名塩御坊 教行寺

西宮市北部にある蓮如上人創建の寺 名塩御坊教行寺のブログ
〒669-1147 兵庫県西宮市名塩1丁目20番16号

北見弾丸帰省☆お墓参りと日本最北の蓮池

2024年09月05日 13時49分00秒 | 日記
住職の娘です。

先日、北見に弾丸帰省し、義父のお墓参りをして、「日本最北の蓮池」を訪れました。
古代から蘇った「大賀ハス」や自然豊かな環境、動物に癒やされました。
そして、なにより北見の家族と有り難い時間を過ごすことができました。

兵庫県西宮市から北海道北見市へ
西宮市から北見市への移動は、JR在来線で最寄駅西宮名塩駅から大阪駅まで行き、JR特急はるかで関西空港へ。
peachを利用して、関西空港から女満別空港へ飛びました。
午前9時に自宅を出発し、午後3時頃に女満別空港へ到着。
義弟と義母が空港まで迎えに来てくれて、北見市内へ向かいました。


お墓参り
今回の一番の目的は、義父のお墓参りでした。
昨年9月の一周忌法要には、祖母の体調不良のため出席できませんでした。
今年も諸事情が重なり、三回忌法要には参加が難しいため、急遽お墓参りだけでも、と。
久しぶりに北見の家族とも会いたいという思いもありました。
北見の家族に温かく迎えられ、本当に有り難かったです。

お墓参りの日は、雲ひとつない青空!

義母にナビしてもらいながら、慣れない「霊園ドライブ」。
正直、霊園の設計やお墓の作りが近畿地方とは違っていて興味深いです。
なんというか、さすが北海道!ダイナミックなつくり。

義父と義母の両家のお墓は同じ霊園内にあり、墓参の時はいつも両家にお参りします。
両家ともに「南無阿弥陀仏」のお念仏であることは大変有り難いです。
吹き抜ける爽やかな風に秋の気配を感じながら、お勤めさせていただきました。

寂しいような、切ないような…
お勤めの後、義母に「ありがとうね」と言われ、涙がこぼれました。
「お義父さん、ありがとうございます」
たしかに先立たれた義父は仏様となって、いま、私たちを導く存在となってくださっているように思われます。

※ご興味があれば、浄土真宗本願寺派(西)の「法事の意味」については、以下のリンクからどうぞ。

日本最北の蓮池!古代のハス「大賀ハス」に感動 
お墓参りの後は、北見市内にある「日本最北の蓮池」鏡池に行きました。↓

ハスは、仏様(仏像)などの台座として使われる植物です。
「蓮の台(うてな)」で「蓮台(れんだい)」といいます。
浄土真宗のお軸、「南無阿弥陀仏」などお名号(みょうごう)の下にもハスの花が描かれます。
 
ハスの開花シーズン最終盤ですが、まだハスの花を見ることができました。
古代のハスで、2000年以上前の地層から発掘されたハスの実を現代によみがえらせたものです。
発掘した実から花を咲かせることに成功した研究者の名前にちなんで「大賀ハス」といい、現在は千葉県の天然記念物に指定されています。

この大賀ハス、北見にも移植されました。
移植当初、簡単には育たなかったようです。
しかし、ハスの花に魅せられたひとりの男性の大変な努力によって、鏡池は「日本最北の蓮池」となりました。
北海道道東の北見で、こんな立派な古代のハスを見ることができるとは。
とても感激しました。

↑北海道ファンマガジンさんの2013年9月4日の記事です。


他にも、ポニーやウサギも眺められるようになっており、とても癒やされる場所でした。

ポニーの柵の前にはにんじん(一袋100円)が置かれており、誰でも餌やりが楽しめます。
私も義母と一緒に餌やりをして、とても心が和む時間を過ごすことができました。

ご興味のある方は「日本最北の蓮池」で検索してみてください。
すてきな写真を見ることができます。

※現在、こちらは有志の市民の方々によって維持管理されています。オブジェのような募金箱が設置されていますので、行かれた際にはよろしくお願いします。
北見弾丸帰省を終えて
二泊三日の北見帰省も、あっという間に過ぎました。
義母に空港まで送ってもらい、無事に帰宅。特に大きなアクシデントもなく、思い出に残る有意義な時間を過ごすことができました。

