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【ハングル成立事情】難波先生より

2012-09-19 12:12:00 | 難波紘二先生
【ハングル成立事情】「因果関係」の法則では、「因」となるものの絶対条件は「果」よりも時間的に前に存在することである。
 漢字は一つの文字が「意味」と「音」を表す。
 音韻大系が異なる日本語の場合、それでは不便なので意味を「訓読み」であらわし、音の表記を「万葉仮名」で行うようになった。


 後にやさしい漢字の草書体から来た「平かな」と、楷書体漢字の偏やつくりから来た「片かな」が、音をあらわすのに用いられるようになった。どちらも平安時代中期には出現している。


 1444年に発明されたとされている朝鮮の「ハングル」は未だにその成立事情が不明である。それは韓国の学者が日本に目を向けないからだと私は思う。ハングルは日本の「五十音図」から着想されたものである。以下、その傍証をあげる。


 1420(応永26)年、李氏朝鮮世宗元年に日本に使節として来た宋希の「老松堂日本行録」(岩波文庫)は、「朝鮮人の手になる最古の日本紀行」とされているが、もっぱら風景を眺めご馳走を食べて、漢詩を読んでいるだけで、日本と日本人の生活がほとんど記録されていない。


 1443(嘉吉3)年、世宗25年に使節として来日した申叔舟(1417~1475)の「海東諸国記」(岩波文庫)は、日本の歴史、地理、文化、世俗が詳しく記してある「日本誌」である。文庫本p.118に「(日本人は)男女となくその国字をならう。国字はカタカナといい、約48字ある。」と書いてある。
 漢字原文は「無男女皆習其国字。国字号加多干那。凡四十七字。」である。


 申叔舟は1443年8月にソウルを出発し、同年12月にはソウルに戻っているから、日本滞在期間は短く、多くの書籍・文書を持ち帰り、帰国後も文献を集めて「海東諸国記」を1471(文明3, 成宗2)年に完成したと考えられている。いずれにせよ日本の庶民が「仮名文字」を読み書きするというのは、彼の実際に見聞したところと思われる。


 ところで韓国の学者が李氏朝鮮の世宗王が「1443年12月に<訓民正音>(ハングルの正式の名前)を考案した」と主張する決定的証拠は、申叔舟の「保閑斎集」という随筆集の中の「上監(世宗)が、わが国だけに独自の文字がない、といわれて字母二十八字を作られた」という記載である。
 李氏朝鮮の正式記録「朝鮮王朝実録」によると、「世宗25年の12月に、世宗王がハングル28字を発明した」とされている。


 韓国の学者は世宗25年を1443年としているが、これは「陰暦」であり、西暦では1444年となる。この陰暦表記は執拗であり、韓国で出版された本にも、英語で発表された文献にもわざと陰暦表記が(太陽暦と混同されるように)書かれている。つまり「歴史の改ざん」が行われている。


 なぜか。1443年12月なら、申叔舟は日本からの帰路にあり、日本の片仮名から思いついて、ハングルを考案することは不可能だからである。西暦1444年12月なら、寵愛していた文教官僚で外務官僚だった申叔舟が、日本から持ち帰った知識の影響を無視することができないからである。


 朝鮮語は単純である。母音は短母音がa, i, u, oの4つしかなく、短母音のeがない。変わりに二重母音ya, eo, yeo, yo, yu, euの6音がある。
子音はwがなく、gとk、bとpはしばしば混用される。よって子音字は14字、母音字は10字、合計24字あればすべての音を表記できる。
 この24文字のために西洋の言語学者はアルファベットの類似性を考えるが、アルファベットは横に並んだ一語が単語を表すのに対して、ハングルは子音文字と母音文字が結合して「音節」を表しているのだから、両者の共通性はない。


 これは明らかに日本の「五十音図」を手本として、横に母音を並べ縦に子音を並べ、子音と母音の結合により音を表すように出来たものである。
日本の仮名は自然発生的に生まれたので、母音と子音の組合せに合理性がなかった。ハングルは人工的な文字体系なので、そこが合理的に出来ている。それだけの違いである。
 
 「二十八字ですべての音が書き表せる」というが、短母音しかない日本語の場合、17字あればすべての音が表記できる。しかし「かな」だけの日本語は不便だから、日本人は漢字かな混じり文を採用している。北朝鮮のように「漢字廃止」にするのも、韓国のように「漢字使用制限」にするのも自由だが、漢字の「訓読み」がない国だから、漢語の朝鮮語読みになり、理解が困難になるのである。


 ハングルは合理的に出来ている。例えばハングルでは母音のaは「ト」で表される。「ロ」はmを表す子音なので「ロト」はmaと発音する。kは「ヲ」なので「ヲト」はkaになる。「ス」はjである。Jaは「スト」になる。子音文字が左に来て、母音文字が右に来る。
 この組合せ方は「五十音図」と同じである。
 こうしてみると、ハングル文字のうち半分くらいはカタカナ文字が転用されている。


 もともとアルファベットの場合も、元のフェニキア・アルファベットでは母音を表記しなかった。子音文字を見れば、母音がわかったので読むときはそれを補って読んでいたのである。今でもアラビア・アルファベットでは母音を表記しない。
 ギリシアのカドモスがフェニキア・アルファベットを輸入したときに、ギリシア語にない子音文字を母音文字として転用した。それがアルファベットにおける母音文字の始まりである。その後ローマ字が生まれ、アラビア文字、イラン文字、サンスクリット文字、ブラーフミ文字とすっかり違ってしまったが、元はフェニキア起源である。


 ハングル文字が片仮名文字に起源をもっていても、ちっとも不思議でないし、平田篤胤が夢中になった「神代文字」なるものが、ハングル文字由来であったとしても不思議でない。


 ハングル誕生の重大な秘密は、申叔舟「海東諸国記」に隠されている。だから韓国の言語学者はハングル普及における申叔舟の功績を持ち上げながら、「海東諸国記」に絶対に言及しないのである。
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