【風の便り】この言葉はたとえば「風の便りに聞く君は、いで湯の町の人の妻」(作詞:野村俊夫、作曲:古賀政男「湯の町エレジー」)というふうに使われる。映画「日本の悲劇」では佐田啓二が脇役で、流しのギター弾きになって、近江俊郎のこのヒット曲を歌うという珍しい場面が出てくる。「風のつて」ともいう。「広辞苑」電子版によると、すでに「拾遺和歌集」に「君まさば まづぞ折らまし 桜花 風のたよりに 聞くぞ悲しき」という歌があるそうで、11世紀の初め(遅くとも1007年成立)には、もうこの表現があったことになる。この風はむろん現実の風ではない。「うわさ」である。
「風のうわさ」ともいい、これは「広辞苑」に収録されていないが、「船を見つめていた、ハマのキャバレーにいた、風のうわさはリル、上海帰りのリル…」(作詞:東条寿三郎、作曲:渡久地正信「上海帰りのリル」)という用例があります。「ハマ」は横浜の隠語です。敗戦まで上海は日本人の一大経済進出地でした。リルは日本人名ではありませんが、戦前の米映画「フットライト・パレード」の主題歌に「上海リル」というのがあり、ヒロインの名前でした。曲想は敗戦のどさくさで別れたリルという源氏名の恋人が横浜のどこかにいる、探して再会したい、というものです。
私は前から「風の便りによる情報伝達機構」について興味をもっている。むかし朝日の山田という記者から、「情報は求めている人の元に集まる」という金言を教わったが、そういうことは確かに経験的にはいえる。知りたいと思っている人の消息とか、ある事件の真相とかが、意識して調べようとするとわからないが、放っておくとある日突然にその情報がやってくる。それはたいてい思いもかけない人から聞くことが多い。
この現象を説明する仮説に2種を考える。
第1は、無数の情報が絶えず脳にインプットされているのだが、脳がそれを処理しきれず、ノイズとして捨ててしまっている。つまり「ブタに真珠」仮説である。これは書物や文献やネットの情報については、たしかにそういう面があると思う。自分の予備知識が増え、再読するとその深い意味がわかるという場合は、実際にある。が、何十年も会っていない人とか、事件というほどのことでもない、過去の出来事とかになると、こういう半ば公的な情報源ではわからない。
第2は、「複雑系」仮説である。複雑系は6段階くらいのステップで成り立っている。個人が良く知っている他人は親族を含めて150人が最大だとする。文化人類学上の「部族国家」の単位である。この150人にやはり1人150人の良く知った友だちがあるとする。合計2万2500人がネットでつながる。3段目のネットでは337万5000人がつながる。4段目になると5億625万人になり、日本の人口を超えてしまう。歴史人口学は1150年における京都の人口を12万人、全国で684万人としている。(鬼頭宏『人口から読む日本の歴史』, 講談社学術文庫)この時代は「中世温暖期」に相当しており、凶作がなく、人口が増加した時代である。
余談だが、この頃のロンドンは「ヘイスティングスの戦い」(1066/10/14)の結果、英国がスカンディナビア人由来のノルマン人に征服され、4世紀末のアングロ・サクソン人による征服以来、遺伝子的にはスカンディナビア系となり、アイルランドのケルト系とは異なることになった。PKU遺伝子はこの二度の征服で英国に広がったのである。また余談だが、A.ハックスレー『すばらしい新世界』に出てくる「モーロン」という白痴階級は、PKU患者から着想をえたのではないか、と思っている。彼の兄ジュリアンは有名な生物学者で、2人の祖父トマスは「ダーウィンの番犬」というあだ名がついたほど、進化論の擁護者だった。
11世紀のロンドンは、せいぜい人口5万人の港町である。「ノルマン征服」の結果、言葉の上で英語は、アングロサクソン語(ドイツ語)の上に、フランス語が混じるという変な言語になった。だから生きているブタはpigかswineで、肉になるとporkとなる。(トレヴェリアン「イギリス史」)
全人口がつながるには4段目のネットが必要だが、当時は階級社会でおよそ和歌を詠むような階級の人は、下層民とは接触しなかったから、3段目つまり「友だちの友だちの友だち」のレベルでの交流で「風の便り」が成立したのだと思われる。(冒頭の和歌は「王朝秀歌選」にも収録されていないので、「君」が男か女か、なぜ悲しいのかよくわからない。)
