【読書/書評論】
「買いたい新書」の書評を執筆するために、平均して週に何冊か本に目を通す。この書評は、「フィクション1:レファレンス本1:理系ノンフィクション1:文系ノンフィクション1」の割合で、しかも新書、文庫で値段が高くなくて、携帯可能で、中身が優れているものを原則として選ぶ。だから、選書が大変である。1本は1,200字を原則にしているが、ときに1,600字とすることもある。
本は何冊かを並行して読む。机について読む本、テレビを見ながら読む本、寝床で読む本は、みな違う。今、机で本気に読んでいるのはM.シュピッツァー『デジタル・デメンチア』(講談社)、飯を食うときに読むのは渡辺淳一『麗しき白骨』(集英社文庫)、寝る前に読むのは吉川英治『黒田如水』(Amazon Kindle無料版)だ。この程度の本はキンドル版でよい。
http://www.amazon.co.jp/%E9%BB%92%E7%94%B0%E5%A6%82%E6%B0%B4-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%90%89%E5%B7%9D-%E8%8B%B1%E6%B2%BB/dp/4041009502/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1401417295&sr=1-1&keywords=%E5%90%89%E5%B7%9D%E8%8B%B1%E6%B2%BB+%E9%BB%92%E7%94%B0%E5%A6%82%E6%B0%B4
その他に、調べものをするのに開く本があるから、机の周りは奥の書庫から運んで来た本だらけだ。悪いことにVISAカードが見つかったので、またAmazonから本を買い始めた。これでまた本が増える。
本の情報は主に新聞3紙の「書評欄」と広告、それに「文藝春秋」など月刊誌、週刊誌の書評。それから、Amazonの推薦本メールだ。ここは過去注文を記憶していて、関連本の新刊を教えてくれるから、全分野の新刊書情報が集まる。どうかすると洋書の案内も来る。それと「本の本」と私が読んでいる、文庫目録、「分野別名著目録」などのレファ本がある。
新聞書評は80%が文芸書で、「提灯書評」が多いから、まともに読まない。サイエンスがらみの書評と下側の広告を読む。良いものは切り抜いて、透明ホルダに入れておく。すぐ注文すると「買いすぎ」になるから、忘れた頃にホルダ内から選んで注文する。本が届いたら、エクセルの「蔵書目録」に入力する際に、スコッチテープで書評を表紙裏に貼っておく。書評者の評価と私の評価を比較するためだ。いま蔵書目録は約5,000冊に達した。文庫が多いから、未入力の本はまだこの5倍はあるだろう。
6/1日曜日の書評は割に収穫があった。「毎日」の書評欄が充実していた。
島田雅彦「昨日読んだ文庫」=カント「永遠平和のために」を紹介:「集団自衛権」と国連の関係で読みなおされるべき文庫だ。
伊東光晴評「限界にっぽん:悲鳴をあげる雇用と経済」朝日新聞経済部著、岩波書店
武田徹「この3冊:ネットメディア」は選書がよくない。
「特集:ストーリー、生き急ぐ<偽悪者>」は夕刊編集部庄司哲也記者が「ホリエモン」の現在を取り上げていて面白く読んだ。かつての「ライブドア」は韓国系に売却され、今や「LINE」と名前を変えているという。「お金より大切なものがあるのか、という質問自体がお金を意識しすぎ。お金とは信用が数値化されたものにすぎない。…お金は人を幸せにしない。大金よりも信用の方が大事」という彼の言葉が印象に残った。庄司記者に書評を書いて欲しい。
海部宣男評、宮田親平著「科学者の楽園をつくった男」河出文庫=これは「大学新入生に薦める101冊の本」(岩波書店)で、取り上げたので「買いたい新書」書評では見送っているが、理研の歴史を扱ったもので、STAP関係者には「拳々服膺(けんけんふくよう)しろ」といいたい。「産経」からは、
R.ケネディ「13日間、キューバ危機回想録」(中公文庫プレミアム:瀬戸川宗太評)
槻真樹「戦前日本SF映画創世記」(河出書房新社:高崎俊夫評)
