【ノーベル賞発表と報道】10/4自然科学賞3賞の最後に当たる「ノーベル賞授賞者」の発表が行われた。初報に接したのは、19:04「時事」のネット・ニュースだった。
<ノーベル化学賞に米欧3氏=生体観察の電子顕微鏡
スウェーデン王立科学アカデミーは4日、2017年のノーベル化学賞を、生体内の分子構造を凍結させて高解像度で観察できる「クライオ電子顕微鏡」を開発した米欧の3氏に授与すると発表した。>
19:00のNHK・TVニュースを見た後、パソコンを見ると、「20:06分更新」とあり以下の2行が付け加わっていた。EU主要国と日本の時差は8時間だから、ストックホルムでの発表は午前11:00に行われたことになる。
<受賞が決まったのは、スイス・ローザンヌ大のジャック・デュボシェ氏、米コロンビア大のヨアヒム・フランク氏、英MRC分子生物学研究所のリチャード・ヘンダーソン氏。>
20:00といえば新聞朝刊の記事締め切り時間だ。だが通信社も新聞社もこれから10/5朝刊の「ノーベル化学賞」受賞内容について、解説・報道記事を書かなければいけないわけで、これは大変な仕事だなと思った。たぶん10/5の午前2時までかかるだろう。
KRYOはギリシア語で「寒冷」を表す言葉で、日本の科学用語としては「クリオスタット(Cryostat)」がよく知られている。手術中にサンプル切除された生検組織を、短時間に顕微鏡検査するために、液化炭酸ガスの蒸気を吹き付け、瞬間凍結させた氷塊を薄い切片に切り、染色用の標本を作製する回転式のミクロトームのことだ。(米国では誤ってyがiと同音に発音され、日本でも「クライオスタット」と呼ぶ人が多い。)
この装置がなければ、がん手術の際に切除すべき範囲やリンパ節の郭清領域が決められない。開発されたのは戦前だが、回転式(ミノー式)ミクロトームと結合されて、日本の病院で利用できるようになったのは、1960年代だと記憶する。当時は沸点がマイナス約40度の液化二酸化炭素(ドライアイス)が使用されたが、その後マイナス約270度の液体窒素につけて、組織を瞬間凍結させる方法も利用されるようになった。後者の方が、凍結時の細胞破壊が少ない。氷の結晶が成長する時に、細胞が破壊されるからである。
電子顕微鏡の原理の発見と応用(走査型電子顕微鏡、透過型電子顕微鏡)も戦前のドイツでのことだが、ハードが先行しソフトウェアである生体標本を上手く固定し、電子ビームに耐える標本作製の技術開発が遅れた。
透過型電子顕微鏡では、すでに原子、単純な分子の観察に成功している。今回のデュボシェ(スイス)、フランク(米)、ヘンダーソン(英)の3博士の業績は、走査型電子顕微鏡を用いて生きた(固定されていない)タンパク質分子の立体的観察に必要な技術を開発したものであろうと、想像する。
信じがたいかも知れないが1970年頃、国立大学医学部の解剖学教室を除けば、病院の研究室に透過型と走査型の2台の電子顕微鏡と標本作製室を備えた施設は、私がいた「呉共済病院」が近畿・中国四国・九州で、唯一の病院だった。走査型は表面構造を見るのが主体で、診断病理にはあまり役立たなかったが、細胞内の小器官を観察できる透過型電顕は、病理診断にも威力を発揮した。だが当時は「電子顕微鏡検査」が保険診療として認められておらず、病院の収益に貢献することはなかった。よく院長が認めてくれたものだと今でも感謝している。
当時の笠潤一郞院長の言葉に「必要な機材があったら、いつでも言ってくれ。1億円といわれたら、僕もすぐには困るけど、5千万円くらいならなんとかするから」というのがある。
私が30歳頃の話だから、今から46年前の話になる。が、今やクリオ電子顕微鏡は数億円するそうだ。新聞の報道によれば、日本では保有台数が少なく、理研や阪大などには外部からの利用希望が殺到しているという。この50年間に、物価は10倍近く上昇している。1970年代の5千万円は今5億円だ。呉のわずか病床数350床の病院長が「買える」と保証したものが、今の国立大学や公的病院では買えない。どうなっているのだろうか?
