【文春6月号】昨水曜日の夜、西条の街に夕食に出かけた際に、書店で買った。店に「ご注文の本が早く届くようになりました」というポスターがあった。たまたま店長がいたので、カウンターで聞いてみた。「問屋に在庫があった場合は4~5日、ない場合は書店へ注文するので2週間。問屋はトーハンだ」とのこと。
大学にいたとき、生協の店長の協力をえて、「日曜日の新聞書評に出た本を、その週のうちに店頭に並べる」という実験をしたことがある。大学生協は大阪書籍が「取次」だった。必死に協力してくれて、早いものなら水曜日に並んだが、すべてを金曜日までに並べるのは無理だった。ネックは取次店にあるのだ。
「新聞書評」なんて、土曜日に原稿を書くのではなく、何日も前に取りあげる書名は決まっているのだから、五大紙と共同が事前に書店に早めに情報を流せば、もっと読者は喜ぶし、本の売り上げにも貢献するだろうに、と思う。
「Amazonでは月曜日に注文した本が火曜日に届くよ」といったら、「いや、あそこは出版社から直接購入していて、取次が間にいないのです。大きな倉庫と配送センターをもっているからできるんです。私の弟も本をAmazonから買っています」と店長がいった。岩波で「正味」(取次への売り渡し価格)は7掛けで、他の出版社は6掛けとか5掛けだそうだから、送料無料でもAmazonは大儲けができる。本屋にも「社員価格」というのがあり、割引で買えるだろうに、やはり読者は一日でも早く読みたいのである。
「文藝春秋」6月号を買った理由は、その1):宗教学者の山折哲雄が「皇太子退位のすすめ」を「新潮45」3月号に発表して、それに対する批判が厳しかったので、本号で弁明を述べていること。(旧憲法だと「不敬罪」に当たる。)
その2)は、船橋洋一の記事が2本あること。最近、右派的発言が問題になっている「朝日」の元主筆・船橋洋一が、「大宅壮一ノンフィクション賞」(本来は新人に与えられる賞)をもらい、受賞の弁と選考委員の「選評」が載っている。(各委員の選評を読むと、「二作授賞」の意見が多かったのに、例によって立花隆がとうとうと自説を述べて、押し切ったもようが浮かび上がって来る。これはこの章の選考委員を長くつとめていて、実質的に選考委員長だ。前に彼の強い反対でもらえなかったという医療ライターのグチを、電話で長々と聞かされたことがある。)
漏れた残りの一作は、フクシマ・フィフティーズを取材した門田隆将『死の淵を見た男:吉田昌郎と福島第一原発の500日』(PHP)か、安田浩一『ネットと愛国:在特会の<闇>を追いかけて』(講談社)が有力だったようだ。
船橋の本『カウントダウン・メルトダウン(上・下)』は、文藝春秋の刊行だから、「文藝春秋」に阿川弘之の後をうけて、巻頭随筆を連載している立花が同社に肩入れしたのではないかと疑ってしまう。(今号の「日本再生26」は「読者に感謝しつつ筆を置く」の一文で締められており、連載終了と思われる。膀胱がんが悪化したのだろうか?)
