スポーツエトセトラ

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千葉県高校出身者・ドラフト指名選手一覧(2001年~2006年)

2020-10-06 08:33:59 | 千葉県高校出身者ドラフト指名一覧
千葉県の高校出身プロ野球選手を紹介するシリーズの10回目は、2001年から2006年です。



2001年は3名。
早川大輔は進学校・県立船橋出身。立大へは一般入試で入学し、本田技研では3年連続都市対抗に出場。
00年には新日鉄君津、01年には日本通運の補強としてベスト4に貢献。オリックスでは代走での起用がメインでしたが、
地元のロッテに移籍後にブレークしてレギュラーに定着。現在は古巣・オリックスのスカウトです。

山田憲は00年夏の甲子園で準優勝した東海大浦安で、2年ながら遊撃のレギュラーとして活躍。
しかし、プロでは3年間で一軍出場ゼロでした。

林昌範は高校では夏の県大会ベスト4が最高と甲子園とは無縁でしたが、速球派の大型サウスポーとして期待され、
巨人では2年目に一軍に定着しクローザー、セットアッパーを任されたほか、
日本ハム、DeNAでも貴重な左の中継ぎとして重宝されました。現在は船橋市にある実家の自動車学校に勤務しています。

2002年は高校生2名が指名。
浅間敬太は01年の秋に県大会準優勝。チームを関東大会へと導きました。
最後の夏はベスト8で敗れたものの速球派左腕として注目されプロ入り。
1年目にいきなり一軍デビューも、ケガに泣かされ活躍には至りませんでした。

長田昌浩は甲子園には手が届かなかったものの、高校通算30本塁打、打率4割5分に加え俊足の持ち主として
西岡剛(大阪桐蔭)、森岡良介(明徳義塾)ら、甲子園で活躍した選手と並び称される大型遊撃手としてプロ入り。
しかし巨人の選手層の厚さの前に、一軍ベンチへの定着を果たせませんでした。

2003年は5名。
川島亮は甲子園とは縁がありませんでしたが、大学で実力開花。日米大学野球の日本代表に選ばれ、
アマ屈指の好投手として自由獲得枠でヤクルトに入団を果たしています。
いきなり先発ローテに加わり10勝をマークして新人王を獲得するなど、即戦力の期待に応えましたが、
プロ3年目以降は故障に泣かされ尻すぼみとなったのは惜しまれます。現在はヤクルトのマネージャー。

押本健彦は高校時代は控えでしたが、日産に進むと急成長。03年の日本選手権で2勝をマークして日本一に貢献。
プロでは1年目に7勝を挙げたほか、ヤクルト移籍後はセットアッパーに定着し、
通算111ホールドをマークしています。現在は日本ハムのチームスタッフ。

岩舘学は高校時代から強打の遊撃手として知られ、3年春には主砲として関東大会進出の原動力に。
大学でもすぐにレギュラーに座り日本代表に3度選出されましたが、
プロでは攻守ともにそつがないものの決め手に欠け、一軍定着は果たせず。現在は日本ハムのスカウトです。

金子圭輔は高3の夏の県大会ではエースとして、速球を武器にチームを準優勝に導きました。
プロでは本職の遊撃手で勝負。内野ならどこでも守れる器用さで実働13年間、主に内野の守備固めを任されました。
現在はソフトバンクの広報を務めています。

栗田雄介は高校、大学、社会人と全国大会とは無縁。社会人チームの休部に伴い近鉄のテストを受け入団。
MAX143キロのストレートが武器でしたが、一軍登板は1試合のみ。現在はマリーンズアカデミーのコーチです。
この年プロ入りした5名は、2020年現在で全員、球界に残っていることになります。

2004年は2名。
手嶌智は高校時代から好投手として知られ、2年秋はエースとしてチームを関東大会に導きました。
社会人ではハーレム国際大会の日本代表に選出されており、プロでも即戦力として期待されましたが、
一軍での登板は1試合に終わりました。現在はロッテの広報兼打撃投手として、裏側からチームを支えています。

中村一生は高校時代、夏の甲子園で8安打を放ち準優勝に貢献。大学では通算7本塁打をマーク。
高い身体能力を誇る大型外野手として、中日、オリックスでは主に守備固めを任されました。

2005年、06年はドラフト指名ゼロに終わっています。ドラフト制度開始以降、
2年続けて千葉県の高校出身者が指名されなかったのは初めてと、寂しい結果となりました。

次回は2007年~08年をご紹介します。


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