【読書日記から 23】
1) C. & M. ラム『シェイクスピア物語(上・下)』, 偕成社文庫, 1979=
母屋1階のリビングの隣が、元の私の書斎で6畳くらいの広さがある。裏庭に書庫兼仕事場を作り、越してから10年になるが、ビデオ/LD/DVDの映画・音楽コレクションやアルバム、児童文学全集の類は、そこのスライド式大型書架に残してある。この部屋は今は家内の仕事場というか書斎になっていて、そこで彼女は、もっぱらノートパソコンを操作しているようだ。
先日ひょっこり、児童文学書の隣にこの2冊が並んでいるのを見つけた。奥付を見ると「1999/10, 23刷」とあるから、子どもが買ったものではなく、私か家内が購入したものだろう。有名な本だが、読んだ記憶がない。ラム(Lamb)= young sheepというのは珍しい姓だ。それでも「ウェブスター人名辞典」には5人も名が載っている。
Cのチャールズは弟、Mのメアリーは姉で、Mの方は32歳の時に(おそらく精神分裂病の)発作で体が不自由な実母を発作的に殺している。で、弟は姉を世話するために結婚をあきらめ、生涯独身で通した。
子ども向けに、シェークスピアの戯曲を短編小説に書き直したのが、この作品で20の物語が収められている。弟が悲劇、姉が喜劇を担当したそうだ。シェークスピア劇では、はじめに幸せであった者が、最後に不幸になれば「悲劇(tragedy)」、逆に最初不幸だった者が最後に幸せになれば「喜劇(comedy)」という、ということも「訳者解説」で初めて知った。
C.ラムが別名のエリアで書いた『エリア随筆集』とともに、『シェークスピア物語』の存在は、高校時代に英語の授業で教わったが、読むのは初めてだ。
手許の中央公論社版「世界の文学」には、2冊本でシェークスピアの戯曲10本が入っているが、「世界の文学」に収められているのは悲劇と史劇が主体で、喜劇は「夏の夜の夢」しか入っていない。食後、リビングのソファーの上で『シェイクスピア物語』を、何日か読みふけった。
すぐに気づいたのは、作者(シェークスピア)が地中海世界について、詳細で具体的な知識を所持しているということだ。16世紀の英国人としては、これは稀であろう。
「あらし」=ミラノ公国が舞台。王の実弟がナポリ王と結び王位を簒奪する話
「冬物語」=シシリア国王が古くからの親友ボヘミヤ国王を客として招いたのはよいが、王妃と密通したと疑って、デルファイのアポロ神殿に神託を乞う使者を立てる話。
「むださわぎ」=シシリア島北東部メッシナが舞台。
「お気に召すまま」=フランス南部のある公国が舞台。
「ベロナの二紳士」=イタリア北部のヴェロナ市が舞台。
「終わりよければ全てよし」=フランス王から意にそまない妻を押し付けられた貴族が、逃亡してフィレンツェに行き、傭兵隊長となり活躍する話。
「じゃじゃ馬ならし」=北イタリアの大学都市パドゥアが舞台。
「間違い続き」=時代設定は古代、場所はシラクサと小アジアのエフェソス。
「しっぺい返し」=時代はハプスブルグ家台頭以前、場所はウィーン。
「十二夜」=国名は架空、船が遭難する場所がイリリア(アドリア海東岸の古名)。
「アテネのタイモン」=時代と場所が王政時代のアテネ。
「ペリクリーズ(ペリクレス)」=時代はアテネ王政時代、アテネのフェニキア植民地ティール(スール)王ペリクレスが、アテネの暴君の迫害を逃れて、小アジア各地を遍歴する。タルソス、エフェソスなど古代王国が出てくる。海賊がペリクレス王の王女をさらって行く「ミティレネ島」が出てくるが、Mytileneは島ではない(英語原文を確認した。訳者の誤解だろう)。
ミティレネは、レスボス島の小アジア側にある港町で、アテネを去ったアリストテレスが、生物学研究に打ちこんだ場所である。イオニアの四元素説や仮死状態からの甦生の話が出てくる。医師の娘が、父の残した秘薬を用いて王の病を治し、褒賞に貴族の夫を世話してもらう話も「終わりよければ全てよし」に出てくる。
こうして見ると、英国(イングランド)を舞台としたシェークスピアの戯曲は、「リア王」、「シンベリン」、「リチャード三世」、「ヘンリー四世」など限られたものしかなく、有名な作品:
「ヴェニスの商人」=ヴェネチア、
「ハムレット」=デンマーク、
「オセロ」=ヴェネチア
「ロミオとジュリエット」=イタリア・ヴェロナ
「マクベス」=スコットランド、
はすべて外国が舞台となっている。
