盗人宿

いまは、わかる方だけ、おいでいただければ。

年末進行

2012-12-31 18:49:34 | にゃんころ

堅気の皆さんは盆暮れ正月に休むのが当然ですけど、中には堅気なのに休めない人たちもたくさんいます。
たとえば交通機関もそうだし、大晦日の蕎麦屋、三が日の神主、もちろん警察関係などなど。
別にスーパーだのコンビニだの何だのは「社会的に休めない」のではなく「企業として休めない」だけ。
「休まないでくれるとうれしい」以前の「休まないでくれないと社会が困る」人たちの話です。

どのような職業にも、いろいろと事情があります。
湯島天神か太宰府か忘れましたけど、神主の娘が高校生で、何かの取材で「娘は何としてでも受験に合格してくれないとね」と答えていました。
「育毛剤 売ってる社長 ハゲ頭」ともいいまして、世の中「説得力」ってのが大切なんですよね。

で、私も(いまは一時休業中ですが)世間でいう「年末進行」と関わっておりました。
その時期は出版社が休みになるから、前倒しでいついつまでに原稿を上げてくれ、ってやつですね。
世の中不思議なもので、こちらがサービスを受けたいときは「休み明けに」と先送りされるくせに、こちらが何か提供するときは「前倒しで」になる。
不公平だよなあ。

まあそういうのとは別に、年末年始はレコーダの番組予約が大騒ぎになります。
通常のを録画しないように一時停止にしたり、逆に特番を探したり。
ちょうどいま、BS JAPAN で談志の追悼番組として関係者のインタビュー、そして談志の「芝浜」を録画し終えました。
レコーダの G-Guide のジャンル検索やまるごと録画は、実はメーカによって得手不得手がございます。
この番組もうちのぱなくん(Panasonic の DVD レコーダ。デジタル放送未対応のがもう1台あって、そっちは「初代ぱなくん」)のジャンル検索では、かすりもしませんでした。
たまたま情報を得ていて、よかったですよ。ぎりぎり間に合った。

これから数日、ばたばたと過ぎていきます。
どうぞ皆様におかれましては、よい年を迎えられますよう。

それゆけマヤ暦

2012-12-22 20:37:30 | にゃんころ

毎月22日はアニマルプラネットの「24 時間ずっとねこ」の日でございます。

アニマルプラネットといえば、シーシェパードから金をもらって捕鯨反対べたべたの番組を(しかも日本で身分を偽ったり盗撮して都合のよいカットばかり集めて)世界に流すヤクザ放送局で、それさえなければいい局なんですけどねえ。

で、「ずっとねこ」もいいんですけど、せっかく 12.22 を何事もなく迎えたんで、そっちの話を。

中国の中央日報が「なぜ日本人は 12.21 終末論で騒がないのか」と、相変わらず大きなお世話の記事を載せたようです。あんたら未開人といっしょにすんなよ。
と、いいたいところではあるものの、日本人もノストラダムスという「なかったことにしたい過去」がありますんでねえ。
いまだに細木とかいうペテン師が占い本売り上げ世界一のギネス記録を持ってる国ですし、こういう何の根拠もない流言飛語を信じる点ではよそのことを強くいえない国民なのですよ。

古くからいわれているように、日本人がクリスマスに騒ぎ初詣に行くのは、一神教ではないからです。
昔からお偉いさんによる一神教の押しつけは、ことごとく失敗しました。
土着信仰ってのは世界中にあるもので、ヨーロッパでも「妖精」「精霊」などの形で一神教とは異なる存在が現在まで残っているし、何教の信者であっても船乗りは赤道を越えるときに儀式を行います。
でもそれは「自分の信じているものとはちょいと違うところにいるもの」であり、あくまでメインは一神教なのです。
ところが日本にはもともとそういうものが希薄です。
為政者を神と崇めろといっても失敗したし、せいぜい天皇を神と崇める程度ですけど、それでも「天皇=神」だったときに仏教信仰や寺や仏像が消滅したり破壊されたりはしなかったでしょ。

そういえばエジプトの急進派の奴が「自分たちが政権をとったら、偶像の象徴であるピラミッドやスフィンクスを破壊する」といってましたね。
まずあんたがトカレフか手榴弾で自分を破壊しなされ。

まして太平洋戦争に敗戦後、マッカーサーをはじめ GHQ は「日本をキリスト教の国にしよう」としたら、一神教を何も信じない国になった。
いま日本で毎週日曜に教会に礼拝に行く人なんぞ 1% もいないだろうし、定着したのはクリスマス騒ぎだけですよ。
七面鳥なんぞ鶏肉専門店に頼んでもほとんど手に入らないでしょ。

キリストさんも、仏陀さんも、アラーさんも、みんなお隣さん。
大切なのは誰を信じるかではなく、何かを信じて大切に思うこと。
この「やおよろずの神様」がおわす国の、なんと懐の深いことか。なんと柔軟でありながら筋が通っていることか。

