まだ、「たけくらべ」ネタで引っ張ります。(苦笑)
廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火(ともしび)うつる三階の騷ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行來(ゆきゝ)にはかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前(だいおんじまえ)と名は佛くさけれど、さりとは陽氣の町と住みたる人の申き、三嶋神社(みしまさま)の角をまがりてより是れぞと見ゆる大厦(いへ)もなく、かたぶく軒端の十軒長屋二十軒長や、商ひはかつふつ利かぬ處とて半さしたる雨戸の外に、あやしき形(なり)に紙を切りなして、胡粉ぬりくり彩色のある田樂(でんがく)みるやう、裏にはりたる串のさまもをかし、
前回は、たけくらべの最後の一節を引用しましたが、これは冒頭部分です。
当時の町並みの模型が台東区立一葉記念館にあります。
吉原遊廓は、昭和33年の売春防止法で消滅し、地名も、台東区千束4丁目に変更されて、現在では、「吉原大門(おおもん)」という交差点名だけが残っています。私が大学生の頃、今から40年ほど前には、「吉原郵便局」という特定郵便局がありましたが、今は別の名前になっています。グーグルの地図はこちら。
お歯黒溝(ドブ)というのは、この千束4丁目の周囲を囲っていました。遊女の逃亡禁止、周辺からの隔離などを目的として造られたもののようです。三嶋神社は下谷3丁目、吉原の西に有り、この三嶋神社と吉原の間の下谷竜泉寺町に、一葉は住んでいました。
まあ、そんなこんなを図書館で調べながら、高校生の私は、遊廓ヲタクへと育っていくのです。
廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火(ともしび)うつる三階の騷ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行來(ゆきゝ)にはかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前(だいおんじまえ)と名は佛くさけれど、さりとは陽氣の町と住みたる人の申き、三嶋神社(みしまさま)の角をまがりてより是れぞと見ゆる大厦(いへ)もなく、かたぶく軒端の十軒長屋二十軒長や、商ひはかつふつ利かぬ處とて半さしたる雨戸の外に、あやしき形(なり)に紙を切りなして、胡粉ぬりくり彩色のある田樂(でんがく)みるやう、裏にはりたる串のさまもをかし、
前回は、たけくらべの最後の一節を引用しましたが、これは冒頭部分です。
当時の町並みの模型が台東区立一葉記念館にあります。
吉原遊廓は、昭和33年の売春防止法で消滅し、地名も、台東区千束4丁目に変更されて、現在では、「吉原大門(おおもん)」という交差点名だけが残っています。私が大学生の頃、今から40年ほど前には、「吉原郵便局」という特定郵便局がありましたが、今は別の名前になっています。グーグルの地図はこちら。
お歯黒溝(ドブ)というのは、この千束4丁目の周囲を囲っていました。遊女の逃亡禁止、周辺からの隔離などを目的として造られたもののようです。三嶋神社は下谷3丁目、吉原の西に有り、この三嶋神社と吉原の間の下谷竜泉寺町に、一葉は住んでいました。
まあ、そんなこんなを図書館で調べながら、高校生の私は、遊廓ヲタクへと育っていくのです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます