まじ卍

生活の中で気が付いたことを書いています。

夫婦別姓

2024-06-25 | 考え方
夫婦別姓の議論が大詰めになってきた。
明治の時代から続く苗字への考え方が変化してきて
これまでの男尊女卑の考え方や偏見により
築かれてきた常識と言われてきた世界が今、変わろうとしている。
今までの常識が壊される時、必ずその常識を変えられたくない人が存在し
いつの時代でも反対者は現れる。
しかしそれは夫婦で苗字を変えさせられた側の考え方ではなく
生まれたままの苗字を使い続けている側の考え方である場合が多い。

我が家でも妻は、私の苗字を名乗っている。
妻は自分の生まれた家や親族などとの関係性に於いて
あまりよく思っていなかったこともあり、
結婚して私の姓に変わることを快くしていたので
なんら問題性はなかったけれど、
友人らの中には旧姓を名乗る者や夫婦の姓の一文字ずつをとって
これまでにない苗字を通称名として使っている者もいる。

私自身は今の時代に、明治時代の考え方を続ける必要性は考えられず
戦後の日本のようにさまざまな価値観が淘汰され
変わってゆくことには賛成している。
おそらく多少の凸凹はあるにしても国民全体の意識としても
率先してこれまでのしきたりにしがみつかず
自由性にすることには賛成に振れていくだろうと思う。

しかし管理する側の問題は、解決されていない。
国民の意識を反映させて国の偉い人たちが決定して施行されても
実際に個々の人間を管理している役所の煩雑さを考えると
膨大なデータ管理がさらに増えていくことは必至で
申し訳ないが私には、今の役所の人たちがさらに増えるデータ管理を
受け入れるだけの能力は見込めないように思うのだ。

例えば先日もNHKでご遺体の身寄りが分からないまま火葬され
後から親族が現れたトラブル
を特集していた。
私も仕事柄、多くの無縁仏様に出会ってきたが
身寄りのない人が亡くなった場合、役所は親族などを調査されるのだが
すぐに親族と連絡が取れるケースはいいけれど
中には半年もかかっても、ご親族が見つからなかったり
身内がご遺体を引き取られないことも多く、その場合
葬儀もなく私ら2~3人で手を合わせて火葬してきた。
早期で火葬される人の場合は、ご遺体の顔も拝めるが
1か月以上も火葬されないケースでは、お棺も完全に打ち付けて閉めてあり
顔も拝めない。おそらく冷凍保存し過ぎて見せられない状態になっているのだろう。
さらに私らとも関係のない人の場合、手を合わせる人もなく火葬される。
仮に出先での事故で病院に搬送されると、近くに身内のある人でも
搬送された人の氏名も生年月日も分からないケースがあり、
捜索届が出されていなかったりすると保管費用もかかるため
火葬されるということが起きる。
テレビでは養子に入ったことで近隣に住んでいても連絡されず
火葬されたケースを紹介していた。

そういうことも考えると、国民側だけで夫婦別姓を決めるのはいいが
この国は、大丈夫なのか?と心配に思っている。

長生きすることは本当に幸せなのか?

2024-06-24 | 受け止め方
年齢を重ねるとともに自分より年上の方々が亡くなっていく。
さらには同世代の者も次々と亡くなっていき、
気が付けば自分より若い人ばかりになってしまう。
昔から長生きすることは幸せなこととして教えられてきたが
自身が60代を迎えるようになり、果たして
長生きすることは本当に幸せなのか?ということを
考えるようになってきた。

間もなく92歳を迎える父を見ててもそう思う。
同じ世代の人たちは生きていても施設か病院生活を余儀なくされており、
周囲にはほとんど見当たらない。
他人にはとても聞けることではないが、
長生きすることが果たして幸せなのかどうかを父に尋ねてみた。

幸せかどうかはその環境によるもので、
子や孫に囲まれていたら幸せだし、独りぼっちなら寂しい。
でも家族が揃っていてもケンカばかりしていては幸せとは言えない。
それは外見上の問題ではないと言っていた。
言われてみると得心のいく回答でした。

まだまだ自転車に乗って活動的な父は、
つきあいにくいところもあるんだけれど、
父には出来る限り自由に長生きしてもらいたいと思う。

ブリンバンバンボン

2024-06-22 | 受け止め方
TVアニメ『マッシュル-MASHLE-神覚者候補選抜試験編』オープニングテーマ
の曲が流行している。
アニメ自体にはまったく興味も関心もないんだけれど
なぜかブリンバンバンボンというところだけが耳に残る。
それは“一度聴いたら忘れられない”“頭の中でフレーズを繰り返してしまう”という
歌詞や曲調がひとつの要因だろう。
いわゆる“韻を踏んだ”歌詞とシンプルなメロディーは、頭に残りやすい。

