横浜高出身の全プロ野球選手を紹介するシリーズ。
第2弾は85年度卒~03年度卒です。
85年から96年までの12年間で横浜高は春夏合わせて8回、甲子園に出場しました。
しかしその間の勝ち星は3勝にとどまるなど、全国大会では結果が出せない時期が続きます。
それでも、92年から96年までの5年間で13名もの選手がプロに飛び込み、
下の表中で一軍出場ゼロの選手はわずか2名と、
「プロ野球選手養成所」としての地位は着実に高まっていきます。
87年度卒の高橋建は大学、社会人を経て26歳でのプロ入り。
低迷していた広島にあって、貴重なサウスポーとしてチームに貢献しました。
90年度卒の鈴木尚典は97年、98年と2年連続で首位打者を獲得するなど、
シュアなバッティングで横浜「マシンガン打線」の中核を担っています。
93年度卒の高橋光信は高校時代は目立った活躍はありませんでしたが、
国際武道大時代に大学日本代表の4番を任され、
プロでも一発長打を武器に代打の切り札として活躍しています。
94年度卒は4名がプロ入り。
多村仁は故障がちのためレギュラー定着まで10年かかりましたが、
04年に打率.305、40本塁打、100打点と大ブレーク。
06年のWBCで活躍したほか、ソフトバンク移籍後の10年には打率.324、37本塁打と強打を披露しています。
斉藤宜之は身体能力の高さを活かし、代打、代走、守備固めなどで首脳陣から重宝されました。
95年度卒の横山道哉は横浜で中継ぎ、日本ハムではクローザーと、
リリーバーとしてプロ野球人生をまっとうしています。
96年度卒では阿部真宏。近鉄、合併後のオリックスで正遊撃手として活躍。
晩年には代打や守備固めでチームを支えました。
松井光介は大学、社会人でキャリアを積み、プロ入りは28歳と遅かったものの、
その後は中継ぎとして細く長くマウンドに立ちます。
余談ですが、個人的に唯一生で見た「ノーヒットノーラン」がこの人でした。
3年春、千葉で行われた関東大会(八千代松陰戦)でのことです。
98年、横浜高は史上5校目の春夏連覇を達成。
秋の新チーム結成から一度も負けることがなかったという、最強チームでした。
その原動力は怪物・松坂大輔。その快投は社会現象となりました。
その後の活躍はあえて申し上げるまでもありませんね。
また、同級で主力選手だった小池正晃、後藤武敏も
それぞれ打力を活かし、プロの世界で長く活躍しています。
63年以来、2年以上続けてプロ選手が誕生しない時期のなかった横浜高でしたが、
99年から01年まで3年間、長期の「空白期間」が発生します。
それだけ松坂世代のインパクトが強く、後輩たちの活躍がかすんでしまったということかもしれません。
センバツで準優勝を果たした03年度卒の成瀬善久は、
正確なコントロールを武器にロッテのエースとして君臨。5度の二ケタ勝利をマークしています。
同級の荒波翔は大学、社会人でも名門チームでレギュラーに定着。
プロでも2度のGグラブ賞を受賞するなど、攻守に安定したプレーを見せました。
次回は04年度卒以降の選手を紹介します。
第2弾は85年度卒~03年度卒です。
85年から96年までの12年間で横浜高は春夏合わせて8回、甲子園に出場しました。
しかしその間の勝ち星は3勝にとどまるなど、全国大会では結果が出せない時期が続きます。
それでも、92年から96年までの5年間で13名もの選手がプロに飛び込み、
下の表中で一軍出場ゼロの選手はわずか2名と、
「プロ野球選手養成所」としての地位は着実に高まっていきます。
87年度卒の高橋建は大学、社会人を経て26歳でのプロ入り。
低迷していた広島にあって、貴重なサウスポーとしてチームに貢献しました。
90年度卒の鈴木尚典は97年、98年と2年連続で首位打者を獲得するなど、
シュアなバッティングで横浜「マシンガン打線」の中核を担っています。
93年度卒の高橋光信は高校時代は目立った活躍はありませんでしたが、
国際武道大時代に大学日本代表の4番を任され、
プロでも一発長打を武器に代打の切り札として活躍しています。
94年度卒は4名がプロ入り。
多村仁は故障がちのためレギュラー定着まで10年かかりましたが、
04年に打率.305、40本塁打、100打点と大ブレーク。
06年のWBCで活躍したほか、ソフトバンク移籍後の10年には打率.324、37本塁打と強打を披露しています。
斉藤宜之は身体能力の高さを活かし、代打、代走、守備固めなどで首脳陣から重宝されました。
95年度卒の横山道哉は横浜で中継ぎ、日本ハムではクローザーと、
リリーバーとしてプロ野球人生をまっとうしています。
96年度卒では阿部真宏。近鉄、合併後のオリックスで正遊撃手として活躍。
晩年には代打や守備固めでチームを支えました。
松井光介は大学、社会人でキャリアを積み、プロ入りは28歳と遅かったものの、
その後は中継ぎとして細く長くマウンドに立ちます。
余談ですが、個人的に唯一生で見た「ノーヒットノーラン」がこの人でした。
3年春、千葉で行われた関東大会(八千代松陰戦)でのことです。
98年、横浜高は史上5校目の春夏連覇を達成。
秋の新チーム結成から一度も負けることがなかったという、最強チームでした。
その原動力は怪物・松坂大輔。その快投は社会現象となりました。
その後の活躍はあえて申し上げるまでもありませんね。
また、同級で主力選手だった小池正晃、後藤武敏も
それぞれ打力を活かし、プロの世界で長く活躍しています。
63年以来、2年以上続けてプロ選手が誕生しない時期のなかった横浜高でしたが、
99年から01年まで3年間、長期の「空白期間」が発生します。
それだけ松坂世代のインパクトが強く、後輩たちの活躍がかすんでしまったということかもしれません。
センバツで準優勝を果たした03年度卒の成瀬善久は、
正確なコントロールを武器にロッテのエースとして君臨。5度の二ケタ勝利をマークしています。
同級の荒波翔は大学、社会人でも名門チームでレギュラーに定着。
プロでも2度のGグラブ賞を受賞するなど、攻守に安定したプレーを見せました。
次回は04年度卒以降の選手を紹介します。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます