【学会の印象】京都の国際会館であった血液ガン関係の学会に久しぶりに出た。宿は少し高かかったが、通りを挟んで向かいにあるプリンスホテルに泊まった。北に2キロ離れた岩倉にある「岩倉具視の隠れ屋敷」を、時間があれば再訪してみたいという意図もあった。
岩倉村は「精神病者の郷」で、皇族・貴族の精神病患者の「開放サナトリウム」として集落全体が患者をつつみこんできた点でも、時代をはるかに先んじていた。
よそ者は滅多に来なかったから、新撰組に暗殺されるおそれが十分にあった岩倉は、ここに何年か隠れ住んだのである。
さてその学会、正式には「リンパ網内系学会」といい、今回で第53回の総会になる。創立53年ということだ。
印象を三つ述べると:
1)細かい点では進歩があるが、「革命」というほどの、大きな進歩は依然としてない。革命的な変化を「パラダイム・シフト」という。90年代にこの病気の分類法が、がん細胞のかたちと臨床的予後を中心とする分類法から、染色体や遺伝子、特定の分子の発現の有無を中心とする「生物学的分類法」に大きく変化した。それがパラダイム・シフトだった。
従って、治療成績も大幅に向上したとは言えない。悪性リンパ腫や白血病が完治しないかぎり、他のガンの根治などおよそ考えられない。
むかし、若い頃は「病気のない世界」つまり医者が失業する世界を作り出すことが、医学の目標だろうと考えたこともあるが、それは夢のまた夢だ。医者が失業する事態は、医師を過剰に養成しないかぎり、まず起こらないだろう。
2)若い人たち(といっても50歳以下だが)の日本語が変化していて、非常に早口になっており、聞きづらくなっている。私が老人性難聴になって、そう聞こえるのかと思って、50代の人に訊ねてもやはりそういう。
単なる早口でなく、言葉の抑揚がない、語間ことに文節の間の「間(ま)」が短すぎるか、間が抜けている。文と文の間の間隔がなく、センテンスがどこで始まり、どこで終わるかはっきりしない。
そのため、「何を言っているのか」がはっきりしない。
ある発表では、キホーコクという言葉が「キホーコクのように」とか「キホーコクによると」というふうに一つの発表に10回ぐらい出てきた。これが文字で「既報告」とあれば、読めばすぐわかるが、耳で聞いてはわからない。リハーサルの際に、きちんと教授が指導すべきだと思うが、理事になっているその教授の総会ひな壇での発言を聞くと、これがまた早口で何を言っているのかわからない。まあ、日本語に愛着がないか、センスがないのであろう。
3)製薬会社がスポンサーになっている学会プログラムが大幅に増えた。参加者に食事を提供する(ちょっと上等の「松花堂弁当」程度だが)、セミナーがモーニング・セミナー、ランチョン・セミナーといろいろあり、数えたら7つの製薬会社が開いている。海外からの外国人講師はすべてそれに該当する。
1989年に京都で開かれた病理学会の際に、南カリフルニア大学の病理の教授が、NASAの宇宙開発プロジェクトに関与しているピッツバーグ大学の画像処理専門家と組んで新たに開発していた、「インテリパス」という「病理診断を補助する画像診断」の技術に注目して、その仕事を日本に紹介しようとしたことがある。
すでにLDとパソコンを組み合わせたセットが商品化されていて、輸入発売されていたから、病理学会の精神になじなまい、ということで、プログラム外のセミナーということになった。
思えば、あれがこの手のセミナーのはしりだったようだ。以後25年の間にずいぶん増えた。
海外から招く講師の旅費・滞在費および講演料、司会の医師への謝金、弁当代などを製薬会社が負担するわけだが、宣伝費と考えれば安いものであろう。で、製薬会社からプログラム経費や寄付金が出るから、学会長も金集めにさほど苦労しないのであろう。
昔は大きな学会を行うとなると、主催する教室の医局員や同門会員は寄付で大変だったが、たぶん今は医局も昔の医局でなく、こちらの集金力が落ちていて、製薬会社依存という傾向が強まっているのだろう。
一方で一般演題のポスターセッションを覗くと、パネルの一番下に「COI(利益相反)はありません」とみな書いてあって、可笑しかった。今、高血圧の薬についての論文捏造が問題になっているが、学会そのものがCOI違反をやっていて、個人の研究者に倫理を求めるとは矛盾していると思った。
ここらで、原点に戻って、参加費で学会が運営できるようにするにはどうすればよいかを、考える必要があるな、と思った。
