【ランビキ】
「便り」10/6/2014号で「壊血病」という記事を取りあげた。
根岸鎮衛(ねぎしやすもり)『耳嚢(みみぶくろ)』(岩波文庫、3巻本)を読んでいたら、壊血病が「チンカ」という名称で記載されているのを見つけた(下巻、巻の八、p.105)。
根岸鎮衛(1737-1815)は徳川旗本の家で、最後は江戸南町奉行になっている。成人してから見聞きしたことを書き留め、これを30年ほど続けた、書き留めた話は一巻平均100話で、全部で十巻ある。およそ1000話だが短い話が多い。
で、たまたまそこに以下のような話があるのを見つけた。(現代語訳した。)
「チンカという病名のこと。
北海に住む人たちの間に、最初に足に赤い星のような、あざ様のものができて、徐々に黒くなり、歯茎なども黒くなる病気が起こり、百日1)あまりで死ぬとのこと。この病気はオロシャの土地には多く、チンカという病名で呼ぶそうだ。中国の医書『医宗金鑑・外科部』に「青眼牙疳」2)とあるのは、チンカのことで、これを治療する方法は『医宗金鑑』に書かれているとのこと。「股の黒くなったところは、針を刺して血を取るのがよい」とあるそうだ。
医学生の与住(よずみ)が来て話したことである。」
注1:校注者長谷川強によると、写本の系統により語句の差があり、「三村本」では「百日」とあるという。長谷川校注は「百人」を正しいとしているが、病気の症状・経過を述べた箇所であり、「百日」が正しいと思われる。
注2:藤川游『日本医学史』を見ると、「日本最初の西洋医学内科書は宇田川槐園がゴルテル『内科書』(1744)を訳した『西洋内科選要』(1793)で、ここにシケルホイク(Scorubutus)として載っているのが、『醫宗金鑑』にある「腿牙疳」と同じものだ」と述べている。
「腿牙疳」とは腿に青あざができ、歯(牙)がゆらぐ(疳)状態を表しているのだから、意味が通じるが、「眼牙疳」では意味不明である。よって岩波版底本が写本ミスであるとするのが妥当だろう。根岸鎮衛は医学生与住の「腿牙疳」を「青眼牙疳」と誤記したものであろう。
シケルクボルクはドイツ語のスコルブート(Skorbut)、英語のスカヴィScurvyのことで「壊血病」を意味する。ドイツ語のもとは、デンマーク語のスコルブク(Scorbuck)で、古代アイスランド語に起源があるという3)。だからアイスランドのような北方地帯では緑野菜が欠乏する冬場には、風土病として古くからあったものだろう。
注3:K.J.カーペンター『壊血病とビタミンCの歴史』(北大図書刊行会, 1998, p.41)
これが壊血病の症状とその対症療法を記したものであることはまず間違いがない。「チンカ」は「オロシャ」の地の病名というようにもとれるが、ロシア語かどうかは私にはわからない4)。
注4: 上記「Blog鬼火」には、「チンカ」について、
<「チンカ」現行ロシア語で「壊血病」を意味する“цинга”(ツィンガー)である。>とある。
日本人の壊血病のことは、1813年に遭難した「督乗(とくじょう)丸」の船頭重吉の『船長日記』(「世界ノンフィクション全集24」,筑摩書房, 1961)に出てくる。督乗丸は相模灘で難破してから中米沖で英国船に救助されるまで、1年2ヶ月間漂流している。11/4に遭難して櫂と帆柱を失い、漂流を開始して翌年3月頃から乗組員に壊血病が発生している。
5/8〜6/2の間に船員12名中10人が死亡しているから、発病から約「百日」で83%の死亡率に達したわけである。船頭の重吉は自分も罹ったが、皮下溢血部を剃刀で切り、黒い血を絞り出し、傷ににがりをつけるという自己治療をしたので助かったと述べている。これは『醫宗金鑑』外科部にいう治療法と同じだが、重吉にどうしてこの知識があったか不明だ。
