大学3年生の時に勉強しない学生が集まって来る研究室に入れてもらったことは書いた。当時、この研究室は実習室1室、実験室2室、教官研究室2室及び学生研究室1室から構成されていた。このうち、実習室を除くと学生研究室が最も広かった。そのため、そこには学生用の机、椅子、ゼミの時に利用するテーブルなどの他に書棚も置かれていた。その書棚の本を研究室内で読むことは自由で、教授の許可を頂けば下宿に持ち帰って読むこともできた。
ある時、その書棚の一番奥、すぐには目につかないところに、“家畜伝染病の診断”という分厚い書物があるのを見つけた。この本を取り出しパラパラとページを捲った時に妙な好奇心を覚え、この本を読んでみたいと思った。そして、教授にお願いし2,3日お借りすることにした。
下宿に持ち帰ってその書物を改めて見ると、その本は旧農林水産省家畜衛生試験場が編纂したもので、馬、牛、豚、鶏などの家畜や家禽毎にそれぞれの重要な感染症について診断法が詳細に書かれ、さらにその対策も記されていた。そして、各疾病の執筆者はいずれもその分野では日本を代表する学者の方々であった。ただ、編纂されたのがかなり以前であったため使われている言葉や漢字が古く、すらすらと読めるような書物ではなかった。
そこで、各疾病について自分でそのポイント、すなわち発生の背景や状況、被害の程度、症状、病理学的所見、原因病原体の検索方法、抗体検査方法、総合診断、予防及び治療方法をまとめたノートを作成することにした。内容を読み下す作業を進めながら、解らないところが出てくれば他の科目の教科書やノートも調べて理解するようにした。おかげで、1年生、2年生時に勉強せずに何とかお情けで単位をもらっただけの科目についてもお浚いをすることになった。
この地道な作業を、毎日、授業が終わって下宿に帰って行った。大体6カ月位かかったと思う。このノートを作成しながら、伝染病への興味が高まって行き、終わるころには伝染病、特に家畜の伝染病に携わって行きたいと思うようになった。
そのノートを作成していた頃、家畜病理学各論の授業の中でウイルス性皮膚炎の代表である痘瘡の説明があった。その原因病原体は、ご存じポックスウイルスである。この属のウイルスは宿主特異性が強く、動物種毎に感染するポックスウイルスが決まっている。その病理学的な診断は、皮膚の発痘の有無とその部位の表皮に形成されるボーリンゲル小体という好酸性の細胞質内封入体を確認することである。
この講義をされた先生は、この時、人の痘瘡である天然痘をモデルにして病理学的所見を説明される共に、その予防法である種痘についても述べられた。
種痘は、18世紀に英国の医師エドワード・ジェンナーによって開発されたことは余りにも有名な話である。田舎の開業医であったジェンナーは人々を診療しながら、農家の女性には痘瘡の痕がなく肌が美しい人が多いことに気付いた。調べてみると、その地方では、「牛には人の天然痘に似た病気(牛痘)があり、毎日、牛の乳を搾っていると牛からその病気がうつってしまう。しかし、その病気は極軽くてすぐに治る。そして、その病気に罹った後では天然痘に罹ることがない」という言い伝えがあることを知る。ジェンナーは、その言い伝えをヒントに牛痘に罹った女性の病巣から採取した浸出液を使って天然痘のワクチンである痘苗を開発した。
先生の説明は続いた。「1958年、WHOが天然痘根絶プロジェクトを発表、その内容は全世界的に種痘を進めて地球上から天然痘をなくすという壮大なものである。そのプロジェクトを推進した結果、天然痘の患者者数は毎年激減していき1977年にアフリカのソマリアで確認されたのが最後である。その後2年間、天然痘の発生は見られない。この状況がもう1年続けば、WHOは、来年、天然痘根絶宣言をすると思う。」と述べられた。この“天然痘が根絶される”という話には感動を覚えた。
そして、その授業があった翌年の1980年5月8日、WHOは全世界に向けて“天然痘根絶宣言”を行った。長い歴史の中で人類を苦しめてきた疾病のひとつ、天然痘が根絶されたのである。その新聞記事を読んで小生は感激した。体が震えるほど感激した。そして、思った。「俺もジェンナーのような仕事がしたい!」と。
エドワード・ジェンナーの業績に較べれば、小生のこれまで仕事の成果など目くそほどの価値もないであろう。それでも、天然痘根絶宣言の時の感動が忘れられず、“志だけでもジェンナーように”、と思ってこれまで仕事をして来たつもりである。