【戦略なき国家】レーガン米大統領はその経済政策がいまいろいろ批判されているが、彼の最大の功績はソ連を軍拡競争に引きずり込み、経済的に破綻させ、冷戦を終結に導いたことだ。70年も一党独裁体制におかれ、民主主義も市場経済も知らなかった「社会主義」国家にとって、以後イバラの道が続いているが、全面核戦争の恐怖から人類を解放した功績は大きい。
これは国家戦略の勝利である。
日本は1904年になってはじめてロシアと戦争をしたが、幕末から南下するロシアは脅威であった。やがてはロシアと対決しなければいけない、という思いは明治の国家指導者に初めからあった。
「回想の明治維新」(岩波文庫)を書いたL.I.メチニコフは亡命ロシア人革命家で、帝政ロシアに弾圧されスイスへ亡命していたとき、陸軍の大山巌と友人になり、その招きで明治7(1874)年来日し、「東京外国語学校」(今の東京外大)のロシア語教師となった。マクロファージの発見者メチニコフの兄である。
日露戦争(1904~05)では、スウェーデン駐在武官の明石元二郎はスイスに亡命中の革命家レーニンなどと接触し、帝政ロシアを倒すために資金援助している。
ロシアは軍事的に敗北しただけでなく、「血の日曜日」事件、全国のゼネスト、戦艦ポチョムキンの反乱をはじめとする軍隊反乱など、内患の多発により講和に応じたのである。203高地陥落、奉天の開戦など軍事的勝利だけではポーツマス条約に持ち込めなかった。
竹島、尖閣問題でもめているのをみると、つくづく「国家戦略」が今の政府には(これまでの政府にも)欠けていると思う。
ソ連なきあと、「一党独裁」が残っているのは、中国と北朝鮮だけではないか。中国の一党独裁政府の支持を失えば、北朝鮮は明日にでも崩壊する。
北朝鮮が崩壊すれば、「拉致問題」はすぐに解決するだろう。韓国も竹島どころではなくなる。
日本にも難民が来るだろうが、韓国にはそれ以上に押し寄せる。
よって日本の国家戦略は、「いかにして中国の一党独裁を崩すか」ということでなければならない。
仲良くするのは別にかまわない。脚の長いアメリカ人がよくやるイタズラに、並んで歩きながら、右足を大きく後に回して、左にいる友人の尻を蹴るというのがある。
蹴られた方は一瞬なにが何だか、わからなくなる。
「外交」というのはあれと同じで、戦争はしないが、長期的には相手が破滅して、こっちの競争相手にならなくなるのを至善とする。
尖閣諸島は東京都に購入させて、しばらく都に管理させ、様子をみればよいものを、「功を横取り」するつもりで、野田は国難を招いてしまった。
石原慎太郎がやれば、「あの右翼だからまあ、しょうがないか…」ですむものを、よりによって元日教組(山梨県教組委員長)の輿石東が幹事長をつとめる党の総裁がやるのだから、「裏切ったな」と思われても仕方がない。近親憎悪の感情である。(メディアはこのことを伝えようとしない)
沖縄基地、オスプレイ配備問題も同様で、歴史的に見れば琉球が清朝と日本への「両属国家」であったことは疑いない。だから中国から見れば、尖閣も含めて琉球は「中国のもの」なのである。
1945年の沖縄戦の後、沖縄諸島は米軍の統治下に入り、サンフランシスコ講和条約発効後も、米軍民政府の支配下におかれた。
結果として、在日米軍基地の75%が沖縄に集中することになったが、ソ連崩壊後の「日米安全保障」上のウェイトが、北海道・東北から、朝鮮半島、台湾、東シナ海に下がったことを考えると、これはやむをえないだろう。
「産経」の古森義久ワシントン特派員が次のような記事を書いている。http://sankei.jp.msn.com/world/news/120924/amr12092407060000-n1.htm
<米国大手世論調査機関の「ピュー・リサーチ・センター」が「カーネギー国際平和財団」など他の4研究機関の協力を得て米国の中国認識について調査した。
同調査によると、「中国の世界パワーとしての登場を米国にとっての主要な脅威とみるか」との問いにイエスと答えたのは一般米国民で全体の52%、退役軍人で46%、政府職員で31%。「米国にとってどの国が最大の危険か」という質問に中国を挙げたのは一般米国民で26%、退役軍人で50%、学者で27%だった。
「中国を信用するか」との問いには一般米国民の68%、共和党支持者の74%、民主党支持者の61%がノーと答えたという。同調査で「信用できる国」としてトップに挙げられたのはイギリスで、全体の78%、日本が第2位で62%だった。>
イスラム諸国との紛争を抱えている米国民でさえ、中国の危険性を十分に認識している。また英語圏でない日本はトップに信頼されている。少なくとも尖閣諸島の武力侵略は「日米安保」の範囲に入ると国防長官が明言している。NHKスペシャルを見ていたら、明らかに「媚中派」の東大教授が出てきたが、話の内容は典型的な「東大法話」だった。櫻井よしこの方がよっぽど話の筋がとおっていた。