義父の最期の言葉
「みんな仲良くね。しっかりやるんだよ」
その言葉を胸に、今夜もお聴聞に行ってきます。

南無阿弥陀仏

盆法要を終えて 芦屋仏教会館日曜仏教講座9月の予定

2024年08月23日 08時34分00秒 | 仏教・宗門関連
住職の娘です。

令和6年8月17日、おかげさまで盆法要が勤まりました。
ご参りいただいた皆様、そしてご支援いただいたすべての方々に心より感謝申し上げます。
17日をもちまして、教行寺のお盆期間も終了しました。

今月は93歳になった祖母の入退院、前後して住職の体調不良によって少々バタついてしまいました。
また、私自身、心身共に優れないとき、通院が多くままならないことがあります。

悩みとは、自分の心に湧き上がる不安や心配、不満…心の重荷です。
あたかも、重い足かせをつけられ、狭く苦しい場所に囚われているような気持ちなったりします。
そういうとき、学生時代はどうしたら良いかわからない辛さがありました。

いろいろな経験、出会いがあって、今は親鸞聖人の教えやそのご苦労をお聞かせいただけることを、心から有り難いものだと感じられるようになりましたが。
「そういう時こそ、お聴聞ですよ」
とあるご住職さまが、仰ってくださった通りでした。

「お聴聞(ちょうもん)に行く」
もちろん、仏様のお話を聴きに行くことが目的なのですが、普段行かない場所に行くということ。
それは、心と体を動かし、自分以外の『外』へ意識を向ける体験です。
もしもお聴聞のために未知の場所に行くなら、地図で場所を調べ、交通手段なりを考えます。
当日について、いろいろと想像してシュミレーションをするでしょう。
そのとき、体は重くとも、心の足かせが外れている気がするのです。
漠然とした感想ですが、「とっても健全だな」と感じています。

もしどこかへ行くなら、「行ってみたい喫茶店」をGoogleマップで一緒に探しておくのをオススメします。
だいたいのお聴聞は1時間以上。
知らない場所の場合は、すこし身の置き所がない気持ちになることもあり、そこそこ緊張して1時間以上過ごすことになります。
正直なところ、終わった途端、心身共にリラックスしたくなるのです。
ただ、この緊張感からの開放される「ギャップ」が良いと思います。
それは非日常から日常へと戻る時間。
ひとりでお聴聞を反芻したりして、なんとなく安らぎを覚えます。

お聴聞に行くとき、私自身、自分が寺の人間だとか、僧侶であることなどあまり意識していません。
ダメダメなひとりの人間として、いろいろな場所で行われる講座や法座に参加しています。
動きやすい格好にお念珠(ときどき忘れます)、あとは身一つ。
まぁ、「身一つ」というには、手荷物が多いのですけれど…笑
そういう非日常のひとりの時間が、自分には必要なことでした。
なにより、自分の体が動くうちしかできないことでもあります。
それは「いま」しかないのです。

お盆であろうと無かろうと、自分以外の何かに感謝申し上げて過ごすことは尊いことであり、心の安らぎをもたらします。 
ご縁がありましたら、ぜひともいろいろなところへお参りください。

最後に
浄土真宗本願寺派がメインになりますが、いろいろな場所でいろいろなご法座や講座があるので、個人的におすすめのものを時々投稿しています。
以下に「芦屋仏教会館 日曜仏教講座」9月の予定を掲載しておきます。

南無阿弥陀仏

[お知らせ]
【日曜仏教講座 9月の予定】
- 開催場所: 芦屋仏教会館 大ホール
- 開催日時: 毎月 第1・2・3日曜日 10:00〜12:00
- 受講料: 大人 500円 / 学生 200円 / 高校生以下 無料


講師予定:
- 2024年9月1日: 龍谷大学名誉教授 淺田恵真先生
「仏法に出遇うということ」
- 2024年9月8日: 龍谷大学非常勤講師 冨島信海先生
『教行信証』の読者
- 2024年9月15日: 相愛大学非常勤講師 赤井智顕先生
『御文章』に聞く ー「白骨章」についてー
- 2024年9月22日: 本願寺派 勧学 普賢保之先生
「『教文類』の意義」

