ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【海外での臓器移植 訂正版】難波先生より

2018-10-15 14:34:11 | 難波紘二先生
【海外での臓器移植】
 海外への渡航移植というのは難しい問題です。国内の臓器提供率を人口100万人当たり、20人/年以上に高めないと根本的には解決できないからです。この点で日本移植学会と臓器移植ネットワーク(JTO)のポリシーは完全に間違っています。ことに脳死体でも眼球提供は「地域のアイバンク」が担当するというはお役所主義です。
http://www.jotnw.or.jp/datafile/offer_brain.html
ここには献眼数も、脳死後の死体提供数も統計に含まれていない。
臓器数を集計して実績数を増やしているだけである。同HPによると、
<脳死臓器移植件数:今までの脳死臓器提供554例による移植件数(脳死判定後、臓器の提供に至らなかった4例を含む)>とある。臓器移植できなかった例を「554例」に含めるのはインチキ統計である。

(JTOによると、018年9月28日現在の累積臓器移植数は以下のようになっている。)
移植数
************************
心臓 413
肺 435
心肺同時    3
肝臓    470
肝腎同時    18
膵臓      62
膵腎同時  289
腎臓    690
***********************
 肝臓、肺は分割可能だし、腎臓は2個ある。(肺の修復移植を実施している、さる国立大学病院もある。)
よって脳死移植の最大のメリットは心臓移植が可能な点にある。
 病理学の常識では心臓が機能しない患者が、脳死になるはずがない。

よって心移植件数の413(+3 ?)件が、脳死体による臓器提供者総数である、と私は考える。

つまり「改正臓器移植法」(2007/7施行)後の11年間の脳死臓器提供人数はたった413~416人ということになる。年平均38体である。
これを日本の総人口1億2,000万人で割ると、人口100万人/年あたり、0.32人となる。これは世界最高のスペインの40人/人口100万人どころか、台湾や韓国の公表数値よりも低い。
(間違っていたらご指摘を!)

私の義母は正月に餅を咽に詰まらせ、窒息のため脳死状態になり、やがて四肢先端部が循環障害のため壊死し始めたため、親族と相談し、救急車で運ばれた大学病院救急部の教授をしていた友人の先生にお願いして、レスピレーターのスィッチを切ってもらったことがある。15分したら、心電図がフラットになった。
一種の安楽死だが、家族が得心するまでに2週間くらいかかった。
だから脳死も必要な看取り期間も、安楽死も知っている。
 義父の場合は、自宅付近の私立病院に入院していて誤嚥性肺炎を起こし、危篤状態になったと知り、駆けつけて診察したら、病院の治療法が間違っており、なんと当直医はある病院の病理医のアルバイトだとわかった。後輩である。猛然と抗議し、付近のある大企業病院の内科部長で、普段から悪性リンパ腫の診断をサービスしていた(私は病理コンサルテーションにチャージしたことがない)内科部長に連絡し、救急車で同院内科に救急入院させ、幸い肺炎は救命できた。だが後に、前立腺がんとその骨転移が発見され、これが直接死因となり、不帰の客となった。

 ある放射線科医から「初めは何とか助けて下さいと言っていた家族も、3ヶ月経つと口には出さないが態度が変わり、早く死んでくれないかと思うようになるものだ」と聞いたことがあるが、義母の死を見た結果、その通りだと思う。

 病理解剖の承諾率は主治医の献身度に比例して高くなる。
ある内科の名医が述べた言葉に「人は生きてきたようにしか死ねない」がある。生活保護の患者遺族ほど、解剖を拒否する率が高いそうだ。この名医は山陰のある国立病院の院長をした後、今は県の医療管理者か何かになっている。

 広島大の学部長殺人事件の時は、私は諸情報から「内部犯行」を確信していたので、学部長代行に進言し、同時に法医学教授にも電話して、警察の検視、検死の手続きをすっとばして、直接法医解剖室に遺体を運び込む許可をえて、その解剖に立ち会ったことがある。
 「検死・検死」の定義とそれを省ける理由については、以下の書評に紹介した」
https://frob.co.jp/kaitaishinsho/book_review.php?id=1537399944
 学部長代行(理系)と別の評議員(文系)は、途中で気分が悪くなり退出した。(無理もない。彼らは日常感覚と職業感覚を切り換えることができないのだ。病理医、外科医、産婦人科の医師はこれができる。産婦人科の医師が若い女性の陰部を見て、いちいち欲情していたら、仕事にならないだろう。)

 私は胸腹部をねらった多発性の刺創以外に皮下に皮膚外傷を伴わない皮下出血があることを確認した後、脳や内臓の解剖には立ち会わず戻った。
 後ほど教授から電話があり、「皮下挫滅出血は砂を詰めた細い布袋によるもので、こういう傷は殺しのプロによるものではない。怨恨によるものだ(よって内部犯行の可能性がたかい)」という報告を受けた。顔面全体に多数の皮下出血があったそうだ。
 犯人はよほど殺害相手を憎んでいたということだ。

この砂袋の砂の一部は遺体の周りに撒かれており、そそっかしい週刊誌が当時流行のオウム真理教などのカルトの犯行だと勘違いして大騒ぎしたものだ。
 その時は、すでに犯人の名前も動機も大体分かっていた。
 理由は凶器のナイフが棒ヤスリを研磨した手製であること、この凶器と砂袋の残りが文学部のゴミ焼却場から発見され、警察が「証拠品」としての預かり証を総合科学部宛に発行していたこと、この学部の施錠は午後10時に行われ、外部からの新入はまず不可能。深夜まで仕事する実験系の若い助手クラスでないと、学部長殺害推定時刻の午後11時以後だと、まず外へ出る出口がわからない。それに問題の人物は文学部のゴミ焼却場脇の駐車場に、自家用車を毎日、駐車していたという情報も入手した。
 この助手は50歳前後なのに、毎日弁当を2個持参し、深夜まで実験に励んでいた。
 これだけの情報があれば助手から助教授・教授への「昇任人事」が絡んだ怨恨殺人であることは明白である。(人事の主導権を握っていた学部長は講座のボスだった。)

 後に学部長代行に犯人名と動機を説明し、「せめて警察に自首させるのが、この学部の責任です」と説いたが、彼にはまったく理解能力がなかった。私がこういう以上、学部長代行に同行し、犯人を理路整然と説得するくらいの自信はあった。
 その後、夏休み頃、問題の助手が逮捕された夜、呉の病院で研究していた私に学部長から電話があった。11:00頃、車を飛ばして、当時は広島市内にあった大学の学部長室に駆けつけたが、すべては後の祭りだった。
 学部長代行、評議員、事務長などが悄然とソファーにうつむいて座っていた。後に事務長がこっそり私の教授室に来て「お願いだから警察の押収品に<証拠品>とあったことは、他に話さないでくれ」と哀願したのには驚いた。「私の出世のさまたげになるから」というのだ。
 文学部ゴミ焼却場の棒ヤスリと砂袋が「証拠品」として、警察に押収されたという最重要情報が、学部トップの教官には上がっていなかったのである。
 私は事務長室で彼に迫り「押収理由書」を彼から提示させ、「証拠品」であることを一人で確認ずみだった。
 以上は脳死・病理解剖・司法解剖の意義を説明するための序論である。
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