今週のインターネットでは、香港での市民による、自由と自治を守るための大規模デモのニュースが多数報じられた。デモへの参加者は主催側からは約100万人と発表されており、恐ろしい規模のデモである。このデモについて気にはなるが、今のところは推移を見守りたい。
話は変わって、先週の週末、「アレキサンダー大王」(A.ウエイゴール著)と言う文庫本を読み終えた。この本は昭和45年に角川書店から出版されたもので、30歳頃にたまたま入った古本屋で買ったものである。当時、私は仏像に興味を持っており、お釈迦様が説いた仏教には本来仏像はなく、仏教が拡がっていく過程でガンダーラの地で仏教とヘレニズム文化が出合って仏像が誕生した、ということを何かの本で読んでいた。そして、ガンダーラの地にヘレニズム文化を伝えたのは、マケドニアの王であった、アレキサンダーの大遠征だと高校時代の世界史で習った。仏像の誕生と言うのは具体的にはどのようなものだったのか、そんな疑問を持っていた頃に出会ったのがこの本である。仏像誕生について何か解れば、と思い購入した。ただ、折角買った本ではあったが、家の本棚に入れてまま、掃除の時に本棚から出して埃を拭うだけで読まなかった。何故読まなかったのか良くわからないが、ページを捲ってその字の小ささに嫌気がさしたことは覚えている。
この本はアレキサンダー大王の伝記である。話は、アレキサンダーの先祖がギリシャの北の辺境の地、マケドニアの王になったころから始まり、アレキサンダーの父、ピリッポスの治世でマケドニアの勢力がギリシャの都市国家群を脅かすぐらい大きくなったこと、そしてアレキサンダーによる大帝国の建設であり、その実現のために行われた、10年に渡るアレキサンダーの大遠征の話である。
上の通り、この本は壮大な歴史物語であるが、読むのにかなり骨が折れた。まず、文字が小さい。そのために1ページ当たりの記述が現在の文庫本よりずっと多く、行間も狭い。当時は576ページの文庫本1冊であったが、現在の大きくて読みやすい文字なら同じページ数で2冊を超えるのではないだろうか。また、文章には、現在では普段は使用しない言葉も多く、毎ページ、広辞苑と漢和辞典で言葉を調べながら読まなければならかった。ただ、この点は私の言語力の拙さの所為かも知れないが。まあ、それでも何とか読み終えて良かった。
この本を読み終えて気づいたことがある。それは、わが日本語の表現力の豊かさであり、その豊かさは漢字、漢語なくしてはあり得ないということである。今、不平を言ったばかりでは申し訳ないが、読むのに大変な思いをしたからこそ日本語の言葉の多種多様で繊細さに気づかされた。
そこでふと思い出したのが韓国の事情である。韓国では、1970年から1980年代にかけて漢字使用の削減を国が指導、小学校での漢字教育はなくなり、漢字は中学校以上での選択科目となった。そして、新聞や書籍での漢字を使用した文章はなくなってハングル文字だけ、街中は漢字の店名も道路標識もなくなった。これらのことは、2005年に友人と行った釜山で目にした状況である。それからすでに14年が過ぎたが、韓国での漢字使用はさらに少なくなり、普通の市民が漢字の読み書きをすることはない、と聞いている。
一方、朝鮮半島では、長い歴史の間、漢字で朝鮮語を表現してきたことから、過去の公の書類は漢字で記されている。韓国では、現代と過去の間の漢字使用の大きなギャップのため研究者などの特別な人を除けば、普通の韓国人が歴史を学びたくても自分で過去の書物を読むことは大変難しくなっている。それより大きいのは、漢字を使用しないことにより朝鮮語の表現力が大変小さくなっている、という心配である。読み、書き、話す場で表現力が豊かであれば、人は恥ずかしい生き方が嫌いになるし、何よりも人生が楽しいものとなるのではないか。韓国人の大半が示す、日本及び日本人への非礼、侮辱、憎しみなどの病的な感情は、長年の反日教育によるという話だが、漢字の使用を廃止したことも大きな要因ではないだろうか。そのようなことを思いながらアレキサンダー大王を読み終えた。
