【キング・コング】
12/30の午後、息子夫婦が帰省し二泊して、晦日と元旦をともに過ごした。ハワイの娘夫婦は夫の両親が住むSFCのベイ・エリアで過ごしているようだ。孫2人がスキーを楽しんでいる動画がメールで送られてきて、皆で観賞した。
今年のおせちは家内と嫁の合作だったので、手間がかからなかったそうだ。雑木林で取れたての大きな生シイタケを、塩胡椒してバター・ステーキにしたものが、一番美味かった。
暮れからずっと「イスラム教の分派とイスラム国の思想的起源」について、イスラム思想史、イスラム政治・文化史がらみの本を何冊も同時に読破していたので、さすがに脳が草臥れた。脳マッサージをかねて、くだらない映画をDVDで見ようと、「キング・コング」(米1930, 100分)を選んだ。キング・コングはこの映画が作り出した怪物であることは、ゴジラと同様だ。
冒頭はサンフランシスコの港で、映画製作者で監督のデナムがチャーターした小型貨客船の上で、船長とやり取りするところから始まる。積荷は「象も倒せる毒ガス爆弾」まで全部そろったが、女優だけが欠けているというデナムは、不況の町に若い女優探しにでかける。女性用慈善給食所に並ぶ女性たちの長い列。
美事な導入だと思った。第一次大戦で開発された毒ガス弾、1928年の「世界大恐慌」がちゃんと盛り込まれている。
オレンジを買おうと果物屋の前に立つデナム。空腹でふらふらになった若い女が積まれたオレンジについ手を伸ばす。タッチした瞬間に店主が万引き現行犯として取り押さえようとする。「美女と野獣(Beauty and Beast)だ!」というデナム。
画面はかなり荒れているが、音声はクリアで現代のアメリカ英語とまったくといってよいほど異なっており、「美女と野獣」は日本語では韻を踏んでいないが、英語では美事に韻を踏んでいるのがわかる。美女アン・ダロウ(女優フェイ・レイ)に食事をふるまったデナムは、映画女優として起用したいと提案し、仕事が欲しいアンも承諾する。かくて最後の積荷がそろった。
翌朝出帆した船は、東インド諸島のボルネオを目指す。途中でカメラリハーサルをするデナムとアン。カメラは35ミリフィルム用だが、手回しである。アンと若い船員とのやりとりも面白い。ボルネオ沖に到着した時、デナムは船長ら乗組員に真の目的地を初めて明かす
2年前にシンガポールで入手した古地図とノートにより、南西のインド洋中に絶海の孤島があり、その島は少数の原住民が住む南部とジャングルのある北部は、古代文明が築いた長城により仕切られ、北には誰も見たことがない「怪物」が棲んでいる。(似た話は北欧の伝説「アイスランドのハン」にある。)
「Beauty and Beastをテーマに、この怪物と女優を題材に映画を撮影する、絶対に大当たりする」、というのである。
目的地の島にはちょうど硫黄島の擂鉢山のような高い岩山が西端にそびえ立っており、岩山の南に浜がある。他は断崖絶壁になっている。偵察に上陸したアンを含む撮影隊は、原住民がキング・コングへの「人身御供」の儀式をやっているところに出くわす。生け贄は原住民の娘である。異様な風貌をし、白い顔料で身体を塗りたくった原住民とその酋長。(Kongの発音は「コング」でなく「コン」だとわかった。Hong Kongを「ホング・コング」と発音したら笑われるが、「コング」が定着したので、いまさらどうしょうもないか。
隠れて見ていた撮影隊を発見した酋長は、「女6人とアンを交換したい」と申し入れる。「返事は明日に」と引きあげた一行の船に、深夜アウトリッガー・カヌー2隻に分乗した原住民が密かに近づき、アンを誘拐して去る。
アウトリッガー・カヌーは台湾の一部族が発明したもので、そこからオーストロネシア語とともに、南大平洋の全域に広まった。抜群の安定性を誇る舟だ。キング・コングは見たところゴリラではなく、オランウータンに近い。オランウータンを現地語で「コン」と呼ぶかどうかは知らない。
翌朝、アンが消え甲板に貝の首飾りが落ちていたことから、誘拐されたことがわかり大騒ぎになる。中国人コック以外の全員が銃と爆弾で武装し、ボート2隻で救援に向かう。
一方、さらわれたアンに「生け贄の儀式」を行った原住民たちは、太い丸太のかんぬきを外して城門を開け、内部に立てられている太い2本のポールにアンの両手を縛り付けると、再び城門を閉じ、長城の城壁に上がり、松明を並べ巨大な銅のドラを叩いて、コンに合図する。
樹木をへし倒しながら現れたコンが意外によくできていて、隆起した眉を動かすのに驚いた
救援隊は城門を開けて、ジャングルの中に入っていく。なんとそこはコナン・ドイルの「失われた世界」になっていて、ステゴザウルスや首の長い水棲のプレシオザウルスがいる。CGがない時代なのに、非常によくできている。爆裂弾で倒されたステゴザウルスが、銃でとどめをさされ、尻尾の先を痙攣させながら息絶えるところのアップなど、きわめてリアルだ。
コンがティラノザウルスと戦って、背負い投げで投げ飛ばす場面はユーモラスで、思わず笑ってしまった。その後もコンと巨大なヘビとの格闘や翼竜との戦いの場面がある。こうした特殊撮影はいったいどうやったのであろうか?
