明石家さんまの名言に、「生きてるだけで丸もうけ」がある。元来は、別府、湯布院温泉の観光開発に尽力した油屋熊八の言葉らしい。相場で大損をしてアメリカに渡り、放浪の末に別府に流れ着き、旅館を始め多くの事業を起こした。バスガイド付きの観光バスや地獄巡りを考案したのも彼である。別府駅前には彼の銅像が建っている。
この「生きてるだけで丸もうけ」という言葉を、さんまの師匠笑福亭松之助がよく使っていたのだという。
さんまは実母を3歳で失い、継母に無視されながら育った。それでも腹違いの弟を愛したが、その弟は19歳で焼死する。
そのせいで、一時はお笑いをやめようと思ったこともあるという。
1985年、日航123便が御巣鷹の尾根に墜落し。520人が亡くなった。さんまもよく利用する便で、このときは「おれたちひょうきん族」の収録が早く終わったので、一便早い機に乗って難を免れた。「生きてるだけで丸儲け」と実感したに違いない。
さんまは、どこかで人生を突き放して執着していないように見える。「人間生まれたときは裸。死ぬときにパンツをはいてれば勝ちやないか」。これは、さんまの祖父の言葉だという。
この「生きてるだけで丸もうけ」という言葉を、さんまの師匠笑福亭松之助がよく使っていたのだという。
さんまは実母を3歳で失い、継母に無視されながら育った。それでも腹違いの弟を愛したが、その弟は19歳で焼死する。
そのせいで、一時はお笑いをやめようと思ったこともあるという。
1985年、日航123便が御巣鷹の尾根に墜落し。520人が亡くなった。さんまもよく利用する便で、このときは「おれたちひょうきん族」の収録が早く終わったので、一便早い機に乗って難を免れた。「生きてるだけで丸儲け」と実感したに違いない。
さんまは、どこかで人生を突き放して執着していないように見える。「人間生まれたときは裸。死ぬときにパンツをはいてれば勝ちやないか」。これは、さんまの祖父の言葉だという。