【修復腎演題の却下】
「学会栄えて学問滅ぶ」という格言がある。一般的にいって医学系の学会で前に「臨床-」と付いたら、先行する学会があって母屋では親分になれない人たちが、別棟を建てたと考えたらよい。「電子顕微鏡学会」があった頃「臨床電子顕微鏡学会」というのがあった。「血液学会」に対して「臨床血液学会」というものあった。
「日本臨床腎移植学会」は恐らく例外的で「日本腎移植学会」というのはない。「日本移植学会」が基本学会だ。なぜ二つの学会が分かれたのかは知らない。腎移植の方には人工透析という利権がからんでいるからだ、という説もある。
昨年2月に開かれた臨床腎移植学会の第48回総会(名古屋)では、愛媛県立中央病院から「修復腎移植の1例」が報告された。
今年の第49回総会は鳥取県米子市で開催(3/23〜25)される。
http://www2.convention.co.jp/49jscrt/pdf/program/timetable0106.pdf
ところが、この学会に演題申込をした東京西徳州会病院顧問の小川由英先生(「修復腎移植臨床研究」主任研究員)の演題:
■登録番号: 10208
■筆頭演者: 小川 由英
■ 演題名: 小径腎腫瘍切除後の腎を用いた親族間の修復腎移植
が、却下されたという。
<2016/1/7:
ご応募いただきました演題は、プログラム委員による厳正な審査の結果、誠に残念ながら不採用とさせていただきました。
第49回日本臨床腎移植学会
学会長 杉谷 篤
(米子医療センター 副院長)>
なんということだろう!
2007/6/26「産経」は06年9月(「病腎移植」騒動の直前)に、秋田大学で行われた「病腎移植」をスクープした。
腎不全の長男へ腎提供をしようとした母親の腎臓に、腎がんの疑いのある病変があることがわかったが、執刀したS教授は「がんであっても切除して移植を行う」という方針で、長男に事前にリスクの説明を行っていた。結果的には術中の迅速病理診断で、良性とわかりその部分を切除して移植術が行われた、という内容だ。
この事件が報じられた時、移植学会の大島伸一副理事長(当時)は「当初から移植を目的とした手術であり、何ら問題がない」と発言している。
「臨床研究」17例のうち、親族間移植は4例で、2例が夫婦間、同胞間が2例と理解している。ドナーの疾患は腎細胞がん2,AML(血管平滑筋脂肪腫)2である。当時の学会幹部の発言に照らして、この移植の何が問題になるのであろうか?
その上、2011年までに行われた10例については、国際学会での発表も行われており、国際雑誌にも掲載されている。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/26293039
2015年6月にはスペイン・マドリッドから、平均73.8歳という高齢者脳死ドナーの腎臓を(この年齢ではマッチする透析患者がいないために腎臓は廃棄される。透析で70歳まで生きられる人はまれだ。)そこで透析をしていない高齢者CKD(慢性腎不全)患者に「先行的腎移植(Preemptive Kidney Transplantation)」行ったところ、成績が良好である。よって「捨てられる腎臓」を有効活用すべきだという論文が報告された。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/26299167
このように「修復腎移植」のアイデアは今や、日本を除く世界中で受け容れられている。どの国も移植用の臓器不足を補うために知恵をしぼっているのだ。
米UNOSは昨年12/1~2日の「理事会決議」を読むと、「TOD(治療的臓器提供)」という名称の代わりに、<Post-public comment action>として
Changed terminology from “therapeutic donor” to “domino donors and non-domino therapeutic donors”.としている。
新方針へのパブリックコメントを求めた結果、すでに承認されている「ドミノ・ドナー」(肝移植のケースが多い)との混同を防ぐために、用語をTDOから「非ドミノ治療的ドナー」に変更したとしている。
https://www.transplantpro.org/wp-content/uploads/sites/3/Requirements-for-Therapeutic-Donation.pdf?b2d5de
重要なことは、言葉は違っても「本人には不要な臓器が、他人の役に立つことがある」という「利己的利他主義」の精神はちっとも薄れていないということだ。
オーストラリアの倫理学者ピーター・シンガーが「あなたが世界のためにできるたったひとつのこと」(NHK出版, 2015/12)という本を出しているが、「自己犠牲的利他主義」には普遍性も永続性もない。誰にでもできる「利他主義」は、自分に不要になったものをチャリティに提供することだろう。
冒頭の格言に戻る。「医の心」を忘れた学会は、いくら製薬会社がスポンサーになっても、やがて良心的な医者や知識ある患者に見捨てられて、学問自体が衰亡することになるだろう。
冒頭の言葉を慎んで杉谷篤学会長に捧げる。「臨床腎移植禁止学会」と名称変更する方が、世のため人のためだろう。
