【アリストテレス】
神戸の生体肝移植病院「KIFMEC」での手術について、ネットでより詳しい内容を知ろうとJ-CAST NEWSを見ていたら、なんと「楽天」が『誰がアレクサンドロスを殺したのか?』(2007)の広告を載せていてびっくりした、という話を前に書いた。
あれは私が全力を投入して5年がかりで書いた「長編歴史ノンフィクション・ミステリー」で、出てからもう8年にもなる。本来なら韓国語訳本がでているはずだが、どうなったか知らない。担当編集者の桑原涼さんには、いろいろお世話になった。
さて、アリストテレスの学問手法は三段論法による「演繹法(Induction)」である。「追試実験」による再現性を基本とする、現代科学の手法である「帰納法(Deduction)」は、英国のフランシス・ベーコンによる『ノーヴム・オルガヌム(新器官)』(1620:邦訳岩波文庫『ノヴム・オルガヌム』, 1978)の出現まで、待たなければならなかった。
ベーコンはゲーテと同じく「躁うつ病」だったと思われる。
ゲーテにはワイマール公国の宰相としての政治家と詩人・作家という二つの顔がある。色彩論や顎間骨の発見というような科学者としての顔もある。「形態学」や「メタモルフォーシス(変態)」という用語の創始者でもある。
ゲーテの文学がシェークスピアから大きな影響を受けたことはよく知られている。
シェークスピアは、ベーコンより3年後に生まれ10年先に亡くなったことになっている謎の人物だ。シェークスピアがロンドンの劇場に忽然と出現する前、ベーコンはよく宮廷で芝居の脚本と演出を手がけていたことが知られている。もちろん公務の合間の余技だ。
シェークスピアが「死んだ」あと、ベーコンの本格的な学問的著作が始まる。
「シェークスピア=ベーコン同一人物」仮説が成立する由縁だ。
「ヴェニスの商人」のなかに、こういうセリフがある。
「It’s all Greek to me.(そいつは私にはまったくギリシア語でさ)」
日本語にも「毛唐の寝言」という、「ちんぷんかんぷん」を表す類似表現がある。
だが、ストラトフォード・アポン・エイボンの田舎者である「シェークスピア」に、このセリフは書けまい。ギリシア語とラテン語をちゃんと学んだ人物が書いたとみるべきだ。
英国在住の友人の協力を得て、シェークスピア全集、ベーコン全集その他の資料はそろえたが、まだ第2の歴史ノンフィクション・ミステリーを書くに至らない。
あの長編小説「アレクサンドロス」の最後を、私はこう締めくくった。
<ソクラテスとプラトンのミームは、功罪半ばする。人間の価値として道徳性を強調した意義は大きいが、そのイデア論は理想主義Idealismを生みだし、マルクスやニーチェやヒトラーにつながることで、人類に害毒をながした。
アルカイダやハマスの若者が、自分を炸裂させることで、相手に壊滅的損害を与えるという戦法をとることができるのは、永遠の世界を信じ、その崇高な理想のためには手段が正当化される、というプラトンの命題に疑問をもつことがないからだ。
アリストテレスのミームは、これまで三度「発見」され、そのたびに「知の革命」を引き起こしてきた。
一度目は前1世紀のローマで、二度目は6,7世紀にかけてペルシアとイスラム文化圏で、三度目は12世紀の西ヨーロッパで。
しかし「コペルニクス革命」以来、自然科学ことに天文学や物理学だけでなく、医学でさえも「アリストテレスの誤り」を証明するかたちで、科学の進歩と専門分化が進んだ。
今、自然科学者や医師でアリストテレスの「動物誌」「自然学」「霊魂論」を読む人はまれだろう。
だから彼のミームの将来は未定だ。
人類の文明が今よりもっと行き詰まって、「文理融合型」の学問の必要性が、もっとつよく叫ばれるようになると、政治・社会から自然科学や医学まで、ひろく「知の総合」を目指して、バルバロイもヘラス人もない世界を夢見た、アリストテレスはもう一度、見直されるかもしれない。>
最近、岩波書店は『新版・アリストテレス全集』(旧版全17巻は1972年に完結)の刊行を始めた。やはり時代が彼を再び求めているのであろう。
