4/28裏庭に赤いケシの花が咲いた。植えたものでなく、サービス道を隔てて車庫の前にある歌壇から種が飛んできて自生したものだ。見ていてふと、
遠き日の石に刻み
砂に影おち
崩れ墜つ
天地のまなか
一輪の花の幻
という原民喜の詩を思い出した。(「夏の花」)

8月6日の広島原爆投下を詠ったものだから、「一輪の花」が何色で何の花だったかわからないが、白い花よりもケシのように花弁が大きくて赤い花の方が、詩のイメージに合うような気がする。
もっとも冒頭に「妻の初盆で墓参りをしようと、名は知らないが黄色の小弁の野趣を帯びた花を買った。いかにも夏の花らしかった」と書いてあるから、「石」は妻の墓標で、「花」は墓前に供えたもの、という解釈も成り立つだろう。民喜が墓参したのは8月5日で、墓地は織町の自宅から川を渡った公園の近くにあった。
民喜は1945(昭和20)年のうちに「夏の花」を書き上げたが、「三田文学」への発表は47/6になり、小説集「夏の花」の刊行は49/2となった。51/3に鉄道自殺しているので、死後刊行の選集・単行本・文庫本では、この詩が載っていないものが多い。「全集」の方までは調べていない。
「記事転載は事前にご連絡いただきますようお願いいたします」
遠き日の石に刻み
砂に影おち
崩れ墜つ
天地のまなか
一輪の花の幻
という原民喜の詩を思い出した。(「夏の花」)

8月6日の広島原爆投下を詠ったものだから、「一輪の花」が何色で何の花だったかわからないが、白い花よりもケシのように花弁が大きくて赤い花の方が、詩のイメージに合うような気がする。
もっとも冒頭に「妻の初盆で墓参りをしようと、名は知らないが黄色の小弁の野趣を帯びた花を買った。いかにも夏の花らしかった」と書いてあるから、「石」は妻の墓標で、「花」は墓前に供えたもの、という解釈も成り立つだろう。民喜が墓参したのは8月5日で、墓地は織町の自宅から川を渡った公園の近くにあった。
民喜は1945(昭和20)年のうちに「夏の花」を書き上げたが、「三田文学」への発表は47/6になり、小説集「夏の花」の刊行は49/2となった。51/3に鉄道自殺しているので、死後刊行の選集・単行本・文庫本では、この詩が載っていないものが多い。「全集」の方までは調べていない。
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