「記事転載は事前にご連絡いただきますようお願いいたします」
<ノーベル化学賞に米欧3氏=生体観察の電子顕微鏡
スウェーデン王立科学アカデミーは4日、2017年のノーベル化学賞を、生体内の分子構造を凍結させて高解像度で観察できる「クライオ電子顕微鏡」を開発した米欧の3氏に授与すると発表した。>
19:00のNHK・TVニュースを見た後、パソコンを見ると、「20:06分更新」とあり以下の2行が付け加わっていた。EU主要国と日本の時差は8時間だから、ストックホルムでの発表は午前11:00に行われたことになる。
<受賞が決まったのは、スイス・ローザンヌ大のジャック・デュボシェ氏、米コロンビア大のヨアヒム・フランク氏、英MRC分子生物学研究所のリチャード・ヘンダーソン氏。>
20:00といえば新聞朝刊の記事締め切り時間だ。だが通信社も新聞社もこれから10/5朝刊の「ノーベル化学賞」受賞内容について、解説・報道記事を書かなければいけないわけで、これは大変な仕事だなと思った。たぶん10/5の午前2時までかかるだろう。
KRYOはギリシア語で「寒冷」を表す言葉で、日本の科学用語としては「クリオスタット(Cryostat)」がよく知られている。手術中にサンプル切除された生検組織を、短時間に顕微鏡検査するために、液化炭酸ガスの蒸気を吹き付け、瞬間凍結させた氷塊を薄い切片に切り、染色用の標本を作製する回転式のミクロトームのことだ。(米国では誤ってyがiと同音に発音され、日本でも「クライオスタット」と呼ぶ人が多い。)
この装置がなければ、がん手術の際に切除すべき範囲やリンパ節の郭清領域が決められない。開発されたのは戦前だが、回転式(ミノー式)ミクロトームと結合されて、日本の病院で利用できるようになったのは、1960年代だと記憶する。当時は沸点がマイナス約40度の液化二酸化炭素(ドライアイス)が使用されたが、その後マイナス約270度の液体窒素につけて、組織を瞬間凍結させる方法も利用されるようになった。後者の方が、凍結時の細胞破壊が少ない。氷の結晶が成長する時に、細胞が破壊されるからである。
電子顕微鏡の原理の発見と応用(走査型電子顕微鏡、透過型電子顕微鏡)も戦前のドイツでのことだが、ハードが先行しソフトウェアである生体標本を上手く固定し、電子ビームに耐える標本作製の技術開発が遅れた。
透過型電子顕微鏡では、すでに原子、単純な分子の観察に成功している。今回のデュボシェ(スイス)、フランク(米)、ヘンダーソン(英)の3博士の業績は、走査型電子顕微鏡を用いて生きた(固定されていない)タンパク質分子の立体的観察に必要な技術を開発したものであろうと、想像する。
信じがたいかも知れないが1970年頃、国立大学医学部の解剖学教室を除けば、病院の研究室に透過型と走査型の2台の電子顕微鏡と標本作製室を備えた施設は、私がいた「呉共済病院」が近畿・中国四国・九州で、唯一の病院だった。走査型は表面構造を見るのが主体で、診断病理にはあまり役立たなかったが、細胞内の小器官を観察できる透過型電顕は、病理診断にも威力を発揮した。だが当時は「電子顕微鏡検査」が保険診療として認められておらず、病院の収益に貢献することはなかった。よく院長が認めてくれたものだと今でも感謝している。
当時の笠潤一郞院長の言葉に「必要な機材があったら、いつでも言ってくれ。1億円といわれたら、僕もすぐには困るけど、5千万円くらいならなんとかするから」というのがある。
私が30歳頃の話だから、今から46年前の話になる。が、今やクリオ電子顕微鏡は数億円するそうだ。新聞の報道によれば、日本では保有台数が少なく、理研や阪大などには外部からの利用希望が殺到しているという。この50年間に、物価は10倍近く上昇している。1970年代の5千万円は今5億円だ。呉のわずか病床数350床の病院長が「買える」と保証したものが、今の国立大学や公的病院では買えない。どうなっているのだろうか?
「記事転載は事前にご連絡いただきますようお願いいたします」
https://www.jeol.co.jp/news/detail/20150511.1136.html
このサイトによれば数千万円で買える。