盗人宿

いまは、わかる方だけ、おいでいただければ。

吉祥寺

2020-01-23 00:34:16 | YouTube
YouTubeに上げる怪談話、次は江戸川乱歩の作品なのですが、その中に昔の「覗きからくり」の見せ物が登場します。

覗きからくりの説明は省きます。始めると長くなる。
問題はその中身です。

作品の中での覗きからくりは、八百屋お七の物語で、「ちょうど吉祥寺の書院で、お七が吉三にしなだれかかっている」というくだりの描写があります。
八百屋お七くらいはどなたもご存知でしょう。だからこれも省略。

何が問題かというと、お七の恋の相手は読み物の中では吉三郎、演じ物の中では吉三と相場が決まっています。
ところがこの「吉三」の読み方が、物語によって異なるのです。
「きっさ」と読ませる作品もあるし、「きちざ」と読ませる場合もある。
いずれの作品にも吉祥寺の場面は出てきますから、それだけでは判断できません。

で、乱歩センセイは、普通の人ならひらがなで表記するところをわざと漢字にしたり、あるいは明らかな誤用でありながらふりがなで強引に読ませることでも有名ですが、肝心の「吉三」にふりがながふられていない。
なんてこったい。

まあ「落語」にすると銘打っている以上は落語の土俵で「きちざ」と読ませていただきますが、脇が甘いですよ、センセイ。

それでもって吉祥寺。
私は若い頃、下北沢の近くに住んでおりましたので、吉祥寺という地名は子供の頃から知っておりました(行ったことはほとんどない)。
なんせ通っていた高校が東急東横線沿線にあったので、帰りには毎日井の頭線の「渋谷発吉祥寺行き」に乗っていたのです。
高校を卒業してから40年以上過ぎたいまになって、初めて知ったことがあります。

 吉祥寺という「街」に、吉祥寺という「寺」はない

本物の吉祥寺は、文京区の本駒込にあります。
現在の吉祥寺という「街」は、明暦の大火で焼け出された吉祥寺の門前町の人々が移転した場所だそうです。

いやー知らなかった。はっはっ。

「つぐみ」の真相

2020-01-18 07:20:38 | YouTube
YouTube からおいでになった人、いらっしゃいませ。私のブログに、ようこそ。

※ そうでない人は、まず↓こちらをお聴きください。


で、「つぐみ」ですよ、「つぐみ」。

グリム童話集の初版は、いまから 200 年以上前に発刊され、その後は版を重ねるごとに中身が削除されたり別の話に置き換えられたりして、いま我々が手にする「グリム童話集」といわれるものは、第7版に相当するものだそうです。
となると、「初版には載っていたが後で削られた作品群」が、どうしても気になります。
探してみると、近所の図書館にありましたよ、「グリム童話集『初版』の和訳本」が。

借りて読んでみて、削られた理由がよくわかりました。つまらないか、すでに他の人が紹介している作品に酷似している、この2点です。意外にも「残酷すぎて削られた」ものは、少なかったですね。

今回の「つぐみ」は、原題を「すぐに金持ちになった仕立て屋の話」といい、ハードカバーでたった4ページの小品です。
主人公がつぐみを拾うところから始まり、村のすべてが主人公のものになるところで終わります。
これだけでは単なる「人がたくさん死ぬわらしべ長者」にすぎず、おもしろくも何ともない。

そこで「わらしべ」のエピソードだけを借りて、ゼロから物語を書き直しました。つぐみを「ヌシ」にしたのも、主人公がひとりになって以降の話も、すべて私のアイデアです。
はっきりいって「私の作品」といっても過言ではありません。
さすがにそれはできないので、「原作」でも「原案」でもなく「出典」というあいまいなタイトルにしましたけどね。