「学会栄えて学問滅ぶ」という格言がある。一般的にいって医学系の学会で前に「臨床-」と付いたら、先行する学会があって母屋では親分になれない人たちが、別棟を建てたと考えたらよい。「電子顕微鏡学会」があった頃「臨床電子顕微鏡学会」というのがあった。「血液学会」に対して「臨床血液学会」というものあった。
「日本臨床腎移植学会」は恐らく例外的で「日本腎移植学会」というのはない。「日本移植学会」が基本学会だ。なぜ二つの学会が分かれたのかは知らない。腎移植の方には人工透析という利権がからんでいるからだ、という説もある。
昨年2月に開かれた臨床腎移植学会の第48回総会(名古屋)では、愛媛県立中央病院から「修復腎移植の1例」が報告された。
今年の第49回総会は鳥取県米子市で開催(3/23〜25)される。
http://www2.convention.co.jp/49jscrt/pdf/program/timetable0106.pdf
ところが、この学会に演題申込をした東京西徳州会病院顧問の小川由英先生(「修復腎移植臨床研究」主任研究員)の演題:
■登録番号: 10208
■筆頭演者: 小川 由英
■ 演題名: 小径腎腫瘍切除後の腎を用いた親族間の修復腎移植
が、却下されたという。
<2016/1/7:
ご応募いただきました演題は、プログラム委員による厳正な審査の結果、誠に残念ながら不採用とさせていただきました。
第49回日本臨床腎移植学会
学会長 杉谷 篤
(米子医療センター 副院長)>
なんということだろう!
2007/6/26「産経」は06年9月(「病腎移植」騒動の直前)に、秋田大学で行われた「病腎移植」をスクープした。
腎不全の長男へ腎提供をしようとした母親の腎臓に、腎がんの疑いのある病変があることがわかったが、執刀したS教授は「がんであっても切除して移植を行う」という方針で、長男に事前にリスクの説明を行っていた。結果的には術中の迅速病理診断で、良性とわかりその部分を切除して移植術が行われた、という内容だ。
この事件が報じられた時、移植学会の大島伸一副理事長(当時)は「当初から移植を目的とした手術であり、何ら問題がない」と発言している。
「臨床研究」17例のうち、親族間移植は4例で、2例が夫婦間、同胞間が2例と理解している。ドナーの疾患は腎細胞がん2,AML(血管平滑筋脂肪腫)2である。当時の学会幹部の発言に照らして、この移植の何が問題になるのであろうか?
その上、2011年までに行われた10例については、国際学会での発表も行われており、国際雑誌にも掲載されている。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/26293039
2015年6月にはスペイン・マドリッドから、平均73.8歳という高齢者脳死ドナーの腎臓を(この年齢ではマッチする透析患者がいないために腎臓は廃棄される。透析で70歳まで生きられる人はまれだ。)そこで透析をしていない高齢者CKD(慢性腎不全)患者に「先行的腎移植(Preemptive Kidney Transplantation)」行ったところ、成績が良好である。よって「捨てられる腎臓」を有効活用すべきだという論文が報告された。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/26299167
このように「修復腎移植」のアイデアは今や、日本を除く世界中で受け容れられている。どの国も移植用の臓器不足を補うために知恵をしぼっているのだ。
米UNOSは昨年12/1~2日の「理事会決議」を読むと、「TOD(治療的臓器提供)」という名称の代わりに、<Post-public comment action>として
Changed terminology from “therapeutic donor” to “domino donors and non-domino therapeutic donors”.としている。
新方針へのパブリックコメントを求めた結果、すでに承認されている「ドミノ・ドナー」(肝移植のケースが多い)との混同を防ぐために、用語をTDOから「非ドミノ治療的ドナー」に変更したとしている。
https://www.transplantpro.org/wp-content/uploads/sites/3/Requirements-for-Therapeutic-Donation.pdf?b2d5de
重要なことは、言葉は違っても「本人には不要な臓器が、他人の役に立つことがある」という「利己的利他主義」の精神はちっとも薄れていないということだ。
オーストラリアの倫理学者ピーター・シンガーが「あなたが世界のためにできるたったひとつのこと」(NHK出版, 2015/12)という本を出しているが、「自己犠牲的利他主義」には普遍性も永続性もない。誰にでもできる「利他主義」は、自分に不要になったものをチャリティに提供することだろう。
冒頭の格言に戻る。「医の心」を忘れた学会は、いくら製薬会社がスポンサーになっても、やがて良心的な医者や知識ある患者に見捨てられて、学問自体が衰亡することになるだろう。
冒頭の言葉を慎んで杉谷篤学会長に捧げる。「臨床腎移植禁止学会」と名称変更する方が、世のため人のためだろう。
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