【腎移植と病理解剖】
病理解剖は数々の新発見をもたらし、医学・医療の多分野に貢献することを述べている。
病理学と組織・細胞の病理診断、病理解剖、司法解剖は科学的医学・医療・正確な死因解明に欠かすことができない。
その病理学を無視して、日本の移植医療が前進するわけがないと思う。
ドイツでは病理解剖死体から移植医が「腎臓をくれ」と剖検室からもらって行く、と小田原市民病院にいた長谷川さんから教えてもらったことがある。ベルリンではどうなのか、これは名古屋市の伊藤さんに教えてもらいたい。
死後30分以上経った腎臓では尿細管が壊死しているから、すぐには機能しないが、移植後に透析を行えば尿細管が再生して、移植臓器として機能するようになる。(これは堤寛さんも賛成してくれるだろう。) 死体の臓器内血液は凝固しないという特徴がある。この理由については、ここでは説明を省く。例外はDIVC(汎血管内凝固症候群)という末期に起こる特殊な病態だろう。
よって解剖死体から死後30分以内に摘出した腎臓なら、生理食塩水を腎動脈から注入し血液を洗い流し、その後ヴァィアスパン(別名UW液)を血管に充たしておけば、冷蔵保存で3日間は移植に使える。(私は万波誠の手技を見たことがあるが、潅流には5分もかからなかった。但しこれは生体から摘出した腎臓だ。)
病理解剖では全臓器を取り出し、これらは遺族には返還しない。普通はホルマリン液で「固定」し、ポリバケツに保存するが、遺伝子検索など用に必要になるものは一部を液体窒素で凍結保存する。
病理解剖の父モルガーニの言葉に「すべての臓器に病変がある遺体はない」がある。今の腎臓病理学は、腎臓に尿細管の幹細胞があり、短期の尿細管再生はこれにより、さらにその元は骨髄の多能性幹細胞に由来することを明らかにしている。
今iPS細胞が騒がれているが昔、勤めていた病院の初代院長(眼科)は退職後、重い心筋硬塞を患った。左室前壁梗塞だったから、瘢痕が残るはずだが、独自の循環理論の持ち主で、全身の毛細血管マッサージ、坂道の登坂などの運動療法を実行された。
80歳を過ぎて脳梗塞を発症され、この時の入院中に死去された。
私はすでに広島大教授に転じていたが、遺言により遺体解剖した。驚いたことに、心筋硬塞の痕跡はなかった。傷が完全にもとのままに回復することを、病理学では「一次治癒」という。
心筋硬塞が一次治癒することは教科書には書いてない。
脳動脈硬化は大したことなく、脳底動脈輪(「ウィリス動脈輪」)のうち、左右の前大脳動脈のバイパス=前交通動脈が欠如しており、このためウィリス動脈輪に奇形があり、右前大脳脳動脈に左前大脳動脈に対して、緊急時に血液を遅れなかったのが、脳梗塞の原因とわかった。この前院長は「私が死ぬとしたら、交通事故しか考えられない」とよく口にされていたが、脳動脈奇形の存在にはご本人も、内科部長を初め病院の医師は、生前には誰も気づいていなかった。
広大脳外科の栗栖さんには自験例があるかも知れないが、私の薄識ではこれも教科書には書いてない事例だと思う。
呉市で開かれた医師会の告別式で「これは先生の言われていたような、一種の事故」だと、私は先生の「剖検報告」で述べた。(この全文は「呉市医師会報」と「九大眼科同門会誌」に掲載されている。)
この経験(1例しかないが)からすると、本来、瘢痕治癒すべき心筋硬塞でさえ、完全治癒例がある。つまり骨髄由来の心臓幹細胞が関与したとしか思えない。これが独自の循環理論の実践と関係あるかどうかは不明だ。
iPS細胞だの「心筋シート」だのと、人工的で流行の技術のみを追わないで、「すべての臓器は負荷がないと萎縮する」という医学・生物学の原理に基づいて、徐々に負荷強度をます「臓器再生法」をやるべきではないか。東京逓信病院に脳梗塞で入院した田中角栄が、ついに回復できなかったのは、娘の真紀子が、リハビリが屈辱的だと過剰干渉して、渡辺恒院長(病理学者)がついに匙を投げたのが原因である。
病理解剖遺体からの腎臓も、移植後は当初補助人工透析が必要になろう。しかし透析時間を徐々に減らせば、移植腎の尿細管は「腎臓内幹細胞」と「骨髄内幹細胞」の補給・増殖につれて、完全な再生が起こるはずだ。
何とか患者を透析から離脱させまいと、透析医が考えているとしたら、それは「ヒポクラテスの誓い」に反している。
日本移植学会も「脳死体」だけでなく、「病理解剖死体・腎臓」の利用をまず考えたらどうか。
日本の剖検率はかつては全死亡の5%を超えていたが、厚労省の補助がないから今は2%程度に低下している。それでもまだ、年間1万体以上の病理解剖が行われている。
その中に5%の利用可能な腎臓があると仮定すると、両側で1000個になる。もちろん病理医による視診や場合によっては超音波やCT検査が必要になる場合もあろう。
法により、総合病院には剖検室の設置が義務づけられているから、後は常勤の病理医を雇えばよいだけだ。「移植にも利用可能」と分かれば、病理医の待遇もアップし、現在約2,500人の「病理専門医」の数も増えるだろう。
移植学会は2007年の「4学会共同声明」に病理学会がなぜ参加しなかったのか、その理由を真に理解し、腎臓提供数を増やすために病理学会と和解し、その協力を求めるべきだと思う。
病理解剖は数々の新発見をもたらし、医学・医療の多分野に貢献することを述べている。