そしてこの話にはもうひとつ、致命的な欠陥があります。
ちょっと長いけれど、そのまま引用しますね。

↓ここから↓ここから↓

仕立て屋は、みんなが家にいるかどうか、まず窓から中をのぞきました。すると太った坊主が兄さんのおかみさんとならんで食卓についているのが見えました。食卓には焼肉とぶどう酒の瓶が一本のっていました。ドアをノックして仕立て屋が中に入ろうとすると、奥さんは坊主を慌てて櫃に追い込んで、焼肉をオーブンに入れ、ぶどう酒をベッドにしまいこむのが見えました。いよいよ仕立て屋は家へ入っていき、兄さんとおかみさんにあいさつをすると、坊主が隠れている櫃の上に腰を下ろしました。

 (白水社「グリム童話集初版」全4巻のうち2巻より)

↑ここまで↑ここまで↑

ね、元の物語では主人公が兄の家に入った時点で、兄は在宅だったのです。ならばなぜ、おかみさんが坊主や料理を隠す必要があったのでしょうか?
しかも兄は櫃(「つぐみ」の中では長持)の中に坊主が隠れているのを見ているはずです。
ならばなぜ、つぐみと交換することを了承したのでしょうか?

これは原書のドイツ語の時点で間違って書かれているのか、あるいは日本語訳の時点で派手に誤訳したのか、現時点ではわかりません(ドイツ語の初版を入手する必要がある)。
いずれにせよ物語としては取り返しのつかないほどの間違いです。もし原書が間違っていたのなら、2版以降で削除されたのも無理のない話だと合点がいきます。

こんな欠陥品を、曲がりなりにも読める(聴ける)ようにした私は、偉い。
誰も褒めてくれないから自分で褒めます。

あーすっきりした。

100回突破

2020-01-15 15:32:43 | YouTube
昨年末に YouTube に上げた「泣き童子」が、本日の未明に視聴回数 100 回を超えました。

ごく一部の性的マイノリティの世界では、私は有名人です。
しかしそれ以外の現実世界でもネット社会でも、私はまったくといっていいほど無名の一個人にすぎません。
それがいきなりマイノリティとはまったく無関係の1時間超えの大作、しかも静止画で音声のみの作品を上げたのですから、誰も目に留めてくれないと思っていました。
ただし原作の宮部みゆき氏のネームバリューがあるので、翌年(2020 年)中に 100 でも 200 でも届けば御の字だと読んでいました。

それがたった3週間で 100 超え、しかも大晦日や三ヶ日という他の娯楽が豊富な時期を含めてです。
何とも嬉しい誤算でした。

もちろん、このペースが今後もずっと続くとは考えていません。
何より必要なのは「数を増やして作品群を作る」ことです。「なにかおもしろい事をやっている奴がいる」と大勢の人にその存在を知ってもらうことです。

これが朗読であればただ読めばいいので簡単ですが、落語の怪談噺にするには大幅な加筆修正が必要になります。
おそらく来週中にはアップできるであろう2作目は、原作はたったの4ページの小品ですが、作った台本は A4 で 10 ページにわたり、ほとんど書き下ろしになってしまいました。
こんなことしてるから、1作に時間がかかるんですよ。正月返上で何度も書き直しました。

でも、寡作で結構。粗製濫造をしてまで増やしたいとは思いません。
自分の頭と口のリハビリ、そして何より聴いてくれる人の満足のために、今後もハイテンションで駆けていきます。

まずは「100 回突破」という、実にささやかな、でも私にとっては重要なお知らせでした。


家紋

2020-01-12 14:27:22 | にゃんころ
きょうは父の95回目の誕生日です。

もう認知症が進んでいて、私が誰かもあまりわかっていないようなので会いには行きませんが、それ以外はまだまだ元気でもしかすると百まで生きるかもしれません。
いつまでも元気で長生きしてほしいものです。

実はきょうは「正式な」誕生日ではありません。
本当は大正 14 年の 12 月生まれです。
当時は数え年、つまり正月でひとつ年齢が加算されてしまうので、12 月生まれの子供はわざと出生届(「しゅっしょうとどけ」が正しい。「しゅっせいとどけ」は間違い)を1月生まれとして出すことが多かったそうです。

父方の家紋は、三つ柏(みつかしわ)です。丸のない、葉っぱ3枚だけの柏。
三つ柏といえば土佐藩の山内家、そして三菱グループを連想してしまいますが、もともとは日本十大家紋にも選ばれるほど多い、つまり名前でいえば佐藤さんや鈴木さんのようにありふれたもので、それだけで出自はわかりません。