だから大部分の日本人は、無神教ではありません。「ひとつの神を妄信的に信じるほど愚かではない」のです。
唯一無二の存在としてではなく、八百万(≒無限)の中のひとつとして信じているのです。
固形便、じゃない誰だっけもう忘れたけど誰かの書いた「ノストラダムスの大予言」という本も、決してみんなが信じたわけではなく、単に本が売れてマスコミが煽って話題になっただけの話。
本の中味を真剣に信じた奴なんぞ、ほとんどいません。中味ではなく「その本」に騒いでいたのです。なんせ 1/8,000,000 ですからね。
実際、あの騒ぎのときも「聖地とかいわれる場所に集って最後の時を迎えようとした」日本人、ほとんどいなかったでしょ。

ましてマヤの暦が今年の 12.21 で終わっていようが、それは未来を知っている人たちの警告では決してなく、人類が「せーの」で滅びる事象なんぞでは絶対にありません。
何十億も棲息している生き物が一瞬で消滅するなんぞ、巨大隕石の落下くらいしかないし(たとえ世界中の核兵器をいちどに使っても、何千人かは確実に数ヶ月は生き延びる)、「特定の誰か」は死ぬかもしれないけれどそれは人類の終わりとイコールではないのです。

考えてみれば、マヤ文明を滅亡させたのはメキシコやスペインの連中でしょ。
アメリカ大陸の、特にキリスト教を信仰してる連中は、マヤに負い目があるんですよ。
心の奥底に負い目があるから、「マヤがいつか自分たちに復讐する」と勝手に信じ込むんです。
だから今回のような大騒ぎになった。単に暦の区切りだっただけでしょ。
カレンダーの終わりが世界の終わりだったら、新年を迎えるたびに新しいカレンダーを買ってるのはどうなんだよ。砂時計の砂が落ち切るのはどうなんだよ。時計のゼンマイや電池が切れるのはどうなんだよ。

ここ数年、年末年始といっても番組の予約が狂うのと店が休みになる、つまり不便しか感じなくなってしまいました。
御節や雑煮を作っても、食べてくれる人もいなくなりましたしね。
初詣をしたい場所も、いまははるか遠くにあるし。
寝正月どころか、特別に過ごそうとも思えない、ただ寒いだけの日々です。

でも今年は、餅だけは買ってこようかな。

カルト宗教というもの(続)

2012-12-18 11:29:02 | FFXI

さて、前回は「年代ものの XP マシンを引っ張り出して、まともに動作させるだけで大騒ぎ」の話でした。
それでも何とかデスクトップが表示されるまでは持ってきたので、FFXI のベンチマークをダウンロードして(これだけでも IE を使えだの何だのハードルは高かった)、動かしてみたら数値が 5,600 くらい。
2,000 あればぼちぼち XI が動く、4,000 あればけっこう高性能、7,000 あれば理想的といわれる数値です。
いまの基準でいえばそこそこ、10 年前のマシンとしては上出来すぎるといえるでしょう。

まあ当時で 50 万くらいしましたからね。
私はまったく使いませんでしたけど、これをメーカーに発注したのは私なんで、CPU とビデオボードは当時に入手できる最高性能のものを選んだ、それが功を奏したといえます。
ハードは OK、OS も XP だから推奨、ここまでは XI 稼働の条件をクリアです。
ここまでで半日かかってるんですよ。わけのわからないメッセージに振り回されて、ね。
ハードをいじるなんぞ1時間もかかっていない。大部分は OS のせいです。

さて、いよいよ本題。

今回の作業をするにあたり、Windows 使いの知人とチャットで話しながら進めていたのですよ。
この人は典型的な「コンピュータといえば Windows マシンしか使ったことのない」人。
ここ、重要ね。
それが決して悪いとはいいません。一時期パソコン=Windows という図式があったのは確かです。それしか使ったことのない人がたくさんいるのは当たり前。

ところがですね。
この人、私が Windows の操作性やメッセージの出来の悪さを愚痴るたびに、不機嫌になっていくのです。
しまいには「あなたは Windows は使いづらいほうが嬉しいようだし」「だったらマカー(知らなかったけど「マック信者」の意味のことばなんだって?)に話していればいいでしょ」。
私は Windows に文句をいっているだけなんですけど、この人にとってはまるで Windows マシンを使っている自分を否定されていると解釈しているらしいのです。

しつこいようですが、私はその道のプロです。仕事でも趣味でもハードやソフトをいじる人間です。
わかりやすくいうと、テレビのリモコンを操作するだけでなく、赤外線送受光センサや圧電素子も理解しています。
私にとってリモコンは単なるブラックボックスではなく、理解できる部品の集合体なのです。
つまり「直感的かつ論理的に」その機械を語る目があるのですよ。

