ソプラノ歌手 中川美和のブログ

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「モーツァルトの旅」舞台裏⑤ 訳詞の事・2

2015-08-24 23:23:22 | コンサートのご案内&ご報告
あいててごめんなさい~。
企画書作りが続いて、ちょっと放置してました。うまくいくといいなあー。がんばるー。
さて、訳詞の話、続き。

『劇場支配人』の訳詞の話です。前回のブログもご覧になって下さいね。

「ムカつくわ!」という言葉のくだりについて。
大事なのは「ムカつく」という単語です。
私は訳詞は、お客様に全部を聞き取って頂こうとは思っていません。半分でも聞き取って頂ければ良い方かなと思ってます。
しかし、「ムカつく」が聞こえれば、なんとなくそこらの歌詞の趣旨や、ソプラノたちの感情は伝わります。
お客様は「ああ、このヘルツ夫人は、ジルバークラングをムカつくと思ってるんだな」と考えます。
これも、前回のブログで書いた「予想する」という行為です。

音符の量が少ないため、そのままの言葉を使う事は無理な中、どこまで意味をお客様に汲んで頂くか。難しいけれどやり甲斐があるのはそこです。

また、音符と言葉の量が合わないというほかに訳詞が難しいのは、西洋ならではの言葉の表現があるという事もあります。
特に、西洋のことわざや比喩が原語の歌詞に出てくると、
『あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛』となります・・・orz
いやほんとに、その位大変なんですわ・・・中でも、ギリシャ神話、星座などの引用が多いです。
苦労した話で、バジリオのアリアを例にさせて下さい。
いやー、これは大変だった(´Д`;)

今回「モーツァルトの旅」で、ダポンテのテーマ曲としたバジリオのアリアは、そのまま「フィガロの結婚」を上演するときにも使える訳詞にしたつもりです。で、このアリアの歌詞の中には、独特な言葉があります。それは「ロバの皮」という言葉です。
西洋では、ロバは間抜けの象徴なので、バジリオのアリアで連発される「ロバの皮」をかぶるというのは「間抜けなふりをする」という意味なのですが。
でもそこの解説なしに、いきなり歌の中で「ロバの皮」と言われたって、我々日本人には何のことやら・・・て感じですね。
かといって、「ロバの皮」とはかくかくしかじか・・・なんて、説明ができるわけもないので。そこをどうするか、が訳詞の見せどころなのですが。

なので、思い切って、アリアの最後の部分。
イタリア語の歌詞で「ロバの皮一枚で、この世の危険は避けられる」という意味の歌詞(※才気を隠し、間抜けなふりをして生きれば、世の中の禍から身を守ることができるという、比喩を含んだ教訓)のところに、
本来の歌詞にはない「道化の仮面」という言葉を入れました。
「道化の仮面、ロバの皮」
と続ける事によって、人間は並列の言葉は似たような意味だと予測します。
なので、「ロバの皮」は「道化の仮面」と同じような意味だと、お客様に想像して頂こうと思ったのです。「道化の仮面」ならどういう意味か分かるものね。

そしてさらにわかり易いように、今回の音楽劇では、バジリオのアリアを歌う前に、ダポンテに解説の台詞を喋ってもらいました。
「ちょっと身を守るためにかぶったはずのロバの皮・・・馬鹿げた道化の仮面のはずが、取れなくなってしまったよ!」
と言わせました。
アリアの前にこういう台詞を言ってもらえば、「ロバの皮」が間抜けなものとはわからなくても、なんとなく、「道化の仮面」と似たような意味合いのものかな、とお客様が想像ができるかな、と。

そんなわけでして、ロバの皮についての解説はここまで(笑)

まあそのくらい、「ロバの皮」一つで、ここまでいろいろ考えて放り込むわけでして。
そのくらい西洋の比喩表現っていうのは難しいです。
原詩をできるだけ尊重はしたいのですが、お客様に通じなくて、「?」と思われたら意味ないよなー、というのもあるので・・・もちろん、それは自分で調べるのも一つの楽しみ方だと思いますし、それはそれでありだと思います。
でも、どうしても難しければ、私は別の言葉に置き換えるのもありだと思っています。

