盗人宿

いまは、わかる方だけ、おいでいただければ。

敬語

2013-03-20 05:43:16 | にゃんころ
スポーツ中継の、もうひとつの話。

いま、カーリングの世界選手権で、中部電力チームが戦っています。
日本女性には珍しく「おれはやるぜおれはやるぜ」と、まるで修学旅行の高校生がメンチ切る相手を探して歩いているような、攻撃的戦術を得意とするチームです。
現時点で4勝2敗。オリンピック出場に向けて好位置につけています。
「氷上のチェス」といわれるカーリング。じりじりしながらの観戦は、楽しませてくれます。

で、いいたいのは、このNHKの中継で、解説してる人。
敦賀信人。
ご存知でしょ?

長野オリンピック、対アメリカ戦。すでにラストの第10エンド。
場面はサークルの中にごちゃごちゃストーンがある乱戦模様、得点は同点。これを取ったほうが勝ち。
先攻の日本、弱冠二十歳のスキップの敦賀が最終の一投で会心のショットを見せる。第1ストーンは日本。これを守り切れば日本の勝利。
ところがアメリカのスキップが、信じられないようなショットをする。
密集しているストーンに当てて当てて当てて当てて、自陣のストーンを中心に押し込んだ。
わずか数センチの差で、アメリカの勝利。

その彼が解説をしているのですよ。
日本にカーリングを広めた最大の功労者といってもよいでしょう。
当時二十歳だから、いまでもまだ30代。
その彼の解説に、私はやられてしまったのです。
もちろん技術的なことは超一流。的確な解説は見事なものです。
でも私が魅入られたのは、そこじゃない。

彼は、日本の対戦相手チームの選手も「さん」づけで呼ぶのです。

考えてみりゃ、こんなもん当たり前なんですよね。
「弊社の社長さんは」などといってはいけない、新入社員なら誰でも叩き込まれますよね。
身内に敬語は使わない。日本語の鉄則です。
しかし国際試合の中継で、日本人を「何々くん、何々さん」と呼んで相手国の選手を呼び捨てにする解説者の、なんと多いことか。
当たり前のことを、誰もできていないのです。
完全にスポーツができるだけの筋肉馬鹿です。

これに輪をかけて、選手を愛称で呼ぶ超弩級の馬鹿までいます。
「りょうくん」じゃねえだろ「石川」だろ。「あいちゃん」じゃねえだろ「宮里」だろ。「まおちゃん」じゃねえだろ「浅田」だろ。
てめえらが内輪で何と呼ぼうがかまわんけど、公共の電波だろ。対外的な場面で、てめえの社長や社員を「何々ちゃん」って呼ぶか?

そんなスポーツ中継に辟易し続けていたから、敦賀氏の解説は、とても心地よいのです。
当たり前のことを当たり前にやる、
そんな当たり前のことすらできない解説者が蔓延っているから、彼の解説はとても落ち着く。

「解説者はその世界に詳しい人を」。これはまあ理解できないでもありません。
騒々しいだけの素人や芸人を解説に呼ばれても困りますしね。
WBCの中継の中居は、ほんとに不快でしかなかった。ああいうのはいらないどころか、こられると迷惑する。
でも、詳しいなら誰でもいい、ということでもないのですよ。
最低でも世間の礼儀作法をわきまえた人でなければいけない。
それが公共のメディアというものです。

決してまだメジャーになったとはいえない、カーリング。
そこに、逸材がいた。
私はこれを評価したい。応援したい。
当たり前のことを当たり前にできる人を、応援したい。

あ、中部電力チームも、応援してますよ。がんばれぇ。

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とっととくたばれ

2013-03-20 05:03:29 | にゃんころ

スポーツのテレビ中継で、いろいろ考えることがあります。

まずは野球。
日本はスポーツ選手が海外のレベルが高いチームに移籍したり、あるいはそこで育成されてデビューすると、とても喜び応援します。
ところが野球だけは、不思議なことに海外でのプレーを「ファンを裏切った」と叩くのですね。
これ、なんだろう。

