ソプラノ歌手 中川美和のブログ

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「モーツァルトの旅」舞台裏④ 訳詞の事

2015-08-18 23:14:11 | コンサートのご案内&ご報告

テレビ番組「ナイナイアンサー」にもご出演されている、作家・翻訳家の三石由起子さんに、音楽劇「モーツァルトの旅」をご紹介いただきました~。褒めて頂けてうれしいな。
・・・いやすみません、めっちゃうれしいです。えへ。

すごくうれしいのは、訳詞に気付いて頂けたこと。もちろん、お客様が歌をきく時、訳詞は右から左に、無意識にすーっと聞き流して頂けるのが一番なのです。
ただ、やはり三石さんは作家さんで翻訳家なので、言葉に敏感な方に認めて頂けるのはすごく幸せです。

でも三石さん、これは歌手へのおべんちゃらではなく、やはり歌手に実力がなければ、どんなに良い訳詞を作ってもお客様には聞き取れませんよ…
そこは、本当にそう思ってます。

てなわけで、せっかくなので訳詞の作り方について、ちょっとお話させてください。

私が訳詞をする時に心がけているのは、お客様に一番楽に耳に入りやすくすること、です。
で、それには、できるだけ単語の数を少なくすること。
だから、どうしても元の歌詞に忠実な訳詞、という訳にはいかなくなります。

文章でオペラの歌詞を対訳する場合は、いくら文字数が多くてもかまわないので、できるだけ忠実に訳すことが大切になりますが、歌手が歌う歌詞の日本語訳詞の場合は、そうもいかないので。
音符より大幅に多くは言葉を入れられないですしね…
まぁとにかく、訳詞は字数制限がハンパない。
対訳と訳詞の大きな違いはそこです。

字幕は作ったことないですが、字幕にも字数制限があって苦労があるんだろうな~。一度やってみたい気もしますが。

で、訳詞する時、私は単語の「繰り返し」をよく使います。
繰り返しは、文章として読んだ時には、あまり美しくありませんが、耳のみで聴く場合、単語の繰り返しは韻としても処理できるので、字で読んだ時ほどの違和感はありません。

単語の数があまり多過ぎると、お客様が前の言葉を忘れて頭の中で整理できなくなったりします。
だから私は、原語で代名詞になっている所に、敢えてもう一度その単語を出したりします。
たとえばですね。

原語の歌詞を普通に訳したら
「ワインが飲みたい、あれが欲しいんだよ」
という文章を、歌にのせた訳詞にするときは

「ワインが飲みたい、ワインが欲しいんだよ」
という風に訳詞にしています。

なぜこうしてるかと言いますと。
最初の場合。
「あれ」という単語が出てきたときに、お客様は無意識に「あれ」が何を指しているのか、思い出す作業を瞬間で頭の中で行います。
そうすると、その後の「欲しいんだよ」という言葉を聞いている時に、ほんのわずかですが気が散ります。
怖いのは、あくまでそれは本人が意識しないレベルで、脳の中で行われていることなんです。
どれほど本人が歌に集中していても、こうしてわずかに気が散ってしまうと、その後の「欲しいんだよ」を聞き損ねてしまう可能性が出てくるのです。

「欲しいんだよ」の、最初の一文字目・・・「ほ」→は、ローマ字で表記すると「HO」ですよね。
歌の場合、お客様がわずかに気を散らすと、最初の子音「H」を聞き逃す可能性が出てきます。
「HO」の「H」を聞き逃すと、「ほしいんだよ」は、「おしいんだよ」と聞き間違えてしまいます。

するとお客様は考えます。
「おしいんだよ・・・てことは『惜しいんだよ』って言ってるのか?
いや、『おいしいんだよ』って言ってるのかもしれない。・・・あ、もしかしたら『欲しいんだよ』って言ってるのかも。あ、文脈から考えて、きっとそうだ!」

・・・とまあ、こんな風に、正解にたどり着くまでに数秒考えたりします。で、その数秒がその後の言葉の聞き間違いを更に誘発していく…
というおそれがあるんです。
この正しい言葉を考える作業も、かなり無意識に人間は行っているのです。人間の脳ってすごいよね・・・