「尖閣防衛」を考えれば、積載能力、スピード、航続距離においてヘリコプターにまさるオスプレイを実戦配備するのは当然で、「危ない」と思う基地周辺住民には退去移転費用を国費で負担すればよいのである。私は1960年代に九大工学部に墜落した米軍ジェット機を見に行ったことがあるが、あの時は「危険だ」という議論にはならなかった。
沖縄の人には「米軍基地を撤去して、中国領になったほうがよいかどうか」、自分で判断してもらうしかなかろう。
本当は日中国交回復をした時点から、「共産党一党独裁を倒す」ための外交を始めなければいけなかったのだ。そういう国家戦略をもたなかったから、今になってあわてふためいているのである。今の中国の版図は清帝国最盛期のそれとほぼ同じである。
ということは、満州人やモンゴル人やチベット人やミャオ族などの多数の異民族をかかえた「帝国」なのである。共産党一党独裁による専制政治は、この帝国を統一・維持するために不可欠な政治機構なのである。「帝国」の維持と拡大を国益としているのだから、これは「帝国主義国家」なのである。
だから「帝国」内の少数民族が、海外に留学して真の市民社会の価値を知り、独立運動を起こせば、中国の対外膨脹主義は頓挫せざるをえないだろう。
日本は日清戦争後、毎年200名の中国人留学生を国費で受け入れた。その中には周樹人(魯迅)も王兆銘もいた。全員が親日派になったわけではないが、彼らが帰国後、中国の近代化に貢献したことは事実である。中国共産党の創設者陳独秀も日本への留学経験がある。http://ja.wikipedia.org/wiki/陳独秀
毛沢東が国外に出たことがないのと大きな違いである。
アメリカに留学するとき、「自動車事故を起こしても、絶対にアイ・アム・ソリーというな」と教えられる。あやまれば、事故の責任を認めたことになり、一方的に賠償を請求されるからである。「謝罪する」ということは、責任を認めることだ。日本的な感覚での「すみません」とは違うのである。
魯迅の「阿Q」正伝に描かれた中国人の代表としての阿Qという男は、相手が強ければ卑屈になり、弱ければ居丈高になり、「ほどほど」という限度を知らない。それが結局、彼の破滅を招くのである。この性格は元、明、清と600年以上にわたり、中国に従属していて、制度・文化を取り入れた朝鮮にもそっくり受け継がれている。
今の日本に必要なのは、こうした長期的国家戦略と明石元二郎のような優秀な外交官である。「日中友好40周年」記念行事を中国が中止したのだから、「井戸を掘った人の恩は忘れました」といったに等しい。ここらで根本から考えをあらためるべきだろう。
これは国家戦略の勝利である。
日本は1904年になってはじめてロシアと戦争をしたが、幕末から南下するロシアは脅威であった。やがてはロシアと対決しなければいけない、という思いは明治の国家指導者に初めからあった。
「回想の明治維新」(岩波文庫)を書いたL.I.メチニコフは亡命ロシア人革命家で、帝政ロシアに弾圧されスイスへ亡命していたとき、陸軍の大山巌と友人になり、その招きで明治7(1874)年来日し、「東京外国語学校」(今の東京外大)のロシア語教師となった。マクロファージの発見者メチニコフの兄である。
日露戦争(1904~05)では、スウェーデン駐在武官の明石元二郎はスイスに亡命中の革命家レーニンなどと接触し、帝政ロシアを倒すために資金援助している。
ロシアは軍事的に敗北しただけでなく、「血の日曜日」事件、全国のゼネスト、戦艦ポチョムキンの反乱をはじめとする軍隊反乱など、内患の多発により講和に応じたのである。203高地陥落、奉天の開戦など軍事的勝利だけではポーツマス条約に持ち込めなかった。
竹島、尖閣問題でもめているのをみると、つくづく「国家戦略」が今の政府には(これまでの政府にも)欠けていると思う。
ソ連なきあと、「一党独裁」が残っているのは、中国と北朝鮮だけではないか。中国の一党独裁政府の支持を失えば、北朝鮮は明日にでも崩壊する。
北朝鮮が崩壊すれば、「拉致問題」はすぐに解決するだろう。韓国も竹島どころではなくなる。
日本にも難民が来るだろうが、韓国にはそれ以上に押し寄せる。
よって日本の国家戦略は、「いかにして中国の一党独裁を崩すか」ということでなければならない。
仲良くするのは別にかまわない。脚の長いアメリカ人がよくやるイタズラに、並んで歩きながら、右足を大きく後に回して、左にいる友人の尻を蹴るというのがある。
蹴られた方は一瞬なにが何だか、わからなくなる。
「外交」というのはあれと同じで、戦争はしないが、長期的には相手が破滅して、こっちの競争相手にならなくなるのを至善とする。
尖閣諸島は東京都に購入させて、しばらく都に管理させ、様子をみればよいものを、「功を横取り」するつもりで、野田は国難を招いてしまった。
石原慎太郎がやれば、「あの右翼だからまあ、しょうがないか…」ですむものを、よりによって元日教組(山梨県教組委員長)の輿石東が幹事長をつとめる党の総裁がやるのだから、「裏切ったな」と思われても仕方がない。近親憎悪の感情である。(メディアはこのことを伝えようとしない)