いや、別にそれが偉いってことじゃないですよ。
機械を知り尽くしていることと、それを使うじいさんばあさんの気持ちを理解できることは、別ですからね。
その象徴が Windows です。機械屋の理屈をこね回すと、こうなってしまう。

いいたいのは、「ひとつの側面でしか物事を知らないと、人は道を見誤る」ってぇことです。

先ほどの「マック信者」の話でいえば、昔は Macintosh はとても高価で、大部分の人は「安いから」と他者のパソコンを買っていました。
必然的に「GUI が当たり前の Mac ユーザ」「出来合いのアプリだけ使うか DOS/V でがりがりいじる PC ユーザ」に、二極化しました。
この頃なんですよ、「マック信者」という単語が生まれたのは。
つまりこの単語は「貧乏人の僻み」の裏返しだった、という側面を抜きには語れないのです。
人間は他者を否定して貶めることによって、自らを高く見せたがる生き物ですからね。

そういえば Windows95(!)というのが出てきたとき、某パソコン雑誌が「さようならマッキントッシュ」という特集を組みました。
これからは Mac がなくても同じようにマウスで操作できる、もう Mac なんぞいらない、社会から消え去るだろう、と。
その後どうなったか。ほどなくその雑誌は廃刊になりました。さようならー。

そんなこたぁどうでもいい。現状を見てみましょう。
Mac はすでに IBM から Intel に軸足をシフトし、ベースの UNIX の上で MacOS が動くしくみを確立させ、その気になれば Mac で Windows も動く(同じ CPU を使ってるのに、なぜか逆はできない)ようになりました。
私のように UNIX のわかる者にとっては、普段は MacOS で、いざとなったらコンソールを開いて UNIX のコマンドベースで操作できる、実に使い勝手のいいマシンです。
いま Windows マシンをお使いのみなさん、Windows と DOS で同じ事やってるんでしょうかね。

そんなこともどうでもいい。現状で、昔といちばん変化したことは、価格です。
すでに Mac は高嶺の花ではなく、価格帯によっては「いちばんお買い得」でさえあります。
Mac 使い=金持ち、などという図式はとっくに崩壊しました。特別でも何でもない、選択肢のひとつです。

となると、よほど安物のマシンを使ってるか自作でもしない限り、自宅のパソコンを選ぶときに「Windows でなければならない」理由はありませんよね。
自家用車を買うときに「社用車と同じものを」なんて選ぶ人、いないでしょ。
まして世の中の流れは「脱 Windows」です。Linux マシンも増えてきたし、携帯端末の普及で「何がなんでも Windows」の時代はとっくに終わっています。

つまり「Windows マシンを使っている、それしか知らない」人は、数ある選択肢の中から自己責任で選んだだけの話で、それは必然でも不可抗力でもない。
まして他の OS と比較できないどころか経験も知識もないってのは、単なる勉強不足以外の何物でもありません。

ここで、ふと考えました。
落日の Windows を貶す発言を自分が貶されたと感じて憤る人は、マック信者の裏返しとは、違うのではないだろうか。
これはもしかすると、朝鮮ではないだろうか。

たとえば中国が尖閣諸島の権利を主張して、過去だの良識だの冷静だのぬかすのは、もう露骨に地下資源ほしさです。とてもわかりやすい。
もともとあの国は、ねちねちとあの手この手で嫌がらせをして相手の根負けを待ち、隙あらば強硬手段を取って既成事実を作りたがる国です。
これに対抗するのは毅然たる態度と地道な外交で、自民党が卑屈にならなきゃいいんですが。
で、それはそれでいいとして、肝心なのは、半島。
あそこは北も南も「洗脳」が国策でしょ。
北はいわずもがなですが、南も従軍慰安婦や竹島から始まって起源ヒステリーに至るまで、ほとんどすべて「まともな教育ではなく恣意的に偽りの教育を受け続けてきた」から、国際的に見れば馬鹿まる出しなのに本人たちは心からそれが真実だと信じてるわけでしょ。
だから北も南も、国際社会で通用するのは麻薬や武器の密輸や偽ドル札、そしてバブルの金だけで、信用はまったくない。

なんかね、今回それと同じことを、感じてしまったのですよ。
何々しか知らない。だからそれを否定されたら、まるで自分が否定されたかのように発狂してしまう。
Windows のことをなんでそんなに悪くいうの、そんないいかたするなんて信じられない、と。

これって新たな「ウィン信者」ですよ。
たまたまこの人は賢い(この部分に限っては愚か)ですけど、いま世の中で Windows に否定的な意見をヒステリックに糾弾したがり、とっくに消滅した「マック信者」などとレッテルを貼りたがるのって、桁違いにたちが悪い。

「そうはいうけど Windows にもいいところはあるんだぜ」と、大きく構えられないものなんでしょうかねえ。

・・・・・・・・・まさか、いいところが、ない?