を切り抜いた。兄JFK同様に暗殺されたR.ケネディ司法長官に回想録があったとは知らなかった。1962年秋の「キューバ危機」では、世界は全面核戦争の一歩手前まで行った。S.キューブリックの「博士の異常な愛情」(1964)はその直後に製作された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%9A%E5%A3%AB%E3%81%AE%E7%95%B0%E5%B8%B8%E3%81%AA%E6%84%9B%E6%83%85_%E3%81%BE%E3%81%9F%E3%81%AF%E7%A7%81%E3%81%AF%E5%A6%82%E4%BD%95%E3%81%AB%E3%81%97%E3%81%A6%E5%BF%83%E9%85%8D%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%82%92%E6%AD%A2%E3%82%81%E3%81%A6%E6%B0%B4%E7%88%86%E3%82%92%E6%84%9B%E3%81%99%E3%82%8B%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%8B
1968年の「毎日新聞外信部」訳が今年、中公文庫に採録されたのに、「毎日」でなく「産経」が取り上げるところが面白い。「中国」からはベタ記事の、
西川潤「新・世界経済入門」(岩波新書)、
佐高信「未完の敗者、田中角栄」(光文社)
を切り抜いた。「ベストセラー」欄10位以内に、メルマガで取り上げた
林原健「林原家」(日経BP)=カバヤキャラメルの林原一族の歴史、
シンシアリー「韓国人による恥韓論」(扶桑社新書)が入っているが、わずか1店舗の調査だから、あてにはならない。「幸福の科学」本が1位に入っているのがおかしい。
新聞書評で不満なのは、文系の本が多すぎること、レビューアーが自説を述べる傾きが多く、本の内容そのものの説明が少ないことだ。いま、少なくとも国立大学卒業者の8割は理系出身なのに、文化部は何を考えているのか…。大学の「文学者」と称する人たちの間では書評が業績になるのだそうだ。書評欄を自説の開陳や「本をけなす」のに使っている書評者もいる。
私の書評は、本の内容紹介と著者の説明を中心におき、本の良し悪しの判断は読者に委ねることにしている。排すべき「パターナリズム」は医療だけの話ではない。ただ、「索引がない」、「参考文献の記載がない」などの欠点はちゃんと指摘して、著者と出版社にクレームはつける。
大学の人事も、プロ野球の打率も、4割のヒットというのはない。3割当たれば、よしとしなければならないだろう。幸い、「買いたい新書」はGoogle検索すると63万件のヒットがあり、これまでのところ、常に1位にあるから固定ファンがいるのであろう。
吉川英治(1892-1962)は戦前・戦後の国民的作家で、司馬遼太郎の先駆者だ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%B7%9D%E8%8B%B1%E6%B2%BB
『黒田如水』は1943年に朝日新聞社から本が出ている。私は『鳴門秘帖』は読んだが、「三国志」は羅貫中『三国志演義』を、「宮本武蔵」は武蔵の『五輪書』を読んだので、どちらも積ん読になっている。松本清張に『軍師の境遇』(河出文庫)という、黒田官兵衛を主人公にした歴史小説があり、これは文体も構成もしまっていて、面白く読んだ。黒田孝高(よしたか)官兵衛の事跡は『大日本人名辞典』(講談社学術文庫)の3頁を占めている。
いま英治官兵衛は、荒木村重の有岡城での1年間の地下牢幽閉から救出されて、有馬温泉で病を養っているところまで来た。これは講談調で、「講釈師、見てきたような嘘を言い」の感がある。もと武器倉だからトイレはどうしたのか…。同じ大衆文芸でも、直木三十五や菊池寛はちと違う。NHKの大河ドラマはどこまで行ったのか、一度も見ていないのでわからん。
話がそれるが、武蔵は五輪書「空の巻」で、「空とは物事のないことなり。…あることを知り、ないことを知る、これ則ち空なり」と述べている。これは剣の道だけでなく、病理診断の極意を述べたものだと思う。「在る所見」なら誰にも見えるが、「ない所見」は見えない。「ない所見が<ある>こと」に気がつかないと、正確な鑑別診断はできない。