沖縄基地、オスプレイ配備問題も同様で、歴史的に見れば琉球が清朝と日本への「両属国家」であったことは疑いない。だから中国から見れば、尖閣も含めて琉球は「中国のもの」なのである。
1945年の沖縄戦の後、沖縄諸島は米軍の統治下に入り、サンフランシスコ講和条約発効後も、米軍民政府の支配下におかれた。
結果として、在日米軍基地の75%が沖縄に集中することになったが、ソ連崩壊後の「日米安全保障」上のウェイトが、北海道・東北から、朝鮮半島、台湾、東シナ海に下がったことを考えると、これはやむをえないだろう。
「産経」の古森義久ワシントン特派員が次のような記事を書いている。http://sankei.jp.msn.com/world/news/120924/amr12092407060000-n1.htm
<米国大手世論調査機関の「ピュー・リサーチ・センター」が「カーネギー国際平和財団」など他の4研究機関の協力を得て米国の中国認識について調査した。
同調査によると、「中国の世界パワーとしての登場を米国にとっての主要な脅威とみるか」との問いにイエスと答えたのは一般米国民で全体の52%、退役軍人で46%、政府職員で31%。「米国にとってどの国が最大の危険か」という質問に中国を挙げたのは一般米国民で26%、退役軍人で50%、学者で27%だった。
「中国を信用するか」との問いには一般米国民の68%、共和党支持者の74%、民主党支持者の61%がノーと答えたという。同調査で「信用できる国」としてトップに挙げられたのはイギリスで、全体の78%、日本が第2位で62%だった。>
イスラム諸国との紛争を抱えている米国民でさえ、中国の危険性を十分に認識している。また英語圏でない日本はトップに信頼されている。少なくとも尖閣諸島の武力侵略は「日米安保」の範囲に入ると国防長官が明言している。NHKスペシャルを見ていたら、明らかに「媚中派」の東大教授が出てきたが、話の内容は典型的な「東大法話」だった。櫻井よしこの方がよっぽど話の筋がとおっていた。
「尖閣防衛」を考えれば、積載能力、スピード、航続距離においてヘリコプターにまさるオスプレイを実戦配備するのは当然で、「危ない」と思う基地周辺住民には退去移転費用を国費で負担すればよいのである。私は1960年代に九大工学部に墜落した米軍ジェット機を見に行ったことがあるが、あの時は「危険だ」という議論にはならなかった。
沖縄の人には「米軍基地を撤去して、中国領になったほうがよいかどうか」、自分で判断してもらうしかなかろう。
本当は日中国交回復をした時点から、「共産党一党独裁を倒す」ための外交を始めなければいけなかったのだ。そういう国家戦略をもたなかったから、今になってあわてふためいているのである。今の中国の版図は清帝国最盛期のそれとほぼ同じである。
ということは、満州人やモンゴル人やチベット人やミャオ族などの多数の異民族をかかえた「帝国」なのである。共産党一党独裁による専制政治は、この帝国を統一・維持するために不可欠な政治機構なのである。「帝国」の維持と拡大を国益としているのだから、これは「帝国主義国家」なのである。
だから「帝国」内の少数民族が、海外に留学して真の市民社会の価値を知り、独立運動を起こせば、中国の対外膨脹主義は頓挫せざるをえないだろう。
日本は日清戦争後、毎年200名の中国人留学生を国費で受け入れた。その中には周樹人(魯迅)も王兆銘もいた。全員が親日派になったわけではないが、彼らが帰国後、中国の近代化に貢献したことは事実である。中国共産党の創設者陳独秀も日本への留学経験がある。http://ja.wikipedia.org/wiki/陳独秀
毛沢東が国外に出たことがないのと大きな違いである。
アメリカに留学するとき、「自動車事故を起こしても、絶対にアイ・アム・ソリーというな」と教えられる。あやまれば、事故の責任を認めたことになり、一方的に賠償を請求されるからである。「謝罪する」ということは、責任を認めることだ。日本的な感覚での「すみません」とは違うのである。
魯迅の「阿Q」正伝に描かれた中国人の代表としての阿Qという男は、相手が強ければ卑屈になり、弱ければ居丈高になり、「ほどほど」という限度を知らない。それが結局、彼の破滅を招くのである。この性格は元、明、清と600年以上にわたり、中国に従属していて、制度・文化を取り入れた朝鮮にもそっくり受け継がれている。
今の日本に必要なのは、こうした長期的国家戦略と明石元二郎のような優秀な外交官である。「日中友好40周年」記念行事を中国が中止したのだから、「井戸を掘った人の恩は忘れました」といったに等しい。ここらで根本から考えをあらためるべきだろう。
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