名塩御坊 教行寺

西宮市北部にある蓮如上人創建の寺 名塩御坊教行寺のブログ
〒669-1147 兵庫県西宮市名塩1丁目20番16号

アルミテープによる車の除電テスト

2025年03月01日 20時16分09秒 | 日記
同じ車に長く乗っていると飽きてしまう。 私の車も12年目になって、そろそろ飽きてきた。そこで、40年ぶりに車をいじって、操縦感覚(乗り味)に変化をつけてみることにした。
こう書くと、「どうせオートバックスのような自動車部品屋でアヤシイ後付けパーツや添加剤を買ってくるのだろう」と思われるかもしれないが、そういうのはとうの昔に卒業した。私が時々視聴しているYoutube動画の「まーさんガレージ」という緩い車関連のサイトでは、アヤシイチューニング(オカルトチューニング)について、こう語られている。

今回、試したのは、アルミテープを使った静電気除去である。もし、詳細を知りたい人がいたら、「車とゲームを楽しむぶろぐ」を参照してもらいたい。よくまとまった良ブログだ。
アルミテープを使った除電は、トヨタが実証試験をして、国際特許を取得した技術で、すでに、いくつかのトヨタ車に施工されている。ざっくり言うと、そのメカニズムは次のようになる。
車が走行すると、空気の中を進むので、車に静電気が発生する。近年の車は、樹脂部品が多用されているので、樹脂部品に静電気が蓄積される。この樹脂部品の静電気は空気抵抗になるので、アルミテープを貼ることで空中に逃がせば、空気の流れを整えられる。つまり除電による空気の整流を企図している。

この施工に必要なのは、アルミテープと切断面がギザギザになるクラフトハサミのみ。安価なアルミテープでも構わないが、効果を高めるためにスリーエムの導電性アルミテープを使った。テープを扱いやすい長さに切り、クラフトハサミで長辺をギザギザにする。これも除電効果を高めるためである。
                                           
貼り付けた場所は、以下の通り。
エンジンルームには、7枚。
ボンネットに流入する空気を整える空気ガイドと
エンジンに空気を送り込むパイプとエアクリーナなど

外装には、11枚。
タイヤハウスとバンパー

室内には、2枚。
ハンドルのコラムカバー


貼り付け後、60㎞ほど走って、確認できた効果は以下の3点
1)エンジンの静粛性向上
2)タイヤハウスからの雑音減少
3)エンジンブレーキの効きの悪化

かなりの変化がみられ、乗り味も変わった。まずはテスト成功ということだろう。また、楽しく運転できるのはありがたい。

ちなみにテストに使った車は、マークX 350S 130中期型



【ご案内】除夜の鐘つき 令和6年

2024年12月31日 10時26分30秒 | 行事案内
除夜の鐘


日時
2024年12月31日
23時30分から(約1時間)
✳︎準備の為、開門は23時以降を予定

場所
名塩教行寺
山門横の鐘楼

例年通り【除夜の鐘つき】を行います。
安全な温かい格好で、お気軽にお越しください(^^)

✳︎オススメ時間
⭕️23時30分〜23時50分頃
⭕️24時20分頃〜最後まで


本堂はいつでもどなたでもご自由にお参りいただけます。


石段が高く不揃いで、大変歩きにくいところです。お足元には十分ご注意くださいませ。

南無阿弥陀仏

明日は蓮如上人に関するお話(予定)

2024年10月26日 18時39分00秒 | 行事案内



明日は報恩講です。

今回の法話では、蓮如上人に関することをテーマにお話させていただく予定です。

南無阿弥陀仏

【ご案内】報恩講法要

2024年10月24日 16時09分00秒 | 行事案内
報恩講法要のご案内です。



令和6年10月27日(日)
上記の内容でお勤めさせていただきます。

報恩講は、親鸞聖人のご遺徳を讃え、その教えを聞かせていただく法要です。
ご縁がありましたら、ぜひともご参拝ください。

朝9時頃から夕方4時半頃まで開門しております。
ご自由にお参りください。

また、階段や急な坂が多いため、動きやすい服装にてお気軽にお越しください。

南無阿弥陀仏


蓮如上人のご生涯[1]

2024年10月16日 23時28分00秒 | 仏教・宗門関連
住職の娘です。


個人的な思いつきで、名塩教行寺の初代住持・蓮芸(れんげい)師の父であり、本願寺第八代宗主(しゅうしゅ)である蓮如(れんにょ)上人について書いていきたいと思います。
蓮如上人に関して、少し詳しく書くと非常に長くなるため短い文章で何回かに分割して記事を投稿していく予定です。

今回は、「蓮如の生涯[1]蓮如の誕生から継職前」についてです。


京都東山(現在、知恩院の北側付近)に細々と存続していた本願寺。
43歳で本願寺を継職した蓮如上人は、
85歳で亡くなるまで、どのように生きて、
いかにして日本最大級の教団にまで成長させたのか。
「中興の祖」とよばれる第八代宗主蓮如の生涯を概観する。

鎌倉時代、親鸞(1173~1263)が「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」を著して、「浄土真宗」の教えを説きあらわした。
そして、親鸞が亡くなった後、親鸞のひ孫である第三代宗主・覚如(かくにょ)は、親鸞のお墓であった廟堂を「寺院」化して「本願寺」を建立した。
その後「本願寺」は、親鸞の法脈と血脈を両方受け継いだ者によって代々受け継がれていくこととなる。
このような経緯で創建された本願寺は、天台宗の末寺(親鸞も蓮如も天台宗で得度)として存続していたが、蓮如が生まれた頃にはさびさびとしており参詣者の姿は見えない有様であったという。

1415年、蓮如は本願寺第七代存如(ぞんにょ)の長男として生を受けた。
しかし、生母は正式な結婚相手ではない女性であった。
蓮如が生まれてしばらく経ち、存如が正式な妻を迎えるにあたり、蓮如の母親はひとり自ら本願寺を退去したと伝わっている。

ただ、母親も幼い我が子を残していくことをつらく思っていたのだろう。
退去前、絵師に依頼して、蓮如に赤い鹿の子模様の着物を着せて肖像画を描かせた。
そして、その描き上がったお気に入りの絵幅をもって、どこへ行くとも知らせず去っていったというである。
当時、蓮如は数えで6歳頃。
現代なら小学生にもならない年であったが、生涯、母親のことを忘れることはなかった。

余談であるが、蓮如は継職後に母親捜索に手を尽くしたが、ついに見つけることはできなかった。
結局、この幼き日の別れが、母子の永遠の別れとなったのである。
蓮如は母親が本願寺を退去した日を母親の「命日」として、毎月28日に月命日の法要を勤めていたと伝わっている。

さて、父である存如が正式な妻を迎えて、蓮如にとっては異母兄弟が生まれた。
蓮如は長男であったが、その出自から「部屋住み」として生活することとなる。
若き日の部屋住み生活は非常に貧しい生活であったようだ。
しかし、蓮如は得度の後は勉学にいそしみ、父存如に従って数多くのお聖教(親鸞聖人の著書が中心)を書写するなど、布教伝道において父の存如を補佐していた。

世の習いと言えども、後世に名を残す「蓮如」という人物は、決して恵まれた幼少期や青年期ではなかったことは想像に難くない。
しかし、浄土真宗の教えを受け、本願寺のため、お念仏の教えを伝えるために研鑽した若き日の蓮如の姿が、今も伝え残る彼が書写した聖教の数々から窺い知ることができるのである。

(つづく)