カルト宗教というもの

2012-12-18 11:21:15 | FFXI

実は、うちの PS2 の BB ユニットが、壊れましてね。
自宅で検証した結果、裏側のネットアダプタは問題なし、完全に HDD がおかしいと切り分けができたので、修理に出しました。
ところが「HDD 交換だけなら見積もりせず修理を行う」はずだったソニーから電話。

「DVD ドライブにも不具合が見つかりましたので、そちらも合わせて修理いたします」

まてまてまてーい。人の財布を何だと思ってやがる。
DVD はたまに読み込みに時間はかかるが、特に不便に思ったことはない。こちとらスモーカー、レンズが汚れたら自分でシール切って掃除するくらいのこたぁするわい。余計なところまでいじるんじゃない。

「修理を承ったものは、完全な状態でお返しするのが原則なので、一部分だけの修理はできません」

あ、そ。確かに理屈は通っている。そういわれちゃしかたがない。
手つかずのまま返送させることになりました。

となると、さてさて、PS2 が直ってくる前提で考えていた FFXI、できませんねえ。ちょいと困った。
いよいようちの MacMini に Windows を載せて PC 版を考えなきゃいけないのだろうか。

あ。

私が荷物を詰め込んでいる、いわば土蔵のような(といっても四畳半相当の)部屋に、ひょんなことで入手した XP マシンがあります。
すごいよ。10 年もの。図体は巨大ですが、性能はいまの中堅レベル以下。ただし GPU だけは NVIDIA QUADRO。
他人が使っていたもので、自分では触りたくもありませんでしたが作業場所に引きずってきて、手持ちのモニタやキーボードをつなげてみました。
動かねえ。ブルー画面の大安売り。セーフモードにしても埒があかない。
自作派でない限り、たいていここで挫折するものですが、こちとら技術屋です。Windows には疎くても、コンピュータの中味は理解してます。

静電気対策をして、筐体を開く。ずっと使っていなかったから、内部のほこりは些細なもの。
これに掃除機をかけてまた閉じてしまうのは、素人。コンピュータが「何々が壊れている」と騒ぐとき、実際にその何々が物理的に壊れていることはめったにありません。
手の届く限り、メモリ、ビデオボード、HDD などのコネクタ部分をすべて抜いて掃除してまた差す。
このあたりの接触不良、特に古いマシンのコネクタは金属の接触がおかしくなっていることが多いので、ていねいに差し直してやります。
世の中こんなもんでして、たったこれだけで無事にデスクトップ画面まで到達しました。

とてもまともな日本語のわかる奴が書いたとは思えぬメッセージと格闘しながら、ネットワークの IP や DNS を自動取得するよう変更し、ようやくスクエニのダウンロードページに到達したと思えば「Internet Explorer 以外は対応していません」(これはマイクロソフトではなくスクエニが悪い)、それを起動してみれば「このバージョンには対応していません」、バージョンアップしようとしたら「バージョンアップに失敗しました」(これはマイクロソフト)、いやはやなんともはや。

そりゃ当時はモンスターマシンだったとはいえ、何年も眠っていたものです。いろいろ更新しなきゃいけないのは当然の話。
問題はそこじゃない。
ひとつひとつのステップで「うまくいかなかった、それは何のどこにどんな原因があったか」の案内が、ことごとく不親切なのです。

いっときますが、私は Apple II からのアップルユーザです。
ただしこれは、アップル社や製品に対して異様なまでの信奉を抱いているから、ではありません。
私は(簡単なものですが)FORTRAN でコンパイラを設計したこともあるし、UNIX は BSD も SYS V も、あるいは秋葉原でパーツを集めてボードコンピュータを自作しアセンブラで操作したり、とにかく数多くの言語や OS を扱ってきました。
その中で日常の道具としてはいちばん使いやすいのが Mac だから使い続けているだけで、逆にいちばん不親切で出来が悪いから Windows を使わないだけです。

たとえばあなたが ATM から金を引き出そうとして、うまくいかなかったとしましょう。
残高が不足した、暗証番号が違った、別の銀行のカードを入れた、正しいカードだが情報が壊れていた、ATM に異常があった、などなど理由はいくつも考えられます。
その場合「正しい暗証番号を入力してください」「このカードはお取り扱いできません」「係員にお知らせください」など、どうすれば解決できるかをアナウンスするのが当然です。
「予期しないページ宣言です」とかいわれて、誰か理解できますか?