船橋洋一は6月号に半藤一利との対談で「原発事故と太平洋戦争:日本型リーダーはなぜ敗れるのか」を載せている。だからもう「大宅賞」が不似合いな「出来上がったジャーナリスト」なのだ。朝日新聞の主筆だった人だし。
船橋の発言のなかに、福島事故は政府・東電が「事故を<想定外>として排除してきた」からだというのがある。半藤も同調して、不都合な真実はないことにする「日本型リーダー」を批判している。
スリーマイル島事故、チェルノブイリ原発事故が起こった後では、「地震津波による、原子炉の冠水で、全電源喪失が起き、炉が暴走する」事態は「想定内」だったはずだ。原発と原爆は同じものくらい、物書きとして知っていただろうに。
その「不都合な真実」を無視したのは、政府東電だけでない。大メディアや売れっ子の評論家も同様だ。自己反省がない対談である。
その3)は、「必読大特集:<現代の名文>入門」という特集記事が載っていること。柳田邦男の次男が自殺し、2年後に鎮魂の意味を込めて『犠牲・脳死の11日』を刊行した。司馬遼太郎に献本したところ、葉書で礼状が来たことを記し、その葉書の文面写真と文章を公開している。これは本当に読む人の心をうつ名文だと思う。「私は葉書を手にしたまま、涙が止まらなかった」と柳田は書いている。息子を失った父にとって魂の救済を与えた一文である。
ロナルド・キーンは徳岡孝夫との対談で『方丈記』と『枕草子』を日本文学で最高の名文としてあげているが、妥当なところだろう。うちのかみさんは、『枕草子』のファンで現代語訳を3種くらいもっている。私は原文主義で岩波文庫版しかもたない。
早稲田大名誉教授の中村明が「名文を磨くにはまず<語感>から」と題して、八箇条にわたる文章向上法を段階を踏んで述べている。これは参考になる。特に、傾向の違う辞書を二種以上そろえる、類語辞典を使う、というのは同感だ。「語感辞典」というものがあるとは知らなかった。
もうひとつ、よい「引用句辞典」が日本にほしい。「文は人なり」という言葉はひろく知られている。漢籍中の言葉かと思っていたら、福田和也の「実例でまなぶ現代名文事典」という記事で、18世紀フランスの博物学者ド・ビュフォンの言葉だと知った。ところが、岩波「世界名言集」、明治書院「世界名言大辞典」、自由国民社「世界の故事名言ことわざ」にも、大部の国語辞典 数種にも載っていない。
「オックスフォード引用句辞典」を調べたら、ちゃんとde Buffonの項に載っていた。フランス学士院での演説(1753/8/25)に使われた文句で、原文の英訳は<Style is the man himself.>となっている。
この辞書では見出し項目は人名順に並んでいるが、Pの項にProverb(格言)という項目立てがあり、ここには<The style is the man.>という文句があり「ビュフォンの言葉に由来し、20世紀の初めに格言として成立した」と説明されている。「スタイル」は「文体」のことだが、邦訳のさいに、語呂のよい「文」と訳されたのであろう。時期的には大正期以後か。
ページ番号と記載の項目番号が付いていて、双方向から「843-12」というふうに、簡単に関連項目を読めるようになっている。
索引では日本の辞書のように「冒頭語」索引だけでなく、格言の用語すべてから引けるようになっている。つまり「部分一致」検索ができる。本文中の「参照番号」と索引により、紙本でハイパーテキストを実現しているのだ。こうやって見ると、日本の本や辞書のつくりかたは、まだオックスフォードに50年以上も遅れているようだ。出版社は何をしているのだろうか。
今回、検索してみて映画「トラ・トラ・トラ」(これは英語圏では日本語音声の部分が英訳タイトルで上映された)から、山本五十六がパールハーバー奇襲成功後にいう字幕セリフが収録されているのに、驚いた。
<I fear we have only awakened a sleeping giant, and his reaction will be terrible>(眠れる巨人を起こしてしまっただけかも知れん。そうなら後が怖いぞ。)
Yamamoto, Isorokuの項には、Asawa Hirosukiによる本の英訳本(1979)から、山本の手紙からとして同意の文が引用されている。(「眠れる巨人」でなく、「眠れる敵(sleeping enemy)」となっている。)
これはAgawa Hiroyukiのスペル間違いで『山本五十六』(1973)の英訳ではないかと思われるが、いま該当箇所を発見できない。もしそうなら、この辞書にしては珍しい誤植だということになろう。
ともかく6月号は面白く読んだ。お奨めの1冊です。
Amazonに注文した本の、最後の1冊『ローマ諷刺詩集』(岩波文庫)が木曜日に届いた。3日目だから早い。
著者名が「ユウェナーリス」と清音と音引きになっているので、「ユヴェナリス」(英語はJuvenal)と同一人かどうか、ちょっと危惧があった。例の「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」という格言のもとになった詩人だ。該当箇所はp.258「第10歌」の終りに載っていたが、国原吉之助訳では「健全な身体に健全な精神を与えた給えと祈るがよい」となっている。訳注もないから、読者はそれと気がつかない。このままだと「近代オリンピック精神」も忘れられるだろう。