「昼のお星は目に見えぬ。見えないけれどあるんだよ」(金子みすず)
6/31夜、やっと読み終えた。静養した官兵衛が中国攻めの秀吉陣にもどり、秀吉に姫路城を「中国攻め」の拠点として献上する。信長から御着城と領地1万石を与えられ、大名となる。さらに山崎城と1万石の加増があり、それを父黒田宗円に与えた。その時に、黒田家は家紋をを、従来の「橘」から「藤巴(ふじどもえ)」に変えた。幽閉された伊丹城の獄窓から見えた藤こそは、「官兵衛の生涯の師であり、家の吉祥でもある」というのが、さげ。
日本の大衆小説の原点が、講談の「読み本」にあることを示す好例だった。この後、官兵衛は備中高松城の水攻めのアイデアを出し、本能寺の変に接すると、直ちに毛利と和睦して、兵を反すという名軍師ぶりを発揮するはずだ。
その後、本田静六『私の生活流儀』をKindle版で読み始めた。わずか90円。
本田静六(1866~1952)は明治、大正、昭和の林学者で、東大農学部教授を務めた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%A4%9A%E9%9D%99%E5%85%AD
自伝「体験85年」(筑摩書房「世界ノンフィクション全集36」)はすこぶる面白い。自伝にある「貧乏征伐と四分の一貯金」の話だけでも読むに値する。
『私の生活流儀』には「人寿120年説」の適否を議論した箇所がある。日本では大隈重信が「125歳説」を最初に唱えたのだそうだ。大隈は動物が発育期の5倍の寿命を持つという生物学説をもとに、ヒトが成熟するまで25年かかるとしてこの説を提唱したが、欧米人に比べ日本人は少し発育期が短いから24年として、本田は「120歳説」を唱えるという。
お経(「ジャータカ経」=本生経、歴生経)に釈迦の言として、
「百二十歳を上寿、百歳を中寿、八十歳を下寿」とし、それ未満を「夭死(わかじに)」とするとあるという。ホントだろうか…。お経に詳しい下前先生に、ご教示を願いたいもの。
彼の説く「健康法」は、いま新聞広告に載っている「健康本」よりも、理にかなっている。初代陸軍省医務局長の長与専斎に『懐旧九十年』(岩波文庫)があり、長寿者は昔もいた。
ホリエモンが本田静六を読んだとは思えないが、本田の説く「職業道楽」説はたぶん彼の今の心境に近いだろう。渋沢栄一も「道楽のカスが資産だ」と言っている。
『麗しき白骨』は「本邦初の異種骨移植」を実施し、2年後に東大教授になりたい東大卒の「東都大学(東京医大がモデル)可知康久教授」が「同種移植」と「異種移植」の2研究チームを整形外科教室内に発足させ、互いに競わせて実験を始めるところまで来た。時代は1960年代に設定されているから、医学部紛争が起こる前の「医局講座制」や医学部のジッツ支配がリアルに描写されている。同種移植のチームの長が助教授の真野(まだ名前が出て来ない)、異種移植の方は野心家の若手講師風間(同上)。まだHLAがわかっていない頃だから、何とも原始的な「生骨保存法」が出てくる。これで読ますには、登場人物の心理と動きにドラマ性を持たすしかないだろう。
その後、§1「発端」を終え、§2「実験」まで進んだ。「同種骨」のグループは地下解剖室の隣にある、整形外科の倉庫からカメに保存されたホルマリン漬けの切断脚を取りだし、研究室に運び、部分解剖で骨のサンプルを切り出す。「異種骨」のグループは「場」に行って牛の骨をもらい、大学の動物小屋でイヌの骨を抜く。
午後5時になるとビールを飲み始めるとか、実験用ウサギが死んだのを「ウサギ汁」に調理して食べるとか、60年代の大学医局の雰囲気が生き生きと描写されている。皆で食べる前に「黙祷」と言って、動物に哀悼と感謝の意を捧げるとか、懐かしく、おかしく、笑いながら読んだ。私も夏休みに生理学教室で実験し、イヌの脳を切断するのに使う脳刀で、講師が切ってくれたスイカを食ったことがある。実験用に使ったカエルは焼いて食った。教授はのちに『カエル一匹、学成る』という随筆集を出した。あの頃はまだ「飽食の時代」ではなかった。