これなんですよ。「使いたいなら理解してるのが当然だろ」という思い上がり。
MacOS のぱちもんなのは、しかたがないでしょう。あれを上回るものを独自に作れといわれても難しい。誰がやっても類似品になる。
それはそれでいい。真似るなら、なぜ「人に優しい部分」も真似ないんだ。なぜ好きこのんで使いづらくするんだ。

と、まあここまでは「マック教」と呼ばれた現象に言及する、どこにでもあるお話です。
実は私のいいたいことは、これよりももっと先にあるのです。

ずいぶん長くなったので、「続報を刮目されたし!」といって区切ることにいたしましょう。


口ほどに

2012-12-15 16:22:58 | にゃんころ

目って、何なんでしょうかねえ。
単なる玉っころにレンズがついてて真ん中に穴ぁ開いてるだけなのに。

たとえば同じ元ボクシング世界チャンピオンでも、渡辺二郎の目はどう見てもチンピラ筆頭なのです。
隙あらば小銭を掠め取ってやろうという目。
ところが具志堅用高は、バラエティでとんちんかんな回答をして笑っていても、時折見せる背筋が凍り付くほどの恐ろしい目。

中国で最近、こんなことがあったそうです。
どこかの村のじじばば、森に行ったら、巣から落ちた鷹の雛を発見。
じじばば、後で「保護するため」といっていたらしいが、家に持ち帰る(←この時点で食う気満々)。
その直後から、他の村人は何もされないのに、そのじじばばだけが鷹に襲撃され始める。
ばばあなんぞ数十針を縫う重傷。
じじばば、たまらず村から逃げ出す。

猛禽類なめちゃいけませんぜ。
あいつら自分より大きい鮭だの猿だの羊だの、平気で掴んで巣まで飛びますからね。
爪と嘴は、まるで出刃包丁が並んでいるようなものです。
そしてイージス艦のような、あの、目。

さすが具志堅、八重山の猛禽類の通り名は伊達じゃない。あの笑顔に騙されちゃいけない。

コミックで「手塚以前・手塚以降」と語られるように、人間を絵で描く場合に独特の表現方法があるのですよ。
「手塚」を「ディズニー」と置き換えてもいいかもしれませんが、まあディズニーの主戦場はアニメだったんでね。
たとえば「鉄腕アトム」のように、幼い or 若いキャラは目が大きくて額が広く細面、生物学的な子供の特徴を強調する。
これがパターン認識として浸透すると、少女マンガのように瞳に星が輝いたりした。

そして日本のみならず世界に、手塚革命に匹敵する影響を与えた人がもうひとりいます。
「大友以前・大友以降」。そう、大友克洋です。

彼は徹底的に特徴を捉え、しかも徹底的にデフォルメを排した。
日本人に代表される東洋人は、ぱっちりしていない吊り目。胴長短足。黒髪。
では写実主義かというと、そうではない。完全にコミックのキャラの顔なのに、いかにもコミックらしい顔ではない。

現在の世界のコミック、アニメ、ゲームなどのキャラは、3つの流れに分類されます。
ひとつは手塚治虫の流れを汲む。ひとつは大友克洋の流れを汲む。そしてもうひとつはそれ以外の独自路線。
どれがいい悪いではなく、世界中のコミックはこの3つの流れのどこかに位置している。
漫画を劇画にしたといわれる白土三平「サスケ」「ワタリ」もキャラの顔立ちは手塚系列だし、逆にいま劇画の金字塔と呼ばれるさいとうたかを「ゴルゴ13」も、大友系列に似てはいるけれど実は手塚系列の特徴で描かれています。
すべてを3つに分類はできないけれど、ほとんどは手塚か大友の影響を大きく受けている。

いずれにしても「目」の描写は、とても重要なのですね。
昨今のおめめぱっちりキャラを並べときゃ馬鹿が喜ぶというアニメも、おめめぱっちりメイクの若い子を並べておけばいいという AKB も、単なるパターン認識で商売をしているわけです。
「布が赤けりゃ牛は突進してくる」「ポロリを見せれば男は食いつく」「ジャニーズの稚児を出しときゃ女は食いつく」と同じ。
目が語るものの重さを、まったく認識していない。目はあくまで記号で存在しているだけ。
だから、死んだ魚の目のような中居が、人気を得たりしている。

もっとも、「具志堅はクイズで間違えてばかりいるおもしろいおじさん」としか認識できない人に、おそらくこの話は未来永劫通じないでしょう。


またひとり

2012-12-12 17:27:09 | にゃんころ

去年は駆け込みでジョブズと談志、今年は大丈夫かと思っていたら大滝秀治、勘三郎、そして小沢昭一。
しかたがないといえばそれまでなんですけど、虚脱感しかありません。

先ほど NHK-BS で小沢昭一のインタビュー番組の再放送がありました。
聞き手は私の知らなかった NHK の中年のアナウンサーで、ゲストから引き出すべき導入は提示し、話させるべきは話させ、それに応じて話題を発展させていく、なかなか見事な手腕でした。
数ヶ月前、フジの番組で高倉健への聞き手が軽部、という最悪のを観てしまったので一層その差が際立ちました。
そもそも軽部がインタビュアーできるはずがないだろ。原稿読ませて台風の現場で傘でもささせておけよ。

