獣医師インディ・ヤスの冒険!

家畜伝染病と格闘する獣医師インディ・ヤスさんのブログです。インディ・ヤスさんはロシア・東欧のオタクでもあります。

このブログの目的

2010-01-19 00:45:50 | 日記・エッセイ・コラム

うだうだと中年男の心に浮かんだ女々しいこと書いてしまった。このブログを開いた目的は、こういうことではない。

小生は、獣医師である。しかし、動物病院を開いて診療している者ではない。専門は伝染病であり、特に、養鶏場や養豚場で発生する伝染性疾病を検査してその対策を考えるのが仕事である。例えば、ある養鶏場又は養豚場である感染症よるに被害が出たとしよう。その農場の病気の鶏なり豚なりを剖検し、内臓の変化を観察し、時にその内臓を顕微鏡で観察する。さらに、必要ならば細菌検査、ウイルス検査、寄生虫検査、遺伝子検査、抗体検査などを行って疾病の原因を確認する。その一連の検査結果並びにその対策を問題の農場に報告する、

これが小生の仕事である。正確には仕事であった。20年近くこの仕事に携わってきたが、昨年4月に別の部署の責任者として異動になりその仕事から離れた。しかし、気持ちは家畜伝染病を専門とする獣医師である。だから、伝染病について書きたいのである。

現在の部署では実際の仕事は部下たちがやってくれるので、直接、小生が手を出すことは殆どない。でも彼らを指導するための知識や技術は、伝染病に携わってきた獣医師として得てきたものである。勿論、小生も動物病院は開業する資格はある。しかし、当所を退職した後も伝染病相手の一獣医師として生きていくつもりである。

 また、少年時代からかつての社会主義陣営、今はロシアや東欧になり一般の日本人には馴染みが少ない地域のことに関心があった。高校生の一時期はハードロックに夢中になったこともあったが、これは言わば若気の至りで、その当時もやはり新聞やテレビでソ連やその他の国々の報道があると読んだり見たりした。そんな関心事もこのブログで書きたいのである。

 ただ、小生も寂しくてどうしようなく女々しくなることがあり、そんな時に女性について書いてしまうが、この辺はどうかご了承頂きたい。


ついでにあの頃のことを書きたい。

2010-01-17 11:49:03 | 日記・エッセイ・コラム

  小生が、学校を出て今の企業に就職した頃のことをついでに書きたい。これは、小生自身の記憶の整理であり、これから先の指針にするためである。

 学生時代に交際したとまでは言えないが、多少お付き合いをした女性がおり、就職後もその人とは連絡を取り合っていた。小生としては、彼女ともっと強くはっきりした関係になりたい、所謂結婚を前提としたお付き合いをしたいと思っていた。しかし、彼女は、話がその点に行くといつもはぐらかした。

 そんな関係が1年間位続いた頃、当所の別の部署で働いている女性から付き合ってもらえませんか、と告白された。そんな女性が現れるなどとは思いもしなかったので、まず、最初は驚いた。件の彼女がおり、お断りしようかとも思ったが、その頃にはその人と連絡を取り合う回数もかなり減っていた。どうしようかと考えていた時に、K美さんが近づいてきて「彼女は真剣みたいだから、お付き合いしてみれば」と小生に言った。聞けば、その人は同じ職場のK美さんと仲の良かった人を通してK美さんに小生のことを色々と尋ねたそうである。この頃、件の彼女は小生から離れたがっているのでないかと思い始め、一方で小生としては新たに現れた女性に恥をかかせるのも厭だった。それで、小生で良ければという気持ちでその人とお付き合いを始めた。今、思えばそういう点が小生のダメなところなのである。

 結果として、その人との付き合い(交際といえるほどのものではなかった)は10か月ばかりで終わった。その人からは「ごめんなさい、あなたは私が思っていたような人ではありませんでした」という意味のことを言われて終わった。件の彼女とは、この間に全く連絡を取っておらず、また、その頃には連絡をする気にもなれなかった。K美さんはというと、将来のご主人になる男性と交際を始めていた。

 以上が、入所後1,2年間におきた女性関係(?)である。この10か月間がなければ、K美さんに交際を申し込んでいたかもしれず、そうすればひょっとしてK美さんが小生の妻であった可能性もある、などと勝手なことを思ってみたりした。

 ただ、女性との付き合いが深くなれなかったのは、小生の優柔不断さのためであることは明らかだった。“次こそは”と思っていたが、その後女性とお付き合いする機会は、前の記事で書いた結婚を除くとなかった。仕事に打ち込んでいたこともあるが、それに加えて東欧の民主化とソビエト連邦の崩壊という歴史の大転換に気が奪われ、その後新たに生まれたロシアや他の国々への好奇心のために恋愛への欲求が小さかったことも大きな要因である。

 後日談になるが、高校時代からこれまでに多少なりともお付き合いした女性とは、それから現在までの25年以上全く接点がない。しかし、唯一の例外がK美さんである。   

 今、K美さんのことを愛しく思う。それは、友情であり恋愛でもある、この人に巡り合えて本当によかったという感謝の気持ちである。


K美さんと小生の結婚観

2010-01-16 10:09:36 | 日記・エッセイ・コラム

突然であるが、K美さんは美しい人であった。瓜実型な端正な顔立ちに二重まぶたがきれいな目、夏場の薄着から見える色白できめ細かい美しい肌、背は高からず、低からず、少しばかりふくよかで柔らかそうな体。所謂男づきするタイプである。彼女には男性ファンが多く、小生が知っているだけでも小生の同期入所の二人、他にも数人の男性が彼女に交際を申し込んだが、彼女はいずれにも良い返事を出さなかった。

