心安らぐひと時をあなたと・・・

「美しい日本語」の歌を世界に広げよう!
日々のささやかな暮らしと、その中から生まれた歌をご紹介します。

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フェイスブックも更新していますので、ぜひご覧ください。
今度ともどうぞよろしくお願いしたします。ミュージック・ハーベスト(歌曲集)

高山千代美

しゃぼん玉

2017-03-07 | 椎葉
しゃぼん玉・・・ずっしりと重く心に残る映画でした。

雲海を見下ろす山の景色と、人々の心のあったかさと地元の料理と・・

映画は、暗いシーンから始まりますが、とにかく感動しました。

椎葉は、人々の心を癒す場所です。

日本のふるさとの原風景だと思います。



受刑者の方にも見てほしいなあと思いました。

家族にも社会にも見放され、帰る場所もなく、孤独で犯罪を犯すしか

生きる道を見いだせない人たちにも、希望の光となる映画だと思いました。

誰かひとりでいい、自分のことを丸ごと受け止めてくれたら、人は生きていけるのだと思います。

林遣都、過去に類を見ないほどのやさぐれ男役にも共感/映画『しゃぼん玉』インタビュー


市原悦子さんの宮崎弁は、日本昔話を思わせましたが、本当に素晴らしかった~~

林遣都さんの演技も実に素晴らしく、大ファンになりました。

椎葉には、今も日本昔話~そのまんまの山の暮らしがあります。

そして、本当に市原悦子さんが住んでいるのではないかと思ってしまいます(笑)



私は、2014年に椎葉を訪れて一番感動したのは、山の上で見た太陽の光でした。

まさしく天孫降臨の地ではないかと思えました。

民宿「さきがけ」のご主人に、あけびを取りにつれていってもらいました。

椎葉の人は本当にみんな親切です。






2015年夏には、椎葉の尾向小学校での渓谷祭りで、馬渡松子さんや川口淳一さんのピアノで

「今ここに生きる(岩崎瑞枝さん作詞作曲)」と「もののけ姫」「ふるさと」を

歌わせていただきました。

打ち上げでは、青年団の方たちとみんなで、わいわい祭りの余韻を楽しみました。

民宿「さきがけ」の奥様の作る手料理は最高でした。



翌朝も、食べきれないほどの朝食を用意して下さり、私は午前中に民宿を出たのですが

その夜、奥様は突然天国に旅立たれました。



2016年秋、私は宮崎でのコンサートで、「あけびの歌」を川口淳一さんのピアノで

初演しました。



映画「しゃぼん玉」は、椎葉での出来事を含めて、いろんなことを思い出させてくれました。

長い人生、笑い転げてはしゃぐ日も、切なくて切なくてたまらない日もあるでしょう。

しかし、みんな「今」「ここ」を生きています。

誰にスポットを当てても、人生にはいろんなドラマがあって、一人ひとりがその人の人生の

主人公なのだと思います。



まあ、映画だと思えば、いろいろと波乱万丈があるほうが、面白いし感動しますもんね~~

平凡な毎日にいろんな出来事が、喜怒哀楽のエッセンスを注いでくれているのだと思えば

できるだけストーリーは複雑な方が面白いとも言えます。

つまらない毎日をつまらせてくれる?いろんな試練にも感謝ですね!!

あらまぁ~~無理やりハッピーエンドにしました。ではまた。
    
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映画「しゃぼん玉」予告編

2017-03-03 | 椎葉
映画「しゃぼん玉」予告編


日本の三大秘境、宮崎県の椎葉村が舞台になった映画が明日公開されます。



私は2014年の夏、初めて椎葉村の尾向地区を訪れました。

あの時に見た椎葉の空が、私の心に広がり・・・

予告編を見ただけで、胸が詰まります。



日本の三大秘境と言われているだけあって、九州山地のど真ん中にあります。

デパートもコンビニもないのですが、そこにしかない人々の暮らしがあります。

日本のふるさとの原風景が広がります。

あたたかい太陽の光に包まれる大好きな場所です。


映画、とっても楽しみです~~!!


直木賞作家・乃南アサのベストセラー小説『しゃぼん玉』が林遣都と市原悦子で実写映画化!