ところで、本書は買ってから読み終えるのにとても長い時間が掛かったが、ガンダーラ侵入のところの記述は殆どなく、肝心の仏像誕生については今も分からずじまいである。
話は変わって、先週の週末、「アレキサンダー大王」(A.ウエイゴール著)と言う文庫本を読み終えた。この本は昭和45年に角川書店から出版されたもので、30歳頃にたまたま入った古本屋で買ったものである。当時、私は仏像に興味を持っており、お釈迦様が説いた仏教には本来仏像はなく、仏教が拡がっていく過程でガンダーラの地で仏教とヘレニズム文化が出合って仏像が誕生した、ということを何かの本で読んでいた。そして、ガンダーラの地にヘレニズム文化を伝えたのは、マケドニアの王であった、アレキサンダーの大遠征だと高校時代の世界史で習った。仏像の誕生と言うのは具体的にはどのようなものだったのか、そんな疑問を持っていた頃に出会ったのがこの本である。仏像誕生について何か解れば、と思い購入した。ただ、折角買った本ではあったが、家の本棚に入れてまま、掃除の時に本棚から出して埃を拭うだけで読まなかった。何故読まなかったのか良くわからないが、ページを捲ってその字の小ささに嫌気がさしたことは覚えている。
この本はアレキサンダー大王の伝記である。話は、アレキサンダーの先祖がギリシャの北の辺境の地、マケドニアの王になったころから始まり、アレキサンダーの父、ピリッポスの治世でマケドニアの勢力がギリシャの都市国家群を脅かすぐらい大きくなったこと、そしてアレキサンダーによる大帝国の建設であり、その実現のために行われた、10年に渡るアレキサンダーの大遠征の話である。
上の通り、この本は壮大な歴史物語であるが、読むのにかなり骨が折れた。まず、文字が小さい。そのために1ページ当たりの記述が現在の文庫本よりずっと多く、行間も狭い。当時は576ページの文庫本1冊であったが、現在の大きくて読みやすい文字なら同じページ数で2冊を超えるのではないだろうか。また、文章には、現在では普段は使用しない言葉も多く、毎ページ、広辞苑と漢和辞典で言葉を調べながら読まなければならかった。ただ、この点は私の言語力の拙さの所為かも知れないが。まあ、それでも何とか読み終えて良かった。
この本を読み終えて気づいたことがある。それは、わが日本語の表現力の豊かさであり、その豊かさは漢字、漢語なくしてはあり得ないということである。今、不平を言ったばかりでは申し訳ないが、読むのに大変な思いをしたからこそ日本語の言葉の多種多様で繊細さに気づかされた。
そこでふと思い出したのが韓国の事情である。韓国では、1970年から1980年代にかけて漢字使用の削減を国が指導、小学校での漢字教育はなくなり、漢字は中学校以上での選択科目となった。そして、新聞や書籍での漢字を使用した文章はなくなってハングル文字だけ、街中は漢字の店名も道路標識もなくなった。これらのことは、2005年に友人と行った釜山で目にした状況である。それからすでに14年が過ぎたが、韓国での漢字使用はさらに少なくなり、普通の市民が漢字の読み書きをすることはない、と聞いている。
一方、朝鮮半島では、長い歴史の間、漢字で朝鮮語を表現してきたことから、過去の公の書類は漢字で記されている。韓国では、現代と過去の間の漢字使用の大きなギャップのため研究者などの特別な人を除けば、普通の韓国人が歴史を学びたくても自分で過去の書物を読むことは大変難しくなっている。それより大きいのは、漢字を使用しないことにより朝鮮語の表現力が大変小さくなっている、という心配である。読み、書き、話す場で表現力が豊かであれば、人は恥ずかしい生き方が嫌いになるし、何よりも人生が楽しいものとなるのではないか。韓国人の大半が示す、日本及び日本人への非礼、侮辱、憎しみなどの病的な感情は、長年の反日教育によるという話だが、漢字の使用を廃止したことも大きな要因ではないだろうか。そのようなことを思いながらアレキサンダー大王を読み終えた。
ところで、本書は買ってから読み終えるのにとても長い時間が掛かったが、ガンダーラ侵入のところの記述は殆どなく、肝心の仏像誕生については今も分からずじまいである。