個人は150人の他者と親密な関係を結ぶことができる。(だいたいサラ金はその時の香典の相場を元に、無担保で融資する金額の限度を決める。返せない場合には自殺に追い込み、その香典総額を取り立てるという計算をしている。)個人はその150人から、会話によっておよそ2万人に関する情報を得ることができる。脳は情報圧縮ができるから、重要な情報だけを選び、要点だけを記憶する。きわめて重要な情報は黙っておれず、自ら150人の友人に対して発信する。
だから「広島に原爆が投下された」という情報は、新聞が書かなくても、その日の夕方にはネットワークの性能がよい、東京の一部の民間人には届いたのである。
徳川夢声「戦争日記」には8月6日の項に「広島に原子爆弾投下」が出てくる。高見順「敗戦日記」では8月7日に出てくる。渡辺一雄(大江健三郎の師匠)の「敗戦日記」には記載なし。山田風太郎「戦中派不戦日記」では8月11日の寄生虫学の講義の時に、教授の話として出てくる。山田は当時医学生だから情報のタイム・ラグは仕方がないが、東京帝大文学部教授だった渡辺が何も書いていないのにはあきれる。
そこで「風のうわさ」の伝達機構だが、人物Aの知人150人の1人に関する情報が、Aの友人であるBに伝達されるとする。BはAの友人とはオーバーラップしない友人を100人持つとする。ここにBの友人ではあるが、Aとは友人でないCがいるとする。BがCに伝えた情報は、その後は最初の話者Aを離れて拡散して行く。
そこでこういうことが起こりえる。全く関係のないXとYがたまたま、旅先かバーで出会って会話をしたとする。途中で思いがけない知人、友人の消息とかエピソードがでてきて、世の中が狭いのにビックリする。
別の見方をすると、XとYが偶然に出会ったとする。2人が雑談をしているうちに、Xの情報圏に含まれる「人のうわさ」とYの情報圏に含まれる「人のうわさ」とがオーバーラップする。その中に、「友だちの友だち」がいる確率は非常に高くなる。その瞬間に「風の便り」ないし「風のうわさ」が成立し、双方の情報を合わせることでより正確なものとなる。「情報の疎通」が成立するのである。ここが途中で「情報の劣化」または「情報の歪曲」が起こる「伝言ゲーム」と根本的に異なる点である。単なる伝聞はデマを伝えるが、「風の便り」はエラーの自己修復を伴うので意外に正確なのである。
まだ理論としては緻密さに欠けるが、「風のうわさ」の成立機構として、「複雑系理論」を取り入れて、自分なりに考えてみると、あらましこういうことになる。
「風のうわさ」ともいい、これは「広辞苑」に収録されていないが、「船を見つめていた、ハマのキャバレーにいた、風のうわさはリル、上海帰りのリル…」(作詞:東条寿三郎、作曲:渡久地正信「上海帰りのリル」)という用例があります。「ハマ」は横浜の隠語です。敗戦まで上海は日本人の一大経済進出地でした。リルは日本人名ではありませんが、戦前の米映画「フットライト・パレード」の主題歌に「上海リル」というのがあり、ヒロインの名前でした。曲想は敗戦のどさくさで別れたリルという源氏名の恋人が横浜のどこかにいる、探して再会したい、というものです。
私は前から「風の便りによる情報伝達機構」について興味をもっている。むかし朝日の山田という記者から、「情報は求めている人の元に集まる」という金言を教わったが、そういうことは確かに経験的にはいえる。知りたいと思っている人の消息とか、ある事件の真相とかが、意識して調べようとするとわからないが、放っておくとある日突然にその情報がやってくる。それはたいてい思いもかけない人から聞くことが多い。
この現象を説明する仮説に2種を考える。
第1は、無数の情報が絶えず脳にインプットされているのだが、脳がそれを処理しきれず、ノイズとして捨ててしまっている。つまり「ブタに真珠」仮説である。これは書物や文献やネットの情報については、たしかにそういう面があると思う。自分の予備知識が増え、再読するとその深い意味がわかるという場合は、実際にある。が、何十年も会っていない人とか、事件というほどのことでもない、過去の出来事とかになると、こういう半ば公的な情報源ではわからない。
