【本屋にて】文具を買った後、「広文舘」という本屋に行った。暮に案内が郵送されてきて、「初売りDVD1枚100円」とあったので、その売場に行ったら、レンタルDVD映画の中古を「5枚で1000円」で売るという意味だった。ジャケットの表に、「580円」とか「980円」という定価ラベルが貼ってある。これには「万引き防止用」の金属シールも(紙シールの裏側に)貼ってある。こんな中古品を万引きする客もいるのか…。
せっかく来たのだから、以下の5枚を合計1000円で買った。
★「キング・ソロモン」(1937,米)=監督も俳優も知らない人。
★「アポカリプス」(2007, 米)=これも同様。
★「世界侵略:ロサンゼルス決戦」(2011, 米)=「宇宙戦争」のリメイクみたいなB級映画
★「日本沈没」(2006, 東宝)=小松左京原作のリメイク
★「太平洋の奇跡」(2011, 東宝+自主製作)=ドン・ジョーンズの著書「タッポーチョ」の映画化
これは前に「買いたい新書」で取り上げた。
http://www.frob.co.jp/kaitaishinsho/book_review.php?id=1302843884
建物の表看板が「廣文館」となっているので、カウンターで広文舘のポイントカードを出したら、「店が違います」という。聞けば「ゲオ」というレンタルビデオ店で、経営者は同じだが、店舗の店長が違うのだそうだ。入口は一緒なのに、万引きを防ぐアラームゲートだけが別になっている。ここからも本屋に入れる。
これでこの店のからくりがわかった。書店の方には万引き対策がしてない。広島大生協では本に万引き防止用の特殊しおりが挿んである。レジで勘定する時にこれを店員が抜き取る。いつかレジに立っていたら、中東系の留学生がレジを通過しないで急いで外に出ようとしたら、アラームが鳴って店員につかまった。
広文舘は、万引き対策がしてないし、学童や青少年向けの本がメインになっている。漫画本も多い。利口な子なら、本をポケットかカバンにいれて、本屋からレンタルビデオ店へ通じる口から入り、ビデオ店の正面から出れば、本屋の店員の眼に触れないですむ。この店の万引き率は通常の5%どころではないであろう。
もうひとつ、これは広文舘ではないが、暮れに買ったデオデオでのレシートを整理していて「値引き本」の秘密がわかった。新たに貼った値引きシールのバーコードから、本の仕入れ先が判明した。広島県尾道市に本社がある「書籍その他雑貨小売業」啓文社がそれだった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/啓文社
前に東広島市のスーパー「いずみ」にある啓文社の店舗で、幼児本の安売りを見つけて、孫用に何冊かまとめ買いをしたことがある。(孫はアンパンマンが大好きである。)
他の書店ではついぞ新刊書の値引き販売を見かけたことがないから、啓文社が独自の入手ルートを開拓したのであろう。
「新古車」とは、ディーラーが店頭モデル用に車検登録したが、試乗用に走っただけで社内販売もできなかったものをいう。「新古書」は一旦ユーザーに売ったものを、すぐに古書店に売ったものをいう。
「売れ残り本」を裁断する代わりに二束三文で、大規模小売りチェーン店に売り渡した本は、何と呼べばよいのであろうか?