それはさておき、ラジオ「小沢昭一的こころ」でもおわかりのように(知らない人のほうが多くなったかなあ)、とにかく彼の「昭和の記憶情報」は半端なものではありません。
表舞台の芸能から裏街道のストリップ、大道芸、ドサ回り劇団、日本中の民俗伝承、生活習慣に至るまで、その興味は多岐に渡りました。

年齢でいえば彼は私のひと世代上にあたり、すべてが身近なものとして感じられるわけではありません。
たとえば「豆腐屋が自転車に乗ってきてラッパを吹く」は私も実体験で刷り込まれていますが、鋳掛け屋や傘の骨接ぎは間に合わなかったので、話を聞いてもあくまで知識でしか認識できません。
あるいは「何々地方でこういう話が語り継がれていて」と聞いても、その土地のことがまだ知識不足で、「あるある、あるよねえ」にはなりません。

しかしたとえば、今回の番組ではさすがに出ませんでしたが、「ストリップの踊り子を口説いて写真を撮らせてもらったら、本当に満足できるショットはフィルム(36 枚撮り)数十本にひとつあるかないか」との話を何かで読むと、私は心の中でものすごく共鳴するものを感じるのですよ。

私は小学生の頃から、もう半世紀近くカメラを抱えて歩いてきた人間です。
イベントのねーちゃんや方向者天国でスカートの中を撮りたがるカメラ小僧や、年金生活で暇になって野鳥や昆虫を撮り始めた連中とは、年期が違います。
これまで数十人、ねーちゃんを口説いて剥いて撮ったもの、あるいは隷の写真など、デジタルデータにして暗号の漆黒に沈めて保存している写真だけでもおそらく数十万枚はあるでしょう。
枚数だけならネットで画像を漁っている連中のほうが多いかもしれませんが、こっちはすべて生身の女性を私自自身が撮影したものだから、格が違う。
でも「この人が・私を相手に・この年齢のとき・このシチュエーションで・このような感情で・このような写真を」撮れたと心から納得できるものは、ほんとに 100 枚もないのですよ。
打率でいえば 1/1000、まさに彼のいうとおりです。

これがプロのカメラマンの発言なら、さほど心には届かないんですね。
少なからず機材やフィルムは経費で落としているし、デジカメになってからも含めてモデルの大半は「こちらから口説かなくても向こうから仕事でやってくる」のですから。

頼まれもしないのに自分から動いて、すべて自腹で、自分の興味の対象を掘り下げていく。
その活動の延長がラジオのレギュラー番組であり、収録した情報の書籍化や音源の CD 化であり、トークの素材です。
権威も知名度も何も関係ない。自らが興味を持つから追いかける。
興味でやれば何でも偉いってわけではないですよね。
たとえばガンプラは「ガンダム」という権威があるから、みんな追いかける。
コスプレも有名なアニメやゲームの格好ばかりしたがる。有名だから注目されるってだけでしょ。「隣に住んでいるお姉さん」のコスプレなんか、誰もやってないでしょ。
そんな薄っぺらいものも、専門馬鹿の学者ごときも、すべて吹き飛ばすくらいのことを、彼はやってきたのです。

これほどの人は、もう二度と出ないでしょう。
というより彼くらいの人が残さねばならないものが、もういまの日本にはほとんど存在していません。
学者程度にやらせておけば済んでしまう国に、日本はなってしまったのでしょう。

私も同世代の大部分の連中より、少なからずましな人間だと自負しています。
でも彼の領域には、到底辿り着けるものではない。
立ち位置は自分に近いのに、自分には永遠に追いつけない、貴重な人がまたひとり消えてしまいました。


「騙されるほうが悪い」

2012-12-09 22:51:50 | にゃんころ

なんせ数年の積み重ねの前ブログを一瞬で、バックアップもとらずに消してしまった私ですから、このブログも今後どうなるかわかったもんじゃないのです。
まあ今回は残しはしますけどね。サーバの片隅のごみと化すのは、もう決まり切っているのですよ。
ただ、いまの私は、書かずにはいられない。その部分では昔の私に戻った。
これはあの「し」で始まる名前の男が戻ってくる予兆、と解釈ください。
もちろんあの「の」で始まる名前のにゃんころも、いっしょに戻ってきます。

で、ちょいと広い話を。

ステマっていうんですか、無関係を装って関係者が恣意的な意見を世間にばらまくやつ。
最近はどこかの飲食店の評価を情報操作したとか、何かのアニメの料理シーンに原作を無視してサムゲタンを出したとか、そういうレベルで云々されていますけど、こんなもん「いまに始まったこと」でも何でもないのですよ。

