名塩御坊 教行寺

西宮市北部にある蓮如上人創建の寺 名塩御坊教行寺のブログ
〒669-1147 兵庫県西宮市名塩1丁目20番16号

名塩御坊教行寺の歴史

2016年10月22日 18時07分06秒 | 教行寺について

 当寺へ参拝された方にお渡ししているパンフレット「教行寺略史」です。

浄土真宗本願寺派(西)


名塩御坊(なじおごぼう) 教行寺略史(きょうぎょうじりゃくし)

 教行寺の創建は、文明7年(1475)本願寺第八代宗主蓮如上人がこの地に留
錫された時にさかのぼることができる。
 今をさるおよそ五百年前の文明7年8月、蓮如上人(61歳)は守護富樫氏の
攻撃を避けるため、小舟で越前国吉崎(福井坂井郡)を発ち、若狭国小浜(福
井県)に上陸された。ついで丹波路を越えて摂津国へ入り、しばらく川辺郡広
根(兵庫県)に留まり、この地方の教化に専念された。この頃、有馬郡名塩の
村民の願いをお聞きになり、村内の中山(現在の卵塔場)の地に草坊を建て道
場とし、念仏の教えを広められた。これが名塩教行寺の初まりである。間もな
くここを去り再び広根へ帰られるに際し、村民に「南無阿弥陀仏」の六字のお
名号を下付され、この名塩道場にお残しになった。これを「形見のお名号」と
いい、いまも当寺に伝えられている。
 翌文明8年(1476)蓮如上人は摂津国嶋上郡富田(高槻市)にお移りにな
り、富田教行寺を創建、ついで文明10年(1478)山城国山科(京都市)に居
を移し本願寺の再建にとりかかられた。後に上人は富田教行寺を第八男蓮芸に
お譲りになり、住持となされた。しかし蓮芸(文明16年生)はまだ幼少の身で
あったので姉君の寿尊禅尼を後見役としておつけになった。その後、たび重な
る名塩村民の願いをお聞きとどけになり、名塩道場を名塩教行寺と称し、蓮芸
を住職として兼務させられた。後に蓮芸師は富田教行寺を長男実誓にゆだね、
この名塩教行寺に移った。それ以来名塩御坊と称されるようになった。
 永正元年(1504)本願寺第九代宗主実如上人(蓮芸の兄君)から蓮芸に画像
本尊を賜った。これを古本尊といっている。その裏書に「方便法身尊形、大谷
本願寺釈実如、永正元年甲子12月11日教行寺摂州名塩郷内中山惣道場物也」と
記されており、また永正6年(1509)実如上人から親鸞聖人の御真影を賜り、
同じく中山の坊舎に安置した。その裏書に「大谷本願寺親鸞聖人御影、本願寺
釈実如、永正6年巳4月19日摂州有馬郡名塩教行寺当住物也」と実如上人が署
名しておられる。
 蓮芸師は大永3年(1523)3月28日名塩御坊で死去、時に40歳であった。蓮
芸師には二男二女があり、長男実誓は富田教行寺を継ぎ、次男賢勝は第二世と
して名塩教行寺を受け継いだ。