いずれにせよ、独禁法違反の出版社の商慣行が崩れるのはよいことだ。
話をもどす。西高屋広文舘は、開店後5年以上経つが、両店舗の店長同士の話し合いが上手く行っていないのだろう。DVD店は売り場面積を拡張したが、書店は縮小され本質もグンと落ち、客離れが進んでいる。
しょっちゅう売り場変更をしているから、行く度に客は困る。「文藝春秋」の売り場など、4回くらい変わった。いまは、産経の「正論」と並んで、「歴史」という雑誌コーナーに置いてある。バッカじゃやなかろうか。
新書がほとんどない。新聞広告や書評に載ったものが、ワンテンポ遅れて並ぶ。まあ、それでも新書5冊と「文春」1月号を買った。
★黒野伸一「限界集落株式会社」、小学館文庫
★藻谷浩介, NHK広島取材班「里山資本主義」、角川ONEテーマ21
★夏井睦「炭水化物が人類を滅ぼす」、光文社新書
★大栗博司「超弦理論入門」、講談社ブルーバックス
★金両基「物語 韓国史」、中公新書
書店の書棚は個人用の書棚と違い、棚板が前後に傾くようになっている。
本を平置きした場合に、客に署名、著者名がすぐに見えるようにしてあるのだが、この店はそれを知らず、普通の本棚のように棚板を全段水平に置いている。
これは縦置きすると、新書の在庫がないのがみえみえだから、平置きしているので、客のためではない。新書用の棚だと少なくとも7~8段になるが、その場合、棚板がじゃまして、平置きだと上側と下側にある本はタイトルが読めなくなる。そのことへの配慮がないから、店長も店員もまったく勉強していないのである。
こういう店は常連の顧客離れが進み、長続きしない。まあ、余命1年と見立てる。
お正月休みなのに、大人の客はほとんどいない。後はガキの立ち読み。
星野本と、藻谷本は、限界集落=65歳以上の人口が50%を越す集落のこと、を活性化する話で、前者は小説、後者はルポの体裁をとっている。
私が住んでいるところも限界集落だ。10年前に私の意見を聞いて「農業株式会社」にしていれば、回復可能だったが、もう予後不良だ。
藻谷本は里山が受け取る太陽エネルギーを資本にして、新しい経済を生みだすという発想だが、太陽エネルギーが光合成により植物に変換される効率、生みだされた木材がロケットストーブにより、熱源や電源になる際の効率など、マクロレベルでの熱力学がまったく考慮されていない。
NHKの取材も、岡山県真庭市、広島県庄原市、山口県周防大島など少数地点の「瞬間風速」を取材したにすぎない。10年前15年前にメディアが持ち上げたモデル集落がいまどうなっているか、定点観測がない。
(家内の話だと、先日のお客さんの中に、この本に出て来る庄原のW氏がいたそうだ。息子の嫁の里が庄原の総領地区なので、嫁の家の人たちをよく知っているそうだ。これは「複雑世界の単純法則」の一例である。)
藻谷浩介については「文藝春秋」1月号の座談会で「反アベノミクス派エコノミスト」として大いに発言していることを知った。
夏井本は自分で試した「糖質制限食」の効果と、人類史における炭水化物(穀物および砂糖)の文明史的役割を論じたもので、なかなか面白いが、「オスラー食」への言及がない。
金両基は1933年東京生まれの在日。本書執筆時(1989)には静岡県立大学教授も定年で辞めていたはずだ。全291頁のうち、250頁までが壇君神話に始まって李成桂が李氏朝鮮を立てる1392年までを記述。
李氏朝鮮が31頁、日韓併合から1989年までがたった6頁。これや(KOREA)、一体どうなっているのじゃ。
中公新書の「物語◯◯国」シリーズは小説ではない。「分かりやすい各国史」である。そもそも朝鮮には、儒学者金富軾が1145年に編纂した「三国史記」より古い史書がない。これに書かれていることの多くは中国史書からの引用である。
歴史学者が神話と事実を混同して「物語」を書いてはいけない。
この「歴史」というものに冠する認識の差こそ、日韓の間の「歴史問題」の根底にあるものだ。
金本P.15に以下の記述がある。