病理学と組織・細胞の病理診断、病理解剖、司法解剖は科学的医学・医療・正確な死因解明に欠かすことができない。
その病理学を無視して、日本の移植医療が前進するわけがないと思う。
ドイツでは病理解剖死体から移植医が「腎臓をくれ」と剖検室からもらって行く、と小田原市民病院にいた長谷川さんから教えてもらったことがある。ベルリンではどうなのか、これは名古屋市の伊藤さんに教えてもらいたい。
死後30分以上経った腎臓では尿細管が壊死しているから、すぐには機能しないが、移植後に透析を行えば尿細管が再生して、移植臓器として機能するようになる。(これは堤寛さんも賛成してくれるだろう。) 死体の臓器内血液は凝固しないという特徴がある。この理由については、ここでは説明を省く。例外はDIVC(汎血管内凝固症候群)という末期に起こる特殊な病態だろう。
よって解剖死体から死後30分以内に摘出した腎臓なら、生理食塩水を腎動脈から注入し血液を洗い流し、その後ヴァィアスパン(別名UW液)を血管に充たしておけば、冷蔵保存で3日間は移植に使える。(私は万波誠の手技を見たことがあるが、潅流には5分もかからなかった。但しこれは生体から摘出した腎臓だ。)
病理解剖では全臓器を取り出し、これらは遺族には返還しない。普通はホルマリン液で「固定」し、ポリバケツに保存するが、遺伝子検索など用に必要になるものは一部を液体窒素で凍結保存する。
病理解剖の父モルガーニの言葉に「すべての臓器に病変がある遺体はない」がある。今の腎臓病理学は、腎臓に尿細管の幹細胞があり、短期の尿細管再生はこれにより、さらにその元は骨髄の多能性幹細胞に由来することを明らかにしている。
今iPS細胞が騒がれているが昔、勤めていた病院の初代院長(眼科)は退職後、重い心筋硬塞を患った。左室前壁梗塞だったから、瘢痕が残るはずだが、独自の循環理論の持ち主で、全身の毛細血管マッサージ、坂道の登坂などの運動療法を実行された。
80歳を過ぎて脳梗塞を発症され、この時の入院中に死去された。
私はすでに広島大教授に転じていたが、遺言により遺体解剖した。驚いたことに、心筋硬塞の痕跡はなかった。傷が完全にもとのままに回復することを、病理学では「一次治癒」という。
心筋硬塞が一次治癒することは教科書には書いてない。
脳動脈硬化は大したことなく、脳底動脈輪(「ウィリス動脈輪」)のうち、左右の前大脳動脈のバイパス=前交通動脈が欠如しており、このためウィリス動脈輪に奇形があり、右前大脳脳動脈に左前大脳動脈に対して、緊急時に血液を遅れなかったのが、脳梗塞の原因とわかった。この前院長は「私が死ぬとしたら、交通事故しか考えられない」とよく口にされていたが、脳動脈奇形の存在にはご本人も、内科部長を初め病院の医師は、生前には誰も気づいていなかった。
広大脳外科の栗栖さんには自験例があるかも知れないが、私の薄識ではこれも教科書には書いてない事例だと思う。
呉市で開かれた医師会の告別式で「これは先生の言われていたような、一種の事故」だと、私は先生の「剖検報告」で述べた。(この全文は「呉市医師会報」と「九大眼科同門会誌」に掲載されている。)
この経験(1例しかないが)からすると、本来、瘢痕治癒すべき心筋硬塞でさえ、完全治癒例がある。つまり骨髄由来の心臓幹細胞が関与したとしか思えない。これが独自の循環理論の実践と関係あるかどうかは不明だ。
iPS細胞だの「心筋シート」だのと、人工的で流行の技術のみを追わないで、「すべての臓器は負荷がないと萎縮する」という医学・生物学の原理に基づいて、徐々に負荷強度をます「臓器再生法」をやるべきではないか。東京逓信病院に脳梗塞で入院した田中角栄が、ついに回復できなかったのは、娘の真紀子が、リハビリが屈辱的だと過剰干渉して、渡辺恒院長(病理学者)がついに匙を投げたのが原因である。
病理解剖遺体からの腎臓も、移植後は当初補助人工透析が必要になろう。しかし透析時間を徐々に減らせば、移植腎の尿細管は「腎臓内幹細胞」と「骨髄内幹細胞」の補給・増殖につれて、完全な再生が起こるはずだ。
何とか患者を透析から離脱させまいと、透析医が考えているとしたら、それは「ヒポクラテスの誓い」に反している。
日本移植学会も「脳死体」だけでなく、「病理解剖死体・腎臓」の利用をまず考えたらどうか。
日本の剖検率はかつては全死亡の5%を超えていたが、厚労省の補助がないから今は2%程度に低下している。それでもまだ、年間1万体以上の病理解剖が行われている。
その中に5%の利用可能な腎臓があると仮定すると、両側で1000個になる。もちろん病理医による視診や場合によっては超音波やCT検査が必要になる場合もあろう。
法により、総合病院には剖検室の設置が義務づけられているから、後は常勤の病理医を雇えばよいだけだ。「移植にも利用可能」と分かれば、病理医の待遇もアップし、現在約2,500人の「病理専門医」の数も増えるだろう。
移植学会は2007年の「4学会共同声明」に病理学会がなぜ参加しなかったのか、その理由を真に理解し、腎臓提供数を増やすために病理学会と和解し、その協力を求めるべきだと思う。
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