また「発見」があった。渡辺淳一は、骨移植について、臓器の再生能力という問題を詳しく医学的に説明している。要は、分化度の高い臓器は再生力が低く、皮膚、軟部組織(間葉系)は再生力が強い。肝臓や腎臓は移植するしか手がないが、骨の場合はリン酸カルシウムからなる生骨を移植すれば、骨皮質や骨梁が足場となって、骨芽細胞の増生が起き、欠損部に骨細胞が再生する。もっとも移植したブリッジ骨はのちに吸収されて、レシピエントの骨に置き換わる。この原理をそのまま説明すれば「論文」だが、教授に操られて対抗する2グループの動きを語る中で、読者の興味をかき立てながら上手く説明している。
真野助教授が率いるグループは「骨肉腫で切断した脚の骨でも、病巣から10センチメートル以上離れた部分には肉腫細胞の残存がなく、同種骨を冷凍保存すれば移植に使える」という報告を医局会議で発表するが、100万円もする大型冷凍庫が必要となる。年間の講座研究費の半分であり、可知教授はウンといわない。他方、風間講師が長であるグループは「異種骨の場合、薬液処理と加熱処理を行っても、完全に抗原性を失活させるのは無理で、植えた骨はやがて羊羹の中の栗のように、浮いてくる」と報告するが、教授は「動物ではそうだが、人間ではやってみないとわからん」といい、強引に2例の実験患者を選ぶ。これはとんでもないことになりそうだ。
『デジタル・デメンチア』は原本がドイツ語で、訳は『精神病理からみる現代思想』(講談社現代新書)を書いた小林敏明。この人は哲学畑の出身で文体が硬い。著者はドイツ・ウルム大学の精神科教授。デメンチア(英dementia, 独Demenz)は「痴呆」のことだ。つまりインターネットばかりやって、本を読み考えるということをしないと、バカになりますよ、とくに子ども時代からそれをやると、重篤な脳障害が起こるかもしれない、という。脳の記憶容量には限界があるから、ネットの「情報洪水」を「常識・教養」というフィルターを通して、考えて取捨選択するという脳活動をしないと、健忘症を超えて痴呆になるという議論だ。
精神医学系の人は、統計とか実証データの提示が乏しく、「論」だけで話を進める傾向があるが、さてこれからどう展開するか…
「買いたい新書」の書評を執筆するために、平均して週に何冊か本に目を通す。この書評は、「フィクション1:レファレンス本1:理系ノンフィクション1:文系ノンフィクション1」の割合で、しかも新書、文庫で値段が高くなくて、携帯可能で、中身が優れているものを原則として選ぶ。だから、選書が大変である。1本は1,200字を原則にしているが、ときに1,600字とすることもある。
本は何冊かを並行して読む。机について読む本、テレビを見ながら読む本、寝床で読む本は、みな違う。今、机で本気に読んでいるのはM.シュピッツァー『デジタル・デメンチア』(講談社)、飯を食うときに読むのは渡辺淳一『麗しき白骨』(集英社文庫)、寝る前に読むのは吉川英治『黒田如水』(Amazon Kindle無料版)だ。この程度の本はキンドル版でよい。
http://www.amazon.co.jp/%E9%BB%92%E7%94%B0%E5%A6%82%E6%B0%B4-%E8%A7%92%E5%B7%9D%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%90%89%E5%B7%9D-%E8%8B%B1%E6%B2%BB/dp/4041009502/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1401417295&sr=1-1&keywords=%E5%90%89%E5%B7%9D%E8%8B%B1%E6%B2%BB+%E9%BB%92%E7%94%B0%E5%A6%82%E6%B0%B4
その他に、調べものをするのに開く本があるから、机の周りは奥の書庫から運んで来た本だらけだ。悪いことにVISAカードが見つかったので、またAmazonから本を買い始めた。これでまた本が増える。
本の情報は主に新聞3紙の「書評欄」と広告、それに「文藝春秋」など月刊誌、週刊誌の書評。それから、Amazonの推薦本メールだ。ここは過去注文を記憶していて、関連本の新刊を教えてくれるから、全分野の新刊書情報が集まる。どうかすると洋書の案内も来る。それと「本の本」と私が読んでいる、文庫目録、「分野別名著目録」などのレファ本がある。