どうも、ストラトフォード・アポン・エイボン出身の田舎の若者が書いたものとしては、不審点が多い。
「アントニーとクレオパトラ」にしても、アレクサンドロス大王の遺臣プトレマイオスが樹立した、エジプト制服王朝の最後の女王クレオパトラとローマ支配権を争ってシーザーに破れ、エジプトを拠点としようとした、アントニウスとの関係を熟知していないと書けない作品だ。(おそらく、そうした知識はプルタルコス『対比列伝』により得られたとしても、当時は読むのにラテン語の知識を必要としたはずだ。)
他の作品にも散りばめられている医学知識、自然科学に対する認識は相当なもので、遺著『ニュー・アトランティス』(岩波文庫)を残したフランシス・ベーコンと同等以上の知性を必要としたはずだ。シェークスピア(1564~1616)とベーコン(1561~1626)は同時代人だが、二人が会ったという記録はない。しかもベーコンの趣味は戯曲を書くことだった。
シェークスピアが天才であることに、文科系の人は異論がなかろう。
だが、ベーコンが『ニュー・アトランティス』に学問の研究課題として掲げた項目をみれば、彼の発想が時代を400年も先んじていて、ダ・ヴィンチの手記に匹敵することを否定する人もいないだろう。
曰く、「寿命の延長」、「老化の遅延」、「不治とされる病気の治療」、「苦痛の緩和」、「体質・肥満・やせすぎの変更」、「生体の転換」、「異種間の接ぎ木」、「現在利用されていない素材からの新食糧の抽出」、「合成繊維など新素材製造」、「自然を用いた予知」、「感覚の錯誤」etc。
『ニュー・アトランティス』でベーコンは、太平洋のどこかにある「ベンサレム島」のアトランティス国について、語っている。そこには「ソロモンの館」と名づけられた全国的学会組織があり、部会からなり立ち、それぞれが上記のような違ったテーマで研究している。
ベーコンの遺著がすべて公刊されたのは1657年である。
ロンドンにヨーロッパ初の学会「王立協会」が設立されたのは1662年で、続いて大陸ヨーロッパにも、同様に王立の学会が次々と組織された。つまり発想の元はベーコンだ。
英国学会の主事はロバート・フックで、組織は解剖学委員会など8つの委員会に分かれていた。この着想がベーコンの「ソロモンの館」に描かれた研究組織に基づいていることはいうまでもない。R.ボイル (1627-1691)は、王立協会を「見えない大学」と呼んだ。フランシス・ベーコンは間違いなくシェークスピア以上の天才だろう。
しかし、当時の英国の人口も、ロンドンの人口も、この二人を別々に生むには小さすぎる。
それはさておき、この本は戯曲でないので、非常に読みやすく面白い。お薦めだ。
2)R.ホフスタッター『アメリカの反知性主義』, みすず書房, 2003/12=
やっとアマゾンから届いた。本文380頁、原注と「訳者あとがき」を入れて438頁に索引があるという分厚い本だ。
「訳者あとがき:出版にこぎつけて」とあるように、訳者が翻訳に取りかかってから出版までにずいぶん時間がかかっている。だが、訳者がなぜ、いつ、どうしてマッカーシズムの旋風が荒れ狂った後の、1963年に出版されたこの米国本を、今になって訳そうとしたのかそこが見えてこない。
訳者の略歴は、東大法卒、住友銀行就職、学校法人理事、理事長というもので、これ以前の訳書はない。
問題は訳者の日本語能力にあると思う。
「教育の世界にいる私としては“アメリカ”という国の原点のひとつである“反知性主義”という視点をできるかぎり明らかにすることで、変革の嵐のなかでの21世紀の理想への道筋を見出す一助となるかと考えた。」(「あとがき」)
一文のなかに「の」が8個もあり、これが文意を不鮮明にしている。どうもこの人は「ガノニデヲ」の使い分けができていないようだ。
本人固有の文章がこれだから、原文の言いまわしに引きずられる訳文は、もっと意味が不明になっている。「反知性主義」を主題に、日本語本を書きまくっている人たち(前回に取りあげた)が、翻訳書の第一部「序論」の§1「現代の反知性主義」、§2「知性の不人気」しか取りあげていないのも、なるほどと得心が行った。
まともに本著の英語原本でホフスタッターの論議をフォローしたのは、森本あんり『反知性主義』(新潮新書)だけではないか、と思う。他の著者は読み通していないか、誤読している点が多いと思われる。
もう少し読み込んだら、あらためてコメントしたいと思う。
