まじ卍

生活の中で気が付いたことを書いています。

自力本願と他力本願

2024-06-27 | 考え方
自力本願と他力本願という言葉があります。
他力本願というのは一般的には阿弥陀如来様に身を委ねることを意味し、
宗派を越えた話で言えば神仏に身を委ねる信心と考えます。
一方、自力本願という言葉は他力本願に対する造語という説もありますが
自ら生み出すこと、つまりは悟りを開くことを意味すると考えられます。
信心をするうえで神仏に身を委ねることはもちろん大切なことだが、
それだけではなく自ら練りだすことが大切だと思っている。

定年退職後、日々の生活中でいろいろと考えてきたことの大半は、
自力本願か他力本願かで整理がつくように思われる。
以前NHKで放送された高知県出身の植物学者牧野富太郎氏の人生を
モデルとした『らんまん』では、
「世の中に“雑草”という草はない。どんな草にだって、ちゃんと名前がついている」
植物図鑑を作っていたように
一見ではただの雑草にしか見えない草草でも、意識をもって
見るべき人から見れば、植物園のようにさまざまな植物が咲き誇っている。
同じように普段何気なく乗車している電車でもそれぞれに形式があり、
私たち鉄道ファンにとっては宝の山でもある。

そう考えれば、わざわざ高い入場料を支払ってユニバーサルスタジオや
東京ディズニーランドやディズニーシーまで足を運ばなくても
いくらでも楽しめることはあるのだが、
ああいう箱ものがなければ楽しむことが出来ない人たちがいる。
同じように公営ギャンブルや麻雀などお金を掛けなければ楽しめない人もいる。
さらに言えば、電車に乗ればパカッとワンカップを開けるように開くスマホ。
もう既にスマホなしでは時間を潰せず、
スマホなしでは人との交流さえも出来なくなってきている。

最近はAIを搭載したマッチングアプリがあるそうで
出会いがない人たちによく利用されている。
しかし私は「出会いがない」という人が知れない。
千日回峰行でもして山の中にこもっているのであればそうかもしれないが
日々生活していれば、他人に会わないことはない。
私の場合、手話サークルをはじめさまざまなグループに属しており
常に新しい人との出会いが尽きることがない。
毎日家族以外の誰かと会話し、その人を通じて新しい人とも出会う。
もっとも今の時代だから、一日中ネットを介してでしか他人との接点もなければ
リアルに人と会話もしない人であれば、
マッチングアプリを通じて知り合ってもざっくばらんに話が出来るのか分からない。

つまりは自力本願でリア充出来ている人たちと
他力本願で、何か具体的な媒体に遊んでもらわなければ
遊ぶことさえもパートナーを探すことも幸せを見つけることも
出来ない人たちがいる。
そういう人たちは既にアルコール依存症、薬物依存、ギャンブル依存へと
何事にも依存させられる傾向にある。
これからもっともっとAIが充実していけば
職を奪われるだけに終わらず、自身の価値さえも奪われていくかもしれない。
どうせならAIの開発に携わって、AIを利用してAIに稼がせる側でありたい。