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戻ってきました!

2015-08-18 | 椎葉
飛行機が遅れ、夜中にやっと帰ってきました!

今回の帰省は、いろんなことがありました。

嬉しかったのは、母が元気でいてくれたこと、いとこたちや親戚に会った事、

南校の大同窓会、大淀中の3年1組のミニ同窓会、

親友の美代子ちゃんやゆっこと過ごしたこと、椎葉の尾向小学校の夏祭りでの歌の本番、

バレエの波越先生との再会・・・

たくさんの人に会い、みんなに支えられて今を生かされている喜びを感じた数日間でした。




しかし、16日の朝、元気で見送ってくださった椎葉村の民宿の奥さんが、

その日の夜、急逝されました。本当にショックで信じられません。

朝には、全然元気で、美味しい手料理を頂き、写真をとってもらったりしました。

10月のコンサートのチラシも渡して、御礼を言って民宿を後にしました。

16日夜遅くに悲報を知りました。心よりご冥福をお祈りしています。



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柚子こしょう

2014-11-21 | 椎葉
9月に伺った椎葉のお土産に買ってきた柚子こしょうの歌です。



「柚子こしょう」
         作詞・作曲 高山千代美

うどんにパスタに 柚子こしょう 柚子こしょう 柚子こしょう  
やきとりサラダに 柚子こしょう 柚子こしょう 柚子こしょう 
ひえつきの里 椎葉の特産 柚子こしょうを 入れましょう

肉巻きおにぎり 柚子こしょう 柚子こしょう 柚子こしょう 
お鍋にチャーハン 柚子こしょう 柚子こしょう 柚子こしょう 
ひえつきの里 椎葉の特産 柚子こしょうを 入れましょう

何でもかんでも 柚子こしょう 柚子こしょう 柚子こしょう 
ピリッとおいしい 柚子こしょう 柚子こしょう 柚子こしょう 
ひえつきの里 椎葉の特産 柚子こしょうを 入れましょう

あなたも私も柚子こしょう 柚子こしょう 柚子こしょう 
一味プラスで柚子こしょう 柚子こしょう 柚子こしょう 
ひえつきの里 椎葉に行ったら 柚子こしょうを 買いましょう
柚子こしょうを 買いましょう 柚子こしょうが 大好きよ!






椎葉ってどこ?とおっしゃるあなた!
宮崎県、九州山地の真ん中あたりに位置する日本三大秘境のひとつの村です。秘境といっても、豊かな自然の中に、お互いに助け合う人々の暮らしがあります。そこは「かてーりの里」と呼ばれています。
「かてーり」とは、「仕事を共同ですること」「交互に」「交替で」「労働の交換」「仲間入り」などの意味で、お互いに助け合う昔からの風習です。










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あけびの歌

2014-10-24 | 椎葉
ちょうど一か月前に、日本三大秘境のひとつ、宮崎県の椎葉村を訪れました。

そのときに、民宿「さきがけ」のご主人が、「あけび」をたくさんとってきて出して下さり、
夕食後に生まれて初めて食べました!

また翌朝は、山の上まで、一緒にとりに連れて行って下さいました。
あたたかいおもてなしが本当に嬉しく、素晴らしい出会いに心から感謝しました。

その「あけび」の感動を歌にしました。




あけびの歌

       作詞・作曲:高山千代美
  
      

あけびって芋虫みたい 食べるの怖い
なんだか気持ち悪くて イヤだわ
でもおいしそうに食べてる人がる
勇気を出して 口に含めば ほんのり甘い

プププ・・
種を飛ばし 土に返し 空を見上げる

知らなかった あけびが
こんなに甘くて 優しいなんて
山の中の あけびが 
見た目じゃないよと教えてくれた

知らなかった あけびが
こんなに甘くて 優しいなんて
山の中の あけびが 
見た目じゃないよと教えてくれた



楽譜はこちらです!




