もう四半世紀以上前の事です。
隅田川の花火大会には、毎年会場に通っていました。
大学を卒業して下町にひとり暮らしを始めてからは、家から十数分で行けるようになり、さらに便利になりました。
長く通っていると鑑賞に適したスポットも自然に覚え(もちろん他の人も覚えるから混雑はしますが)、大輪の花火と腹に響く音を楽しんでいました。
結婚して、長女が1歳になった年のことです。
妻が「自分も行きたい」といい始めました。
長女は実家に預けるのかと訊ねると、連れて行ってやりたいという。
嫌な予感がしました。
押し問答の末、妻が抱っこベルトで長女を抱き、3人で会場に向かいました。
現地はもう大勢の人だかり。妻と長女を守りながら、いい場所に進んでいきました。
そしていよいよ花火が始まると、嫌な予感が的中しました。
花火の音に驚いた長女が、火がついたように泣き始めたのです。
妻があやしても泣きやみません。
「こりゃ無理だ、帰ろう」
「やだ、見ていきたい」
「でも大勢の中で、赤ん坊を泣かせ続けるわけにいかないだろう。人のいない場所に移動しよう」
「いやだ、ここで見たい」
だから実家に預けろといったのに。
私は長女を抱き上げると、妻を残してその場を後にしました。
母親が抱いて泣く赤ん坊を、父親が抱いて泣き止むはずもありません。
とにかく泣き声で周囲に迷惑をかけない場所へ。
たまたま最上階しか電気の点いていない雑居ビルの玄関のドアが開いていたので、私はその中に入ってドアを閉めました。
花火の音は容赦無く聞こえてくるし、長女は泣き続けます。
私は長女を抱きながら、ひたすら花火が終わるのを待ちました。
そして最後にひときわ大きな破裂音がして、花火の音が止みました。最後の尺玉でしょう。
ビルを出ても、長女はまだ泣いています。
このままタクシーで帰ろうかと思いましたが、交通規制と混雑でそれどころではありません。
その時、私を呼び止める、妻の声が。
ちゃっかり特等席で最後まで花火を楽しんでから、泣き声を頼りに私を探したのでしょう。
あまりにバカらしくて怒るより呆れてしまいました。
それ以来、たまたま遭遇した場合を除いて、私は全ての花火大会の会場に行くのをやめました。
あの時の事を思い出したくないからです。
ところがいま住んでいる家は多摩川に近いので、夏になると必ず何ヶ所かで花火大会があります。
見えないけれど音が聞こえたり、建物の間からわずかに花火が見えたりすると、やはり思い出してしまいます。
花火大会と無縁の場所に、引っ越したいものです。