獣医師インディ・ヤスの冒険!

家畜伝染病と格闘する獣医師インディ・ヤスさんのブログです。インディ・ヤスさんはロシア・東欧のオタクでもあります。

天然痘が消えた時の感動

2010-03-27 21:39:13 | 学問

  大学3年生の時に勉強しない学生が集まって来る研究室に入れてもらったことは書いた。当時、この研究室は実習室1室、実験室2室、教官研究室2室及び学生研究室1室から構成されていた。このうち、実習室を除くと学生研究室が最も広かった。そのため、そこには学生用の机、椅子、ゼミの時に利用するテーブルなどの他に書棚も置かれていた。その書棚の本を研究室内で読むことは自由で、教授の許可を頂けば下宿に持ち帰って読むこともできた。

 ある時、その書棚の一番奥、すぐには目につかないところに、“家畜伝染病の診断”という分厚い書物があるのを見つけた。この本を取り出しパラパラとページを捲った時に妙な好奇心を覚え、この本を読んでみたいと思った。そして、教授にお願いし2,3日お借りすることにした。

 下宿に持ち帰ってその書物を改めて見ると、その本は旧農林水産省家畜衛生試験場が編纂したもので、馬、牛、豚、鶏などの家畜や家禽毎にそれぞれの重要な感染症について診断法が詳細に書かれ、さらにその対策も記されていた。そして、各疾病の執筆者はいずれもその分野では日本を代表する学者の方々であった。ただ、編纂されたのがかなり以前であったため使われている言葉や漢字が古く、すらすらと読めるような書物ではなかった。

 そこで、各疾病について自分でそのポイント、すなわち発生の背景や状況、被害の程度、症状、病理学的所見、原因病原体の検索方法、抗体検査方法、総合診断、予防及び治療方法をまとめたノートを作成することにした。内容を読み下す作業を進めながら、解らないところが出てくれば他の科目の教科書やノートも調べて理解するようにした。おかげで、1年生、2年生時に勉強せずに何とかお情けで単位をもらっただけの科目についてもお浚いをすることになった。

この地道な作業を、毎日、授業が終わって下宿に帰って行った。大体6カ月位かかったと思う。このノートを作成しながら、伝染病への興味が高まって行き、終わるころには伝染病、特に家畜の伝染病に携わって行きたいと思うようになった。

そのノートを作成していた頃、家畜病理学各論の授業の中でウイルス性皮膚炎の代表である痘瘡の説明があった。その原因病原体は、ご存じポックスウイルスである。この属のウイルスは宿主特異性が強く、動物種毎に感染するポックスウイルスが決まっている。その病理学的な診断は、皮膚の発痘の有無とその部位の表皮に形成されるボーリンゲル小体という好酸性の細胞質内封入体を確認することである。

この講義をされた先生は、この時、人の痘瘡である天然痘をモデルにして病理学的所見を説明される共に、その予防法である種痘についても述べられた。

 種痘は、18世紀に英国の医師エドワード・ジェンナーによって開発されたことは余りにも有名な話である。田舎の開業医であったジェンナーは人々を診療しながら、農家の女性には痘瘡の痕がなく肌が美しい人が多いことに気付いた。調べてみると、その地方では、「牛には人の天然痘に似た病気(牛痘)があり、毎日、牛の乳を搾っていると牛からその病気がうつってしまう。しかし、その病気は極軽くてすぐに治る。そして、その病気に罹った後では天然痘に罹ることがない」という言い伝えがあることを知る。ジェンナーは、その言い伝えをヒントに牛痘に罹った女性の病巣から採取した浸出液を使って天然痘のワクチンである痘苗を開発した。

 先生の説明は続いた。「1958年、WHOが天然痘根絶プロジェクトを発表、その内容は全世界的に種痘を進めて地球上から天然痘をなくすという壮大なものである。そのプロジェクトを推進した結果、天然痘の患者者数は毎年激減していき1977年にアフリカのソマリアで確認されたのが最後である。その後2年間、天然痘の発生は見られない。この状況がもう1年続けば、WHOは、来年、天然痘根絶宣言をすると思う。」と述べられた。この“天然痘が根絶される”という話には感動を覚えた。

