なんかフランスで揉めてるらしいんで、同性婚について少し考えました。
私は以前にほんの短期間ですが、ふたりの女の子を同時に飼っていたことがありました。
女の子が絡み合う姿を眺めるのは実に魅力的だし、ふたりを同時に使って遊ぶのは男の至福の時ともいえます。
しかしこれはあくまで「私を触媒にした関係」で、同性が愛し合うこととは違います。
日本では同性愛は「出雲の神様が忙しすぎて赤い糸を結び損ねた」といわれます。
でも禁忌として語られることはあまりない。ゲイもレズビアンも「しかたがないねえ」と困った表情はしながらも、受け入れます。
何がなんでも否定しなければいけない存在では、ない。
ところがケツの穴の小さい宗教が絡むと、いきなり話が国を揺るがすほどの騒動になってきます。
いま世界中で、同性婚を認める法律が、次々に成立しています。
たとえばドイツではすでに数万組の同性夫婦が暮らし、施設の孤児を養子にするなどで子育てをしています。
つまり「無知な男女が無節操なセックスで生んでしまった、望まれず見捨てられた子」の受け皿にもなっています。
ある番組で、そのような子供が本当に幸せそうな目で、話をしていました。
「子供には父親と母親がいなければ」なんてのは、こり固まった思い込みにすぎないのです。
となると「同性婚は悪だ、中絶は悪だ」といってデモや暴動まで起こるってのは、どこか根底が間違っている。
そんなことを信じ込ませる宗教って、いったい何なんだろう。
一夫多妻はアラブで有名だし、デヴィとかいうのも単なるスカルノの妾だし、逆に多夫一妻の文化のところもチベットの近くにあります。
男と女のありかたは、人それぞれであるのが当たり前です。
自分が信じるものと反するから社会から排除しろというのは、あまりに短慮です。
私も世間からは「変態」などといわれる性癖を持っているので、特にそう思います。
男が男と愛し合う、女が女と愛し合う、私は個人的には認めるべきだと考えます。
「本来(古い考え方)はそうならない相手を愛してはいけない」なら、2次元キャラ云々といってる奴は全員死刑でしょ。
自然、という概念が多様化してるんですよ。
そしてそれを戒律で禁止すること自体が、おかしいんです。
いや、別に自分たちが戒律でそれを禁じるのは、別にどうでもいい。好きにやればいい。
私もヲタクは滅んでほしいと思ってる。
しかしそれを「社会の一律のルール」だと主張するのは、間違っている。
「政教分離」は、多くの先進国で叫ばれていることです。
でもそれができている国はほとんどない。日本なんかまさにそうでしょ。K党、ここでは仮に公明党とでもしておきますが。
他の国も、信者=得票という図式から、ほとんど抜け出せない。
同性愛者は人としての倫理だけでなく、宗教の盲信者とも戦わねばならない。
置かれている中味は違うが立場は同じ者として、同性婚を強く応援したいです。