1) C. & M. ラム『シェイクスピア物語(上・下)』, 偕成社文庫, 1979=
母屋1階のリビングの隣が、元の私の書斎で6畳くらいの広さがある。裏庭に書庫兼仕事場を作り、越してから10年になるが、ビデオ/LD/DVDの映画・音楽コレクションやアルバム、児童文学全集の類は、そこのスライド式大型書架に残してある。この部屋は今は家内の仕事場というか書斎になっていて、そこで彼女は、もっぱらノートパソコンを操作しているようだ。
先日ひょっこり、児童文学書の隣にこの2冊が並んでいるのを見つけた。奥付を見ると「1999/10, 23刷」とあるから、子どもが買ったものではなく、私か家内が購入したものだろう。有名な本だが、読んだ記憶がない。ラム(Lamb)= young sheepというのは珍しい姓だ。それでも「ウェブスター人名辞典」には5人も名が載っている。
Cのチャールズは弟、Mのメアリーは姉で、Mの方は32歳の時に(おそらく精神分裂病の)発作で体が不自由な実母を発作的に殺している。で、弟は姉を世話するために結婚をあきらめ、生涯独身で通した。
子ども向けに、シェークスピアの戯曲を短編小説に書き直したのが、この作品で20の物語が収められている。弟が悲劇、姉が喜劇を担当したそうだ。シェークスピア劇では、はじめに幸せであった者が、最後に不幸になれば「悲劇(tragedy)」、逆に最初不幸だった者が最後に幸せになれば「喜劇(comedy)」という、ということも「訳者解説」で初めて知った。
C.ラムが別名のエリアで書いた『エリア随筆集』とともに、『シェークスピア物語』の存在は、高校時代に英語の授業で教わったが、読むのは初めてだ。
手許の中央公論社版「世界の文学」には、2冊本でシェークスピアの戯曲10本が入っているが、「世界の文学」に収められているのは悲劇と史劇が主体で、喜劇は「夏の夜の夢」しか入っていない。食後、リビングのソファーの上で『シェイクスピア物語』を、何日か読みふけった。
すぐに気づいたのは、作者(シェークスピア)が地中海世界について、詳細で具体的な知識を所持しているということだ。16世紀の英国人としては、これは稀であろう。
「あらし」=ミラノ公国が舞台。王の実弟がナポリ王と結び王位を簒奪する話
「冬物語」=シシリア国王が古くからの親友ボヘミヤ国王を客として招いたのはよいが、王妃と密通したと疑って、デルファイのアポロ神殿に神託を乞う使者を立てる話。
「むださわぎ」=シシリア島北東部メッシナが舞台。
「お気に召すまま」=フランス南部のある公国が舞台。
「ベロナの二紳士」=イタリア北部のヴェロナ市が舞台。
「終わりよければ全てよし」=フランス王から意にそまない妻を押し付けられた貴族が、逃亡してフィレンツェに行き、傭兵隊長となり活躍する話。
「じゃじゃ馬ならし」=北イタリアの大学都市パドゥアが舞台。
「間違い続き」=時代設定は古代、場所はシラクサと小アジアのエフェソス。
「しっぺい返し」=時代はハプスブルグ家台頭以前、場所はウィーン。
「十二夜」=国名は架空、船が遭難する場所がイリリア(アドリア海東岸の古名)。
「アテネのタイモン」=時代と場所が王政時代のアテネ。
「ペリクリーズ(ペリクレス)」=時代はアテネ王政時代、アテネのフェニキア植民地ティール(スール)王ペリクレスが、アテネの暴君の迫害を逃れて、小アジア各地を遍歴する。タルソス、エフェソスなど古代王国が出てくる。海賊がペリクレス王の王女をさらって行く「ミティレネ島」が出てくるが、Mytileneは島ではない(英語原文を確認した。訳者の誤解だろう)。
ミティレネは、レスボス島の小アジア側にある港町で、アテネを去ったアリストテレスが、生物学研究に打ちこんだ場所である。イオニアの四元素説や仮死状態からの甦生の話が出てくる。医師の娘が、父の残した秘薬を用いて王の病を治し、褒賞に貴族の夫を世話してもらう話も「終わりよければ全てよし」に出てくる。
こうして見ると、英国(イングランド)を舞台としたシェークスピアの戯曲は、「リア王」、「シンベリン」、「リチャード三世」、「ヘンリー四世」など限られたものしかなく、有名な作品:
「ヴェニスの商人」=ヴェネチア、
「ハムレット」=デンマーク、
「オセロ」=ヴェネチア
「ロミオとジュリエット」=イタリア・ヴェロナ
「マクベス」=スコットランド、
はすべて外国が舞台となっている。
どうも、ストラトフォード・アポン・エイボン出身の田舎の若者が書いたものとしては、不審点が多い。