『岩波ことわざ辞典』では原語のラテン語corpusが「身体」と訳されている。
原文はMens sana in corpore sano.」でsanaとsano(共に<健康な、健全な>の意)が、韻を踏んでいる。
(アフリカのスワヒリ語で、Asante sanaというと、Thank youという意味になる。これは覚えやすい。)
『岩波 ギリシア・ラテン引用語辞典』では、「ラテン語の部」に載っているが、この辞書は「ギリシア語の部」は見出し語がギリシア文字、ラテン語の部がローマ・アルファベットになっており、索引がなく、すこぶる使いにくい。
その点『Oxford Dictionary of Quotations』だとJuvenalの項に、彼に由来する31の格言が掲げてあり、すぐに該当項目に行き当たる。索引を使えば、「mind」からでも「body」からでも、「sound(健全な)」からでも、この引用句が引き出せるようにできている。つまり見出し語Juvenalは英語の通称で、正式にはJuvenalisだと告げてくれる。これはPlato=Platon、Aristotle=Aristotelesも同様である。これらの英語俗称を知っておかないと、英語で知的な会話はできない。
(ちなみにギリシア語、ラテン語の人名についての私の乏しい知識では、ギリシア語作家の場合はPrutarcosのように語尾が-コスで終り、ラテン語作家の場合はPersius(ペルシウス)のように-ウスで終わるのが普通で、ユヴェナリウス(Juvenalius)が本当ではないか、と思う。「-ウス」と「-オス」はローマとギリシアという出自の違いを表す、記号のようなものだと思う。)
困るのは、日本語の人名表記がバラバラなことだ。
岩波文庫=ユウェナーリス
「岩波ことわざ辞典」=ユウェナリス
「明治書院 世界名言大辞典」=ユヴェナリス
これでは別人かと思ってしまう。
「Webster 人名辞典」は原音表記にこだわった辞書だが、フルネームが「Decimus Jurius Juvenalis」であり、<ju-ve-nah-lis>と発音すると、ちゃんと書いてある。日本の学者はウェブスターを使わないのか?
こんなもの、出版界が協力して「外国人名表記基準表」をつくり、それに外国名の原語表記、英語表記、カタカナ表記を記載してどれからでも引ける辞書を作ればよかろうに、と思う。できないとはいわせない。かつて「差別用語一覧表」はつくって、自己検閲をしたのだから。
大学にいたとき、生協の店長の協力をえて、「日曜日の新聞書評に出た本を、その週のうちに店頭に並べる」という実験をしたことがある。大学生協は大阪書籍が「取次」だった。必死に協力してくれて、早いものなら水曜日に並んだが、すべてを金曜日までに並べるのは無理だった。ネックは取次店にあるのだ。
「新聞書評」なんて、土曜日に原稿を書くのではなく、何日も前に取りあげる書名は決まっているのだから、五大紙と共同が事前に書店に早めに情報を流せば、もっと読者は喜ぶし、本の売り上げにも貢献するだろうに、と思う。
「Amazonでは月曜日に注文した本が火曜日に届くよ」といったら、「いや、あそこは出版社から直接購入していて、取次が間にいないのです。大きな倉庫と配送センターをもっているからできるんです。私の弟も本をAmazonから買っています」と店長がいった。岩波で「正味」(取次への売り渡し価格)は7掛けで、他の出版社は6掛けとか5掛けだそうだから、送料無料でもAmazonは大儲けができる。本屋にも「社員価格」というのがあり、割引で買えるだろうに、やはり読者は一日でも早く読みたいのである。
「文藝春秋」6月号を買った理由は、その1):宗教学者の山折哲雄が「皇太子退位のすすめ」を「新潮45」3月号に発表して、それに対する批判が厳しかったので、本号で弁明を述べていること。(旧憲法だと「不敬罪」に当たる。)
その2)は、船橋洋一の記事が2本あること。最近、右派的発言が問題になっている「朝日」の元主筆・船橋洋一が、「大宅壮一ノンフィクション賞」(本来は新人に与えられる賞)をもらい、受賞の弁と選考委員の「選評」が載っている。(各委員の選評を読むと、「二作授賞」の意見が多かったのに、例によって立花隆がとうとうと自説を述べて、押し切ったもようが浮かび上がって来る。これはこの章の選考委員を長くつとめていて、実質的に選考委員長だ。前に彼の強い反対でもらえなかったという医療ライターのグチを、電話で長々と聞かされたことがある。)
漏れた残りの一作は、フクシマ・フィフティーズを取材した門田隆将『死の淵を見た男:吉田昌郎と福島第一原発の500日』(PHP)か、安田浩一『ネットと愛国:在特会の<闇>を追いかけて』(講談社)が有力だったようだ。
船橋の本『カウントダウン・メルトダウン(上・下)』は、文藝春秋の刊行だから、「文藝春秋」に阿川弘之の後をうけて、巻頭随筆を連載している立花が同社に肩入れしたのではないかと疑ってしまう。(今号の「日本再生26」は「読者に感謝しつつ筆を置く」の一文で締められており、連載終了と思われる。膀胱がんが悪化したのだろうか?)