↑過去の動画が公開されています。






【お知らせ】令和6年盆法要

2024年08月10日 09時56分00秒 | 行事案内


この度、上記の日時で盆法要を勤めさせていただきます。

酷暑のため、足元が暗く参拝しにくい時間となっておりますが、よろしくお願い申し上げます。

また、山門は少々危険ですので、開門しない予定です。


拙寺の不手際が重なり、ご連絡やお知らせが遅くなるなど、大変失礼しておりますことを、心よりお詫び申し上げます。

南無阿弥陀仏



お盆

2024年08月07日 10時06分00秒 | 仏教・宗門関連

 ちりめんじゃこは、大根おろしでふやかしていただくのが好きだ。頻繁にたくさん食べたいわけではないが、ときどき無性に食べたくなる。

 小学校にあがる前だったか。祖母のお手伝いでちりめんじゃこを盛り付ける時、やり方がいい加減でトレイの角にちりめんじゃこが残った。それに気づいた祖母は私に向かって静かに話しかけてきた。
「勿体ない…まだ残ってるやないの。なぁ、よう見てみぃ。小さくてもしっかりサカナの格好してるやろ?これも一個の〈いのち〉やねんで。この前まで、一生懸命大きなろうと思って海を泳いでたんよ」

 そう台所で諭すように話してくれたことを覚えている。フルタイムで働いていた祖母は多忙だったし、もともとおおらかな性格で、子どもにあまり細かくものを教える性格でもなかった。だから、とても印象深かったのだと思う。それ以降、折にふれて、ふっと頭をよぎるようになった。
「この小さいのにも、親とか兄弟がおったんやんな」
「これが人間の子どもやったらどれほど憎まれるかな」
「今日は何十匹分のいのちやろう」
何年か後、小学校で人間も動物も同じ生き物で、「食物連鎖」と名付けられる「いのちの営み」なのだと教えられた。

 最近、SNSでは、きれいにご飯を食べきる人について「米粒一粒残さず食べるなんて貧乏くさい」と揶揄するような投稿(炎上商法の可能性もある)を見かけることがある。そのような投稿を目にすると、いのちに対する感謝の心が急速に失われつつあるように感じられる。社会にそういう考えの人が増えれば増えるほど、自分も他人も幸せにはなれないだろう。人間は幸せだから感謝するのではない、感謝できるから「幸せ」と感じられるのだ。

 折にふれて感じていただきたいと思う。いのちを終えたものが、今の私の心身を支えてくれていることを。そして、あらためて今この瞬間の「いのちの営み」について思いをはせ、感謝の心でお盆という時期を過ごしていただければ幸いである。

「無慚無愧(むざんむぎ)のこの身にて
 まことのこころはなけれども
 弥陀の回向(えこう)の御名なれば
 功徳は十方にみちたまふ」      (親鸞聖人 『正像末和讃』)
【意訳】
「罪を恥じる心がないこの身には、まことの心などないけれども、阿弥陀如来があらゆるものに回向(えこう)してくださる名号(みょうごう)であるから、その功徳はすべての世界に満ちてわたっている。(そして、罪深いこの私をつつみおさめとってでくださる)」

南無阿弥陀仏




神戸別院の慶讃法要

2024年05月20日 21時56分00秒 | 仏教・宗門関連
住職の娘です。

5月18日(土)は浄土真宗本願寺派兵庫教区・神戸別院(モダン寺)の慶讃(きょうさん)法要のご縁にあわせていただきました。

浄土真宗・立教開宗800年、宗祖親鸞聖人ご生誕850年記念法要。

厳かな空気のもと勤修されました。

残念ながら、昨年、わたしはご本山での慶讃法要に参拝できませんでした。
ライブ配信を拝見していましたが、やはり空気が感じられません。

その点、この度の神戸別院における慶讃法要では道俗とも一体感のあるご唱和…有難い気持ちでお参りすることができました。

儀式の様式美があります。
また、多少難しくとも、有難い言葉を音にのせるというのは本当に素晴らしいです。



正直、ゴールデンウィークに肋骨を痛めて以来、外出も億劫だったのですが、お参りに行くことがてきて有り難かったです。

ちなみに、まだ大きく息を吸うと痛みがあるので、お勤めは厳しい状況です。
永代経法要の準備も…💦


ともあれ、どんな状況であろうと、こうして尊いご縁にあわせていただきましたこと、感謝申し上げます。

南無阿弥陀仏