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おばあちゃんの笑顔~もうひとつの椎葉物語~

2014-10-19 | 椎葉
30年の時を超えて~椎葉から延岡へ~の続きです。
旭中の卒業生とつながったところまでは、前回書きましたが、
実は、その当時3年生だったO君が書いていたコメントを
前略部分を含めてご紹介しますと、こう書いてありました。

はじめまして。
私は延岡、父親は椎葉村出身です。
私は今は、故郷を離れて神奈川県に住んでいます。
先日、祖母が死去(享年百三歳)し椎葉を訪れました。
幼い頃は同じ宮崎なのに悪路で遠く大変でしたが、今は道が善くなり時間もかなり短縮されたようにおもわれます。

やはり、椎葉村の素晴らしい所は大自然と村に暮らす人々ではないでしょうか。
私も日本全国を渓流釣りで訪れましたが、これほど素晴らしいフィールドはありません。
是非、この素晴らしい椎葉村を全国の方々に知ってほしいものですね。



そして、私の書いた前回のブログを読んで、フェイスブックにこんなコメントを
書いてくれました。


実は五月の連休に五年ぶりに帰郷したんです。
その時はなんとなく、「バァーチャンに会わないと。」と思っての里帰りです。
神奈川に移ってからはやはり、こちらがメインの生活になりますので
次第に故郷から離れていきました。

ご存知のとおり、私は渓流釣りを中心に魚釣りをしています。
夏山や雪山を登りつつ日本全国をまわりその土地どちの景色や風土に触れることができます。
それでも、解禁日の三月一日には椎葉村を訪れ、一年間のスタートとしておりました。
しかし年齢が経つにつれ、仕事も私生活も慌ただしくなり、
趣味である釣りも故郷も遠く感じるようになります。

しかし、あの時「バァーチャンに会わないと。」と思ったことは
いま察するに、”虫の知らせ”だったんだと思わざるを得ません。
椎葉に向かい、バァーチャンにあったのですが思いの外、元気です。
(バァーチャン、享年百三歳)

それどころか、バァーチャンから「郵便局の仕事はどうか、まだ結婚しないの?」とか、
「なんだ全然元気じゃん、あと数年は大丈夫じぁね」と、話しかけました。
しかし、バァーチャンが胸のうちをポツリ、ポツリと話し始めます。
「孝が会いにきてくれて、嬉しい。私が死んだら葬儀にはくるな、
お金がかかるじゃろ?生きているうちに会いにきて嬉しいよ。」
「〇〇も〇〇も〇〇も〇〇も、自分の子供は死んでしもうた、孫の〇〇さえ私より先に。」
「なぜ、私は生きているんじゃろ?」

私はバァーチャンの前で子供のように、嗚咽し泣き崩れ、
察してくれた叔母は静かに部屋からいなくなりました。
そしてバァーチャンと二人きり、いつのこと以来でしょう。
話て泣いて二人きり、四十六年生きてきて多分初めてです。
そこには、十年間以上会っていない祖母と孫の隔たりはなかったように思えます。

私は眠りについた祖母を残し静かに部屋をでて、縁側から木々を眺めました。
そこには、見えない筈の渓流が泣き腫らした瞼に映ります。
よし、今度は釣りをしに帰ってこよう。

・・・先生、このような出来事が私にもあったんですよ。
コメントは多分、数日後に書いたものだと思います。
祖母は九月五日真夜中に静かに息を引き取りました。(享年百三歳)
私は祖母の言い付けを守らず、通夜、葬儀、火葬と参加しました。
偶然が偶然をよび、もしかしたら必然的にこのような出会いになったのかもしれませんね。
人生って不思議ですよね。



私は、この文章を読んで、涙があふれました。
おばあちゃんの言葉が切なくて・・でも愛情に満ちていて・・
心が通じ合う二人の様子が浮かび、まるで映画のシーンを見ているようにさえ思えました。

椎葉の空は、本当に手の届きそうなほど近く、すぐそこにありました。
おばあちゃんは、あの満天の星のどれかになって、今日も輝いていらっしゃることでしょう。
ご冥福を心からお祈りしています。

O君のおばあちゃんは、椎葉村最後の明治生まれだったそうです。
最後に、私が昔作った「おばあちゃんの笑顔」という歌を
O君とおばあちゃんにプレゼントしたいと思います。
(・・って録音がないので歌詞だけですみません)