新聞書評は80%が文芸書で、「提灯書評」が多いから、まともに読まない。サイエンスがらみの書評と下側の広告を読む。良いものは切り抜いて、透明ホルダに入れておく。すぐ注文すると「買いすぎ」になるから、忘れた頃にホルダ内から選んで注文する。本が届いたら、エクセルの「蔵書目録」に入力する際に、スコッチテープで書評を表紙裏に貼っておく。書評者の評価と私の評価を比較するためだ。いま蔵書目録は約5,000冊に達した。文庫が多いから、未入力の本はまだこの5倍はあるだろう。
6/1日曜日の書評は割に収穫があった。「毎日」の書評欄が充実していた。
島田雅彦「昨日読んだ文庫」=カント「永遠平和のために」を紹介:「集団自衛権」と国連の関係で読みなおされるべき文庫だ。
伊東光晴評「限界にっぽん:悲鳴をあげる雇用と経済」朝日新聞経済部著、岩波書店
武田徹「この3冊:ネットメディア」は選書がよくない。
「特集:ストーリー、生き急ぐ<偽悪者>」は夕刊編集部庄司哲也記者が「ホリエモン」の現在を取り上げていて面白く読んだ。かつての「ライブドア」は韓国系に売却され、今や「LINE」と名前を変えているという。「お金より大切なものがあるのか、という質問自体がお金を意識しすぎ。お金とは信用が数値化されたものにすぎない。…お金は人を幸せにしない。大金よりも信用の方が大事」という彼の言葉が印象に残った。庄司記者に書評を書いて欲しい。
海部宣男評、宮田親平著「科学者の楽園をつくった男」河出文庫=これは「大学新入生に薦める101冊の本」(岩波書店)で、取り上げたので「買いたい新書」書評では見送っているが、理研の歴史を扱ったもので、STAP関係者には「拳々服膺(けんけんふくよう)しろ」といいたい。「産経」からは、
R.ケネディ「13日間、キューバ危機回想録」(中公文庫プレミアム:瀬戸川宗太評)
槻真樹「戦前日本SF映画創世記」(河出書房新社:高崎俊夫評)
を切り抜いた。兄JFK同様に暗殺されたR.ケネディ司法長官に回想録があったとは知らなかった。1962年秋の「キューバ危機」では、世界は全面核戦争の一歩手前まで行った。S.キューブリックの「博士の異常な愛情」(1964)はその直後に製作された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%9A%E5%A3%AB%E3%81%AE%E7%95%B0%E5%B8%B8%E3%81%AA%E6%84%9B%E6%83%85_%E3%81%BE%E3%81%9F%E3%81%AF%E7%A7%81%E3%81%AF%E5%A6%82%E4%BD%95%E3%81%AB%E3%81%97%E3%81%A6%E5%BF%83%E9%85%8D%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%82%92%E6%AD%A2%E3%82%81%E3%81%A6%E6%B0%B4%E7%88%86%E3%82%92%E6%84%9B%E3%81%99%E3%82%8B%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%8B
1968年の「毎日新聞外信部」訳が今年、中公文庫に採録されたのに、「毎日」でなく「産経」が取り上げるところが面白い。「中国」からはベタ記事の、
西川潤「新・世界経済入門」(岩波新書)、
佐高信「未完の敗者、田中角栄」(光文社)
を切り抜いた。「ベストセラー」欄10位以内に、メルマガで取り上げた
林原健「林原家」(日経BP)=カバヤキャラメルの林原一族の歴史、
シンシアリー「韓国人による恥韓論」(扶桑社新書)が入っているが、わずか1店舗の調査だから、あてにはならない。「幸福の科学」本が1位に入っているのがおかしい。
新聞書評で不満なのは、文系の本が多すぎること、レビューアーが自説を述べる傾きが多く、本の内容そのものの説明が少ないことだ。いま、少なくとも国立大学卒業者の8割は理系出身なのに、文化部は何を考えているのか…。大学の「文学者」と称する人たちの間では書評が業績になるのだそうだ。書評欄を自説の開陳や「本をけなす」のに使っている書評者もいる。
