獣医師インディ・ヤスの冒険!

家畜伝染病と格闘する獣医師インディ・ヤスさんのブログです。インディ・ヤスさんはロシア・東欧のオタクでもあります。

獣医学科の同窓会(もえぎ会)に行って来ました。

2010-01-31 05:05:50 | 受験・学校

2010年1月29日から1月30日の3日間、宮崎市で日本獣医師会学会年次大会が開かれ、その年次大会参加のため全国から我が母校の同窓生が多数宮崎市に来た。それに合わせて宮崎大学農学部獣医学科の同窓会が開かれたので出席した。宮崎市は3年ぶりであるが、それまで仕事やプライベートで毎年2,3回は行っていた。宮崎市は6年間の学生時代を過ごしたところで、小生にとっての第2の故郷である。何時行っても、“お帰りなさい”と言ってくれるような町である。

会場のニューウエルシテイ宮崎に行った。参加者130名あまりで卒業年次も様々であった。ただ、小生と同じクラスの者は4名出席、当時の先輩や後輩、恩師の先生方もお見えになっておられ、実に懐かしかった。

今、振り返ると我が学び舎の宮崎大学農学部獣医学科に進学して卒業したことは、小生にとって本当に良かったと思う。おかげで、国家試験に合格して獣医師になれ、“最低飯だけは食べていける”、までに小生を持って行ってくれた。また、獣医師になれたことで今の企業に就職でき、今の企業に就職したから大学での専攻を生かすことができた。さらに言えば、今の企業で大学での専攻を活かせる仕事に携わって来たおかげで、母校から獣医学博士の学位も頂いた。まさに、我が母校、我が学び舎のおかげでまともな人生を歩むことができたのであり、感謝の気持ちでいっぱいである。

今、高校時代の自分を振り返ると、その愚かさが恥ずかしくて仕方がない。高校生は人間として未熟であるとしても、小生の高校時代はあまりにも精神発達のレベルがお粗末で、当時、同じ高校に通った人たちと比べて恥ずかしいかぎりである。そんなお粗末な人間であった小生を、我が宮崎大学は社会人としてなんとか生きて行けるところまで教育してくれたのであり、この御恩に対して深く感謝し、そして恥ずかしくない人生を送らねばならないと思う。


わあ、中国は口蹄疫だらけじゃん!

2010-01-25 23:32:10 | 仕事

今日、業務で送ったメールの返信を待っている間、県の獣医師会からメールで送られたファイルを開けて見た。その内容は、日本獣医師会の山根会長名で出された「韓国での口蹄疫の発生について」という連絡である。これも経由されただけで、この情報の発信元は農水省の消費・安全局動物衛生課である。その内容は以下の通り。

 発生場所は、ソウルの北東約30kmにある韓国京畿道抱川(ポチョン)市の酪農農場である。1月2日、民間の獣医師が口蹄疫を疑う症状を示した牛を見つけ、地元の自治体と京畿道の獣医機関(日本の家畜保健衛生所にあたる機関?)に報告した。その地方機関が検査材料を採取し、韓国国立獣医科学検疫院(日本の動物衛生研究所にあたる機関?)に送った。同検疫院ではリアルタイムPCRを実施して口蹄疫ウイルス遺伝子を検出、韓国政府はただちに国際獣疫事務局(OIE)へ口蹄疫発生を報告した。さらに、今回検出された口蹄疫ウイルスは血清型タイプがA型ウイルスとのことである。

 この情報を見て農水省のプレスリリースを調べたところ、1月7日に「韓国で口蹄疫の疑いがある乳牛が確認されたため、韓国からの豚肉の輸入手続きを保留する」という発表をしていた。あら、当県の農政部から連絡はあったかな、と思いながら、また、今回の情報はその後の追加情報であると理解できた。

 県獣医師会から送られたファイルには、さらに2009年1月から2010年1月8日までにOIEに報告された口蹄疫発生事例を地図上に記載して示していた。今回の韓国の発生事例のほかに、中国と台湾での発生事例も記されていたが、中国での発生数が圧倒的であった。中国が東アジアでの口蹄疫の発生元であることは明らかであり、中国がOIEに報告したものも恐らくは氷山の一角であろう。

 今の日本のマスコミは,中国経済の力強さに絶賛しているが、家畜の伝染病への対応は日本、韓国、台湾とは比べ物にならないほど遅れており、しかもその情報を開示したがらない。これは、家畜伝染病のみならず、人の伝染病についても同様である。日本のマスコミは、この事実をもっと正確かつ広く伝えるべきではないかと思う。


国内の養豚場で新型インフルエンザウイルスが感染!

2010-01-23 19:16:13 | 仕事

 農林水産省のプレスリリース及び新聞報道によると、平成21年1月20日、山形県庄内地方の中規模養豚場で新型インフルエンザウイルス(H1N1亜型)の豚への感染例が確認された。これは、国内では2例目の症例である。この農場の従業員が、新型インフルエンザに罹っており、この感染ルートとしては従業員からの感染が強く疑われるとのことである。

 国内の養豚場での新型インフルエンザウイルスの豚への感染症例1例目は、昨年10月21日の農水省のプレスリリースで発表された大阪府の養豚場の症例である。その時は、新型インフルエンザに感染した従業員はいなかったため、本農場に出入りする業者がウイルスを持ち込んだのではないか、と推測されている。

 豚は、人で流行するインフルエンザウイルスが感染しやすい動物の一つである。これは、豚の上部気道の上皮細胞が人と同じ型のレセプターを持つためである。これまで、季節性インフルエンザのウイルスが養豚場の豚に感染した事例は幾つも報告されている。幸いにして人から豚にインフルエンザウイルスが感染した症例では、豚が軽い呼吸器症状を示しただけでいずれも大きな被害を出していない。

 しかし、厄介なことに豚の呼吸器の上皮細胞には、鳥の呼吸器にあるのと同じ型のレセプターも存在する。すなわち、豚では本来豚に感染していたインフルエンザウイルスが起こるのは当然であるが、合わせて人に感染して流行するインフルエンザウイルスや鳥に感染するインフルエンザウイルスも豚に容易に感染する。それらの感染が同時に起こると、豚の体内で互いの遺伝子の組み換えを起こし“あいの子である新しいタイプのインフルエンザウイルス”が現れる(これを、インフルエンザウイルスの遺伝子再集合又はリアソータントという)。  

今回の新型インフルエンザウイルスも、豚の体内で豚型インフルエンザウイルスと人型インフルエンザの遺伝子再集合が起こって現れた、と小生は考えていた。ところが、実際はもっと複雑であった。

(独)動物衛生研究所のホームページを覗くと西藤上席研究員の豚インフルエンザ疾病情報があり、それによると今回の新型インフルエンザウイルスは、北米の豚の間で循環していた豚・人・鳥のインフルエンザウイルスの遺伝子再集合から生まれたH1N1又はH1N2亜型トリプルリアソータントウイルス、とヨーロッパの豚の間で循環していた鳥のインフルエンザウイルスに由来するH1N1亜型豚インフルエンザウイルスとの遺伝子再集合の結果、現れたウイルスとのことであった。

インフルエンザウイルスは、通常のウイルス以上に突然変異を起こしやすい。それに加えて、宿主の体内での遺伝子再集合である。このために、通常のウイルスでは考えられない高頻度で新型ウイルスが現れる。多くの研究者が言うように、人類の感染症との闘いの中でインフルエンザウイルスとの戦いが最も困難なものである。


このブログの目的

2010-01-19 00:45:50 | 日記・エッセイ・コラム

うだうだと中年男の心に浮かんだ女々しいこと書いてしまった。このブログを開いた目的は、こういうことではない。

小生は、獣医師である。しかし、動物病院を開いて診療している者ではない。専門は伝染病であり、特に、養鶏場や養豚場で発生する伝染性疾病を検査してその対策を考えるのが仕事である。例えば、ある養鶏場又は養豚場である感染症よるに被害が出たとしよう。その農場の病気の鶏なり豚なりを剖検し、内臓の変化を観察し、時にその内臓を顕微鏡で観察する。さらに、必要ならば細菌検査、ウイルス検査、寄生虫検査、遺伝子検査、抗体検査などを行って疾病の原因を確認する。その一連の検査結果並びにその対策を問題の農場に報告する、

これが小生の仕事である。正確には仕事であった。20年近くこの仕事に携わってきたが、昨年4月に別の部署の責任者として異動になりその仕事から離れた。しかし、気持ちは家畜伝染病を専門とする獣医師である。だから、伝染病について書きたいのである。

現在の部署では実際の仕事は部下たちがやってくれるので、直接、小生が手を出すことは殆どない。でも彼らを指導するための知識や技術は、伝染病に携わってきた獣医師として得てきたものである。勿論、小生も動物病院は開業する資格はある。しかし、当所を退職した後も伝染病相手の一獣医師として生きていくつもりである。

 また、少年時代からかつての社会主義陣営、今はロシアや東欧になり一般の日本人には馴染みが少ない地域のことに関心があった。高校生の一時期はハードロックに夢中になったこともあったが、これは言わば若気の至りで、その当時もやはり新聞やテレビでソ連やその他の国々の報道があると読んだり見たりした。そんな関心事もこのブログで書きたいのである。

 ただ、小生も寂しくてどうしようなく女々しくなることがあり、そんな時に女性について書いてしまうが、この辺はどうかご了承頂きたい。


ついでにあの頃のことを書きたい。

2010-01-17 11:49:03 | 日記・エッセイ・コラム

  小生が、学校を出て今の企業に就職した頃のことをついでに書きたい。これは、小生自身の記憶の整理であり、これから先の指針にするためである。

 学生時代に交際したとまでは言えないが、多少お付き合いをした女性がおり、就職後もその人とは連絡を取り合っていた。小生としては、彼女ともっと強くはっきりした関係になりたい、所謂結婚を前提としたお付き合いをしたいと思っていた。しかし、彼女は、話がその点に行くといつもはぐらかした。

 そんな関係が1年間位続いた頃、当所の別の部署で働いている女性から付き合ってもらえませんか、と告白された。そんな女性が現れるなどとは思いもしなかったので、まず、最初は驚いた。件の彼女がおり、お断りしようかとも思ったが、その頃にはその人と連絡を取り合う回数もかなり減っていた。どうしようかと考えていた時に、K美さんが近づいてきて「彼女は真剣みたいだから、お付き合いしてみれば」と小生に言った。聞けば、その人は同じ職場のK美さんと仲の良かった人を通してK美さんに小生のことを色々と尋ねたそうである。この頃、件の彼女は小生から離れたがっているのでないかと思い始め、一方で小生としては新たに現れた女性に恥をかかせるのも厭だった。それで、小生で良ければという気持ちでその人とお付き合いを始めた。今、思えばそういう点が小生のダメなところなのである。

 結果として、その人との付き合い(交際といえるほどのものではなかった)は10か月ばかりで終わった。その人からは「ごめんなさい、あなたは私が思っていたような人ではありませんでした」という意味のことを言われて終わった。件の彼女とは、この間に全く連絡を取っておらず、また、その頃には連絡をする気にもなれなかった。K美さんはというと、将来のご主人になる男性と交際を始めていた。

 以上が、入所後1,2年間におきた女性関係(?)である。この10か月間がなければ、K美さんに交際を申し込んでいたかもしれず、そうすればひょっとしてK美さんが小生の妻であった可能性もある、などと勝手なことを思ってみたりした。

 ただ、女性との付き合いが深くなれなかったのは、小生の優柔不断さのためであることは明らかだった。“次こそは”と思っていたが、その後女性とお付き合いする機会は、前の記事で書いた結婚を除くとなかった。仕事に打ち込んでいたこともあるが、それに加えて東欧の民主化とソビエト連邦の崩壊という歴史の大転換に気が奪われ、その後新たに生まれたロシアや他の国々への好奇心のために恋愛への欲求が小さかったことも大きな要因である。

 後日談になるが、高校時代からこれまでに多少なりともお付き合いした女性とは、それから現在までの25年以上全く接点がない。しかし、唯一の例外がK美さんである。   

 今、K美さんのことを愛しく思う。それは、友情であり恋愛でもある、この人に巡り合えて本当によかったという感謝の気持ちである。