おばあちゃんの笑顔

         作詞・作曲 高山千代美
           編曲  打木悟


明治生まれの おばあちゃんの笑顔
長い人生を 生きぬいてきた
深いしわのある やさしい笑顔
そばにいるだけで 心が和む
明治・大正・昭和・平成 どんな時にも
家族のため 人のために 働き続けた
明治生まれの おばあちゃんの笑顔
心を込めて ありがとう

 
明治生まれの おばあちゃんの笑顔
厳しい時代を 生きぬいてきた
みんな大好きな おおらかな笑顔
見つめてるだけで 胸が熱くなる
明治・大正・昭和・平成 辛い時にも
戦火の中 涙こらえて 走り続けた
明治生まれの おばあちゃんの笑顔
心を込めて ありがとう








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30年の時を超えて~椎葉から延岡へ~

2014-10-17 | 椎葉
「旭中学校」~その学校は、宮崎県延岡市にある公立中学校で、
私の母校ではなく、私が大学を卒業して、すぐに赴任した中学校です。


↑クリックすると大きくなります。 

私は、2年生の担任で数学科を教えました。
授業の他に、合唱部の顧問や、フリスビークラブ、福祉委員会なども担当していました。

担任した2年4組の生徒たちには、私が退職することを、その前日に突然話しましたので、
それはそれは、みんな驚いて、泣いてくれた子(男子も!)もたくさんいました。
その時に、アカペラで歌った歌が、「初恋」という歌です。

 砂山の 砂にはらばい 初恋の 痛みを遠く 思ひいずる日(石川啄木)

その夜は、私の6畳一間のマンションにクラスの生徒たちが30名近く集まってくれました。
小さなキッチンにも玄関にも、人があふれていました。お菓子とジュースで乾杯しましたね。
2年4組のクラスは、球技大会や合唱コンクールにしても、なかなかの成績で
いざという時だけまとまる?とてもよいクラスだったと思っています。

新任の時の家庭訪問では緊張しながらも、生徒の部屋(机がある場所)を見せてもらいましたね~。
あ~学校をよく休む生徒もいて、あき時間によくその生徒の家に自転車でいったものです。
ある日、その生徒が家に帰ってこない、と大騒ぎになり、最後には、私の家に夜10時か11時ぐらいに
本人から電話がかかってきて、今山まで迎えにいったこともありましたね~
合唱部の生徒たちとは、むかばき山で合宿したり、県大会へ出場したりもしました。
本当に楽しい1年間でした。
 
  
↑クリックすると大きくなります(右の写真中央は私です)

いろんな思い出にふける暇もなく、生徒に別れを告げた翌日、私は延岡駅で、
合唱部の生徒たちに見送られて、汽車に乗りました。
駅のホームでは、みんなが「ふるさと」をずっと歌ってくれました。
実は合唱部では、いつも最後に「ふるさと」を歌い、最後はハミングして
一人一言ずつ、あいさつするのがお決まりだったのです。
今でも、生徒たちが駅のホームを走って追いかけてくれた姿が浮かびます。


生徒たちのことは、とても大好きで、正直、心残りがありましたが、
私の決断に迷いはありませんでした。
今思えば、若いとは言え、我ながらよくやったなあ~と思います・・・。

日向市出身で、当時藤原歌劇団で大活躍されていたソプラノ歌手、
日越喜美香先生との出会いがきっかけとなり、教師を辞める決心をしました。
「チャンスは誰にでもあるのよ、ただ、みんなやろうとしないだけなのよ」という先生の一言が、
大きく心を動かし、オペラの藤原歌劇団を受験したのです。

その年、翌年と2度チャレンジしたのですが、藤原の受験には失敗~、
しかし第一勧銀システム開発(現みずほ情報総研)に再就職して、働きながら声楽の勉強を続けました。
その後、結婚してからも音楽活動を続け、今では、素晴らしい音楽仲間たちと一緒に、CDを作ったり
コンサートしたり、地道な活動ではありますが、充実した日々を送っています。

旭中学校の生徒たちとは、退職後はやりとりもあり、東京の家まで遊びにきてくれた生徒もいたのですが、
最近は、すっかり音信不通になってしまっていました。
数年前にクラスの生徒2名ほどつながりましたが、既に40代半ばで、進む道もそれぞれで、
なかなか会う機会もなく過ぎていきました。

