10/28松山地裁判決を不服として、修復腎移植を求める原告側が控訴することを11/10午後1時から、愛媛県庁記者クラブで開かれた記者会見で明らかにした。
これは記者会見以前に「産経・関西」が流した報道。
http://www.sankei.com/west/news/141110/wst1411100035-n1.html
「病気腎移植」という用語を使っているのがおかしい。判決文で裁判長は「修復腎移植」という言葉を使っている。
<被告らは「病腎移植」と呼び、双方の提出する証拠にも「病腎」「病気腎」の表現があるものの、原告らの呼称に合わせて、引用を除くほかは修復腎移植と言い換える。>(10/28松山地裁判決文)
11/11の「読売」は「修復腎(病気腎)」と報じている。
http://www.yomiuri.co.jp/local/ehime/news/20141110-OYTNT50312.html
「朝日」松山支局の後藤記者は原告勝訴を想定して、ずいぶん事前取材をしていたが、デスクがボツにしたのか控訴について「朝日」は報じなかった。「弱者の味方」をウリにしてきた新聞なのに…。
「日本記者クラブ」が11/10会報No.537でSTAP細胞報道の検証をしたそうだ。
http://www.zaikei.co.jp/article/20141114/222322.html
「修復腎移植」報道についても、きちんとした報道検証をおこなってもらいたい。
(「毎日」大阪の斎藤広子さん、これコピーを送ってもらえませんかね…)
「判決文を読んだら、これは実質的に原告側の勝利だ」というメールがいくつか寄せられた。「控訴審では、半年で勝訴判決が出る」という楽観的な意見もあった。
確かに、2014年度末に日本移植学会の役員が改選されると、高原史郎が理事長に留まる可能性はゼロに近い。「患者から摘出された腎臓移植に関する報告書(平成18年度厚労科学研究補助金)
という、悪名高き報告書を書いた高原は「第二の和田寿郎」だ。彼が表舞台から消えれば、新執行部が修復腎移植に関して、別の方針を打ち出す可能性はより高くなるだろう。
そもそも製薬会社の寄付講座で教授になり、大阪一の透析病院からの寄付金で維持されている講座の教授が「日本移植学会」の理事長だなどということは、まともな移植医なら恥ずかしくて、外国に知られたくないだろう。
ただ安易な楽観論を打ち消すために、「油断は禁物」とのみ述べておきたい。
徳洲会による先進医療の再申請がおこなわれパスするか、あるいは厚労省が「超党派議連」の圧力を受けて、独自に「保険診療」に組み入れるか、いずれにせよ行政措置がどうなるかがポイントである。
控訴審の裁判で原告側が勝ち、その後に厚労省が認可するのでは、役人の不見識と怠慢が問われるだろう。
ともかく人工透析の患者は、一日千秋の思いで「修復腎移植」公認を待ちながら、生きている。彼らはいつまでも待てない。これがポイントだ。
「難波塾」のメンバーで修復腎移植を受けて、尿が出るようになったら、研究所脇の畑に向かって「男子一同、いっしょに立ち小便をしよう」という約束をしている呉のTさんから「今回は残念な結果になりましたが、僕も火が消えなくて良かったと思います。」というメールがあった。
昨年喉頭がんで死去した立川談志が「満杯の小便を一気に出すときの気持ちよさは、セックスよりもよい」とどこかに書いていた。あの快感を一日でも早く、彼に取り戻してもらいたいものだ。
余談だが慎太郎がその談志の葬儀で述べた弔辞が「文藝春秋」12月号の「名弔辞」特集のトップに掲載されている。「二匹の一匹オオカミ」の交友を振り返ったこの弔辞には洒脱な味わいがある。
「修復腎移植」を保健医療として認知させるには、より強力な患者・支持市民の活動、メディアの調査報道、賛成する医師や知識人の発言と支援、そして何よりも「第三の移植」が日本の臓器不足を改善し、臓器提供に関する国民の不信感を解消する起死回生の突破口となる、という不動の信念が必要だ。