卓球の福原愛が中国のチームに入ると(私は彼女は個人的に大嫌いですが)みんな応援する。
石川遼や宮里藍がアメリカのツアーでプレーすると、みんな応援する。
でも野球は海外に行くというだけで罵倒する。

個人競技とチーム競技は違う?
それならサッカーの本田や香川や長友はどうなのよ。
バレーボールの木村さおりんはどうなのよ。
ファンを裏切ったなんて、ただのひとりでもいいますか?
そんな馬鹿なこというの、野球だけですよ。

これはまあ張本という日本野球原理主義者が諸悪の根源なんですけど、あんな馬鹿ひとりで一国の世論が傾くはずもない。
根底に何かおかしいものが巣食っている。

かつて日本人は、マッシー村上がSFジャイアンツで驚くべき活躍をし、「日本人にもこんなすごい奴がいるのか」と毛唐の度肝を抜きました。
その後、長く沈黙の時代が続きます。
もう引退間近の江夏が挑戦しましたが、あえなく玉砕。全盛期だったらおもしろかったでしょうね。
日本人選手がアメリカ人を驚愕させるのは、野茂の出現を待たねばいけませんでした。

野茂がドジャーズに入団したとき、日米間で選手の契約に関する取り決めは、何もありませんでした。
彼は当時の近鉄バファローズを、いわば解雇される形で、裸一貫で渡米しました。
折しもメジャーは前年度のストライキの影響で試合の多くがキャンセルされ、「ファンより金儲けかよ」と客離れが進んでいました。
そこに極東の島国からきた男が、ばったばったとバッターを(シャレじゃないよっ)片っ端から切り捨てて三振の山を築く。
当時のメジャーには、フォークボールを決め球にするピッチャーは、ほとんどいなかった。フォークだとわかっていても打てない。
野茂を見たい。野茂を応援したい。ドジャースタジアムは客で溢れ、メディアも盛んに伝えました。
野茂は、メジャーリーグの、救世主となったのです。

ここで重要なことが、ひとつ。
この時点で「日米の選手移籍のルール」を、しっかり決めておかねばならなかったのです。

それを誰もしなかった。
日本球団間での移籍のルールはあったけれど、外国との間のルールは何もなかった。
場当たり的にポスティングとかいうものを作ったけれど、不透明だしキャンセルも自由(岩隈のケースなど)だし、ろくなもんじゃない。
つまり、他のスポーツでは当たり前の「レベルの高いリーグに選手が行くことで、自分たちのレベルも底上げされる」という概念が、日本野球にはまったく存在しないのです。

WBCの決勝リーグで、日本は破れて3連覇を逃しました。
あんな金儲けイベントに出場したこと自体たいしたもんだし、これまで2連覇してたし、半島のクズ国がとっとと敗退する中で、2次リーグでの台湾との死闘を筆頭に、よくもまああの無能監督の元であれだけ戦えたものだ、と感心するほどの足跡を残してきました。
田中まーくんなどには、1次リーグからメジャーのスカウトが貼り付いていたそうです。
日本の野球は、強いです。そしてクリーンです。
しかし、どこかが決定的に、おかしい。

日本野球の体質は、いまだに「鎖国」なのです。

春の高校野球は、毎日新聞が行う。
夏の高校野球は、朝日新聞が行う。
利権を掴み損なった読売新聞が、苦肉の策で「職業野球」を立ち上げた。
これが日本のプロ野球です。完全に読売の思惑で動いています。
ナベツネがいえば、ルールブック。
この歪んだ体質が改善させる、まあ早い話ナベツネがくたばる以外、日本野球の体質が変わって健全化することはないでしょう。

