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ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【言葉狩り】難波先生より

2017-10-17 12:53:20 | 難波紘二先生
【言葉狩り】「ポリティカル・コレクトネス(PC: Political Correctness=政治的正当性)」という妙な言葉は1970年代に米国で登場した。黒人差別に反対する公民権運動から派生したもので、非白人系のマイノリティを優先的に州立大学に入学させる定員枠を設ける等の政策(ポリシー)がそうだ。議長をチェアマンでなく、チェアパーソンと呼び、飛行機内の乗客担当員を、スチュワーデス(女召使い)から「フライト・アテンダント(Flight Attendant)」と呼び変えるような「言葉狩り」が流行した。ニグロ(黒人)も、正式には「アフリカ系アメリカ人(アフロアメリカン)」と呼ばれるようになった。

 言葉と語感は微妙な相互影響関係にあり、語感は言葉よりも「実態」の影響を受けやすい。
典型例として「大便の場所」の名称がある。日本語では「川屋(厠)」→「雪隠(せっちん)」→「後架」→「憚(はばか)り」→「御不浄」→「便所」→「手水(ちょうず)」→「お手洗い」→WC(ウォーター・クローゼット)→「トイレット」→「トイレ」などと変化してきた。
 名前をいくら変えても、排泄場所が臭くて汚い一角であるかぎり、名前に感覚が伝染するのである。それが語感というものだ。

 広島市では1960年代にはまだ多く、くみ取り式便所が残っていてトイレに行くと糞臭がした。下水道が完備し、水洗式和式トイレが普及したのが1970年代だ。これは床の汚れを防ぐために便所の床が一段高くなり、そこに便器が設置されていた。
 1980年代にはマンションが建ち初め、同時に洋式便所が標準となった。欧米では浴室内に便器があるので便所のことを「バスルーム」と呼ぶ(日本のホテルでは今もそうだ)が、日本式家屋やマンションでは浴室とトイレは別になっている。家族のはち合わせを防ぐためだ。
 80年代の後半に洋式便器として東陶がウォッシュレット(温水洗浄便座)を開発した。パリのホテルにある便器とビデを一体化し、大小の排便と膣・肛門の洗浄機能を持たせたものだ。日本ではこれと同時期に水溶性のトイレ・ペーパーが開発され、紙による便器の排水管閉塞もなくなった。

 60年代以前の汲み取り便所の時代には古新聞が「落とし紙」として利用され、やがてちり紙やティシュー・ペーパーに変わり、ついでロール式のトイレ用紙に移行した。今でも韓国や中国などでは、トイレに水溶性ロール式のペーパーがなく、使用後の紙をトイレ内のゴミ箱に捨てるらしい。中島恵「なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか?」, 中公新書ラクレという本も出ている。韓国ソウルでも一流レストランに備え付けのロール式トイレットペーパーがない店があると10/4「朝鮮日報」が報じていた。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171004-00000095-chosun-kr

 今では広島県のコンビニ、スーパーのトイレには、どこでもウォッシュレットとトイレ・ペーパーが付いているが、唯一例外はJR広島駅南口のトイレで、ここでは未だに入口にポケットティシューの自販機がある。「何が国際観光都市だ!」と思う。ルーマニアの首都ブカレストの駅の構内トイレは有料で、暗い顔をしたおばさんが料金を徴収していた。 昔、大学のトイレにロールペーパーを付けたら、一巻き丸ごと持ち帰る学生が多発して、しばらく中止になった。が、学生の意識の向上につれ、やがて再開されたことを思い出す。

 話を「言葉狩り」に戻す。トイレから「汚い、不潔」のイメージが消失したのは便所の実態に大革命があり、「快適に孤独な時間を楽しめる空間」に変質したからだ。昔から思索に最適な場所として「鞍上後架」と称せられてきたが、乗馬で出かける風習は今やない。後架すなわち今日のトイレこそ、よいアイデアが浮かぶ最良の場所かも知れない。PCを主張し、言葉狩りに熱中した人々はこの事実への認識が足りなかったようだ。
 先日NHKテレビで東大教授の福島智さんが出る番組を見た。日本の「ヘレン・ケラー」といわれる人だ。(生井久美子「ゆびさきの宇宙:福島智・盲ろうを生きて」、岩波書店, 2009)ああいう人が出て来なければ、言葉狩りだけでは現実は変わらない。

 今、上原善広『路地の子』(新潮社)を読んでいる。上原氏は大阪・松原市の被差別の出身で、父親は有名な食肉用家畜・解体業者だった。

「流し」=特定の「場」の職員・社員でない家畜解体職人をいう。どうも「流し」という言葉の語源はこの辺にあるのではないかと思う。
木下恵介監督の映画「日本の悲劇」(松竹、1953)には、熱海の温泉宿で流しのギター弾き(佐田啓二)が
「伊豆の山々 月淡く 灯りにむせぶ湯の香り」(「湯の町エレジー」)と唄うシーンが出て来る。
「包丁一本 さらしに巻いて 旅へ出るのも 板場の修業」という歌詞のある「月の法善寺横丁」(藤島恒夫、1960)も、流しの板前を唄ったものだ。

 1970年代、家内と二人でパリに旅行した時、オペラ座の近くのレストランで、アコーディオンを抱えた「流し」のシャンソン歌手がテーブルまで来てリクエストを求めた。生憎、フランス語でいえるシャンソンの題名は「枯葉(ラ・フオィユ・モールト)」しか思いつかなかった。で、彼の歌を楽しみながらワインを飲んだ記憶があるが、フランス語で「流し」を何というのかは知らない。

 上原善広『路地の子』(新潮社)と彼の『日本の路地を旅する』(文春文庫)を読んで感じたのは、今は普通語になっているが、「路地」(被差別)起源の言葉が結構あるということだった。1969年施行の「同和対策事業特別措置法」が2002年までの33年間続き、約15兆円の費用が注入された結果、経済格差・教育格差がほぼ消滅した。
 「差別語狩り」で現状は変わらない。現状を変えれば差別語は差別語でなくなる、と主張してきたが、今では「被差別出身」であることを誇りにしている作家、ライター、政治家が多くなったことを見ると、その通りだったなと思う。


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1 コメント

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Unknown (花土子)
2017-11-02 00:54:15
科学雑誌サイエンスに掲載された論文からのネット記事、
『喘息治療薬 β2アドレナリン刺激剤が、α-シヌクレイン蛋白の蓄積を抑制』
西川伸一さんの記事を読みました。
ヤフーに記事を寄稿されてるのですね。

西川伸一さん…理研CDBの副センター長の方でしたね。
懐かしいです。

難波先生の
『小保方さんの割烹着の首まわりが開き過ぎている、顕微鏡を覗くのにあの化粧はおかしい。』痛快でした。
国民のほとんどが気づかなかったなんて。
小保方さんと同じペテン師の私も気づきませんでした。

難波先生もヤフーやハフポストなどでお見かけすることが出来たら国民の教養レベルが上がるのに。
疑ってかかる、基本を抑えた見る力、 大切ですね。
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