日本物理学会など、夏休みの大学講義室を使って大会を開いている。
岩倉村は「精神病者の郷」で、皇族・貴族の精神病患者の「開放サナトリウム」として集落全体が患者をつつみこんできた点でも、時代をはるかに先んじていた。
よそ者は滅多に来なかったから、新撰組に暗殺されるおそれが十分にあった岩倉は、ここに何年か隠れ住んだのである。
さてその学会、正式には「リンパ網内系学会」といい、今回で第53回の総会になる。創立53年ということだ。
印象を三つ述べると:
1)細かい点では進歩があるが、「革命」というほどの、大きな進歩は依然としてない。革命的な変化を「パラダイム・シフト」という。90年代にこの病気の分類法が、がん細胞のかたちと臨床的予後を中心とする分類法から、染色体や遺伝子、特定の分子の発現の有無を中心とする「生物学的分類法」に大きく変化した。それがパラダイム・シフトだった。
従って、治療成績も大幅に向上したとは言えない。悪性リンパ腫や白血病が完治しないかぎり、他のガンの根治などおよそ考えられない。
むかし、若い頃は「病気のない世界」つまり医者が失業する世界を作り出すことが、医学の目標だろうと考えたこともあるが、それは夢のまた夢だ。医者が失業する事態は、医師を過剰に養成しないかぎり、まず起こらないだろう。
2)若い人たち(といっても50歳以下だが)の日本語が変化していて、非常に早口になっており、聞きづらくなっている。私が老人性難聴になって、そう聞こえるのかと思って、50代の人に訊ねてもやはりそういう。
単なる早口でなく、言葉の抑揚がない、語間ことに文節の間の「間(ま)」が短すぎるか、間が抜けている。文と文の間の間隔がなく、センテンスがどこで始まり、どこで終わるかはっきりしない。
そのため、「何を言っているのか」がはっきりしない。
ある発表では、キホーコクという言葉が「キホーコクのように」とか「キホーコクによると」というふうに一つの発表に10回ぐらい出てきた。これが文字で「既報告」とあれば、読めばすぐわかるが、耳で聞いてはわからない。リハーサルの際に、きちんと教授が指導すべきだと思うが、理事になっているその教授の総会ひな壇での発言を聞くと、これがまた早口で何を言っているのかわからない。まあ、日本語に愛着がないか、センスがないのであろう。
3)製薬会社がスポンサーになっている学会プログラムが大幅に増えた。参加者に食事を提供する(ちょっと上等の「松花堂弁当」程度だが)、セミナーがモーニング・セミナー、ランチョン・セミナーといろいろあり、数えたら7つの製薬会社が開いている。海外からの外国人講師はすべてそれに該当する。
1989年に京都で開かれた病理学会の際に、南カリフルニア大学の病理の教授が、NASAの宇宙開発プロジェクトに関与しているピッツバーグ大学の画像処理専門家と組んで新たに開発していた、「インテリパス」という「病理診断を補助する画像診断」の技術に注目して、その仕事を日本に紹介しようとしたことがある。
すでにLDとパソコンを組み合わせたセットが商品化されていて、輸入発売されていたから、病理学会の精神になじなまい、ということで、プログラム外のセミナーということになった。
思えば、あれがこの手のセミナーのはしりだったようだ。以後25年の間にずいぶん増えた。
海外から招く講師の旅費・滞在費および講演料、司会の医師への謝金、弁当代などを製薬会社が負担するわけだが、宣伝費と考えれば安いものであろう。で、製薬会社からプログラム経費や寄付金が出るから、学会長も金集めにさほど苦労しないのであろう。
昔は大きな学会を行うとなると、主催する教室の医局員や同門会員は寄付で大変だったが、たぶん今は医局も昔の医局でなく、こちらの集金力が落ちていて、製薬会社依存という傾向が強まっているのだろう。
一方で一般演題のポスターセッションを覗くと、パネルの一番下に「COI(利益相反)はありません」とみな書いてあって、可笑しかった。今、高血圧の薬についての論文捏造が問題になっているが、学会そのものがCOI違反をやっていて、個人の研究者に倫理を求めるとは矛盾していると思った。
ここらで、原点に戻って、参加費で学会が運営できるようにするにはどうすればよいかを、考える必要があるな、と思った。
日本物理学会など、夏休みの大学講義室を使って大会を開いている。
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