代の行基図の方が優れている=を含んでいる。)


 韓国政府が「歴史的正当性」を強調すれば、将来の中国政府は同様に「歴史的正当性」を持ち出して、「韓国は中国領だ」と主張できることになる。
 現に中国は、「尖閣諸島は台湾に付属した島である。台湾は中国領である。よって尖閣諸島は中国領である」と主張しているではないか。
 近視眼的な韓国知識人の見識を憂える。
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