ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【あんちょこ】難波先生より

2015-08-05 09:04:08 | 難波紘二先生
【あんちょこ】
 大衆文化の研究家でもあった鶴見俊輔の『読んだ本はどこへいったのか』(潮出版, 2002)に「あんちょこ」の話が出てくる。
 <大正時代から雑誌の付録に「あんちょこ」(そのもとは江戸時代のおうむ(鸚鵡)石)と呼ばれた豆本があった。二、三十ページの本で、弁天小僧の声色とか、浪花節の森の石松のセリフなどが書いてある。>
 「あんちょこ=鸚鵡石」というのがわからない。

 「日本俗語大辞典」などで「あんちょこ」を引くと、同義語として「さんもん・虎の巻・サボ」などが地方俗語としてのっているが、「おうむ石」を掲げたものはない。
 いずれも初出用例として佐々木邦「全権先生」日曜日の朝(講談社、1932)を上げている。
 <本屋が教科書の解説をした小冊子を発行している。これをアンチョコと呼ぶ。安直に下調べが出来るからであろう。>
 
 しかし、鶴見の記述には<講談社の「少年俱楽部」には、付録に大学の講義録が挿まれており、大学に行くことができなかった昭和初期の少年たちの向上心を大いに鼓舞した>という具体的なことが含まれており、彼の記憶ちがいとは思われない。田中角栄の評伝(早野透『田中角栄』, 中公新書)には、中学に進めなかったので「中学の講義録」を独学したとあった。あるいはもっと大衆的な「キング」などの雑誌には「中学講義録」を付録とするものも、あったのかもしれない。

 「あんちょこ」からの探索が袋小路にはいったので、「鸚鵡石(おうむせき)」を調べてみた。
 「国語大辞典」(小学館)によると、石そのものは「叩くと音をよく反響させる石で、言葉石、響き石、ものいい石ともいう」とあり、転じて「歌舞伎の名台詞を抜き書きした小冊子で、公演ごとに売り出された。声色本、おうむいし」とある。
 これで鸚鵡石と「あんちょこ」が、かすかながら点としてつながった。以下は推測になる。
 というのも手元に佐藤拓己『「キング」の時代』(岩波書店)という大著があるが、索引がないので必要な箇所がすぐには探し出せないからだ。
 その点、鶴見俊輔の本は、私が最初に読んだ『北米体験再考』(岩波新書, 1971)から京都新聞の連載を一冊にした『読んだ本はどこへいったのか』(2002)まで、きちんとした人名・地名・書名索引がついている。

 「キング」は創刊の1925年新年号から付録付きで販売された。「少年俱楽部」は1914年創刊だ。1922年生まれの鶴見は3歳の時から本を読み始め、「少年俱楽部」を愛読したと書いているから、雑誌に付録がついているのは知っていただろう。
 佐々木邦は1883年の生まれで、鶴見は「10歳の頃から、彼の小説を読み始めた。私のプラグマチズムの理解の根には、子どもの頃から読んできた佐々木邦の存在があるんです」とまで述べている。よってその『全権先生』(1932)は読んでおり、「アンチョコ」という言葉も知っていたとみるのが妥当だろう。

 ただ鶴見はそれ以前に江戸期から歌舞伎や浪曲の名セリフの抜粋が豆本になって売られており、それらは「おうむせき」という符牒で呼ばれていたことも知っていた。1891(明治24)年に出た日本最初の辞書、大槻文彦『言海』には「あうむせき=俳優の声色を使うために、芝居の台詞を書き抜いて記したもの」とある。これには「あんちょこ」も「安直」も載っていない。
 関東大震災(1923)後に大衆娯楽雑誌が普及するとともに、付録を「おうむせき」と呼ぶのが廃れ、教科書のエッセンスを抜き書きした「あんちょこ」という言葉に置き換えられていったのではないか。

 「戦争中、兵隊は(あんちょこを)戦場に持っていき、ひそかに練習しておいて演芸大会で使ったりした」と鶴見は書いている。
 ニューギニアの戦場に送られ、孤立した部隊慰問のため、司令官の命令で「マノクワリ劇場」を作り、本格的芝居をおこなった体験を持つ、俳優の加東大介の手記「南海の芝居に雪が降る」(『完本・太平洋戦争(下)』, 文藝春秋)には「あんちょこ」は出て来ない。慰問袋から『日本戯曲全集・長谷川伸編』を見つけて、「瞼の母」や雪が降る「関の弥太っぺ」を上演したとある。
 英軍に降伏した後も「われわれも観たいから、復員船が来るまでこのままステージを続けろ」といわれたそうだから、これは異例中の異例だろう。
 なおこの話は「南の島に雪が降る」というタイトルで映画化もされている。
 鶴見は大衆芸能研究家の加太こうじから聞いた話として、南方の孤島に見捨てられた部隊が戦後、「あんちょこ」を使って、自分たちの慰安のために演劇をしたと述べている。この月舘という人物は「伍長」であり、加東の「軍曹」とは異なるし、ニューギニアは孤島ではない。月舘伍長の話と加東軍曹の話は、おそらく別系統のエピソードであろう。

 上記『言海』は、1931(昭和6)年の第628刷を底本としている。したがって1891(明治24)年に『言海』が出た頃には、「おうむせき」という言葉がひろく使われていたが、1923年の関東大震災(死者10万人、不明者4万4000人)で弱者である年寄りが沢山亡くなり、「おうむせき」を知る世代が急に減った。それに老人の自然減と震災後の雑誌文化の普及が重なり、この言葉が死語になっていった。
 代わりに雑誌付録の「エッセンスを書いた豆本」を当初は「安直」とやや揶揄の意を込めて読んでいたのが、1920年代の終わり頃には「あんちょこ」となまるようになり、それを佐々木邦(1932)が「アンチョコ」として取り上げたのではあるまいか。

 私自身の言語歴を振り返ると、自習用参考書を意味する「さんもん」という言葉は中学になって初めて接した。高校になると「虎の巻」という言葉を知った。大学になって「あんちょこ」という言葉に接したが、「暗記+ちょこっと(少し)」の合成語で、カンニングペーパーの意味だと長い間理解していた。
 英語に「オフ・ザ・カフ(off the cuff)」(空で、即興で)という口語があると知り、「なるほどワイシャツを着る場合、袖口に演説要旨のペーパーを忍ばせておくのか」と妙に感心した記憶がある。

 「日本俗語大辞典」の用例には三島由紀夫『仮面の告白』(1949)から、以下の引用がある。
 「ではあんちょこを見ながら御説明いたしませうと言った」。
 この本を私は未読だから、文脈がわからないが、相手に説明すべき話の要点が書いてあるメモを意味しているように思われる。少なくともあんちょこを見るのが恥ずかしいことだというニュアンスはうかがわれない。佐々木邦が使用した「安直に下調べが出来る」という含意は失われている。
 ともあれ「おうむ石」から「あんちょこ」への言葉の交代が、大正時代に起こったという事実の発見は、自分にとっては刺激的だった。これだけでも、鶴見の何気ない書き加えに感謝したい。
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