父は若い頃に両親を亡くし、長男としてとても苦労して育ちました。
そして歳がいってから公務員になり、当時の文部省でノンキャリアとしては最高位の職を勤めてから早期退職しました。
その後はいわゆる天下りで某大学で勤務しました。美智子さん(現在の上皇后)の出身大学です。
彼女は時折、お忍びで大学を訪れることがあり、父がお話のお相手として同席させてもらったこともあるそうです。

そこで語られたのは主に「皇室の愚痴」で、とてもここで書くわけにはいきませんが、いやー皇室のダークサイドは、えぐいほど根が深い。
ここで書いたら速攻でその記事が、もしかすると私自身が消されるでしょう。
それくらい世間に知られるとまずいことが、皇室には渦巻いているのです。
雅子さん(現在の皇后)が心労で病んでしまったのも充分にうなずけます。

まあ話を戻すと、認知症になる前の父はとても頭がよく、聞かせてくれる話はどれもおもしろく、私が単行本を執筆中にわからないことがあると、電話をしたら何でも教えてくれました。
血圧が高いのと耳が遠いのを除けば、年齢にしては健康体といえます。

認知症の中で、父は「自分にしかわからない幸せな日常」を、心の中で過ごしているのではないでしょうか。

途中経過

2020-01-06 19:49:39 | YouTube
【落語にしてみた】怪談噺の2作目は、いま台本の第一稿ができて、写楽(iMac)に録音しながら「書きことばを話しことばに改めた台本(第二稿)」を作っているところです。

よく YouTube で「朗読」というのを見かけますが、本に書かれた物語はあくまで「目で読む」ための文章です。
それをただ読み上げただけでは「ああそうですか」で終わってしまいます。
これを私たちが普段しゃべっていることばに改めて、初めて落語という耳に血の通った作品になるわけです。
だからこれはけっこう時間がかかるし、書きことば専門(小説屋など)や話しことば専門(しゃべくり芸人など)には難しい作業になります。

そこで私の大学教員としての「書いて、話す」経験が活きてくるのです。

2作目はグリム童話集の初版、つまり2版以降には削られてしまったものも多い中から、やっと怪談噺にできそうなものを1編拾い出しました。
初版のほぼ完全な日本語訳は、白水社から「初版グリム童話集・全4巻」として出版されています。

私はまだ3巻までしか読んでいませんが、「なるほどこれでは削られるよなあ」と思うほどつまらなかったり、新しい版でも残酷なまま残っていたり(狼と七匹の子やぎ、白雪姫など)、なかなか怪談噺にできそうなものがありません。
まだ4巻が未読なので、図書館に戻ってくるのを待っています。

1作目「泣き童子」は、アップして2週間ですでに視聴が70回を超えています。
これはひとえに宮部みゆき氏のネームバリューによるものなので、2作目の出来次第で私の実力が問われます。
焦らず妥協せず、楽しんでいただけるものを目指しますので、いましばらくお待ち願います。


話は変わりますが、みなさんの中で「松の内」は、1月のいつまでですか?

私は昔から1月7日までだと思っているのですが、これは地域によっても家によっても違いがあるようで、三ヶ日だけだという慌ただしい説もあれば、逆に15日までというのんびりした説もあり、出会う人に「あめましておめでとう」と挨拶すべきか、「寒中お見舞い申し上げます」がいいのか、ちょっと迷います。


迎春

2020-01-01 21:58:45 | にゃんころ
あけましておめでとうございます。

きのうの大晦日の東京は風がものすごく強く、台所は夜も寒くて雑煮の仕込みができませんでした。
そんな訳で今年最初の朝食は、コーンフレーク。
雑煮はさっき夕食として食いました。

YouTube の怪談噺第二弾は、新年早々にさっそくクライアントからダメ出しを食い、出だしから嵐の航海です。
しかし、ここでくじけたら物書きの名がすたる。頑張らねば。

今年がみなさんにとって、よい1年でありますように。