「美女と野獣」のテーマは、原住民により供物として捧げられたアンにコンが惚れていまい、着せ替え人形のように着物を脱がすところや、脇の下を触った指を鼻にかざす場面によく表れており、エロチックでさえある。
それにしてもこのコンは眼に光があり、表情さえ変える。これはどうやって撮影したのか?
女を奪い返されたコンは全力を振るって、城門のかんぬきをへし折り、門外に出てくる。
「生け捕りにして、連れて帰り見世物にする」とデナムは「毒ガス弾」を投げつける。炸裂すると、コンはまず眼を拭い、それからふらつきはじめ1分もしないで昏倒してしまう。
このガスはマスタードではない、フォスゲンかサリンか?
捕獲されたコンはニューヨークへ運ばれ見世物に。ところが報道陣のフラッシュを浴びて逆上して、鉄の鎖を引きちぎり、アンを片手に握って逃げ出し、エンパイヤ—ステートビルの先端へと登る。ここからの騒ぎのみが、一般にひろく知られている。
コンを攻撃する複葉の戦闘機4機。1機はたたき落としたものの、連続した機銃掃射を浴びて、コンもついに力尽きて頂上から墜落する。
横たわるコンの死体。詰めかけるおびただしい野次馬の整理をしている警官。デナムが現れ、姓名をつげ「通してくれ」という。「飛行機がやっつけたんです」という警官。
デナムが答える。「いやそうじゃない。野獣をやっつけたのは美女だ」
とたんに「エンド・マーク」。いや美事なエンディングでした。楽しめた一作だった。
この話の後半はフランス、ボーモン(Beaumont)夫人の小説「美女と野獣(La Belle et La Bête, 1757)」を基にしている。元がフランス語だから、英語ならThe Beauty and The Beastと韻を踏んだまま訳せる。その点、日本語訳にはセンスがない。
12/30の午後、息子夫婦が帰省し二泊して、晦日と元旦をともに過ごした。ハワイの娘夫婦は夫の両親が住むSFCのベイ・エリアで過ごしているようだ。孫2人がスキーを楽しんでいる動画がメールで送られてきて、皆で観賞した。
今年のおせちは家内と嫁の合作だったので、手間がかからなかったそうだ。雑木林で取れたての大きな生シイタケを、塩胡椒してバター・ステーキにしたものが、一番美味かった。
暮れからずっと「イスラム教の分派とイスラム国の思想的起源」について、イスラム思想史、イスラム政治・文化史がらみの本を何冊も同時に読破していたので、さすがに脳が草臥れた。脳マッサージをかねて、くだらない映画をDVDで見ようと、「キング・コング」(米1930, 100分)を選んだ。キング・コングはこの映画が作り出した怪物であることは、ゴジラと同様だ。
冒頭はサンフランシスコの港で、映画製作者で監督のデナムがチャーターした小型貨客船の上で、船長とやり取りするところから始まる。積荷は「象も倒せる毒ガス爆弾」まで全部そろったが、女優だけが欠けているというデナムは、不況の町に若い女優探しにでかける。女性用慈善給食所に並ぶ女性たちの長い列。
美事な導入だと思った。第一次大戦で開発された毒ガス弾、1928年の「世界大恐慌」がちゃんと盛り込まれている。
オレンジを買おうと果物屋の前に立つデナム。空腹でふらふらになった若い女が積まれたオレンジについ手を伸ばす。タッチした瞬間に店主が万引き現行犯として取り押さえようとする。「美女と野獣(Beauty and Beast)だ!」というデナム。
画面はかなり荒れているが、音声はクリアで現代のアメリカ英語とまったくといってよいほど異なっており、「美女と野獣」は日本語では韻を踏んでいないが、英語では美事に韻を踏んでいるのがわかる。美女アン・ダロウ(女優フェイ・レイ)に食事をふるまったデナムは、映画女優として起用したいと提案し、仕事が欲しいアンも承諾する。かくて最後の積荷がそろった。
翌朝出帆した船は、東インド諸島のボルネオを目指す。途中でカメラリハーサルをするデナムとアン。カメラは35ミリフィルム用だが、手回しである。アンと若い船員とのやりとりも面白い。ボルネオ沖に到着した時、デナムは船長ら乗組員に真の目的地を初めて明かす
2年前にシンガポールで入手した古地図とノートにより、南西のインド洋中に絶海の孤島があり、その島は少数の原住民が住む南部とジャングルのある北部は、古代文明が築いた長城により仕切られ、北には誰も見たことがない「怪物」が棲んでいる。(似た話は北欧の伝説「アイスランドのハン」にある。)