私の書評は、本の内容紹介と著者の説明を中心におき、本の良し悪しの判断は読者に委ねることにしている。排すべき「パターナリズム」は医療だけの話ではない。ただ、「索引がない」、「参考文献の記載がない」などの欠点はちゃんと指摘して、著者と出版社にクレームはつける。
大学の人事も、プロ野球の打率も、4割のヒットというのはない。3割当たれば、よしとしなければならないだろう。幸い、「買いたい新書」はGoogle検索すると63万件のヒットがあり、これまでのところ、常に1位にあるから固定ファンがいるのであろう。
吉川英治(1892-1962)は戦前・戦後の国民的作家で、司馬遼太郎の先駆者だ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%B7%9D%E8%8B%B1%E6%B2%BB
『黒田如水』は1943年に朝日新聞社から本が出ている。私は『鳴門秘帖』は読んだが、「三国志」は羅貫中『三国志演義』を、「宮本武蔵」は武蔵の『五輪書』を読んだので、どちらも積ん読になっている。松本清張に『軍師の境遇』(河出文庫)という、黒田官兵衛を主人公にした歴史小説があり、これは文体も構成もしまっていて、面白く読んだ。黒田孝高(よしたか)官兵衛の事跡は『大日本人名辞典』(講談社学術文庫)の3頁を占めている。
いま英治官兵衛は、荒木村重の有岡城での1年間の地下牢幽閉から救出されて、有馬温泉で病を養っているところまで来た。これは講談調で、「講釈師、見てきたような嘘を言い」の感がある。もと武器倉だからトイレはどうしたのか…。同じ大衆文芸でも、直木三十五や菊池寛はちと違う。NHKの大河ドラマはどこまで行ったのか、一度も見ていないのでわからん。
話がそれるが、武蔵は五輪書「空の巻」で、「空とは物事のないことなり。…あることを知り、ないことを知る、これ則ち空なり」と述べている。これは剣の道だけでなく、病理診断の極意を述べたものだと思う。「在る所見」なら誰にも見えるが、「ない所見」は見えない。「ない所見が<ある>こと」に気がつかないと、正確な鑑別診断はできない。
「昼のお星は目に見えぬ。見えないけれどあるんだよ」(金子みすず)
6/31夜、やっと読み終えた。静養した官兵衛が中国攻めの秀吉陣にもどり、秀吉に姫路城を「中国攻め」の拠点として献上する。信長から御着城と領地1万石を与えられ、大名となる。さらに山崎城と1万石の加増があり、それを父黒田宗円に与えた。その時に、黒田家は家紋をを、従来の「橘」から「藤巴(ふじどもえ)」に変えた。幽閉された伊丹城の獄窓から見えた藤こそは、「官兵衛の生涯の師であり、家の吉祥でもある」というのが、さげ。
日本の大衆小説の原点が、講談の「読み本」にあることを示す好例だった。この後、官兵衛は備中高松城の水攻めのアイデアを出し、本能寺の変に接すると、直ちに毛利と和睦して、兵を反すという名軍師ぶりを発揮するはずだ。
その後、本田静六『私の生活流儀』をKindle版で読み始めた。わずか90円。
本田静六(1866~1952)は明治、大正、昭和の林学者で、東大農学部教授を務めた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%A4%9A%E9%9D%99%E5%85%AD
自伝「体験85年」(筑摩書房「世界ノンフィクション全集36」)はすこぶる面白い。自伝にある「貧乏征伐と四分の一貯金」の話だけでも読むに値する。
『私の生活流儀』には「人寿120年説」の適否を議論した箇所がある。日本では大隈重信が「125歳説」を最初に唱えたのだそうだ。大隈は動物が発育期の5倍の寿命を持つという生物学説をもとに、ヒトが成熟するまで25年かかるとしてこの説を提唱したが、欧米人に比べ日本人は少し発育期が短いから24年として、本田は「120歳説」を唱えるという。
お経(「ジャータカ経」=本生経、歴生経)に釈迦の言として、
「百二十歳を上寿、百歳を中寿、八十歳を下寿」とし、それ未満を「夭死(わかじに)」とするとあるという。ホントだろうか…。お経に詳しい下前先生に、ご教示を願いたいもの。
彼の説く「健康法」は、いま新聞広告に載っている「健康本」よりも、理にかなっている。初代陸軍省医務局長の長与専斎に『懐旧九十年』(岩波文庫)があり、長寿者は昔もいた。