<いうまでもなく、『三国遺事』はかれ(戦前の朝鮮史学者今西龍)が高く評価した『三国史記』とともに、韓国史の一級史料である。>
「三国史記」は執筆者も完成年代もはっきりしている。これより古い朝鮮史書はないから貴重で、一級史料になる。
「三国遺事」は伝 高麗僧一然(没1289年)によるものであって、死後の出版であることは間違いない。その頌徳石碑には本書執筆が記載されておらず、「書いた」ことの証明がなく、後世の偽書説もある。
こういう問題を語彙分析や文章の構造分析により、間違いのない一然の文章と比較して、結論を出すのがまっとうな歴史学というのものである。
「一然」なる人物のことは、「世界人名事典・東洋編」(東京堂)に載っておらず、「三国遺事」は岩波文庫にも東洋文庫にもない。「一級の朝鮮資料」なら、三一書房とか明石書店のような傾向出版社だけが出すということもないであろう。
「三国史記」は東洋文庫から4冊本で出ている。
金両基の上記文章は、今西龍が「三国遺事」を完全なおとぎ話(壇君神話など)として否定した、その否定的側面にはふれないで、今西が評価した「三国史記」を引き合いに持ち出すことで、「三国遺事」の価値を読者に信じこませようとするレトリックの詐欺である。
せっかく来たのだから、以下の5枚を合計1000円で買った。
★「キング・ソロモン」(1937,米)=監督も俳優も知らない人。
★「アポカリプス」(2007, 米)=これも同様。
★「世界侵略:ロサンゼルス決戦」(2011, 米)=「宇宙戦争」のリメイクみたいなB級映画
★「日本沈没」(2006, 東宝)=小松左京原作のリメイク
★「太平洋の奇跡」(2011, 東宝+自主製作)=ドン・ジョーンズの著書「タッポーチョ」の映画化
これは前に「買いたい新書」で取り上げた。
http://www.frob.co.jp/kaitaishinsho/book_review.php?id=1302843884
建物の表看板が「廣文館」となっているので、カウンターで広文舘のポイントカードを出したら、「店が違います」という。聞けば「ゲオ」というレンタルビデオ店で、経営者は同じだが、店舗の店長が違うのだそうだ。入口は一緒なのに、万引きを防ぐアラームゲートだけが別になっている。ここからも本屋に入れる。
これでこの店のからくりがわかった。書店の方には万引き対策がしてない。広島大生協では本に万引き防止用の特殊しおりが挿んである。レジで勘定する時にこれを店員が抜き取る。いつかレジに立っていたら、中東系の留学生がレジを通過しないで急いで外に出ようとしたら、アラームが鳴って店員につかまった。
広文舘は、万引き対策がしてないし、学童や青少年向けの本がメインになっている。漫画本も多い。利口な子なら、本をポケットかカバンにいれて、本屋からレンタルビデオ店へ通じる口から入り、ビデオ店の正面から出れば、本屋の店員の眼に触れないですむ。この店の万引き率は通常の5%どころではないであろう。
もうひとつ、これは広文舘ではないが、暮れに買ったデオデオでのレシートを整理していて「値引き本」の秘密がわかった。新たに貼った値引きシールのバーコードから、本の仕入れ先が判明した。広島県尾道市に本社がある「書籍その他雑貨小売業」啓文社がそれだった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/啓文社
前に東広島市のスーパー「いずみ」にある啓文社の店舗で、幼児本の安売りを見つけて、孫用に何冊かまとめ買いをしたことがある。(孫はアンパンマンが大好きである。)
他の書店ではついぞ新刊書の値引き販売を見かけたことがないから、啓文社が独自の入手ルートを開拓したのであろう。
「新古車」とは、ディーラーが店頭モデル用に車検登録したが、試乗用に走っただけで社内販売もできなかったものをいう。「新古書」は一旦ユーザーに売ったものを、すぐに古書店に売ったものをいう。
「売れ残り本」を裁断する代わりに二束三文で、大規模小売りチェーン店に売り渡した本は、何と呼べばよいのであろうか?