これは記者会見以前に「産経・関西」が流した報道。
http://www.sankei.com/west/news/141110/wst1411100035-n1.html
「病気腎移植」という用語を使っているのがおかしい。判決文で裁判長は「修復腎移植」という言葉を使っている。
<被告らは「病腎移植」と呼び、双方の提出する証拠にも「病腎」「病気腎」の表現があるものの、原告らの呼称に合わせて、引用を除くほかは修復腎移植と言い換える。>(10/28松山地裁判決文)
11/11の「読売」は「修復腎(病気腎)」と報じている。
http://www.yomiuri.co.jp/local/ehime/news/20141110-OYTNT50312.html
「朝日」松山支局の後藤記者は原告勝訴を想定して、ずいぶん事前取材をしていたが、デスクがボツにしたのか控訴について「朝日」は報じなかった。「弱者の味方」をウリにしてきた新聞なのに…。
「日本記者クラブ」が11/10会報No.537でSTAP細胞報道の検証をしたそうだ。
http://www.zaikei.co.jp/article/20141114/222322.html
「修復腎移植」報道についても、きちんとした報道検証をおこなってもらいたい。
(「毎日」大阪の斎藤広子さん、これコピーを送ってもらえませんかね…)
「判決文を読んだら、これは実質的に原告側の勝利だ」というメールがいくつか寄せられた。「控訴審では、半年で勝訴判決が出る」という楽観的な意見もあった。
確かに、2014年度末に日本移植学会の役員が改選されると、高原史郎が理事長に留まる可能性はゼロに近い。「患者から摘出された腎臓移植に関する報告書(平成18年度厚労科学研究補助金)
という、悪名高き報告書を書いた高原は「第二の和田寿郎」だ。彼が表舞台から消えれば、新執行部が修復腎移植に関して、別の方針を打ち出す可能性はより高くなるだろう。
そもそも製薬会社の寄付講座で教授になり、大阪一の透析病院からの寄付金で維持されている講座の教授が「日本移植学会」の理事長だなどということは、まともな移植医なら恥ずかしくて、外国に知られたくないだろう。
ただ安易な楽観論を打ち消すために、「油断は禁物」とのみ述べておきたい。
徳洲会による先進医療の再申請がおこなわれパスするか、あるいは厚労省が「超党派議連」の圧力を受けて、独自に「保険診療」に組み入れるか、いずれにせよ行政措置がどうなるかがポイントである。
控訴審の裁判で原告側が勝ち、その後に厚労省が認可するのでは、役人の不見識と怠慢が問われるだろう。
ともかく人工透析の患者は、一日千秋の思いで「修復腎移植」公認を待ちながら、生きている。彼らはいつまでも待てない。これがポイントだ。
「難波塾」のメンバーで修復腎移植を受けて、尿が出るようになったら、研究所脇の畑に向かって「男子一同、いっしょに立ち小便をしよう」という約束をしている呉のTさんから「今回は残念な結果になりましたが、僕も火が消えなくて良かったと思います。」というメールがあった。
昨年喉頭がんで死去した立川談志が「満杯の小便を一気に出すときの気持ちよさは、セックスよりもよい」とどこかに書いていた。あの快感を一日でも早く、彼に取り戻してもらいたいものだ。
余談だが慎太郎がその談志の葬儀で述べた弔辞が「文藝春秋」12月号の「名弔辞」特集のトップに掲載されている。「二匹の一匹オオカミ」の交友を振り返ったこの弔辞には洒脱な味わいがある。
「修復腎移植」を保健医療として認知させるには、より強力な患者・支持市民の活動、メディアの調査報道、賛成する医師や知識人の発言と支援、そして何よりも「第三の移植」が日本の臓器不足を改善し、臓器提供に関する国民の不信感を解消する起死回生の突破口となる、という不動の信念が必要だ。
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