・・・・・とここまでは、前置きです。



8月末に、岩崎瑞枝さんが、椎葉の尾向小学校に勤務されていた時に作られた歌などを収めた
歌物語「ふるさと尾向」というCDを送って頂いたことがきっかけとなり、
その中の1曲「今ここにいきる」という歌を、9月23日、宮崎県新富町文化会館で
社会福祉法人明和会の10周年の記念式典で歌わせて頂いたことは、
すでにご報告した通りなのですが。。。

その後、椎葉を訪れ、椎葉ファンクラブにも入り(会員番号838番!)
柚子こしょう~あけびの歌~なども作って、気分はすっかり椎葉観光協会の一員のような
気持ちになっていました。

そんな時(10月14日)フェイスブックで椎葉村のページを見つけました。

そこにこんなコメントが書いてありました。

「~前略~やはり、椎葉村の素晴らしい所は大自然と村に暮らす人々ではないでしょうか。
私も日本全国を渓流釣りで訪れましたが、これほど素晴らしいフィールドはありません。
是非、この素晴らしい椎葉村を全国の方々に知ってほしいものですね。

私もその下に、こんな書き込みをしました。

「私は宮崎市出身で横浜在住ですが、2014年9月末、初めて椎葉を訪れました。
本当に山も川も空も澄み渡り、素晴らしいところでした。
日本のふるさと、椎葉をぜひみなさんに紹介していきたいです。」


なんとなく共通の匂いがしたので、椎葉ファンとして、その方にお友達申請をして、
フェイスブックでお友達になったのです。

ごくごく普通に挨拶したのですが・・なんとその方!

実は、旭中学校の卒業生の方だったのです。
しかも、私が中学校に赴任していたときの3年生!
いや~~驚きました!今でもあの感動がよみがえってきます!

その方を教えてはいなかったので、お互いに覚えてはいなかったのですが、
既に46歳、立派な社会人になられている生徒さんに、
何十年ぶりかで「坂元先生!」と呼ばれて、嬉しいような~不思議な気持ちになりました。

さらに驚いたのは、その方のお父様が、椎葉の尾向小学校のご出身だったことです。

こんな偶然ってあるのでしょうか。
本当に偶然とは思えない素晴らしい出会いです。
そして、私のスタート地点でもある、延岡の旭中学校に、また戻ってきてしまいました!

・・というわけで、30年の時を超えて、椎葉から延岡につながりました!

驚きと嬉しさといろいろと入り混じった、本当に感動と感謝の出来事でした!


さあ、いつかまたあの時の生徒さんたちに、会える日を夢見て、今日も頑張ります!










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今ここに生きる

2014-09-30 | 椎葉
おはようございます!

遅くなりましたが、ご報告です!

23日、宮崎県新富町文化会館で行われた社会福祉法人明和会の10周年記念式典で

歌わせて頂きました! 


歌:高山千代美 稲田三千男(3,4) ピアノ:小原通代

1、ふるさとの四季

2、今ここに生きる 歌物語「ふるさと尾向」より 作詞・作曲:岩崎瑞枝 編曲:谷茂岡一人

3、父娘 作詞・作曲:高山千代美 編曲:谷茂岡一人

4、ふるさと(全員合唱)




短い時間でしたが、通所の皆さんの出し物でも盛り上がり、楽しいひと時でした。

父娘はCDを作って以来初めての、叔父との共演となりました。

また、明和会の理事長の児玉さんの妹さんが、私の声楽の恩師である日越喜美香先生の

大親友でいらっしゃることがわかり、このご縁を大変嬉しく思いました。

この日、初めて歌わせて頂いた「今ここに生きる」を作られた岩崎さんや、

ご紹介下さった川口さんらもいらして下さり、感動のご対面となりました。

明和会の皆さんや、応援してくださった皆さん、本当にありがとうございました!