小生はというと、やはり彼女のことが好きであったが、彼女が同じ職場の同僚であり(表向きではあるが当所内規で職場恋愛を避けるようにとしてある。実際には職場結婚は多いが)、加えて彼女は多くの男性から交際を求められるぐらい人気があったため、小生では無理だとあきらめていた。そうしているうち、彼女はある男性と交際を始め、婚約、さらに結婚した。

彼女の結婚後のある日、彼女と退社するのが一緒になった。その時、彼女に結婚のお祝いを述べ、ついでに「本当のことを言うと、僕もあなたのことが好きだったんだ」と笑いながら言った。それに対して彼女は、「あのね、女性は好きな男性に自分を奪ってもらいたいと思っているものなの、どうしてあなたは奪い取りに来てくれなかったの」、そして小生の顔を見つめてひとこと言った「いくじなし」。

小生は、思いもしなかった言葉に茫然として、彼女が去っていくのを見つめた。まるで、乗船すべき船に乗り損ね、チケットを握りしめながら岸壁から遠ざかっていく船を見つめているように。

いつ頃からだろうか。多分、10代半ばからだと思う。好きな女性と結ばれて蕩けるような幸せな結婚生活をする、そんなことは思いも寄らない自分には縁のないこと、自分のそばに好きな女性がいること自体が有りうるべきことではない、と小生は思っていた。小生の思考としては、“お前は大義のために死ぬ”と言われれば素直受け入れられるが、“あなたには幸せな結婚生活が待っている”と言われれば、それ誰のこと?と否定してしまう。“君はUFOに連れ去られる”と言われたほうが、まだ、現実感があった。

ただ、これまで一度だけ、高校生の時、大好きな女性と交際したことがあったが、小生があまりにも愚かであったためその女性は去って行った。そして、それ以前もそれ以後も好きな女性と交際したことはない。

では、小生にとって結婚とは如何なるものか。小生も30歳代の始めに一度結婚というものをしたことがある。その女性とは知人の紹介で知り合ったが、正直に言うと小生の好みのタイプとはかけ離れていた。そのため、1回お会いしただけで終わると思ったが、相手からは是非もう少しあってほしいと言われた。気が乗らないのに相手と会ったのは失敗であった。2,3回しか会っていないのに先方の親御さんに紹介され、あれよ、あれよと言う間に結婚式の日取りまで決まってしまった。

まあ、これも仕方ないかと諦めて結婚したが、1年半で離婚するはめになった。何故あんな結婚をしてしまったのだろう、何故最初にきちっと断らなかっただろう、未だに悔やまれてならない。“好きな女性と結婚できるわけでないし、相手とそのご家族が喜ぶのならそれで良いか”といういい加減な気持ちが、結果として不幸を招いたのだと思う。幸いにして子供はいなかった。

 また結婚したいかと尋ねられれば、もちろんYESである。でも、好きな女性と結婚をしたいかと尋ねられれば、“そうありたいが、それは無理だと思う”というのが答えである。でも、前のような結婚は二度としたくない。ならば、どうする。答えは、意地と心意気を示す結婚である。大好きな女性とは恐らく御縁ない、しかし、好きになれない女性には意地も心意気も出て来ない。小生を認めて、そして必要としてくれる相手を守ること、これが意地と心意気を示す結婚で、今の小生に唯一許される結婚だと思う。


今日、懐かしい声が聞けてとても幸せでした。

2010-01-15 22:40:57 | 日記・エッセイ・コラム

 今日の会議中、部下のF君から内線が入り「主任にお客さんです、替わります」と言ってきた。受話器の向こうから聞こえてきたのは、なんと、なんと、K美さんの声。

 学校を出て今の企業でずーと働いてきた小生が最初に配属された職場での同僚だったK美さん。美人で気立てが良くて誰からも好かれたK美さんである。小生より2歳下の彼女が結婚し、妊娠出産を機に退職し、その後は年賀状のやり取りはあったものの、彼女の声を直接聞いたのは22年ぶりである。最初、今の名字を言われて迂闊にも気がつかず、結婚前の旧姓を言われて解った。いつもながら自分の鈍さに呆れてしまう。

 昨年の4月の発令で今の職場に異動になったが、そのことを今年の彼女への年賀状に書いた。実は、彼女のお嬢さんが結婚してこの職場に近くに住んでおり、お嬢さんのところを訪ねたら急に小生に会いたくなって来られたのである。小生の勤務する企業では、旧知の人が訪ねて来ることがよくあり、その場合、かなり融通をつけてくれる。他社から見ればおかしいと思うかもしれないが、それで業務に大きな支障が出るわけでもなく、当所の良き習慣と思っている。そのことを彼女も知っていて訪ねてくれたのである。

ただ、残念ながら、その時は外部の人間も加わっての会議であり、その主催者であった小生は、さすがに会議を中断して彼女と会うことはできなかった。しかし、内線で彼女と少しばかり話ができた。聞けば、お嬢さんもご一緒とのこと。「娘が車で連れて来てくれたたんです。いつも私の話に出てくるあなたにぜひ会ってみたいからですって。でも、今日突然押し掛けてすみません。また、来ます。その時は前もってご連絡します。いいでしょう」と彼女、「もちろんです。是非また来て下さい。その時は、大いにお話をしましょう」と小生、それで内線の受話器を置いた。

すこし興奮して気が静まらなかったが、仕事に戻った。K美さんが小生を訪ねてくれた。そして、今でも小生のことを気遣ってくれている。何か、胸に温かいものが湧いてくる感じがした。今年は、何か良いことが起こるかも!