ホリエモンが本田静六を読んだとは思えないが、本田の説く「職業道楽」説はたぶん彼の今の心境に近いだろう。渋沢栄一も「道楽のカスが資産だ」と言っている。
『麗しき白骨』は「本邦初の異種骨移植」を実施し、2年後に東大教授になりたい東大卒の「東都大学(東京医大がモデル)可知康久教授」が「同種移植」と「異種移植」の2研究チームを整形外科教室内に発足させ、互いに競わせて実験を始めるところまで来た。時代は1960年代に設定されているから、医学部紛争が起こる前の「医局講座制」や医学部のジッツ支配がリアルに描写されている。同種移植のチームの長が助教授の真野(まだ名前が出て来ない)、異種移植の方は野心家の若手講師風間(同上)。まだHLAがわかっていない頃だから、何とも原始的な「生骨保存法」が出てくる。これで読ますには、登場人物の心理と動きにドラマ性を持たすしかないだろう。
その後、§1「発端」を終え、§2「実験」まで進んだ。「同種骨」のグループは地下解剖室の隣にある、整形外科の倉庫からカメに保存されたホルマリン漬けの切断脚を取りだし、研究室に運び、部分解剖で骨のサンプルを切り出す。「異種骨」のグループは「場」に行って牛の骨をもらい、大学の動物小屋でイヌの骨を抜く。
午後5時になるとビールを飲み始めるとか、実験用ウサギが死んだのを「ウサギ汁」に調理して食べるとか、60年代の大学医局の雰囲気が生き生きと描写されている。皆で食べる前に「黙祷」と言って、動物に哀悼と感謝の意を捧げるとか、懐かしく、おかしく、笑いながら読んだ。私も夏休みに生理学教室で実験し、イヌの脳を切断するのに使う脳刀で、講師が切ってくれたスイカを食ったことがある。実験用に使ったカエルは焼いて食った。教授はのちに『カエル一匹、学成る』という随筆集を出した。あの頃はまだ「飽食の時代」ではなかった。
また「発見」があった。渡辺淳一は、骨移植について、臓器の再生能力という問題を詳しく医学的に説明している。要は、分化度の高い臓器は再生力が低く、皮膚、軟部組織(間葉系)は再生力が強い。肝臓や腎臓は移植するしか手がないが、骨の場合はリン酸カルシウムからなる生骨を移植すれば、骨皮質や骨梁が足場となって、骨芽細胞の増生が起き、欠損部に骨細胞が再生する。もっとも移植したブリッジ骨はのちに吸収されて、レシピエントの骨に置き換わる。この原理をそのまま説明すれば「論文」だが、教授に操られて対抗する2グループの動きを語る中で、読者の興味をかき立てながら上手く説明している。
真野助教授が率いるグループは「骨肉腫で切断した脚の骨でも、病巣から10センチメートル以上離れた部分には肉腫細胞の残存がなく、同種骨を冷凍保存すれば移植に使える」という報告を医局会議で発表するが、100万円もする大型冷凍庫が必要となる。年間の講座研究費の半分であり、可知教授はウンといわない。他方、風間講師が長であるグループは「異種骨の場合、薬液処理と加熱処理を行っても、完全に抗原性を失活させるのは無理で、植えた骨はやがて羊羹の中の栗のように、浮いてくる」と報告するが、教授は「動物ではそうだが、人間ではやってみないとわからん」といい、強引に2例の実験患者を選ぶ。これはとんでもないことになりそうだ。
『デジタル・デメンチア』は原本がドイツ語で、訳は『精神病理からみる現代思想』(講談社現代新書)を書いた小林敏明。この人は哲学畑の出身で文体が硬い。著者はドイツ・ウルム大学の精神科教授。デメンチア(英dementia, 独Demenz)は「痴呆」のことだ。つまりインターネットばかりやって、本を読み考えるということをしないと、バカになりますよ、とくに子ども時代からそれをやると、重篤な脳障害が起こるかもしれない、という。脳の記憶容量には限界があるから、ネットの「情報洪水」を「常識・教養」というフィルターを通して、考えて取捨選択するという脳活動をしないと、健忘症を超えて痴呆になるという議論だ。
精神医学系の人は、統計とか実証データの提示が乏しく、「論」だけで話を進める傾向があるが、さてこれからどう展開するか…
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