「アントニーとクレオパトラ」にしても、アレクサンドロス大王の遺臣プトレマイオスが樹立した、エジプト制服王朝の最後の女王クレオパトラとローマ支配権を争ってシーザーに破れ、エジプトを拠点としようとした、アントニウスとの関係を熟知していないと書けない作品だ。(おそらく、そうした知識はプルタルコス『対比列伝』により得られたとしても、当時は読むのにラテン語の知識を必要としたはずだ。)
他の作品にも散りばめられている医学知識、自然科学に対する認識は相当なもので、遺著『ニュー・アトランティス』(岩波文庫)を残したフランシス・ベーコンと同等以上の知性を必要としたはずだ。シェークスピア(1564~1616)とベーコン(1561~1626)は同時代人だが、二人が会ったという記録はない。しかもベーコンの趣味は戯曲を書くことだった。
シェークスピアが天才であることに、文科系の人は異論がなかろう。
だが、ベーコンが『ニュー・アトランティス』に学問の研究課題として掲げた項目をみれば、彼の発想が時代を400年も先んじていて、ダ・ヴィンチの手記に匹敵することを否定する人もいないだろう。
曰く、「寿命の延長」、「老化の遅延」、「不治とされる病気の治療」、「苦痛の緩和」、「体質・肥満・やせすぎの変更」、「生体の転換」、「異種間の接ぎ木」、「現在利用されていない素材からの新食糧の抽出」、「合成繊維など新素材製造」、「自然を用いた予知」、「感覚の錯誤」etc。
『ニュー・アトランティス』でベーコンは、太平洋のどこかにある「ベンサレム島」のアトランティス国について、語っている。そこには「ソロモンの館」と名づけられた全国的学会組織があり、部会からなり立ち、それぞれが上記のような違ったテーマで研究している。
ベーコンの遺著がすべて公刊されたのは1657年である。
ロンドンにヨーロッパ初の学会「王立協会」が設立されたのは1662年で、続いて大陸ヨーロッパにも、同様に王立の学会が次々と組織された。つまり発想の元はベーコンだ。
英国学会の主事はロバート・フックで、組織は解剖学委員会など8つの委員会に分かれていた。この着想がベーコンの「ソロモンの館」に描かれた研究組織に基づいていることはいうまでもない。R.ボイル (1627-1691)は、王立協会を「見えない大学」と呼んだ。フランシス・ベーコンは間違いなくシェークスピア以上の天才だろう。
しかし、当時の英国の人口も、ロンドンの人口も、この二人を別々に生むには小さすぎる。
それはさておき、この本は戯曲でないので、非常に読みやすく面白い。お薦めだ。
2)R.ホフスタッター『アメリカの反知性主義』, みすず書房, 2003/12=
やっとアマゾンから届いた。本文380頁、原注と「訳者あとがき」を入れて438頁に索引があるという分厚い本だ。
「訳者あとがき:出版にこぎつけて」とあるように、訳者が翻訳に取りかかってから出版までにずいぶん時間がかかっている。だが、訳者がなぜ、いつ、どうしてマッカーシズムの旋風が荒れ狂った後の、1963年に出版されたこの米国本を、今になって訳そうとしたのかそこが見えてこない。
訳者の略歴は、東大法卒、住友銀行就職、学校法人理事、理事長というもので、これ以前の訳書はない。
問題は訳者の日本語能力にあると思う。
「教育の世界にいる私としては“アメリカ”という国の原点のひとつである“反知性主義”という視点をできるかぎり明らかにすることで、変革の嵐のなかでの21世紀の理想への道筋を見出す一助となるかと考えた。」(「あとがき」)
一文のなかに「の」が8個もあり、これが文意を不鮮明にしている。どうもこの人は「ガノニデヲ」の使い分けができていないようだ。
本人固有の文章がこれだから、原文の言いまわしに引きずられる訳文は、もっと意味が不明になっている。「反知性主義」を主題に、日本語本を書きまくっている人たち(前回に取りあげた)が、翻訳書の第一部「序論」の§1「現代の反知性主義」、§2「知性の不人気」しか取りあげていないのも、なるほどと得心が行った。
まともに本著の英語原本でホフスタッターの論議をフォローしたのは、森本あんり『反知性主義』(新潮新書)だけではないか、と思う。他の著者は読み通していないか、誤読している点が多いと思われる。
もう少し読み込んだら、あらためてコメントしたいと思う。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます