【新聞休刊日】今日9月10日は、日本の新聞が「談合して」サボる日。金返せ!と言いたい。
韓国の新聞にとっては対日情報の発信日。「朝鮮日報」日本語版が「慰安婦問題」特集をしている。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/09/09/2012090900199.html
これは吉田清治:「朝鮮人慰安婦と日本人」(新人物往来社, 1977)の原本を指す。
これはほとんど話題にならなかったが、彼の「私の戦争犯罪:朝鮮人強制連行」(三一書房, 1983/7)は有名になった。(添付1左)
どちらも韓国語訳されている。日本では絶版で古書価格は約8,000円だ。
1981年には森村誠一「悪魔の飽食」(カッパブックス)が出て、ベストセラーになっている。(添付1右)これは共産党の機関紙「赤旗」に連載された「記事」(小説)を元にしたもので、写真資料が記載事実の信憑性を増すものとして使用されているが、出典の記載がない。(後に右派にこの点を突かれ、虚偽を暴かれた。)
森村はこれに懲りて、以後、本物の小説家になった。
吉田の「三一書房本」には写真の出典はあるが、「日本地理大系」、「日本地理風俗大系」などから適当に写真をコピーしている。
p.22に「検診を受ける強制連行された朝鮮人慰安婦」、p. 24に「兵站司令部開設の慰安所の規定」p.128に「慰安所の郭内」という写真が載っているが、これらは福岡出身の麻生徹男軍医が昭和13年に「上海事件」の後、兵の強姦に手を焼いた陸軍が「娯楽所」(後の慰安所)を上海に開設した際に、その所長となった麻生軍医が撮影したものである。
太平洋戦争も始まっていないのに「朝鮮人慰安婦の強制連行」があるはずがない。
作家伊藤桂一「兵士たちの陸軍史」(新潮文庫)も同医師の写真を無断使用している。腐った精神において吉田と変わるところがない。
済州島における朝鮮人慰安婦狩りを50頁にわたり詳しく書きながら、個人名詞は「谷軍曹」と徴発隊隊員の山田と平山と大野、朝鮮人の「韓」しか出てこない。
済州島の最高峰として「ハルラ山」が出てくるが、済州島の詳細地図を掲げておきながら、この山の漢字表記と対応が出来ていない。
しかも巻末で「人物名はすべて仮名」と書いている。もうこれでにせ物であることは、歴然としている。
この程度の詐欺師の本を今でも信じる「朝鮮日報」は、知性レベルが低いと言われても仕方がない。
「反日」を掲げて、情報鎖国を続けているからだ。
一読すれば、秦教授でなくても、「でっち上げ小説」と断定できる。
森村の「悪魔の飽食」に推薦文を書いたのが「朝日」の問題記者、本多勝一。
宮沢訪朝は1992年1月16日。「朝日」が一面トップで「従軍慰安婦に軍の関与」と報じたのが、1月11日。
書いたのは辰濃哲郎記者。中央大教授吉見義明などの防衛庁図書館資料等の調査をもとに間接報道した。
記事原稿は91年12月に出来ていたが、編集部は掲載を首相の訪韓日に合わせるように遅らせた。
宮沢首相は14日に記者会見を開いたが、韓国国民の怒りはおさまらず、激しい抗議デモのなかを訪韓することになった。
首相は調査を約束し、後日その結果が「河野談話」として出た。これが今日まで残る禍根となった。
吉田清治は稀代の詐欺師で、戦後は共産党に入党し1947年4月の下関市会議員選に立候補し、落選している。
吉田のウソは秦郁彦「慰安婦と戦場の性」(新潮新書, 1999)で完璧に証明されている。
http://www.frob.co.jp/kaitaishinsho/book_review.php?id=1323922626
一面特ダネを飛ばした辰濃哲郎は「天声人語」を書いていた辰濃和夫の息子で、縁故採用(入社試験を受けていない)である。
2001年には社内でセクハラ事件、2004年には慈恵医大の科研費不正事件を取材中に対立する相手の教授に、疑惑の対象である教授の発言録音のMDを渡すなど、問題行動があった。
その前のNHK「問われる戦時暴力」番組に対して、自民党が事前に圧力をかけた疑惑事件の取材でも、録音MDを相手側に渡すという行動があった。
これらが問題となり、2004年10月に「依願退職」という形で辰濃は朝日を免職になっている。
辰濃はその後「医薬経済社」という業界誌会社の契約社員として働いている。
近著に、「歪んだ権威:密着ルポ、日本医師会」(医薬経済社, 2010)がある。
なおこのときの社会部出身の論説委員が「産経」出身の野呂雅之で、後に社会部次長となり、出河雅彦と組んで「中村がんペプチドワクチン」糾弾キャンペーンを仕掛けた男である。
「朝鮮日報」の編集者ですら、いまだに吉田清治本を信じているくらいだから、彼を持ち上げた当時の左派や「朝日」の罪がどれほど深いかわかる。
「大東亜戦争」中の軍部やメディアは「聖戦完遂」という大義のために、国民や兵士の戦意高揚を妨げるような報道をしなかった。
戦後は逆に、「貧しいもの」や「虐げられたもの」のために、事実に反してでも彼らに有利になる報道をする、というのであれば、ベクトルが逆になっているだけで、相変わらず同じことをやっているのである。
親子二代、60年間「朝日」を購読してきたというさる会社の部長さんが、とうとう他紙に換えたそうだ。読者には新聞を選ぶ権利がある。
韓国の新聞にとっては対日情報の発信日。「朝鮮日報」日本語版が「慰安婦問題」特集をしている。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2012/09/09/2012090900199.html
これは吉田清治:「朝鮮人慰安婦と日本人」(新人物往来社, 1977)の原本を指す。
これはほとんど話題にならなかったが、彼の「私の戦争犯罪:朝鮮人強制連行」(三一書房, 1983/7)は有名になった。(添付1左)
どちらも韓国語訳されている。日本では絶版で古書価格は約8,000円だ。
1981年には森村誠一「悪魔の飽食」(カッパブックス)が出て、ベストセラーになっている。(添付1右)これは共産党の機関紙「赤旗」に連載された「記事」(小説)を元にしたもので、写真資料が記載事実の信憑性を増すものとして使用されているが、出典の記載がない。(後に右派にこの点を突かれ、虚偽を暴かれた。)
森村はこれに懲りて、以後、本物の小説家になった。
吉田の「三一書房本」には写真の出典はあるが、「日本地理大系」、「日本地理風俗大系」などから適当に写真をコピーしている。
p.22に「検診を受ける強制連行された朝鮮人慰安婦」、p. 24に「兵站司令部開設の慰安所の規定」p.128に「慰安所の郭内」という写真が載っているが、これらは福岡出身の麻生徹男軍医が昭和13年に「上海事件」の後、兵の強姦に手を焼いた陸軍が「娯楽所」(後の慰安所)を上海に開設した際に、その所長となった麻生軍医が撮影したものである。
太平洋戦争も始まっていないのに「朝鮮人慰安婦の強制連行」があるはずがない。
作家伊藤桂一「兵士たちの陸軍史」(新潮文庫)も同医師の写真を無断使用している。腐った精神において吉田と変わるところがない。
済州島における朝鮮人慰安婦狩りを50頁にわたり詳しく書きながら、個人名詞は「谷軍曹」と徴発隊隊員の山田と平山と大野、朝鮮人の「韓」しか出てこない。
済州島の最高峰として「ハルラ山」が出てくるが、済州島の詳細地図を掲げておきながら、この山の漢字表記と対応が出来ていない。
しかも巻末で「人物名はすべて仮名」と書いている。もうこれでにせ物であることは、歴然としている。
この程度の詐欺師の本を今でも信じる「朝鮮日報」は、知性レベルが低いと言われても仕方がない。
「反日」を掲げて、情報鎖国を続けているからだ。
一読すれば、秦教授でなくても、「でっち上げ小説」と断定できる。
森村の「悪魔の飽食」に推薦文を書いたのが「朝日」の問題記者、本多勝一。
宮沢訪朝は1992年1月16日。「朝日」が一面トップで「従軍慰安婦に軍の関与」と報じたのが、1月11日。
書いたのは辰濃哲郎記者。中央大教授吉見義明などの防衛庁図書館資料等の調査をもとに間接報道した。
記事原稿は91年12月に出来ていたが、編集部は掲載を首相の訪韓日に合わせるように遅らせた。
宮沢首相は14日に記者会見を開いたが、韓国国民の怒りはおさまらず、激しい抗議デモのなかを訪韓することになった。
首相は調査を約束し、後日その結果が「河野談話」として出た。これが今日まで残る禍根となった。
吉田清治は稀代の詐欺師で、戦後は共産党に入党し1947年4月の下関市会議員選に立候補し、落選している。
吉田のウソは秦郁彦「慰安婦と戦場の性」(新潮新書, 1999)で完璧に証明されている。
http://www.frob.co.jp/kaitaishinsho/book_review.php?id=1323922626
一面特ダネを飛ばした辰濃哲郎は「天声人語」を書いていた辰濃和夫の息子で、縁故採用(入社試験を受けていない)である。
2001年には社内でセクハラ事件、2004年には慈恵医大の科研費不正事件を取材中に対立する相手の教授に、疑惑の対象である教授の発言録音のMDを渡すなど、問題行動があった。
その前のNHK「問われる戦時暴力」番組に対して、自民党が事前に圧力をかけた疑惑事件の取材でも、録音MDを相手側に渡すという行動があった。
これらが問題となり、2004年10月に「依願退職」という形で辰濃は朝日を免職になっている。
辰濃はその後「医薬経済社」という業界誌会社の契約社員として働いている。
近著に、「歪んだ権威:密着ルポ、日本医師会」(医薬経済社, 2010)がある。
なおこのときの社会部出身の論説委員が「産経」出身の野呂雅之で、後に社会部次長となり、出河雅彦と組んで「中村がんペプチドワクチン」糾弾キャンペーンを仕掛けた男である。
「朝鮮日報」の編集者ですら、いまだに吉田清治本を信じているくらいだから、彼を持ち上げた当時の左派や「朝日」の罪がどれほど深いかわかる。
「大東亜戦争」中の軍部やメディアは「聖戦完遂」という大義のために、国民や兵士の戦意高揚を妨げるような報道をしなかった。
戦後は逆に、「貧しいもの」や「虐げられたもの」のために、事実に反してでも彼らに有利になる報道をする、というのであれば、ベクトルが逆になっているだけで、相変わらず同じことをやっているのである。
親子二代、60年間「朝日」を購読してきたというさる会社の部長さんが、とうとう他紙に換えたそうだ。読者には新聞を選ぶ権利がある。
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