東京室内歌劇場主催/音楽劇「モーツァルトの旅」のご報告です。
出演者の皆さま、制作の前澤悦子先生、東京室内歌劇場の事務局の方々・・・皆さまに支えられて、無事終演を迎える事が出来ました。
舞台の専門用語すら分からない私に色々と教えて下さったり、ホールの下見に何度も付き合って下さったり・・・
また、出演者の皆さまには台本の変更や舞台のことで、たくさんご迷惑をおかけしました・・・
なのに皆さま、「わかった!」の、一言ですぐに対応して下さり、あああああ・・・(T_T)
本当にありがとうございます・・・!
お陰様で、終演後のお客さまからの評判も大変良く、事務局にも、私の所にも、再演希望がきております。
それで「どこに再演希望を出せばいいの?」といくつかご質問があったので、もし「またもう一度観てみたい!」もしくは、「観てないけど興味あるぞ!」という方は、
主催の東京室内歌劇場の事務局へその旨を、是非ご一報くださいませ。
東京室内歌劇場
電 話 tel:03-5642-2267
メール info@chamber-opera.jp
さてさて。
舞台裏の話をずっと書けなかったので、終演してからになりますが、少しずつですが、書いていこうと思います。
まずは女声陣の話。
今回、私も含め、出演者の女声は、四人共全員がソプラノでした。でも、三者三様ならぬ、四者四様だったと思います。
それぞれにそれぞれの特徴と魅力がある。私が思う、その人の『とびっきり』が見えるよう、努力しました。
それは上手くいったように思います。
たとえば、今回モーツァルト役を演じた私自身の特徴としては、ルチアを演じるソプラノですが、ケルビーノも持ち役にしています。ですから、そこを使えたら面白いかな、と思いました。なのでモーツァルト役は男性ではなく、女性が演じるズボン役。
でも、ズボン役はすぐに女性になれる、と言う事もケルビーノをやっていて覚えたので、そこも生かしてみたつもりです。「後宮からの誘拐」の場面とか。
そして、姉ナンネル役、加地笑子さんの、台詞と違和感なく一体化した歌唱、泣き顔すらチャーミングな演技力。
妻コンスタンツェ役、末吉朋子さんの、世界に通用するコロラトゥーラ。(大げさではなく、私がドイツにいた時彼女より上手い「夜の女王」はほとんど見ませんでした)
「ソプラノ歌手」役、田中紗綾子ちゃんの歌手然とした立ち姿、そしてエレガントな歌い回しと、日本人には少ないリリックな声質。
どれも、それぞれがそれぞれに決して真似できないもの。皆が自分の個性を生かし切ってくれたと思います。
今回は、それぞれのキャラクターにテーマ曲があるのです。
まず、加地さん演じる、姉ナンネル。
彼女のテーマ曲は、「皇帝ティトの慈悲」のセルヴィリアのアリア“Saltro che lacrime”
この歌は、ともするとメロディーの美しさに引きずられてしまい、自分が何を伝えるべきか分からなくなってしまう事があるのですが。
モーツァルトはこの2分に満たない小曲に、多様な解釈を与えました。
セルヴィリアの諦め、絶望、すがる、責める・・・
色々な解釈が成り立ちますが、今回は『ティトの慈悲』の中でセルヴィリアがヴィッテリアに「責める」として歌うと仮定して。
で、この「モーツァルトの旅」という作品の中では、姉ナンネルとして、その「責める」気持ちを強く出してもらえないか、と加地さんにお願いしました。
モーツァルトの凄さは、これほどに美しく可憐な音楽にそのような表現を可能にしている事。
そして加地さんはあの美しい旋律に引きずられる事無く、その裏にある多彩さの中から「責める」気持ちで歌ってくれました。
あとで録画のDVDを観て知ったのですが、加地さんのナンネルは歌い終わった後も、責める側の辛さ、哀しさがいっぱいに満ちた表情でした。
人間の感情のすれ違う気持ちをここまで出してくれたのか、と嬉しくて。
可憐でいじらしく、一生懸命生きているヒロインでした。本当にありがたかったです。