たとえば警察の不祥事が世間で取り沙汰される時期に限って、警官や刑事が主人公のドラマがやたらと作られたり、「何々警察密着24時」とかいうのが増える。
「密着24時」なんて簡単ですよねえ。下手したらテレビショッピングより簡単。
よほどの僻地でもない限り、ずっと貼り付いてたら何らかのことは起こるでしょ。酔っ払いの喧嘩でもチンピラのいざこざでも。
単にカメラに収めて後からもったいつけたナレーションをかぶせりゃいいんだもん。

もっと遡れば「てなもんや三度笠」の「あたりまえだのクラッカー」も、「11PM」で雑談コーナーで必ずサントリーの酒を飲んでるのも、映画「幸せの黄色いハンカチ」でマツダのファミリアで移動してるときにラジオから流れる曲がファミリアのCMソングなのも、海外ロケの番組でJALの飛行機が飛んでるカットが入ったら出演者スタッフ全員アゴアシつきのロケなのも。
昔から当ったり前に山ほど存在したのですよ。
そんなもんは「あーあーまたこっそり押し付けようとしてるよ、みっともないねえ」で終わりです。

ではなぜ、いま、ステマというものが大騒ぎになっているのか。
民衆が馬鹿になったからです。

「ぐるナビで高評価だったので行ってみたらひどいものだった、どうしてくれる」
「高評価の並ぶサイトでおせち料理を注文したらクズだった、どうしてくれる」
いや、どうしてくれるも何も、あんたが間抜けなだけでしょ。なぜ信じるのよ。なぜ匿名の素人の意見を鵜呑みにするのよ。
そんな馬鹿が山ほど発生したから、韓国ドラマを垂れ流せば、「笑っていいとも」での人気ランキング1位をキムチ鍋にすれば、売春婦のグループを音楽トップチャートにすれば、とかいう流れになるのですよ。

日本にはまだ「マクドナルドなんかまずくて食う気にもならない」人が、たくさんいます。
ところがインターネットという個人情報発信手段が普及してしまったものだから、「ビッグマック最高ですよね」「吉野家がいちばんおいしいです」「スシローがいちばん」とかいう発言ばかりが垂れ流される。
本当においしいものを知ってる人は、あまりに馬鹿らしくてそもそも発言しないのですよ。
馬鹿の発言ばかりが流される。表面だけを見れば「日本はジャンクフードをうまいと思っている」情報だけがピックアップされる。

まあこれ以上やると「広い話」ではなく「広すぎる話」になるので、続きはまたの機会にしましょう。
馬鹿がこのブログを読むとは思えないんで、たいした心配もしていませんし。

去年に続いて

2012-12-08 14:14:20 | にゃんころ

ジョブズと談志が立て続けにあっちに行ったと思ったら、今年は勘三郎が片道切符で出かけてしまいました。

正直いって他の歌舞伎役者なら、ここまで落胆はしません。
でもあれだけ役に立たない老人が山ほどいて、よりによって勘三郎はないだろう。
これから歌舞伎はどうするんだ。本当に猿之助だけしか期待できない。

談志が本当に自分の好きなゲストばかり呼ぶ番組があって、当時の勘九郎も出演しました。
そのときの話。

「ある舞台でね、ちょっと工夫をしたのよ。ものすごく微妙な呼吸の部分ね。
そしたら客席から『うまいっ』て声がかかったの。
こんな誰も気付かないようなところで声をかけるなんて、どんな客だろうと思ってそっちに目をやったのね。
いましたよ客席に、黄色いバンダナが。
あ、この人なら声かけても不思議じゃないよなあ、って納得しちゃった」

昔は「日に千両 鼻の上下 へその下」といって、芝居小屋(観賞)、日本橋魚河岸(食)、吉原(売買春)は日に千両の金が動く巨大産業でした。
歌舞伎役者も小屋で演じる「だけ」で巨額の富を得られる立場でした。

ところが映画が登場し、テレビが登場し、芸能の小屋が必ずしも娯楽の中心ではなくなった。
そのたびに歌舞伎の連中は、新たなメディアを広告に使って小屋に客を戻そうと画策した。
映画俳優、テレビ俳優なんかいなかったから、どちらも出演者の多くは小屋の役者。
「あの映画に出ていた役者の舞台を観よう」と思わせたかったんですね。

しかしその姿勢が、自分たちの首を絞めることになりました。
小屋の求心力が急激に衰えるのに気付かず、映画やテレビで顔見せをすれば客は小屋に戻ると信じ続けていたのです。
結果、優れた俳優はどんどんメディアに軸足を移し、彼等に人気は出てもその人気が小屋の集客につながらない。
歌舞伎が単なる伝統保存芸能に落ちぶれたのも、無理からぬ話です。
いくら幸四郎がラ・マンチャの男をロングランしようが、仁左衛門が眠狂四郎でがんばろうが、吉右衛門の鬼平が当たり役になろうが、歌舞伎小屋は相変わらずリピーターの年寄りばかり。

そんな中で「歌舞伎そのもの」を再構築し、改めて評価してもらおうと腐心した双璧が、先代猿之助と、勘三郎です。
換骨奪胎を模索した猿之助は、いわば歌舞伎のベースだけを借りた「スーパー歌舞伎」で若年層の開拓に成功しました。
一方の勘三郎は伝統の歌舞伎を「残したままいかに新しくできるか」で、平成中村座などの活動に熱心でした。
どちらもその成果によって「もともとの歌舞伎の小屋にも新たな客を招く」ことに成功しました。

猿之助は一応健在ではあるものの、当代はまだまだこれから。
まして勘九郎は襲名したばかり。
これから数十年、歌舞伎はまたドサ回り劇団のような路線に、戻ってしまうのでしょうか。

そういうわけでございまして

2012-12-05 23:24:59 | にゃんころ

日常そのものが、ずいぶん煮詰まってましてね。
何かが煮詰まったとかいう単純な話ではなく生き方の根底の部分、いってみれば一生いちど悩むかどうかの問題がいくつも同時発生して、いわば三すくみのように足を引っ張り合って精神的に動けなくなってしまいました。
いままで生きてきたうちの1割近くが無駄な時間だった計算です。

それをすぐに解消するのは無理ですけど、解決のはじめの一歩になるかもしれないことを、しました。
まだ道筋は見えないけれど、もしかすると蟻の一穴になるかもしれません。
人間、食わないと生きて行けないので、日常に必要なことはこれまでもやってきました。
裏返すと、それ以外のことをしてこなかった、んですね。
本当に久しぶりに「これからも生きるためのことを、自分から」しました。

このブログを誰も読んでいないことは知っています。訪れるのは自動検索のコンピュータだけです。
それでも誰かに発信する以前に、自分の本来の姿である「人の心に届く文を綴る姿勢」を、また取り戻せる気がします。
本体のホームページを再開させたら、見学者名簿もまた新たに作るし、このブログは使命を終えます。
それでいいんじゃないだろうか。
私が私であるために、いちどは必要としたものなのだから。
いっぱいになった日記のようなもので、追加も更新もないけれど「それを書いた」ことに意味があった、と後から振り返られるものにできればよいかと思います。

と、まあ師走だというのに湿っぽい話はこれくらいにして、さてさて。

実はですね、数ヶ月前に PS2 が故障しまして。
ごく普通に電源を落としただけなのに、次に起動しようとしたら BB ユニットを認識しない。
まだ実質的に4年くらいしか使っていない FFXI 専用マシン、何の役にも立たなくなりました。

これを機に PC 版に乗り換えりゃいいんですけど、あいにく手元に「汎用にインストールできる Windows」がない。
私は基本的に「よほど不可避の場合を除いてマイクロソフト製品に金を払いたくない」ので、今回のことが「よほど不可避の場合」に該当するかを考えた。
結論。しませんでした。
もう1台、10 年以上前の PS2 が手元にあって、こっちはまだ HDD が健在なのに DVD ドライブがコケてしまった。
まあしかたがないよね。スモーカーの部屋にあるんだから。
2台でいろいろ差し替えてみる。これ、トラブル箇所を絞り込む基本。
そして、本体でも BB ユニットでもなく、HDD そのものに障害があることを突き止めました。
となると、ぱちもんの Windows を画策して MacMini に入れて動作確認してセキュリティトークンを買うより、この PS2 を修理したほうが得策。
明日、修理に出します。年内には戻ってくるので、またジュノのクリスマスソングを今年も聞けそうです。

てなことで、XI は9月からずっと無沙汰。
もう LS も実質解散状態だし、親しい人が次々にサーバ移動や妊娠出産で離れていったし、ミッションもアルタナを残して終えたし、また「Lv99 の一年生」のつもりでいろいろ歩き回ってみましょうかね。
つながりたいシンドロームではなく、もっとあの世界のことをいろいろ知りたいんで。

ところで、私は以前のブログで「ある意味でものすごく精神的に病んだ部分を抱えた人」と、たくさん接してきました。
当時の私はそれを受け止め、アドバイスをしていた。
少なくとも「その部分の脳味噌」は、健在なんですよ。私の頭の9割は以前と同じかそれ以上のクオリティを維持しています。
問題は残り1割が、私の行動すべてを阻害していることです。
エンジンも足周りも健在なのに、電子制御回路がおかしくなっているようなものです。まったく走れない。

いまはまだ「これで再び疾走できる」道筋が見えたわけではありません。
でも暴風雨の中、はるか彼方に光る灯台が、見えた気がします。

ま、気がするだけなんですけどね。どうなっていくかは誰にもわからない。