「旭中学校」~その学校は、宮崎県延岡市にある公立中学校で、
私の母校ではなく、私が大学を卒業して、すぐに赴任した中学校です。
↑クリックすると大きくなります。
私は、2年生の担任で数学科を教えました。
授業の他に、合唱部の顧問や、フリスビークラブ、福祉委員会なども担当していました。
担任した2年4組の生徒たちには、私が退職することを、その前日に突然話しましたので、
それはそれは、みんな驚いて、泣いてくれた子(男子も!)もたくさんいました。
その時に、アカペラで歌った歌が、「初恋」という歌です。
砂山の 砂にはらばい 初恋の 痛みを遠く 思ひいずる日(石川啄木)
その夜は、私の6畳一間のマンションにクラスの生徒たちが30名近く集まってくれました。
小さなキッチンにも玄関にも、人があふれていました。お菓子とジュースで乾杯しましたね。
2年4組のクラスは、球技大会や合唱コンクールにしても、なかなかの成績で
いざという時だけまとまる?とてもよいクラスだったと思っています。
新任の時の家庭訪問では緊張しながらも、生徒の部屋(机がある場所)を見せてもらいましたね~。
あ~学校をよく休む生徒もいて、あき時間によくその生徒の家に自転車でいったものです。
ある日、その生徒が家に帰ってこない、と大騒ぎになり、最後には、私の家に夜10時か11時ぐらいに
本人から電話がかかってきて、今山まで迎えにいったこともありましたね~
合唱部の生徒たちとは、むかばき山で合宿したり、県大会へ出場したりもしました。
本当に楽しい1年間でした。
↑クリックすると大きくなります(右の写真中央は私です)
いろんな思い出にふける暇もなく、生徒に別れを告げた翌日、私は延岡駅で、
合唱部の生徒たちに見送られて、汽車に乗りました。
駅のホームでは、みんなが「ふるさと」をずっと歌ってくれました。
実は合唱部では、いつも最後に「ふるさと」を歌い、最後はハミングして
一人一言ずつ、あいさつするのがお決まりだったのです。
今でも、生徒たちが駅のホームを走って追いかけてくれた姿が浮かびます。
生徒たちのことは、とても大好きで、正直、心残りがありましたが、
私の決断に迷いはありませんでした。
今思えば、若いとは言え、我ながらよくやったなあ~と思います・・・。
日向市出身で、当時藤原歌劇団で大活躍されていたソプラノ歌手、
日越喜美香先生との出会いがきっかけとなり、教師を辞める決心をしました。
「チャンスは誰にでもあるのよ、ただ、みんなやろうとしないだけなのよ」という先生の一言が、
大きく心を動かし、オペラの藤原歌劇団を受験したのです。
その年、翌年と2度チャレンジしたのですが、藤原の受験には失敗~、
しかし第一勧銀システム開発(現みずほ情報総研)に再就職して、働きながら声楽の勉強を続けました。
その後、結婚してからも音楽活動を続け、今では、素晴らしい音楽仲間たちと一緒に、CDを作ったり
コンサートしたり、地道な活動ではありますが、充実した日々を送っています。
旭中学校の生徒たちとは、退職後はやりとりもあり、東京の家まで遊びにきてくれた生徒もいたのですが、
最近は、すっかり音信不通になってしまっていました。
数年前にクラスの生徒2名ほどつながりましたが、既に40代半ばで、進む道もそれぞれで、
なかなか会う機会もなく過ぎていきました。
・・・・・とここまでは、前置きです。
8月末に、岩崎瑞枝さんが、椎葉の尾向小学校に勤務されていた時に作られた歌などを収めた
歌物語「ふるさと尾向」というCDを送って頂いたことがきっかけとなり、
その中の1曲「今ここにいきる」という歌を、9月23日、宮崎県新富町文化会館で
社会福祉法人明和会の10周年の記念式典で歌わせて頂いたことは、
すでにご報告した通りなのですが。。。
その後、椎葉を訪れ、椎葉ファンクラブにも入り(会員番号838番!)
柚子こしょう~あけびの歌~なども作って、気分はすっかり椎葉観光協会の一員のような
気持ちになっていました。
そんな時(10月14日)フェイスブックで椎葉村のページを見つけました。
そこにこんなコメントが書いてありました。
「~前略~やはり、椎葉村の素晴らしい所は大自然と村に暮らす人々ではないでしょうか。
私も日本全国を渓流釣りで訪れましたが、これほど素晴らしいフィールドはありません。
是非、この素晴らしい椎葉村を全国の方々に知ってほしいものですね。
私もその下に、こんな書き込みをしました。
「私は宮崎市出身で横浜在住ですが、2014年9月末、初めて椎葉を訪れました。
本当に山も川も空も澄み渡り、素晴らしいところでした。
日本のふるさと、椎葉をぜひみなさんに紹介していきたいです。」
なんとなく共通の匂いがしたので、椎葉ファンとして、その方にお友達申請をして、
フェイスブックでお友達になったのです。
ごくごく普通に挨拶したのですが・・なんとその方!
実は、旭中学校の卒業生の方だったのです。
しかも、私が中学校に赴任していたときの3年生!
いや~~驚きました!今でもあの感動がよみがえってきます!
その方を教えてはいなかったので、お互いに覚えてはいなかったのですが、
既に46歳、立派な社会人になられている生徒さんに、
何十年ぶりかで「坂元先生!」と呼ばれて、嬉しいような~不思議な気持ちになりました。
さらに驚いたのは、その方のお父様が、椎葉の尾向小学校のご出身だったことです。
こんな偶然ってあるのでしょうか。
本当に偶然とは思えない素晴らしい出会いです。
そして、私のスタート地点でもある、延岡の旭中学校に、また戻ってきてしまいました!
・・というわけで、30年の時を超えて、椎葉から延岡につながりました!
驚きと嬉しさといろいろと入り混じった、本当に感動と感謝の出来事でした!
さあ、いつかまたあの時の生徒さんたちに、会える日を夢見て、今日も頑張ります!
今日もご訪問ありがとうございます。
↓クリックよろしくお願いします!!
にほんブログ村