ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【論文捏造】難波先生より

2012-11-12 12:27:10 | 難波紘二先生
【論文捏造】例によって日本のメディア報道は一過性で、東大病院、医科歯科大などに設置されたはずの「森口問題」調査委員会のその後の調査や処分についての報道がパタリと途絶えた。


 医師専用メルマガm3が「論文捏造」についてのアンケート結果を報じている。集計は医師と非医師にわけて行っている。
 http://www.m3.com/research/polls/result/10435/?id=tmh_121108_a&portalId=mailmag&mmp=RQ121107&mc.l=3745790
 どちらも、
 1)論文捏造は多いが、最近になって特に増えたとは思わない。
 2)捏造の主因は、第1執筆者の資質に問題がある。
 3)論文捏造におけるラストオーサーの責任は重い。
 とする意見がトップスリーで、私の意見とほぼ同様である。


 医科歯科大の佐藤教授は「軽い気持ちで名前を貸した…」と釈明していたが、こういう人は研究指導をする資格がない。
 論文捏造を防ぐには法を整備し、厳罰主義で臨むのが最良だと思うが、法は倫理の一部を成文化したものにすぎない。より重要なことは、捏造を憎み、捏造者を許さないという研究者倫理、社会的な道徳感情をもつことである。
 広島大の「人工心臓データ捏造」事件では、問題の外科教授は辞職し、以後消息不明となった。同窓会名簿にも住所、勤務先が空欄になっている。つまり社会的に自(己抹)殺をしたのである。
 
 もう一つ、アンケート結果を見て気になるのが、「共著者全員に原稿を回覧する」という回答が少ないことである。つまり「勝手に名前を載せる」例がかなりあることだ。これは「論文に名前が載って喜ばない人はいない」とか、「論文数が足りないと、学位審査の副論文数が不足して困るだろう」というような配慮から行われているものだろう。
 しかし、「仕事をしていない人を共著者にする」のは、科学者共同体におけるルール違反である。共著者は、その論文内容に責任を負うのが原則である。責任を負えない人を共著者にしてはいけない。


 それともう一つ、共著者全員に原稿を回覧すると、単純ミスが発見されるだけでなく、データの捏造も指摘される可能性が高い。だからラストオーサーは、ファーストオーサーがそうしない場合には自ら全員に原稿を回覧して、論文の質を高めるためにも、内容をチェックさせるべきなのである。それが研究を統括する最高責任者の責務である。


 私は国内でのグループ研究や国際的な共同研究のリーダーを何度もやり、代表で論文を執筆してきたが、共著者全員にドラフト(原稿)を送り、その意見を入れて何度も書き改めたものを完成原稿として、雑誌に投稿し発表してきた。中には「染色体異常を調べてある悪性リンパ腫の病理標本を、4人の国際的病理学者が、独立して病理診断を行い、その診断一致率を比較・検討した結果」に関する論文もある。
 これは病理診断の科学性を検討した論文だが、標本を提供してくれた臨床家のグループにも、事前の了承を求めるため原稿を送付した。


 ミネソタ大学の教授から「私の名前もいれろ」という要求があったが、内科の教授が病理診断の再現性に関する論文に責任が持てるはずがない。名前は「謝辞に書けば十分だ」と答えて拒否した。共著者にすれば、他のグループにも同じ扱いをしなければならないので、共著者数がべらぼうに増える。
 他方、内科医が病理の論文に名を連ねて、得をするかもしれないが、間違っていればリスクを負う責任も生じる。総合して勘案すれば、共著者にならない方が得である。アメリカ人はきちんと論理的に答えれば納得するので、そう説得してケンカにならずにすんだ。


 論文など、生涯に納得の行くものを10本も書けば十分である。重要なことは学問の進歩に貢献することで、それは書いた論文の数には比例しない。アインシュタインは生涯に何本の論文を書いたか? ポーランドの作家シェンケビッチは生涯に700冊の本を書いたが、「クオ・ヴァディス」以外に残っている本がありますか?
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