さて、話を戻します。
「ワイン」という単語を「あれ」という代名詞を使わないで、
「ワインが飲みたい、ワインが欲しいんだよ」と繰り返して表現した場合。

「ワイン」が繰り返されることによって、一度出てきた単語が歌手からまた発語されると、
二度目の「ワイン」の、「ワイ」辺りまで聞いたところで、お客様は
「ああ、「ワイン」って言ってるんだな」
と、これまた無意識に予想をします。

そうすると、最後の「ン」の所までは聴かないでも「ワイン」という言葉だな、と正解を出して下さるので、頭と耳に余裕が出ます。
すると、その続きの言葉「欲しいんだよ」を聴くときには、ゆとりができ、「あれ」という、代名詞を使った時よりも聞き取りやすくなります。

もちろんこれは無意識に一瞬で行われる作業です。でも、普段私たちは言葉を聞くときに、細かく最後の一文字までは聞こうとはしていないのです。
脳と耳が、勝手に「予想する」という作業を無意識に行っているのです。
その「予想する」作業を行う回数が多ければ、訳詞はより聞き取りやすいものになります。

これは、私がドイツで学んだことかもしれません。
私がドイツにいた時、初めの頃一番大変だったのは、ドイツ語を聞きとるのに、単語や語尾変化に至るまで、とにかく一文字も聞きもらさないようにしていた事です。
そうして聞いていても、知らない単語ばかりだったし、知っている単語でも、語尾変化すると聞き取れなくなってしまう。
それでぐったりして、最初のうちは事務的なやり取りや買い物だけで、頭がふらふらになったりしたものです。

それは、言葉を「予想」できないからだと気づきました。知っている単語数が少ないから仕方ないのですが・・・
しかし、慣れてくると、たとえばスーパーの買い物などは、出てくる単語の予想がつくので、いちいち全部を聞き取ろうと努力しないでも済むようになるため、疲れなくなってくるんです。

それまでは大変だったなあ・・・(遠い目)

さて話は訳詞に戻ります。
だから、歌詞をきいたお客様に「予想させる」作業を多くし、
そして、この単語は何だ?とお客様が「考える」作業を少なくすることが、大事だと思っています。

お客様が歌詞をきいた時の、頭の中でのタイムロスを少しでも減らしていくのです。タイムロスがあると、前述したとおりの理由で、聞き逃してまうおそれが増えていくので。

なので、訳詞は普段我々が使っている範囲の単語で行うことを心がけています。
その中でも、少し簡単かな?と思う単語を選んでいくこと。簡単な言葉は考える時間を必要としませんから。
普段でも、難しい単語をきくと「あれ?」と思って一瞬考えますよね。そういうことです。

ただ、そうすると、必然的に使える単語数が減ってしまうので難しいんですけどね・・・

あとは、日本語特有の言い回しや、ことわざなどを使うことで、予想してもらうという方法もありますね。
「一難去ってまた一難」とか、「それでは皆様、ごろうじろ」
なんて訳詞を、今回は使ったりしました。

どちらも、本来の原語の歌詞にはない言葉ですし、日本語としてもあまりよく聞く言葉とは言えませんが、
キャラクターの性格、文字数、音符の数、聴きやすさを考慮した時、そういった表現の方がすんなりいく場合もあります。

それから、口語で目立つ言葉をあえて放り込むことも。
三石さんが取り上げて下さっている『劇場支配人』の「ムカつくわ!」のくだりは、
本来は「皆が私をほめたたえる」という意味のドイツ語でした。ですが、どう頑張っても、音符におさまりきらないんだなあ、この言葉が(笑)

そう、訳詞で大変なのは、音符という制限があるのです。その音符のリズム、音の上下と日本語の発音もリンクさせなくてはいけないんです。

・・・ええ、そのことについて書きたいんですが、長くなっちゃったので、まだ次に続きます(笑)

母が、ブログが自己満足すぎる!と言ってましたが、いいじゃん、私のブログなんだから、自己満足でも・・・笑


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