いずれにせよ、独禁法違反の出版社の商慣行が崩れるのはよいことだ。
話をもどす。西高屋広文舘は、開店後5年以上経つが、両店舗の店長同士の話し合いが上手く行っていないのだろう。DVD店は売り場面積を拡張したが、書店は縮小され本質もグンと落ち、客離れが進んでいる。
しょっちゅう売り場変更をしているから、行く度に客は困る。「文藝春秋」の売り場など、4回くらい変わった。いまは、産経の「正論」と並んで、「歴史」という雑誌コーナーに置いてある。バッカじゃやなかろうか。
新書がほとんどない。新聞広告や書評に載ったものが、ワンテンポ遅れて並ぶ。まあ、それでも新書5冊と「文春」1月号を買った。
★黒野伸一「限界集落株式会社」、小学館文庫
★藻谷浩介, NHK広島取材班「里山資本主義」、角川ONEテーマ21
★夏井睦「炭水化物が人類を滅ぼす」、光文社新書
★大栗博司「超弦理論入門」、講談社ブルーバックス
★金両基「物語 韓国史」、中公新書
書店の書棚は個人用の書棚と違い、棚板が前後に傾くようになっている。
本を平置きした場合に、客に署名、著者名がすぐに見えるようにしてあるのだが、この店はそれを知らず、普通の本棚のように棚板を全段水平に置いている。
これは縦置きすると、新書の在庫がないのがみえみえだから、平置きしているので、客のためではない。新書用の棚だと少なくとも7~8段になるが、その場合、棚板がじゃまして、平置きだと上側と下側にある本はタイトルが読めなくなる。そのことへの配慮がないから、店長も店員もまったく勉強していないのである。
こういう店は常連の顧客離れが進み、長続きしない。まあ、余命1年と見立てる。
お正月休みなのに、大人の客はほとんどいない。後はガキの立ち読み。
星野本と、藻谷本は、限界集落=65歳以上の人口が50%を越す集落のこと、を活性化する話で、前者は小説、後者はルポの体裁をとっている。
私が住んでいるところも限界集落だ。10年前に私の意見を聞いて「農業株式会社」にしていれば、回復可能だったが、もう予後不良だ。
藻谷本は里山が受け取る太陽エネルギーを資本にして、新しい経済を生みだすという発想だが、太陽エネルギーが光合成により植物に変換される効率、生みだされた木材がロケットストーブにより、熱源や電源になる際の効率など、マクロレベルでの熱力学がまったく考慮されていない。
NHKの取材も、岡山県真庭市、広島県庄原市、山口県周防大島など少数地点の「瞬間風速」を取材したにすぎない。10年前15年前にメディアが持ち上げたモデル集落がいまどうなっているか、定点観測がない。
(家内の話だと、先日のお客さんの中に、この本に出て来る庄原のW氏がいたそうだ。息子の嫁の里が庄原の総領地区なので、嫁の家の人たちをよく知っているそうだ。これは「複雑世界の単純法則」の一例である。)
藻谷浩介については「文藝春秋」1月号の座談会で「反アベノミクス派エコノミスト」として大いに発言していることを知った。
夏井本は自分で試した「糖質制限食」の効果と、人類史における炭水化物(穀物および砂糖)の文明史的役割を論じたもので、なかなか面白いが、「オスラー食」への言及がない。
金両基は1933年東京生まれの在日。本書執筆時(1989)には静岡県立大学教授も定年で辞めていたはずだ。全291頁のうち、250頁までが壇君神話に始まって李成桂が李氏朝鮮を立てる1392年までを記述。
李氏朝鮮が31頁、日韓併合から1989年までがたった6頁。これや(KOREA)、一体どうなっているのじゃ。
中公新書の「物語◯◯国」シリーズは小説ではない。「分かりやすい各国史」である。そもそも朝鮮には、儒学者金富軾が1145年に編纂した「三国史記」より古い史書がない。これに書かれていることの多くは中国史書からの引用である。
歴史学者が神話と事実を混同して「物語」を書いてはいけない。
この「歴史」というものに冠する認識の差こそ、日韓の間の「歴史問題」の根底にあるものだ。
金本P.15に以下の記述がある。
<いうまでもなく、『三国遺事』はかれ(戦前の朝鮮史学者今西龍)が高く評価した『三国史記』とともに、韓国史の一級史料である。>
「三国史記」は執筆者も完成年代もはっきりしている。これより古い朝鮮史書はないから貴重で、一級史料になる。
「三国遺事」は伝 高麗僧一然(没1289年)によるものであって、死後の出版であることは間違いない。その頌徳石碑には本書執筆が記載されておらず、「書いた」ことの証明がなく、後世の偽書説もある。
こういう問題を語彙分析や文章の構造分析により、間違いのない一然の文章と比較して、結論を出すのがまっとうな歴史学というのものである。
「一然」なる人物のことは、「世界人名事典・東洋編」(東京堂)に載っておらず、「三国遺事」は岩波文庫にも東洋文庫にもない。「一級の朝鮮資料」なら、三一書房とか明石書店のような傾向出版社だけが出すということもないであろう。
「三国史記」は東洋文庫から4冊本で出ている。
金両基の上記文章は、今西龍が「三国遺事」を完全なおとぎ話(壇君神話など)として否定した、その否定的側面にはふれないで、今西が評価した「三国史記」を引き合いに持ち出すことで、「三国遺事」の価値を読者に信じこませようとするレトリックの詐欺である。
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