と書いている人もあるが、私はこのメロディがすでに頭に入っている。
それは、久保田利伸さんの大ヒットソング「流星のサドル」の最初の
「夜を越えてゆくのさ」
というところ。 
音程にはさがあるけれど「ミレドレドシドシラシ」というところがピッタリ合う。
このメロディが前もって頭に入っているせいで、
どこか懐かしさを感じてしまうように思えるのです。

絶対音感があれば理解してもらえるとは思うんだけど
こんな説明でみなさんに伝わるかな?

私のカスハラ

2024-06-21 | 反省
カスハラ(カスタマーハラスメント)が話題になっている。
私自身もカスハラを受けた経験もあり、難しい問題だと思う。
実際に受けてしまうとダメージが大きく、
精神的に病んでしまったり、仕事への意欲も低下してしまう。
自分がやられて困る事象だけに
自分からは絶対にしたくないという気持ちを持っているが
思い返せば「もしかしたらカスハラしてたかも?」
と思い当たることもある。

もう何年も前のことだがトイザらスに買い物に行った時のこと。
駐車場に車を停めてお店に行くと、
あいにくその商品が品切れと言われ、諦めて帰ろうとすると
駐車料金が異様に高く感じた。
本来であれば在庫さえあれば、購入して帰るのだから
駐車料金も無料になるはずが、在庫切れにより二度手間になるのいいとして
駐車料金を求められるのに憤慨し、
駐車係のおじさんに分かるように優しく説明しているものの
駐車係としては購入していないんだから支払ってくれといい、
押し問答になった。

最終的には駐車係が怖がったような顔つきで折れられて
「もういいです。早く出て行って下さい。」と言われたが
こちらの言い分をきちんと理解せず、カスハラ扱いされたことに頭にきたが
これ以上の落としどころはないと判断し
御礼を言って帰ったことがある。
私としてはゴネているつもりはなく、議論しているつもりだったんだけど
駐車係からすれば明らかなカスハラに値するだろうと今は思う。

今回、「カスハラ」60代の客が最多” 労働組合が調査結果をまとめられた。
それを聞いてドンピシャ私には、「そんなことはない」という思いがよぎったが
当ブログを読み返してみても、話題の多くは私が社会に不満を漏らしており
妻からも「よくブログで怒っている」と言われるくらいである。
そう考えてみると、確かにそうで、
私たち世代は、年長者を敬い立てることを教わって大きくなったが
今になってみると若い人中心の社会にバカにされているようにも思えて
カスハラをしているのではなく、教えてやっているんだという思いで
行動しており、結果的にカスハラになっていたり、老害になっていたりする。
ちょっと思い方を変えて、好々爺のようにおおらかな心をもって
暮らしたいと思っている。

結納の品

2024-06-20 | 感謝
義母の家を整理していたら
私たち夫婦の結納の品が出てきた。
私たち夫婦や私の両親はそういう儀式の必要性は
あまり重視しない性格だが
妻のお母さんがきちんとした性格であり
義母の希望により結納式を執り行った。
私たち夫婦は職場結婚であったために
当時は夫婦で同じ職場で働くことを良しとしない風潮があり
正社員でなかった妻には転勤命令が出来ず
正社員の私に転勤の内示があったのだが
娘を嫁にやる時は、白無垢という考えから
仕事も辞めさせると言われ、
所長からなんとかお義母さんを説得して
妻には仕事を続けてもらい、
私に転勤するようにとお願いされたが聞き入れず、
私の転勤の話がなくなった。



結納の品は父と私たち夫婦で松屋町に買いに行き、
見場のいい中の一番安価な商品を選んだ。
当日は、仲人さんにはご迷惑を掛けないよう
私たち夫婦と私の両親、義母だけで執り行ったが
私の母はよっぽど興味がなかったらしく、
途中で居眠りをしていたのを覚えている。

当の義母本人は認知症が進み、そんな思い出も記憶から消えている。
今回の片付けでは、妻の七五三の時の帯もきれいに保管されており、
もし私たち夫婦に娘が居たら、その孫に
七五三の時に着せようと思っていたのかと思うと
母親として娘を思いやる優しい気持ちを感じて妻の目が潤んだ。
きっと「お母さんありがとう」と思っていたに違いない。