第2は、「複雑系」仮説である。複雑系は6段階くらいのステップで成り立っている。個人が良く知っている他人は親族を含めて150人が最大だとする。文化人類学上の「部族国家」の単位である。この150人にやはり1人150人の良く知った友だちがあるとする。合計2万2500人がネットでつながる。3段目のネットでは337万5000人がつながる。4段目になると5億625万人になり、日本の人口を超えてしまう。歴史人口学は1150年における京都の人口を12万人、全国で684万人としている。(鬼頭宏『人口から読む日本の歴史』, 講談社学術文庫)この時代は「中世温暖期」に相当しており、凶作がなく、人口が増加した時代である。
余談だが、この頃のロンドンは「ヘイスティングスの戦い」(1066/10/14)の結果、英国がスカンディナビア人由来のノルマン人に征服され、4世紀末のアングロ・サクソン人による征服以来、遺伝子的にはスカンディナビア系となり、アイルランドのケルト系とは異なることになった。PKU遺伝子はこの二度の征服で英国に広がったのである。また余談だが、A.ハックスレー『すばらしい新世界』に出てくる「モーロン」という白痴階級は、PKU患者から着想をえたのではないか、と思っている。彼の兄ジュリアンは有名な生物学者で、2人の祖父トマスは「ダーウィンの番犬」というあだ名がついたほど、進化論の擁護者だった。
11世紀のロンドンは、せいぜい人口5万人の港町である。「ノルマン征服」の結果、言葉の上で英語は、アングロサクソン語(ドイツ語)の上に、フランス語が混じるという変な言語になった。だから生きているブタはpigかswineで、肉になるとporkとなる。(トレヴェリアン「イギリス史」)
全人口がつながるには4段目のネットが必要だが、当時は階級社会でおよそ和歌を詠むような階級の人は、下層民とは接触しなかったから、3段目つまり「友だちの友だちの友だち」のレベルでの交流で「風の便り」が成立したのだと思われる。(冒頭の和歌は「王朝秀歌選」にも収録されていないので、「君」が男か女か、なぜ悲しいのかよくわからない。)
個人は150人の他者と親密な関係を結ぶことができる。(だいたいサラ金はその時の香典の相場を元に、無担保で融資する金額の限度を決める。返せない場合には自殺に追い込み、その香典総額を取り立てるという計算をしている。)個人はその150人から、会話によっておよそ2万人に関する情報を得ることができる。脳は情報圧縮ができるから、重要な情報だけを選び、要点だけを記憶する。きわめて重要な情報は黙っておれず、自ら150人の友人に対して発信する。
だから「広島に原爆が投下された」という情報は、新聞が書かなくても、その日の夕方にはネットワークの性能がよい、東京の一部の民間人には届いたのである。
徳川夢声「戦争日記」には8月6日の項に「広島に原子爆弾投下」が出てくる。高見順「敗戦日記」では8月7日に出てくる。渡辺一雄(大江健三郎の師匠)の「敗戦日記」には記載なし。山田風太郎「戦中派不戦日記」では8月11日の寄生虫学の講義の時に、教授の話として出てくる。山田は当時医学生だから情報のタイム・ラグは仕方がないが、東京帝大文学部教授だった渡辺が何も書いていないのにはあきれる。
そこで「風のうわさ」の伝達機構だが、人物Aの知人150人の1人に関する情報が、Aの友人であるBに伝達されるとする。BはAの友人とはオーバーラップしない友人を100人持つとする。ここにBの友人ではあるが、Aとは友人でないCがいるとする。BがCに伝えた情報は、その後は最初の話者Aを離れて拡散して行く。
そこでこういうことが起こりえる。全く関係のないXとYがたまたま、旅先かバーで出会って会話をしたとする。途中で思いがけない知人、友人の消息とかエピソードがでてきて、世の中が狭いのにビックリする。
別の見方をすると、XとYが偶然に出会ったとする。2人が雑談をしているうちに、Xの情報圏に含まれる「人のうわさ」とYの情報圏に含まれる「人のうわさ」とがオーバーラップする。その中に、「友だちの友だち」がいる確率は非常に高くなる。その瞬間に「風の便り」ないし「風のうわさ」が成立し、双方の情報を合わせることでより正確なものとなる。「情報の疎通」が成立するのである。ここが途中で「情報の劣化」または「情報の歪曲」が起こる「伝言ゲーム」と根本的に異なる点である。単なる伝聞はデマを伝えるが、「風の便り」はエラーの自己修復を伴うので意外に正確なのである。
まだ理論としては緻密さに欠けるが、「風のうわさ」の成立機構として、「複雑系理論」を取り入れて、自分なりに考えてみると、あらましこういうことになる。
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