1965年のドラフト制度施行以降、千葉県の高校出身で指名された選手は193名にのぼります。
そのうち、18名が指名拒否という行動に出ました。
ドラフトの黎明期はアマチュア球界の大物イコール即プロ入り、
という現在のような感覚はなく、不人気球団から指名されたり、ドラフト下位指名の場合、
「プロに進まない」という選択をする選手は少なくありませんでした。
現在と違って入ったチームによって待遇面も大きく違っていた時代、
イメージのよろしくないチームに「強制的に」入団させられるなんてたまったもんじゃない、
と考えても不思議ではありません。FAもなく、メジャー進出も夢物語でしたし。
また、社会人野球の企業チームの数、都市対抗野球や六大学野球の盛り上がりも
現在とは比べ物にならないくらいでしたから、しょうがないですね。
さて、以下の表が指名を拒否し、再指名されたのちにプロ入りした選手です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/c2/d4f604b25455272db64359628eefd21c.jpg)
谷沢は早大で通算18本塁打(リーグ5位タイ)、111安打(同12位タイ)、63打点(同9位タイ)と大活躍。
プロでも1年目からレギュラーに座り新人王を獲得。首位打者2回、ベストナイン5回、2000本安打達成と
球史に残る強打者として活躍しています。
田中は日通に残留後も国際大会の日本代表に選ばれるなど、社会人屈指の投手として活躍。
巨人では中継ぎとして起用され、太平洋移籍後の73年、74年と2年連続で二ケタ勝利をマークするなど、
主力投手としてチームに貢献しています。
中山は69年の都市対抗でリリーフで登板。プロ入り後はなかなか結果を残せませんでしたが、
5年目の74年に8勝をマークすると75年から10勝、12勝と2年連続で二ケタ勝利。
主力投手の一人として活躍しました。
石毛は駒大でリーグ通算3位の114安打、リーグ記録の25試合連続安打をマーク。
新興チームのプリンスでもレギュラーに座ったほか、国際大会の日本代表に選出。
プロでも1年目から打率3割を記録して新人王を受賞。その後もMVP1回、
ベストナイン8回の活躍で西武黄金時代に貢献しています。
森は駒大のエースとして活躍するもプロ入りを拒否。
住友金属では1年目の日本選手権では全試合完投の活躍で日本一に大いに貢献。
翌年の世界アマチュア大会でも好投を見せています。
プロでは二ケタ勝利3回、最優秀救援1回。西武黄金時代の初期を支えました。
銚子は高校時代はエースでしたが、大学では野手に転向。
三塁手として3度の目ストナインに輝くなど、名門チームの主力として活躍。
プロでは88年、89年と2年連続で規定打席に到達しています。
加藤は近鉄の指名拒否して残留。都市対抗のマウンドにも立ちました。
遅いプロ入りだったため活躍はできませんでしたが、千葉市リトルの監督として
多くの選手を指導。息子さんは04年夏の甲子園、4強入りした千葉経大付のメンバーでした。
長冨は社会人に進み、補強ながら2年連続で都市対抗に出場。
85年にはインタコンチ大会の日本代表に選出されました。
プロでは即戦力の期待に応え、1年目に10勝をマークして新人王。通算で4度の二ケタ勝利を記録したほか、
日本ハム、ダイエーではリリーバーとして活躍しています。
最後に、プロには進まなかった10名の選手も紹介します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/c9/1d23763e6a5dcd5c1c09756225dd3d17.jpg)
プロから誘われるレベルの選手たちですので、アマの世界でも活躍している選手が多いですね。
銚子商の主力だった阿天坊は立大でもレギュラーに定着したほか、
新日鉄室蘭でも都市対抗や産業対抗に主力選手として出場しています。
習志野初の全国制覇時の主力だった池田は慶大でもレギュラーとして3度のベストナインを獲得。
強豪・日石でも第46回の都市対抗では12打数6安打2打点と結果を残し、優秀選手に選ばれています。
藤田も中大では主戦格として72年春のリーグ戦優勝の立役者となったほか、
名門・日産でも主力投手として毎年のように都市対抗のマウンドに上がっています。
坂本は駒大で主力としてプレー。電電(NTT)関東では最初の都市対抗で
16打数7安打2打点と打ちまくり、打撃賞を受賞。その年の社会人ベストナインにも選ばれています。
社会人入り後に指名され、拒否した選手では71年センバツベスト4に貢献した鈴木。
新日鉄名古屋入社2年目の73年に西濃運輸の補強として都市対抗に初出場。
85年まで補強5度を含み13年連続出場の偉業を達成。第3回の日本選手権では優勝に貢献しています。
前川は高校時代から投打に注目され、早大では主力として外野で3度のベストナインを受賞。
日鋼では1年目から4番を任され都市対抗のデビュー戦を皮切りに、11回の出場で9本塁打をマーク。
第55回の都市対抗では久慈賞を受賞。75、76、84年と3度社会人野球ベストナインに選ばれるなど、
“ミスター社会人”の称号に相応しい活躍を見せました。