また海水を蒸留して、飲み水の真水を取る「ランビキ」という方法を実行しているが、これもどうして知っていたか不明だ。ランビキ(蘭引)は、江戸時代にオランダ人が蒸留方法伝えたことに由来するという(「平凡社・世界百科事典」)。アラビア語Lambiqに由来するとされるが、ポルトガル語などヨーロッパ語にも同様な言葉が入っていた。17世紀末には日本でも蒸留装置が使われていたようだから、重吉も装置のことは知っていたのだろうか。
という内容のことを書いた。
「日本医史学雑誌」2015/12月号に載った坂井建雄先生の「サレルノ医学校」という論文を読むために、C.H.ハスキンズ(別宮貞徳他訳)「十二世紀ルネサンス」,みすず書房, 1989/9
という本を参照していて、面白い記載を見つけた。「ローマ帝国衰亡史」を書いたエドワード・ギボンからの引用だが、引用元が書いてない。
「(アラビア人は)蒸溜のための機械をはじめて考案してalembic(ランビキ)という名前をつけ、自然の三界の物質を分析し、アルカリと酸の相違や類似点を調べ、有毒物質をおだやかな、健康によい薬に変えた。」
ギボンの主著は「衰亡史」(岩波文庫全10冊)と「自叙伝」だが、引用文脈から見て、アラブがスペインやシシリア島を占領した時代のところに書かれているものと検討をつけて、「衰亡史」第8巻目次から、「アラブの学術とその進歩」という項目(第52章)を開いたら、すぐに該当のページ(p.317)が見つかった。まれにみる幸運である。ただしこの「村井勇三訳」では、alembicという原文スペルが省かれており、ただの「蒸留器」になっている。
手持ちの「英語・アラビア語辞書」には蒸溜する(Distill)という単語が載っておらず、現在のアラビア語を確認できないが、冠詞al-にembicという名詞がくっついた用語法だと思う。ちょうどal-kali(アルカリ)のように。ランビキが元アラビア語で、オランダ語経由で江戸時代に日本に伝わったものと見て、まず間違いないであろう。
「便り」10/6/2014号で「壊血病」という記事を取りあげた。
根岸鎮衛(ねぎしやすもり)『耳嚢(みみぶくろ)』(岩波文庫、3巻本)を読んでいたら、壊血病が「チンカ」という名称で記載されているのを見つけた(下巻、巻の八、p.105)。
根岸鎮衛(1737-1815)は徳川旗本の家で、最後は江戸南町奉行になっている。成人してから見聞きしたことを書き留め、これを30年ほど続けた、書き留めた話は一巻平均100話で、全部で十巻ある。およそ1000話だが短い話が多い。
で、たまたまそこに以下のような話があるのを見つけた。(現代語訳した。)
「チンカという病名のこと。
北海に住む人たちの間に、最初に足に赤い星のような、あざ様のものができて、徐々に黒くなり、歯茎なども黒くなる病気が起こり、百日1)あまりで死ぬとのこと。この病気はオロシャの土地には多く、チンカという病名で呼ぶそうだ。中国の医書『医宗金鑑・外科部』に「青眼牙疳」2)とあるのは、チンカのことで、これを治療する方法は『医宗金鑑』に書かれているとのこと。「股の黒くなったところは、針を刺して血を取るのがよい」とあるそうだ。
医学生の与住(よずみ)が来て話したことである。」
注1:校注者長谷川強によると、写本の系統により語句の差があり、「三村本」では「百日」とあるという。長谷川校注は「百人」を正しいとしているが、病気の症状・経過を述べた箇所であり、「百日」が正しいと思われる。
注2:藤川游『日本医学史』を見ると、「日本最初の西洋医学内科書は宇田川槐園がゴルテル『内科書』(1744)を訳した『西洋内科選要』(1793)で、ここにシケルホイク(Scorubutus)として載っているのが、『醫宗金鑑』にある「腿牙疳」と同じものだ」と述べている。
「腿牙疳」とは腿に青あざができ、歯(牙)がゆらぐ(疳)状態を表しているのだから、意味が通じるが、「眼牙疳」では意味不明である。よって岩波版底本が写本ミスであるとするのが妥当だろう。根岸鎮衛は医学生与住の「腿牙疳」を「青眼牙疳」と誤記したものであろう。