蓮如 初代蓮藝 二代賢勝 三代准超 四代寂超 

 第三世賢超は、中山の坊舎を現在地より西南100メートルの地に移したが、
元和3年2月(1617)今の地に移転した。同名の寺が二つあることはまぎらわ
しいということで、一時、名塩教行寺は寺号を広教寺と改めたが、富田教行寺
が大谷派の教如上人に転属したので、寛永11年11月(1634)、准如上人は、
第四世准超に命じて寺号を教行寺に復させた。また准超は寛文年間(1661~
1672)に鼓楼、鐘楼を新築した。第七世湛然は寛延3年4月(1750)現在の鐘
楼を再建、ついで宝暦11年10月(1761)、父寂幽(第六世)の意志を継ぎ、
現在の本堂を再建した。この時の棟梁は西本願寺阿弥陀堂を建てた宮大工で、
その設計図は今も保存されている。
 江戸幕府の倒壊と共に当寺も多くの所領地を失ったが、武田尾温泉もその一
つであった。しかし地区住民の厚い尊崇を受け、法燈は維持継承され、今日に
至っている。
 歴代住職のうち第十世、第十二世と二回にわたり住職をつとめた安養院摂観
は公卿岩倉具選の孫にあたり、明治維新に際し、本願寺の最高職にあって宗主
を助け、また西本願寺から朝廷への財政的援助および皇居の護衛に力を尽し
た。また具選の曾孫である岩倉具視、大原重徳とも親しく交わった。
また和歌にも秀でて、門主の和歌の師をつとめ、多くの秀作を残した。
 境内の玉垣で囲まれた大杉の枯木は、蓮如上人の「お箸杉」と呼ばれ、上人
の遺徳を偲ぶよすがとして親しまれている。
 なお、現在の鼓楼は、地域住民の浄財により、昭和63年に再建されたもの
である。

境内   約1700坪
      社会福祉法人 名塩保育園を併設

寺宝   蓮如上人
      形見の名号 和歌 舎利 木像(蓮芸所持)
      御文草稿
     画像古本尊 木像本尊 歴代住職肖像
     歴代宗主筆跡 豊臣秀吉・秀頼禁令
     毛利輝元書状
     岩倉・大原書状 石山本願寺瓦 他百余点

交通   JR福知山線西宮名塩駅または阪急宝塚駅より
     阪急バス 名塩バス停下車徒歩五分

       平成28年10月
             (第十六世 釈英觀 記之)

  〒669-1147 西宮市名塩1丁目20番16号
           名塩御坊 教行寺

           電話 0797-61-0639
           FAX   61-1974

 



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5 コメント

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Unknown (たま@札幌のおばさん)
2017-08-07 14:21:06
娘と蓮如上人のことを調べているうちに、こちらのブログを見つけて拝読しておりました。
これまでネットで調べていて、第三者の書かれたものを読んでおりましたが、こうして関係者である第十六世の書かれたものを読むと、しっかりと史実が述べられ、有り難く思います。
で、娘からの質問なのですが、ブログにある寺宝の中に『豊臣秀吉・秀頼禁令』とありますが、これはどの様なものなのでしょうか。お教えいただければ嬉しいです。
お身体、ご自愛の上、このブログが長く続けられることを切望しております。
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禁令について (住職)
2017-08-08 00:35:39
 簡単に申し上げると、戦国武将が寺社に対して発給した掟書です。武将は寺社の協力を取り付ける代わりに、自軍の行動に制約を設けて、禁制(禁令)を与えました。
 お盆の繁忙期に入りましたので、盆明けにでも写真を掲載します。

 しばらくお待ち下さい。
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Unknown (たま)
2017-08-08 22:40:38
お忙しい中、お返事ありがとうございます。
待っておりますので、ご都合の良い時にでもお願い致します。楽しみにしています。
こちらは娘の宿題で繁忙期。しんどいです。
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ご多忙中とは存します! (待った・放るん)
2017-08-09 19:00:53
こんばんは、ご多忙中と存じますが、たまたまご縁あってブログを拝見いたしております。
お近くの『旧福知山線跡』には何度も出かけていたのにもかかわらず、今まで知りませんでした。
紅葉の候にでも、散策後、お参りさせていただけれ幸甚です。
まだまだ暑い時季、くれぐれもご自愛ください。
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待った・放るん 様宛 (住職)
2017-08-22 16:38:11
 お返事が遅れて申し訳ありません。境内に保育園がありますので、あらかじめご連絡をいただければ幸いです。池田付属小の殺傷事件以後、園児の安全確保のため、関係者以外の方が境内(保育園園庭)へ入られる場合は、ご連絡いただいております。
 最近、変な人が多いので、やむを得ぬ処置とご寛恕下さい。
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