そのうち、18名が指名拒否という行動に出ました。
ドラフトの黎明期はアマチュア球界の大物イコール即プロ入り、
という現在のような感覚はなく、不人気球団から指名されたり、ドラフト下位指名の場合、
「プロに進まない」という選択をする選手は少なくありませんでした。
現在と違って入ったチームによって待遇面も大きく違っていた時代、
イメージのよろしくないチームに「強制的に」入団させられるなんてたまったもんじゃない、
と考えても不思議ではありません。FAもなく、メジャー進出も夢物語でしたし。
また、社会人野球の企業チームの数、都市対抗野球や六大学野球の盛り上がりも
現在とは比べ物にならないくらいでしたから、しょうがないですね。
さて、以下の表が指名を拒否し、再指名されたのちにプロ入りした選手です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/c2/d4f604b25455272db64359628eefd21c.jpg)
谷沢は早大で通算18本塁打(リーグ5位タイ)、111安打(同12位タイ)、63打点(同9位タイ)と大活躍。
プロでも1年目からレギュラーに座り新人王を獲得。首位打者2回、ベストナイン5回、2000本安打達成と
球史に残る強打者として活躍しています。
田中は日通に残留後も国際大会の日本代表に選ばれるなど、社会人屈指の投手として活躍。
巨人では中継ぎとして起用され、太平洋移籍後の73年、74年と2年連続で二ケタ勝利をマークするなど、
主力投手としてチームに貢献しています。
中山は69年の都市対抗でリリーフで登板。プロ入り後はなかなか結果を残せませんでしたが、
5年目の74年に8勝をマークすると75年から10勝、12勝と2年連続で二ケタ勝利。
主力投手の一人として活躍しました。
石毛は駒大でリーグ通算3位の114安打、リーグ記録の25試合連続安打をマーク。
新興チームのプリンスでもレギュラーに座ったほか、国際大会の日本代表に選出。
プロでも1年目から打率3割を記録して新人王を受賞。その後もMVP1回、
ベストナイン8回の活躍で西武黄金時代に貢献しています。
森は駒大のエースとして活躍するもプロ入りを拒否。
住友金属では1年目の日本選手権では全試合完投の活躍で日本一に大いに貢献。
翌年の世界アマチュア大会でも好投を見せています。
プロでは二ケタ勝利3回、最優秀救援1回。西武黄金時代の初期を支えました。
銚子は高校時代はエースでしたが、大学では野手に転向。
三塁手として3度の目ストナインに輝くなど、名門チームの主力として活躍。
プロでは88年、89年と2年連続で規定打席に到達しています。
加藤は近鉄の指名拒否して残留。都市対抗のマウンドにも立ちました。
遅いプロ入りだったため活躍はできませんでしたが、千葉市リトルの監督として
多くの選手を指導。息子さんは04年夏の甲子園、4強入りした千葉経大付のメンバーでした。
長冨は社会人に進み、補強ながら2年連続で都市対抗に出場。
85年にはインタコンチ大会の日本代表に選出されました。
プロでは即戦力の期待に応え、1年目に10勝をマークして新人王。通算で4度の二ケタ勝利を記録したほか、
日本ハム、ダイエーではリリーバーとして活躍しています。
最後に、プロには進まなかった10名の選手も紹介します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/c9/1d23763e6a5dcd5c1c09756225dd3d17.jpg)
プロから誘われるレベルの選手たちですので、アマの世界でも活躍している選手が多いですね。
銚子商の主力だった阿天坊は立大でもレギュラーに定着したほか、
新日鉄室蘭でも都市対抗や産業対抗に主力選手として出場しています。
習志野初の全国制覇時の主力だった池田は慶大でもレギュラーとして3度のベストナインを獲得。
強豪・日石でも第46回の都市対抗では12打数6安打2打点と結果を残し、優秀選手に選ばれています。
藤田も中大では主戦格として72年春のリーグ戦優勝の立役者となったほか、
名門・日産でも主力投手として毎年のように都市対抗のマウンドに上がっています。
坂本は駒大で主力としてプレー。電電(NTT)関東では最初の都市対抗で
16打数7安打2打点と打ちまくり、打撃賞を受賞。その年の社会人ベストナインにも選ばれています。
社会人入り後に指名され、拒否した選手では71年センバツベスト4に貢献した鈴木。
新日鉄名古屋入社2年目の73年に西濃運輸の補強として都市対抗に初出場。
85年まで補強5度を含み13年連続出場の偉業を達成。第3回の日本選手権では優勝に貢献しています。
前川は高校時代から投打に注目され、早大では主力として外野で3度のベストナインを受賞。
日鋼では1年目から4番を任され都市対抗のデビュー戦を皮切りに、11回の出場で9本塁打をマーク。
第55回の都市対抗では久慈賞を受賞。75、76、84年と3度社会人野球ベストナインに選ばれるなど、
“ミスター社会人”の称号に相応しい活躍を見せました。
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