あれ、野球だけでずいぶん、長くなってしまいましたね。
もうひとつ話したいことがあったのに。
別の書き込みにすることにしましょう。

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相手をみてからものをいえ

2013-03-05 08:35:10 | にゃんころ

たまに、こっち方面も、やっておきましょう。

十数年前、日本に「SMブーム」というものが、訪れました。
メディアにやたらと「SM」が取り上げられ、テレビでは「アイマスク+レザーのレオタード+黒の網タイツ+手に赤い蝋燭とナインテール」という、まあ頭抱える以外にどうすりゃいいんだよという「女王様」が上から目線でものをいう番組が、連日のように垂れ流されました。
ちょうど「ブログ」というものが世間に普及した時期と重なります。
すると必然、「M女の何々ブログ」「何々の部屋」とかいうものが、見事なまでに垂れ流されたわけでございます。

もともとサディズム・マゾヒズムは何千年も、もしかするとそれ以前にもあったであろう、人間の根源です。
ブームになろうがなるまいが、本当にそれを自覚や理解している人にとっては、ごく当たり前のことです。

十代でそれを自覚した私にとって、あのSMブームとかいうものは「勝手に始まって勝手に終わった」だけのものです。
いやー、おもしろかったですよ。
M女を自覚していたらしい誰かさんのブログがもう痛くてしかたがなかったり、「僕に何々されたい子はメールを」と、それで女が釣れると本気で思っているらしい馬鹿男のブログが乱立したり、「雌豚のみ入室可」とかいうチャットルームがあったり。
笑う以外、何すりゃいいんだよ。

昔、フランス人の女の子を飼っていたことがあって、私のフランス語は細かいニュアンスまでは難しいレベルですから、英語で意思伝達をしていました。
向こうのSMの概念は、日本とは少し違っているそうです。
「個性として受け入れる」のが当たり前で、特殊でもなく恥じることでもなく後ろめたいことでもなく、「それを持つ人は持ちながら生きていくのが当然」なのだそうです。
かわいい声で鳴く子でした。
帰国してからはすでに消息もわからず、幸せに暮らしていてほしいと願うばかりですが、彼女には山ほど教えたと同時に、山ほど教えてもらいました。

私はブームだなんだ関係なく、釣り堀サイトなど必要もせず、というよりインターネットはおろかパソコン通信もない時代から、女の子を飼って躾けて弄んできました。
私も含む昔の人たちは、雑誌の読者欄などを通して相手を見つけ、関係を築いてきました。

私は、飼った女の子の写真を、決して外に出さない事を信条にしています。
数万枚に及ぶ彼女たちの写真や、数百時間に及ぶ動画は、いま膨大なパスワードに沈んでいます。
おそらくアメリカ国防省でも中国のハッカーでも、辿り着くのは困難でしょう。

ただ、ひとりだけ、例外がいます。
その人の写真は、すでに世界中に出回っています。
別に私が出回わらせたわけではなく、私があるサイトに投稿したら夥しいコピペが繰り返されたのです。

この人は、私を、人として侮辱しました。それが許せなかったのです。

これはとてもセンシティブな要素を持っています。
きょうび、「自分が気に食わないから自分への侮辱」とかいい出すネット住民は山ほどいるわけで、単に自分と考え方が違うから全否定していいか否かは、自分の人間性が問われる問題です。
感情的なネット住民か否か、と問われます。

考えて考えて考えて、私はこの人のファイルをネットに上げました。

「俺に逆らうと写真を流すぞ」とかいうそこらのチンピラの話ではないのです。
芸能人が過去にセックスしていた写真(録らせる時点で負け犬ですけど)の話ではないのです。
さらにいえば「お前は俺のいうことをきく存在だろ」という話でも、ないのです。

人として裏切られたら、報復するしか、ないのですよ。

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一期一会

2013-03-05 07:41:35 | にゃんころ

今月は日本映画専門チャンネルで、伊丹十三の全作品を放映しています。
しかも「天皇の世紀」まで流すという、ずいぶんな力の入れようです。

てめえらの勝手な理屈で伊丹十三を殺した創価学会は存在そのものが地獄に堕ちるでしょうが、存命時に伊丹十三は、再三いっていました。
「映画は、撮影と現像が終わってからがおもしろい。あとはよくなるばかりで、悪くなる要素がひとつもない」

たとえば北野武のように「事前の台本は薄っぺらで、現場で猛烈な才能を発揮する」タイプの監督もいますが、逆に伊丹十三は徹底的に事前の作り込みを構築する、黒澤明タイプです。
さすがに黒澤のような「あそこの家、じゃまだな。壊せ」という無茶はいわなかったようですが。

で、この特集は今月のもので、いま「お葬式」が終わり、次の日曜は「マルサの女」「マルサの女2」が流れるというタイミングです。
ひなまつりの日に流れたのは「タンポポ」です。

私、この映画、大好きなんですよ。

私はもともと小食な上、めんどくさいと何日も食事をしないこともあります。
空腹というものを、めったに感じないんですね。
本能の部分が欠落してるのはまずいと思うのですが、治療でどうなるものでもないし。
ビタミンのサプリの世話にはなっているものの、すでに体はもうぼろぼろだと思います。

で、この「タンポポ」。
ご存知のとおり、たまたま立ち寄ったラーメン屋の主(宮本信子)に「弟子にしてください、この店を一流のラーメン屋にしたいと思っちゃったんです、お願いします」と乞われ、主人公(山崎努)がそれに尽力する物語です。
時には頼み、時にはなりゆきで、先生(スープ担当)、正平(麺担当)、ビスケン(内装担当)が加わってプロジェクトチームが店を改善していきます。
まさに行列のできる店になった日、彼等はさりげなく、ちりぢりに去って自分の元の居場所に帰っていきます。
演出としては「シェーン」に近い位置づけといえるでしょう。

私はこの映画で、いつも、あることを思い出します。

おそらくテレビ創世記のことでしょう。
父が、熱く語ってくれたのです。すばらしい番組のことを。

国宝級の寺を、修復することになった。
国から依頼された、宮大工。相手(寺)のあまりにひどい現状と、修復に要するあまりに膨大な職人技に直面した。
彼は、修復にかかる前に、老骨に鞭打って全国を訪れ始めた。
「お前さん、あの寺を直すのに、手を貸してくれないかね」
スカウトキャラバンです。全国の宮大工に声をかけたのです。

もともと日本の古代建築てものは、いまの土建屋が総力かけても手をつけられないノウハウの、集大成です。
田舎の辻堂を修復してほしいと思っても、何々建設や何々工務店では、どう触っていいものか、何もわからないのです。
いにしえの匠の技を伝承した、宮大工にしか触れられない代物です。

日本中の匠を集めたプロジェクトチームは、寺の修復にかかりました。
イチローが9人いるようなチームです。倒せない敵などどこにもいない。
寺はまさに、いにしえの匠が建造した当時と同じものを、再現しました。

そして落成の日。
彼等は「達者でな」とことばを交わし、何もなかったかのように、それぞれの故郷に帰っていきました。
番組のラストは、呼びかけた宮大工の、杖をつきながら歩く後ろ姿で、終わっていました。

いや、私は、観てないんですよ。
父に聞かされて、まるで自分が観たかのように、一発で刷り込まれてしまったのです。

余韻を楽しむ、あるいはそれをきっかけに知古になる、てのは誰でもやってることです。
しかし世の中には、ものすごいことをなしとげて、何もなかったかのように「当たりめぇだろこれくらい」と、振り返りもせずに去っていく人が、いるのです。
きょうびの「つながりたい」を求めたがる連中には想像もつかない、美学です。

「タンポポ」は、序盤の納豆や味噌汁や糠漬けの朝食の場面をはじめ、「何も食いたくないときはこれを観る」私のサプリメントのような存在であると同時に、いまの時代にはほとんど忘れられた大切なものを思い出させてくれるものでもあるのです。
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