6日間の間に、親戚やいとこたち、中学や高校の友人たちともたくさん会い、

母には「ちっとも家におらんね~」と言われましたが、とても充実した帰省となりました。



ピアノの小原さんとコンサート翌日に行った、高原町の狭野神社では、

雨の中でしたが、門の向こうに光が射して、闇の中から見える幻想的な光の世界の風景に

心から感動しました。

そして、「今ここに生きる」の生まれた椎葉村尾向も訪ねることができました。

そこは日本三大秘境のひとつと言われており、宮崎市内から車で4時間もかかる僻地です。

民宿のご家族のあたたかいおもてなしを受け、夜は満天の星を見ることができました。

また、早朝に川沿いを散歩したり、「あけび」を取りにいこうと向かった山の上では、

サンサンと輝く太陽の光をあびて身体中の細胞が喜び、

言葉にならない素晴らしいひと時を味わうことができました。

私は、日頃からボーイスカウトのキャンプで、いろんな自然の中に行く機会が多いのですが、

ふるさと尾向は格別でした。




  今ここに生きる
  
         作詞・作曲:岩崎瑞枝

  山が呼ぶ 川が呼ぶ 今目覚めよと

  大地に根を張り生きる若木よ

  その瑞枝を 高く高く伸ばして 

  明日の夢をこの手でつかもう

  友と今ここに生きる 

  友と今ここに生きる



  森が呼ぶ 空が呼ぶ 今立ち上がれ

  ここに生まれ生きる若人

  その手と手を 強く強く携え

  明日の扉みんなで開こう

  友と今ここに生きる

  友と今ここに生きる  




ふるさとは、どこか遠くにあるのではなく、いつも私の心の中にあります。

心通じ合う人と出会い、魂の奥深く響きあう瞬間に、

すべての悲しみや苦しみが解けて、今を生かされている喜びへと変わります。

素晴らしい出会いに心から感謝しています。






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歌物語「ふるさと尾向」

2014-09-03 | 椎葉
先日、フェイスブックでつながった高校時代の合唱部の後輩である川口さんらが、”歌物語「ふるさと尾向(おむかい)」”というCDを作られたことを知り、送っていただきました。
今日は、そのCDをご紹介したいと思います。



 


(↑クリックすると大きくなります)

尾向とは、宮崎県の椎葉村(九州山地の真ん中あたり)にある地名で、そこには尾向小学校という全校生徒数十名の小さな小学校があります。

その小学校に、25年ほど前、川口さんの同級生である岩崎瑞枝先生が勤務しておられました。
当時、岩崎先生が作られた歌の数々を、今でも子供たちや地域の人が歌い継いでいてくださったことが、昨年の1月にわかったそうです。そこで、今回、岩崎先生やお仲間の方たちが、尾向地区のみなさんへの感謝をこめて、それらの歌をこのCDに収録されました。

届いたCDを聴かせていただきましたが、故郷の風の音や水の音、ふるさとの山合いに降り注ぐ光のようなあたたかな歌と語りがおさめられていました。
若者の歌声は、明るくのびやかで、とても気持ちがよく、今後が期待されます。
昔から伝わる大自然と調和した人々の暮らし、かっぱやたぬき、わらし神・・先生ご自身の「やまごぼう」の朗読もあり、実に盛りだくさんで愉しめます。語られている椎葉の方言も、普段はなかなか聞くことができませんので、とても貴重なものだと思います。

また新しく作られた曲も2曲ほどおさめられています。

岩崎先生の「ありがとう~尾向好人の唄~」の歌詞にある「命のつながりの中で出会えた奇跡」や「悠久の時を超えて息づく奇跡」を実感する出会いに、頷きながら何度も聴かせていただいています。

実は、私は、椎葉には行ったことがありません。宮崎市内からはとても時間がかかって遠いのです。
その昔、亡き父が「椎葉にいくと、子供たちがみんな大きな声であいさつしてくれる」とよく言っていました。

「輝るまち~旅人の唄~」大野祥照さんの歌詞にも、「私が誰かを知らずとも、笑顔で包んで愛してくれる」とあり、父の言葉を思い出しました。

いろんな人の真心のこもった、とても素敵なCDです。聴けば聴くほど感動しますよ!

そして、そのおかげで出会えた川口さんや岩崎先生・・本当にありがとうございます。

実は、岩崎先生は、私の高校時代の恩師のお嬢さんであることもわかり、まさしく奇跡的な?出会いに感動と感謝でいっぱいです。

椎葉へ行ってみたくなりました!!ふるさとはいいものですね!!






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