「Beauty and Beastをテーマに、この怪物と女優を題材に映画を撮影する、絶対に大当たりする」、というのである。
目的地の島にはちょうど硫黄島の擂鉢山のような高い岩山が西端にそびえ立っており、岩山の南に浜がある。他は断崖絶壁になっている。偵察に上陸したアンを含む撮影隊は、原住民がキング・コングへの「人身御供」の儀式をやっているところに出くわす。生け贄は原住民の娘である。異様な風貌をし、白い顔料で身体を塗りたくった原住民とその酋長。(Kongの発音は「コング」でなく「コン」だとわかった。Hong Kongを「ホング・コング」と発音したら笑われるが、「コング」が定着したので、いまさらどうしょうもないか。
隠れて見ていた撮影隊を発見した酋長は、「女6人とアンを交換したい」と申し入れる。「返事は明日に」と引きあげた一行の船に、深夜アウトリッガー・カヌー2隻に分乗した原住民が密かに近づき、アンを誘拐して去る。
アウトリッガー・カヌーは台湾の一部族が発明したもので、そこからオーストロネシア語とともに、南大平洋の全域に広まった。抜群の安定性を誇る舟だ。キング・コングは見たところゴリラではなく、オランウータンに近い。オランウータンを現地語で「コン」と呼ぶかどうかは知らない。
翌朝、アンが消え甲板に貝の首飾りが落ちていたことから、誘拐されたことがわかり大騒ぎになる。中国人コック以外の全員が銃と爆弾で武装し、ボート2隻で救援に向かう。
一方、さらわれたアンに「生け贄の儀式」を行った原住民たちは、太い丸太のかんぬきを外して城門を開け、内部に立てられている太い2本のポールにアンの両手を縛り付けると、再び城門を閉じ、長城の城壁に上がり、松明を並べ巨大な銅のドラを叩いて、コンに合図する。
樹木をへし倒しながら現れたコンが意外によくできていて、隆起した眉を動かすのに驚いた
救援隊は城門を開けて、ジャングルの中に入っていく。なんとそこはコナン・ドイルの「失われた世界」になっていて、ステゴザウルスや首の長い水棲のプレシオザウルスがいる。CGがない時代なのに、非常によくできている。爆裂弾で倒されたステゴザウルスが、銃でとどめをさされ、尻尾の先を痙攣させながら息絶えるところのアップなど、きわめてリアルだ。
コンがティラノザウルスと戦って、背負い投げで投げ飛ばす場面はユーモラスで、思わず笑ってしまった。その後もコンと巨大なヘビとの格闘や翼竜との戦いの場面がある。こうした特殊撮影はいったいどうやったのであろうか?
「美女と野獣」のテーマは、原住民により供物として捧げられたアンにコンが惚れていまい、着せ替え人形のように着物を脱がすところや、脇の下を触った指を鼻にかざす場面によく表れており、エロチックでさえある。
それにしてもこのコンは眼に光があり、表情さえ変える。これはどうやって撮影したのか?
女を奪い返されたコンは全力を振るって、城門のかんぬきをへし折り、門外に出てくる。
「生け捕りにして、連れて帰り見世物にする」とデナムは「毒ガス弾」を投げつける。炸裂すると、コンはまず眼を拭い、それからふらつきはじめ1分もしないで昏倒してしまう。
このガスはマスタードではない、フォスゲンかサリンか?
捕獲されたコンはニューヨークへ運ばれ見世物に。ところが報道陣のフラッシュを浴びて逆上して、鉄の鎖を引きちぎり、アンを片手に握って逃げ出し、エンパイヤ—ステートビルの先端へと登る。ここからの騒ぎのみが、一般にひろく知られている。
コンを攻撃する複葉の戦闘機4機。1機はたたき落としたものの、連続した機銃掃射を浴びて、コンもついに力尽きて頂上から墜落する。
横たわるコンの死体。詰めかけるおびただしい野次馬の整理をしている警官。デナムが現れ、姓名をつげ「通してくれ」という。「飛行機がやっつけたんです」という警官。
デナムが答える。「いやそうじゃない。野獣をやっつけたのは美女だ」
とたんに「エンド・マーク」。いや美事なエンディングでした。楽しめた一作だった。
この話の後半はフランス、ボーモン(Beaumont)夫人の小説「美女と野獣(La Belle et La Bête, 1757)」を基にしている。元がフランス語だから、英語ならThe Beauty and The Beastと韻を踏んだまま訳せる。その点、日本語訳にはセンスがない。
それと、サリンは二次大戦直前に発明されたのだ。