船橋洋一は6月号に半藤一利との対談で「原発事故と太平洋戦争:日本型リーダーはなぜ敗れるのか」を載せている。だからもう「大宅賞」が不似合いな「出来上がったジャーナリスト」なのだ。朝日新聞の主筆だった人だし。
船橋の発言のなかに、福島事故は政府・東電が「事故を<想定外>として排除してきた」からだというのがある。半藤も同調して、不都合な真実はないことにする「日本型リーダー」を批判している。
スリーマイル島事故、チェルノブイリ原発事故が起こった後では、「地震津波による、原子炉の冠水で、全電源喪失が起き、炉が暴走する」事態は「想定内」だったはずだ。原発と原爆は同じものくらい、物書きとして知っていただろうに。
その「不都合な真実」を無視したのは、政府東電だけでない。大メディアや売れっ子の評論家も同様だ。自己反省がない対談である。
その3)は、「必読大特集:<現代の名文>入門」という特集記事が載っていること。柳田邦男の次男が自殺し、2年後に鎮魂の意味を込めて『犠牲・脳死の11日』を刊行した。司馬遼太郎に献本したところ、葉書で礼状が来たことを記し、その葉書の文面写真と文章を公開している。これは本当に読む人の心をうつ名文だと思う。「私は葉書を手にしたまま、涙が止まらなかった」と柳田は書いている。息子を失った父にとって魂の救済を与えた一文である。
ロナルド・キーンは徳岡孝夫との対談で『方丈記』と『枕草子』を日本文学で最高の名文としてあげているが、妥当なところだろう。うちのかみさんは、『枕草子』のファンで現代語訳を3種くらいもっている。私は原文主義で岩波文庫版しかもたない。
早稲田大名誉教授の中村明が「名文を磨くにはまず<語感>から」と題して、八箇条にわたる文章向上法を段階を踏んで述べている。これは参考になる。特に、傾向の違う辞書を二種以上そろえる、類語辞典を使う、というのは同感だ。「語感辞典」というものがあるとは知らなかった。
もうひとつ、よい「引用句辞典」が日本にほしい。「文は人なり」という言葉はひろく知られている。漢籍中の言葉かと思っていたら、福田和也の「実例でまなぶ現代名文事典」という記事で、18世紀フランスの博物学者ド・ビュフォンの言葉だと知った。ところが、岩波「世界名言集」、明治書院「世界名言大辞典」、自由国民社「世界の故事名言ことわざ」にも、大部の国語辞典 数種にも載っていない。
「オックスフォード引用句辞典」を調べたら、ちゃんとde Buffonの項に載っていた。フランス学士院での演説(1753/8/25)に使われた文句で、原文の英訳は<Style is the man himself.>となっている。
この辞書では見出し項目は人名順に並んでいるが、Pの項にProverb(格言)という項目立てがあり、ここには<The style is the man.>という文句があり「ビュフォンの言葉に由来し、20世紀の初めに格言として成立した」と説明されている。「スタイル」は「文体」のことだが、邦訳のさいに、語呂のよい「文」と訳されたのであろう。時期的には大正期以後か。
ページ番号と記載の項目番号が付いていて、双方向から「843-12」というふうに、簡単に関連項目を読めるようになっている。
索引では日本の辞書のように「冒頭語」索引だけでなく、格言の用語すべてから引けるようになっている。つまり「部分一致」検索ができる。本文中の「参照番号」と索引により、紙本でハイパーテキストを実現しているのだ。こうやって見ると、日本の本や辞書のつくりかたは、まだオックスフォードに50年以上も遅れているようだ。出版社は何をしているのだろうか。
今回、検索してみて映画「トラ・トラ・トラ」(これは英語圏では日本語音声の部分が英訳タイトルで上映された)から、山本五十六がパールハーバー奇襲成功後にいう字幕セリフが収録されているのに、驚いた。
<I fear we have only awakened a sleeping giant, and his reaction will be terrible>(眠れる巨人を起こしてしまっただけかも知れん。そうなら後が怖いぞ。)