そしてナンネルとは対照的なキャラクターの、モーツァルトの妻コンスタンツェ。末吉朋子さんが演じてくれました。
台詞はなく、歌唱だけで性格を表現しなくてはいけない役でした。
彼女のテーマ曲は、コンサートアリア KV419 “No,che non sei capace”
あまり一般的ではない曲ですが、コロラトゥーラの名曲で、モーツァルトがアロイージア・ウェーバーのために書いた曲です。
アロイージアは才能あるソプラノ歌手で、モーツァルトのかつての恋人。
末吉さんには、役柄としてはアロイージアの妹である、モーツァルトの妻コンスタンツェという役をお願いしました。
ですが、私は末吉さん自身にはアロイージアをみていました。
恋人から良き友人関係になったあとも、その歌手としての実力にほれ込み、数々の名曲をあて書き的にモーツァルトに書かせたアロイージア。
モーツァルトの曲にハイソプラノの名曲が多いのは、彼女のお陰と言っても良いのではないのでしょうか。
末吉さんの歌唱を聴くたび、私にはモーツァルトが
「ほら、彼女(末吉さん)はアロイージアだよ、すごいだろう?こんなに素晴らしい歌手だったんだよ、アロイージアは!そしてこの歌をこんな風に歌ってくれる彼女(末吉さん)の、何と素晴らしい事か!」
と、言い続けているように思いました。
コロラトゥーラはその高度な技術を披露するものと思われがちです。
しかし、コロラトゥーラとは、その技術によって、ある感情を伝えるのが目的なのです。高音を難なく出し、技術を技術として聴かせず、作品として昇華させる。
世界的に通用するレベルの末吉さんの歌唱には、そう思わずにはいられません。
末吉さんは素晴らしい妻コンスタンツェを演じてくれましたが、
同時に彼女は、モーツァルトが女性として歌手として惚れ込み続けたアロイージアでもあったのだと、私は思っています。
また、演じるのとは違う存在である「ソプラノ歌手」役の、田中紗綾子ちゃん。
この役は、「イドメネオ」のエレットラのアリア「オレステスとアイアスの」と、「劇場支配人」のジルバークラングという、全く正反対の違う性質のものを要求されます。それを、よくまあどちらもここまで完璧に・・・
ジルバークラングは、コロラトゥーラとコミカルな要素が強い役です。しかし、エレットラで要求されるのは、圧倒的な存在感と迫力でした。
この「ソプラノ歌手」という役は、歌唱曲が少なく台詞もないので、一見脇役に見えますが、舞台をご覧になった方はこの役がいかに重要な役か、存在意義を分かっていただけたと思います。
2幕、モーツァルトと姉ナンネルの気持ちがすれ違い始めます。そこで孤独を感じたモーツァルトが、絶望と葛藤を吐露し心に嵐が生まれます。
その心の中の嵐を表現するのが、この「ソプラノ歌手」のテーマ曲となる「オレステスとアイアスの」なのです。
ここで一気に会場の空気を変えなければ、この後、モーツァルトがダポンテと決別する、一種の混乱した精神状態をお客さまに提示する事が出来ません。
いわば、モーツァルトの狂乱の場です。
歌手としての見せ場ではありますが、けれどたった一曲で、会場全ての空気を一変させなくてはいけない・・・これは大変なことだったと思います。でも、紗綾子ちゃんは私の想像以上に素晴らしい歌唱をしてくれました。
歌い終わったあとのお客さまのブラボーと拍手、会場の盛り上がりがそれを証明していたと思います。
このブログの8月1日の記事の写真の中で、優しい笑顔を浮かべている彼女が、あんなに激しい心を歌ってくれたのが今だに信じられないような気もします。
想像通り長くなりましたので、男声キャストの話や舞台裏のもろもろは、また次回以降に続きます!
しばらくの間、「モーツァルトの旅」の話、お付き合いください(・ω・)ノ
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