シケルクボルクはドイツ語のスコルブート(Skorbut)、英語のスカヴィScurvyのことで「壊血病」を意味する。ドイツ語のもとは、デンマーク語のスコルブク(Scorbuck)で、古代アイスランド語に起源があるという3)。だからアイスランドのような北方地帯では緑野菜が欠乏する冬場には、風土病として古くからあったものだろう。
注3:K.J.カーペンター『壊血病とビタミンCの歴史』(北大図書刊行会, 1998, p.41)
これが壊血病の症状とその対症療法を記したものであることはまず間違いがない。「チンカ」は「オロシャ」の地の病名というようにもとれるが、ロシア語かどうかは私にはわからない4)。
注4: 上記「Blog鬼火」には、「チンカ」について、
<「チンカ」現行ロシア語で「壊血病」を意味する“цинга”(ツィンガー)である。>とある。
日本人の壊血病のことは、1813年に遭難した「督乗(とくじょう)丸」の船頭重吉の『船長日記』(「世界ノンフィクション全集24」,筑摩書房, 1961)に出てくる。督乗丸は相模灘で難破してから中米沖で英国船に救助されるまで、1年2ヶ月間漂流している。11/4に遭難して櫂と帆柱を失い、漂流を開始して翌年3月頃から乗組員に壊血病が発生している。
5/8〜6/2の間に船員12名中10人が死亡しているから、発病から約「百日」で83%の死亡率に達したわけである。船頭の重吉は自分も罹ったが、皮下溢血部を剃刀で切り、黒い血を絞り出し、傷ににがりをつけるという自己治療をしたので助かったと述べている。これは『醫宗金鑑』外科部にいう治療法と同じだが、重吉にどうしてこの知識があったか不明だ。
また海水を蒸留して、飲み水の真水を取る「ランビキ」という方法を実行しているが、これもどうして知っていたか不明だ。ランビキ(蘭引)は、江戸時代にオランダ人が蒸留方法伝えたことに由来するという(「平凡社・世界百科事典」)。アラビア語Lambiqに由来するとされるが、ポルトガル語などヨーロッパ語にも同様な言葉が入っていた。17世紀末には日本でも蒸留装置が使われていたようだから、重吉も装置のことは知っていたのだろうか。
という内容のことを書いた。
「日本医史学雑誌」2015/12月号に載った坂井建雄先生の「サレルノ医学校」という論文を読むために、C.H.ハスキンズ(別宮貞徳他訳)「十二世紀ルネサンス」,みすず書房, 1989/9
という本を参照していて、面白い記載を見つけた。「ローマ帝国衰亡史」を書いたエドワード・ギボンからの引用だが、引用元が書いてない。
「(アラビア人は)蒸溜のための機械をはじめて考案してalembic(ランビキ)という名前をつけ、自然の三界の物質を分析し、アルカリと酸の相違や類似点を調べ、有毒物質をおだやかな、健康によい薬に変えた。」
ギボンの主著は「衰亡史」(岩波文庫全10冊)と「自叙伝」だが、引用文脈から見て、アラブがスペインやシシリア島を占領した時代のところに書かれているものと検討をつけて、「衰亡史」第8巻目次から、「アラブの学術とその進歩」という項目(第52章)を開いたら、すぐに該当のページ(p.317)が見つかった。まれにみる幸運である。ただしこの「村井勇三訳」では、alembicという原文スペルが省かれており、ただの「蒸留器」になっている。
手持ちの「英語・アラビア語辞書」には蒸溜する(Distill)という単語が載っておらず、現在のアラビア語を確認できないが、冠詞al-にembicという名詞がくっついた用語法だと思う。ちょうどal-kali(アルカリ)のように。ランビキが元アラビア語で、オランダ語経由で江戸時代に日本に伝わったものと見て、まず間違いないであろう。
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