Yamamoto, Isorokuの項には、Asawa Hirosukiによる本の英訳本(1979)から、山本の手紙からとして同意の文が引用されている。(「眠れる巨人」でなく、「眠れる敵(sleeping enemy)」となっている。)
これはAgawa Hiroyukiのスペル間違いで『山本五十六』(1973)の英訳ではないかと思われるが、いま該当箇所を発見できない。もしそうなら、この辞書にしては珍しい誤植だということになろう。
ともかく6月号は面白く読んだ。お奨めの1冊です。
Amazonに注文した本の、最後の1冊『ローマ諷刺詩集』(岩波文庫)が木曜日に届いた。3日目だから早い。
著者名が「ユウェナーリス」と清音と音引きになっているので、「ユヴェナリス」(英語はJuvenal)と同一人かどうか、ちょっと危惧があった。例の「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」という格言のもとになった詩人だ。該当箇所はp.258「第10歌」の終りに載っていたが、国原吉之助訳では「健全な身体に健全な精神を与えた給えと祈るがよい」となっている。訳注もないから、読者はそれと気がつかない。このままだと「近代オリンピック精神」も忘れられるだろう。
『岩波ことわざ辞典』では原語のラテン語corpusが「身体」と訳されている。
原文はMens sana in corpore sano.」でsanaとsano(共に<健康な、健全な>の意)が、韻を踏んでいる。
(アフリカのスワヒリ語で、Asante sanaというと、Thank youという意味になる。これは覚えやすい。)
『岩波 ギリシア・ラテン引用語辞典』では、「ラテン語の部」に載っているが、この辞書は「ギリシア語の部」は見出し語がギリシア文字、ラテン語の部がローマ・アルファベットになっており、索引がなく、すこぶる使いにくい。
その点『Oxford Dictionary of Quotations』だとJuvenalの項に、彼に由来する31の格言が掲げてあり、すぐに該当項目に行き当たる。索引を使えば、「mind」からでも「body」からでも、「sound(健全な)」からでも、この引用句が引き出せるようにできている。つまり見出し語Juvenalは英語の通称で、正式にはJuvenalisだと告げてくれる。これはPlato=Platon、Aristotle=Aristotelesも同様である。これらの英語俗称を知っておかないと、英語で知的な会話はできない。
(ちなみにギリシア語、ラテン語の人名についての私の乏しい知識では、ギリシア語作家の場合はPrutarcosのように語尾が-コスで終り、ラテン語作家の場合はPersius(ペルシウス)のように-ウスで終わるのが普通で、ユヴェナリウス(Juvenalius)が本当ではないか、と思う。「-ウス」と「-オス」はローマとギリシアという出自の違いを表す、記号のようなものだと思う。)
困るのは、日本語の人名表記がバラバラなことだ。
岩波文庫=ユウェナーリス
「岩波ことわざ辞典」=ユウェナリス
「明治書院 世界名言大辞典」=ユヴェナリス
これでは別人かと思ってしまう。
「Webster 人名辞典」は原音表記にこだわった辞書だが、フルネームが「Decimus Jurius Juvenalis」であり、<ju-ve-nah-lis>と発音すると、ちゃんと書いてある。日本の学者はウェブスターを使わないのか?
こんなもの、出版界が協力して「外国人名表記基準表」をつくり、それに外国名の原語表記、英語表記、カタカナ表記を記載してどれからでも引ける辞書を作ればよかろうに、と思う。できないとはいわせない。かつて「差別用語一覧表」はつくって、自己検閲をしたのだから。
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