 そして、その授業があった翌年の1980年5月8日、WHOは全世界に向けて“天然痘根絶宣言”を行った。長い歴史の中で人類を苦しめてきた疾病のひとつ、天然痘が根絶されたのである。その新聞記事を読んで小生は感激した。体が震えるほど感激した。そして、思った。「俺もジェンナーのような仕事がしたい!」と。

 エドワード・ジェンナーの業績に較べれば、小生のこれまで仕事の成果など目くそほどの価値もないであろう。それでも、天然痘根絶宣言の時の感動が忘れられず、“志だけでもジェンナーように”、と思ってこれまで仕事をして来たつもりである。 


恩師の最終講義と定年退職祝賀会に出席しました。

2010-03-23 00:28:38 | 学問

我々の学年担任の恩師であるM教授が今年の3月31日を持って定年退職される。そのため、母校で行われたM先生の最終講義と宮崎市内で催されたM先生の定年退職祝賀会に出席した。

M先生の研究テーマは牛の先天性奇形である、その最終講義ではM先生の長年に渡る研究業績を実に解りやすく、時にユーモアを交えてお話しされた。学生時代は、出来の悪さではトップクラスであった小生は、M先生の講義を実に興味深く拝聴させて頂いた。

M先生の定年退職祝賀会では同期の33名のうち23名が集まり、一人ずつ前に出て学生時代にお世話になったお礼をM先生に述べた。小生は、M先生が受け持たれた実習で小生の受講態度が悪かったために厳しくお叱りになられたことがあったが、その指導に対するお礼と、そのことが今でも大切な戒めになっているという感謝を述べさせて頂いた。

その会場で同級生と酒を酌み交わしながら話している中で、学生時代の悪友の一人が、「学生時代に一番勉強しなかったお前が、今日のM先生の最終講義では一番前に席を取って先生の講義内容のノートを取りながら真剣に聞いていたよな。学生時代のお前からは信じられない光景だったよ」と言った。それに対して小生は、「何を言やがる。俺は、1年生、2年生の時は勉強しなかったが、3年生の時からは真剣に勉強したんだぞ。M先生が担当された講義や実習がたまたま勉強しなかった時代と重なっただけだ」とやり返した。その時、ふと学生時代の勉強について思い出した。    

小生は、昭和52年4月に宮崎大学農学部獣医学科に入学した。獣医師になるために入学したのだが、実は、その当時獣医師の仕事については殆ど知らなかった。

小生は、元々、子供の頃から茫漠した光景に憧れを持っていた。例えば、ロシアから東欧に広がる大平原や南米アルゼンチンの大草原(パンパ)など茫漠とした大地に憧れを感じていた。目をつぶってロシアの大平原を思うと無限に広がる大地と共に馬と羊の群れ、アルゼンチンのパンパでは大草原の中の膨大な数の牛や馬の群れが出てきた。だから将来の仕事は獣医師だと、今から思えば信じられないほどの単純さで獣医師になりたいと思った。当時、小生は中学2年生頃だった。

高校入学時はその事を意識していたが、色々あって獣医師については忘れてしまった。しかし、進路を決めなくてはならなくなった高校3年の11月にあるきっかけで突然獣医師への道を思い出し、受験を工学部から農学部獣医学科に変更した。そして、宮崎大学農学部獣医学科を受験、そのまま合格となった。

問題は入学してから起こった。入学して解ったことだが、獣医師の仕事にも、獣医学科のカリキュラムにも茫漠たるものに繋がるものはなかったのである。当時、宮崎大学のカリキュラムは、1年生と2年生では、1週間のうち半分は一般教養課程、半分は専門課程という他の大学に比べて変則的なカリキュラム構成であり、そのことも向学心が湧かなかった理由でもある。3年生からは全て専門課程となったが、それまで勉強して来なかったため、すぐに、勉学に励むこともできず、悶々と日々を過ごしていた。