以前、フィガロのアリアを訳した時は、あまりに西洋の比喩が怒涛のように連発される上、バジリオのアリアのように解説する時間もなかったため、比喩表現は全部バッサリとカットして、韻を踏んだ別の言葉やことわざにしました。

あと、訳詞の使い方について。
このように、アリアと台詞を組み合わせる音楽劇の形ならではの技もあります(´ω`)ノ
これは、訳詞の話というより、ちょっと台本の話にもなりますが。

多分、この音楽劇をご覧になったお客様は、もう台詞はあまり覚えてらっしゃらないと思います。(そりゃそうだろう)
台本は、もちろんストーリーを中心に作りますが、ただこういった音楽劇を作るときには、アリアで歌われる歌詞の中の大事な単語を、お芝居部分の台詞に放り込みながら使っています。

どういう事かと言いますと。バジリオのアリアには、イタリア語で「figlio caro」という歌詞があります。
直訳すると「いとしい息子」ですが、歌の中では母親が息子に言っているわけではなく、若き日のバジリオが女性に言われている言葉なのです。
ですから、「かわいい坊や」と訳しました。

これは大事な言葉だなあ、強調させたいな、と思いました。
表現の仕方はさまざまですが、この言葉を大事にすることで、バジリオ・・・今回の場合はダポンテですが。その人がとても人間くさい、味わいのある人に思えてくる。

なので、アリアの直前の台詞の中でも「かわいい坊や」という単語を言ってもらおうと思いました。
しかし、大事な言葉は少々目立つ言い回しだけあって、うまく台詞を作らないと、お客さまに変な違和感を感じさせてしまう。
「えっ何でダポンテ、いきなり『坊や』なんていうの?えっえっ」とか思われるてしまうと、アリアの時には興ざめ・・・
それは嫌だなーと思い、自然にきこえるようダポンテには、「坊や」という台詞を何度か言ってもらう事にしました。

最初にダポンテがモーツァルトに出会ったときに、わざと「坊や」と言ってます。
それはモーツァルトを試している、斜に構えたダポンテの性格上の行動ではあるのですが、と同時に、言葉それ自体は、このアリアのための伏線でした。

で、そこを踏まえて、ダポンテがバジリオのアリアを歌う直前に、モーツァルトに向かって
「かわいい坊や、きみはこのままだと、死んでしまうよ」と言ってもらいました。
そこからバジリオのアリアに入れば、「かわいい坊や」は強調されつつ、変な目立ち方はしないかなー、と。
・・・まあこのアリア直前のセリフ、多分お客様で覚えていらっしゃる方はいないと思いますが(笑)

こういった音楽劇では、台本の伏線はストーリーだけではないのです。
私はクラシック音楽を伝えるために、この音楽劇を作っているので、いかに自然にお客様にアリアに集中して頂くか、という作業は一番大事なこと。だから、台詞の中にもアリアの伏線をちりばめています。

ただ、難しいのは、そのアリアの大事な言葉を台詞としてお客様に提示することと、その台詞の、演劇的な重要性をどこまで両立させられるか。
やはりそこがうまくいくと、台本としても良い流れになりますね。台本の演劇的な流れがうまくいくと、アリアも集中したまま聴いて頂けます。

前述した、ダポンテのアリア直前の台詞「かわいい坊や、きみはこのままだと、死んでしまうよ」は、「かわいい坊や」を言ってもらうために作った台詞でしたが、台詞としても、ダポンテの心情を表現する、とても意味のある大事な台詞になりました。
台本を書いた人間としては、ダポンテの台詞の中で、一番大事に思っているところです。

こういった、こちらの都合で書いた言葉と、キャラクターらしさとしての台詞の融合は結構難しいのですが、深く考えないと、なんかうまくいきます 笑
考えて書くと、駄目ですね。まあ大体そんなもんです。

まだもう一回だけ、「モーツァルトの旅」について書かせてください(笑)


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