まじ卍

生活の中で気が付いたことを書いています。

スマホ時代への危機感①

2024-01-25 | 反省
私自身、スマホは手放せないアイテムになっている。
その起源はノートパソコンを持ち歩くことから始まった。
出来るだけ軽いPCからメモ機能だけのものと変わり、
iPadを手にした時からネット環境も整い、今はスマホが手放せない。
LINEも頻繁に利用しており、実に便利に利用している。

その分、スマホの弊害が不安となり、
当ブログでも度々書いてきた。
今回の懸念は日本語が正しく伝わらないことへの不安だ。
会話というものは大切なコミュニケーション手段であり、
会話を通して学べることも多い。
自分に直接話してくれる情報だけに限らず、
他人同士が話をしていることが自然に耳に入り、
新たな知識となることも多く、
聴覚障がいのある方はその機会を逃していることを
学生時代に書いたこともある。

しかしながら現代では、若者同士での会話がLINEやメールとなることで
今まで以上に、昔から使われてきた日本語が語られなくなっている。
そのために日本人同士なのに日本語が通じない
上司の話が分からない、若者に話を理解してもらえない
老人ホームで若い介護者と話が通じなくなるといったことが起きている。
その一例として
舟をこぐ、あぐらをかく、足が出る、乗り遅れる
空中戦、つうかあ、けんもほろろ、チャンネルを変える
(10時を)回ってから、(見積もりに)色を付ける
一丁目一番地(という住所?)、よしなに
いってこい(ってどこへ行く?)、タガが外れる
カッパ、チョッキ、えりまき、バンド、チャック
赤札、旗日、とうとう私にお鉢が回ってきた
下駄を預ける、大風呂敷を広げる、重箱の隅をつつく
袖の下、そろばんが合う、二足の草鞋を履く
腰巾着、ちゃぶ台をひっくり返す、夜鍋
お灸を据える、うだつが上がらない、左うちわ
・・・・・と一例で済まなくなってしまった。
たらいを知らない人、風呂敷で何かを包んだ経験のない人、
下駄を履いたりしたことのない人など「知らないモノ」から言葉の連想は無理だ。