神戸の生体肝移植病院「KIFMEC」での手術について、ネットでより詳しい内容を知ろうとJ-CAST NEWSを見ていたら、なんと「楽天」が『誰がアレクサンドロスを殺したのか?』(2007)の広告を載せていてびっくりした、という話を前に書いた。
あれは私が全力を投入して5年がかりで書いた「長編歴史ノンフィクション・ミステリー」で、出てからもう8年にもなる。本来なら韓国語訳本がでているはずだが、どうなったか知らない。担当編集者の桑原涼さんには、いろいろお世話になった。
さて、アリストテレスの学問手法は三段論法による「演繹法(Induction)」である。「追試実験」による再現性を基本とする、現代科学の手法である「帰納法(Deduction)」は、英国のフランシス・ベーコンによる『ノーヴム・オルガヌム(新器官)』(1620:邦訳岩波文庫『ノヴム・オルガヌム』, 1978)の出現まで、待たなければならなかった。
ベーコンはゲーテと同じく「躁うつ病」だったと思われる。
ゲーテにはワイマール公国の宰相としての政治家と詩人・作家という二つの顔がある。色彩論や顎間骨の発見というような科学者としての顔もある。「形態学」や「メタモルフォーシス(変態)」という用語の創始者でもある。
ゲーテの文学がシェークスピアから大きな影響を受けたことはよく知られている。
シェークスピアは、ベーコンより3年後に生まれ10年先に亡くなったことになっている謎の人物だ。シェークスピアがロンドンの劇場に忽然と出現する前、ベーコンはよく宮廷で芝居の脚本と演出を手がけていたことが知られている。もちろん公務の合間の余技だ。
シェークスピアが「死んだ」あと、ベーコンの本格的な学問的著作が始まる。
「シェークスピア=ベーコン同一人物」仮説が成立する由縁だ。
「ヴェニスの商人」のなかに、こういうセリフがある。
「It’s all Greek to me.(そいつは私にはまったくギリシア語でさ)」
日本語にも「毛唐の寝言」という、「ちんぷんかんぷん」を表す類似表現がある。
だが、ストラトフォード・アポン・エイボンの田舎者である「シェークスピア」に、このセリフは書けまい。ギリシア語とラテン語をちゃんと学んだ人物が書いたとみるべきだ。
英国在住の友人の協力を得て、シェークスピア全集、ベーコン全集その他の資料はそろえたが、まだ第2の歴史ノンフィクション・ミステリーを書くに至らない。
あの長編小説「アレクサンドロス」の最後を、私はこう締めくくった。
<ソクラテスとプラトンのミームは、功罪半ばする。人間の価値として道徳性を強調した意義は大きいが、そのイデア論は理想主義Idealismを生みだし、マルクスやニーチェやヒトラーにつながることで、人類に害毒をながした。
アルカイダやハマスの若者が、自分を炸裂させることで、相手に壊滅的損害を与えるという戦法をとることができるのは、永遠の世界を信じ、その崇高な理想のためには手段が正当化される、というプラトンの命題に疑問をもつことがないからだ。
アリストテレスのミームは、これまで三度「発見」され、そのたびに「知の革命」を引き起こしてきた。
一度目は前1世紀のローマで、二度目は6,7世紀にかけてペルシアとイスラム文化圏で、三度目は12世紀の西ヨーロッパで。
しかし「コペルニクス革命」以来、自然科学ことに天文学や物理学だけでなく、医学でさえも「アリストテレスの誤り」を証明するかたちで、科学の進歩と専門分化が進んだ。
今、自然科学者や医師でアリストテレスの「動物誌」「自然学」「霊魂論」を読む人はまれだろう。
だから彼のミームの将来は未定だ。
人類の文明が今よりもっと行き詰まって、「文理融合型」の学問の必要性が、もっとつよく叫ばれるようになると、政治・社会から自然科学や医学まで、ひろく「知の総合」を目指して、バルバロイもヘラス人もない世界を夢見た、アリストテレスはもう一度、見直されるかもしれない。>
最近、岩波書店は『新版・アリストテレス全集』(旧版全17巻は1972年に完結)の刊行を始めた。やはり時代が彼を再び求めているのであろう。
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