しかし、転機は3年生の時に来た。3年生になった学生はいずれかの講座の研究室に在籍することになったが、小生は勉強をする気が湧かず、殆ど希望者がいない研究室にお世話になることになった。この研究室は、当時、勉強しない出来の悪い学生が集まってくることで有名で(ご指導して頂いた先生方、すみません)、「自分もだらしなく過ごして卒業を向かえ、ひょっとして獣医師にもなれないかもしれない」とも思った。しかし、結果は全くの逆でこの研究室に入ったことで大学3年生、4年生、大学院修士課程の2年間の計4年間もお世話になり、その間必死に勉強した。その理由は、伝染病との出会いがあったためである。この研究室、家畜衛生学講座は、家畜伝染病を研究するところだったのである。

 そう、この研究室で家畜伝染病と出会ったことで、大げさに言うと小生の獣医師として仕事の対象が決まったのである。その結果、以後、1年及び2年生の時とは全く異なる学生時代を過ごせた。この家畜伝染病との出会いは、改めて記すことする。

 


中国の脅威、日本人はもっと真剣に考えないといけないのでは?

2010-03-13 22:12:20 | 国際・政治

  少し古い話題であるが、今年の1月22日、農林水産省(農水省)のプレスリリースで、台湾で高病原性トリインフルエンザ弱毒タイプの発生の情報提供が台湾農業委員会からなされた、と発表があった。その内容は、台湾中部の彰化(チャンホワ)で実施されたサーベイランスの結果、H5N2亜型弱毒鳥インフルエンザの発生が確認されたというものである。

 また、今年の1月には米国当局よりテキサス州のアヒルでH5亜型鳥インフルエンザ弱毒タイプの発生を疑う事例についての連絡が農水省になされた。ただし、この米国の事例は米国国立獣医学研究所の検査で幸いにも陰性と確認された。

 さらに、今年1月に韓国での口蹄疫発生では、韓国当局より直ちに我国農水省に連絡があった。

 このように、我国は、日本と密接な関係がある国々と重要な家畜伝染病の監視のため、互いの情報を早急に報告し合っている。しかし、ここに例外の国がある。中国である。   

中国では、高病原性トリインフルエンザや口蹄疫をはじめ、最重要な国際監視伝染病の発生が起こっていることが一部では知られているものの、その実態の詳細は解っていない。国際獣疫事務局(OIE)は、加盟国全てに口蹄疫のほか、牛疫、牛肺疫、牛海綿状脳症(BSE)の報告を義務付けているが、中国は加盟国にも関わらず報告を行っていない。OIEのホームページにアクセスして牛疫や牛肺疫の世界の発生状況マップを見ると、極僅かな国のみがその報告を行っていないが、その一つが中国である。このように、中国は家畜伝染病に関する最重要な国際的な取り決めも無視しているのである。

いや、家畜伝染病の話だけではない。数年前に大発生した重症急性呼吸器症候群(SARS)は疫学的解析から早くから中国が発生元であることが明らかであったにも関わらず、中国政府はそのことを無視又は秘密にし、世界にSARSの感染を広げてしまった。このような国が、国連では安全保障理事会の常任理事国である。すなわち、中国は、世界の平和と安全に関する討議において、もしそれが自国の都合に会わなければ、その決定事項を拒否できる権利を持っている。

昨夜(3月13日)、NHKが“日本のこれから,いま考えよう日米同盟”という討論番組を放送していた。その中でジャーナリストの櫻井よしこ氏と元外務省外交官田中均氏が、中国の脅威、特に、「膨大な軍備増強を行いながらその軍事費を全く公表しない」という事実を述べられた。中国の、自国民にさえ軍事費を公表しない事実と、自国民や世界の人々の健康に多大な危害を及ぶす可能性が強い伝染病の情報を公表しない事実は同根ではないだろうか。この中国の体質は、世界、特に日本を含む東アジアの脅威であることは間違いない。日本の報道機関は、中国の経済発展を伝えるだけでなく、中国が脅威であるという事実も我々にもっと多く、そして正確に伝えてもらいたい。